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何度もぶっ飛ばされてヒビでも入っていたのか、簡単に割れた。
自分の口の中から白い気体がもうもうと発生して、足元にわずか淀んだ。
それを見て、ファルクラムがびくっとして下がる。
竜の力を警戒しているのだ。
彼でさえこうなのだから。
今のバルバラ兵は、煙を見ただけでおびえるのかもしれない。
自分は精いっぱいの虚勢を張って彼に告げた。
「ごめん。君があんまり強いものだから、竜の力を使いそうになっちゃった。
でも、安心して? 一対一の決闘にあの力は使わないよ。
だって、勝負にならないもんね?」
ファルクラムは口元を皮肉気にゆがめた。
しかし、彼のほほを冷汗が伝っているのが見て取れる。
自分を警戒して打ち込んでこないので、ゆっくり起き上がる。
すぐに煙は発生しなくなった。試験管の中の液体の量では、これくらいしか出ないのだろう。
でも、効果は抜群だ。
ありがとう、ワイズ。
見れば、城壁の上の兵士たちも静まりかえっていた。
さっきまで、あんなに決闘を見て騒いでいたのに。
なんだか、ちょっと愉快になった。
人をビビらせて悦にいるような趣味なんてないのにね。
それにファルクラムとの戦い方にもちょっとだけ目途が立っていた。
腰のベルトのスロットにあるもう一本の試験管。
気体を吸うとめまいがする液体を、自分の盾に振りかけた。
しゅわしゅわと音を立てながら、うっすらと煙が立ち上る。
また、ファルクラムがいぶかしげな顔をする。
いいですね、力のある人は。
こんな小細工なんて、思いつきませんか。
盾を構えてファルクラムに突進した。
自分が軽いことを知っている彼は、がちんと剣の鍔元でその突進を受けた。
液体を振りかけた盾と、剣のつばもとでの押し合い。
「なっ!?」
ファルクラムは声を上げて強引に自分を振り払う。
自分は腕力に負けて、ぐっと押し戻され距離を取られてしまう。
自分はしりもちをついて倒れたが、ファルクラムは口元を抑えて若干ふらついた。
吸ったな……。
ワイズの薬を吸ったな……。
すぐに起き上がって、後ろにとんとんとバックステップ。
左手の連弩のハンドルを回して、決着をつけようとしたが、いつの間にか連弩が壊れていた。
ハンドルが回らなくなってる。
何度も吹き飛ばされたから、どこかで強く地面にぶつけたのかもしれない。
慌てて、剣を抜いて切りかかりに行く。
今がチャンスとしか思えない。
基本待ちの戦法だが、薬の効果が弱まって調子を取り戻したら、もう勝てない気がする。
とっさに斬りかかるとファルクラムも剣でそれを受け止めてくる。
でも、最初に感じた時のような力はない。
ごりごりと、しばらく押し合いになってもつれ合って倒れた。
「あ」
結果、自分が下、ファルクラムが上になる。
やばいやばい!
じたばたもがいたが、逃がしてはくれないようだ。
十分に体重をかけて、自分の体を押さえつけている。
長い剣はこういう時扱いづらいのか。
クレイモアから手を離して、ファルクラムは両手のこぶしで自分の頭部を何度も殴りつけてくる。
ハンマーで殴られているようだった。
兜ごしに頭蓋骨がたたき割られそうで、命の危険すら感じてヒヤリとした。
だが、攻撃は止まらない。
城壁の上では、やんやとバルバラ兵が騒がしい声援を送っている。
自分は頭さえ守れば大丈夫だと高をくくっていた。
剣も弓も頭蓋骨に当たらなければたいしたことないと油断していたのだ。
たしかにそうかもしれない。
だけど、自分にとって一番やっかいなのはこういう原始的な攻撃なのかもしれなかった。
ただ、頭を殴りつける。
それがどんな剣の一撃よりも、魔法よりも怖かった。それを初めて知った。
それでも必死にもがいたからか。
指先に当たるものがあった。
さっき放った連弩の矢だ。
どこかに当たって跳ね返ってでも来たのか。
殴られながら、それを必死に指で手繰り寄せて、なんとかつかむ。
それを馬乗りになっている、ファルクラムの太ももに突き刺す。
彼は「ぐっ」とうめき声をあげて、自分の上から退いた。
麻酔の塗ってある矢だ。
きっと意識がぐらぐらしているはず。足元もおぼつかない様子だ。
自分はすぐ立ち上がろうとして、あっけにとられた。
ファルクラムは立ったまま、まるで勝利者のように両手をあげて城壁の兵士たちに応えていた。
バルバラの兵士は沸き立っている。
そして、こぶしを振り上げたまま、わずかに開かれた門の中に消えていった。
自分はそれをただ見送っていた。
なんだ、これ。
地面に倒れている自分。そして、こぶしを振り上げて味方に答えているファルクラム。
なんか、はたからみると自分が負けたように映るんですけど。
崖の下のエルザの兵士たちをみると、なぜか意気消沈している。
え、待て待て。
自分まだ負けてませんけど!
もし、あのまま、やっていたら勝負はどうなっていたかわからない。
けど、そのうち麻酔が回ってファルクラムは倒れた可能性もある。
いや、倒れたに違いない。だって、ワイズ謹製の麻酔が塗られた矢なんだから。
あのポーズだってやせ我慢に違いない。もう、ふらふらだったはずだ。
ひょっとしたら盾にかけた麻酔薬を吸った時からそうだったかもしれない。
彼の腕力なら馬乗りになった時点で、自分の頭蓋骨なんてあっさり割っていたに違いないのだから。
でも、それができなかったのは、力が入らなかったからだ。
だから、こんなとこで幕引きを勝手にしたんだ!
釈然としないものを感じつつ、自分はエルザ軍に帰って行った。
ひょっとしたら、シルディアの城壁の上から矢でも射掛けられるとおもったが、それもない。
とぼとぼと歩いて帰る自分は負けたように見えるのだろう。
崖のしたで成り行きを見守っていたエルザ兵たちは静かだった。
彼らもきっとわかっているはず。なんかわけがわからないうちに相手が勝ったような終わり方をした。
釈然としないけど、なんだか負けたような感じになってしまっている。
ヴェラの言葉を思い出した。
『気づくと彼の思い通りに事が運んでいるというか……』
だとしたら、ファルクラムの目的は何だったのだろう。
少なくとも竜の力が全く使えないことは知られていないと思う。
自分もそのためにがんばって演技した。
だけど、それを差し引いてもバルバラの士気は上がった。
そして、エルザの士気は逆に落ちた、と思う。
これは明日からの戦闘の成果に大きく影響するだろう。
煙にまかれた感じがする。
彼は確かに強かった。攻撃は苛烈だったし、自分も危なかった。
でも、戦いようが全くないほどではない。
竜のときほどの絶望感は抱かなかった。
が、彼が本当にすごいところはそこじゃないのかもしれない。
戦争全体に影響するような何かを感じ取ってそれを実行にうつしてくる。
今回であれば、バルバラ兵の士気を十分に引き上げてみせた。
戦上手、というやつなのだろうか。
怖い相手というよりも、嫌な相手といった感じがした。
エルザの本陣に戻ると、すぐに隊長に呼ばれた。
戦ってきたばかりなのに、なんだろうと思って将軍の幕舎に行く。
そこにはマルガからの手紙が届いていた。