53
ぎぎ……。
鉄が何かとこすれあう音、重たい何かが動く音。
よじ登ろうと城壁にかけた手を放して、そちらを見る。
え……。
城門が、内側から、開いていく……。
自分は呆然としたまま、城門の前に歩いて行った。
目の前で、わずかに軋みをあげながら、少しずつ、少しずつ開いていく門。
やがて、わずかに。
一人だけ通れるくらい門が開くと、そこに小さな影が一つ。
頭に巻かれた包帯。
流れるような綺麗な金髪。
あれは、ずっと前に自分が買ってあげた服だ。
気に入っていつも着ていてくれたけど。
子供ながらにその格好で地面を転がったり、木に登ったり、他所の子と泥玉をぶつけあったり。
かわいい服なのに、どこかくたびれていた。
もう、しょうがないな。
なんて。
なんだかおかしくて。
笑ったけど、顔の筋肉がないから笑顔も作れやしない。
彼女は、そんな自分を驚いたように見つめていた。
門が開いて。
そこに骸骨が立ってたら、誰だって驚くよね。
だから、彼女もそこから一歩も動けずに、呆然と自分を眺めていた。
待ちの戦法は得意だけど。
ここは自分から声をかけよう。
「ミザリ」
思ったより小さな声だった。
この声は、彼女に届いたろうか。
ぴく、とミザリの小さな肩が震えた。
あ、あ……、と。
しゃべれない彼女の口からも小さな声がもれる。
やがて、その声は嗚咽に変わって。
目から涙があふれた。
自分からだったか、それとも彼女からだったかはわからない。
だけどいつの間にか歩み寄って抱き合った。
小さい体のどこにこんな力があるのだろう。
ミザリは、自分の背骨をへし折らんばかりに抱きしめてきた。
子供の少し高い体温が骨身に染みた。
この時ばかりは、皮も筋肉も内臓もいらねぇや、と思ってしまった。
わんわん、泣き始めたミザリを腕の中であやしながら。
視界の隅に、よく顔を知っている兵士の姿が見えた。
いつも門番をしている彼だ。
彼が門を開けてくれたのだろう。
彼は何も言わずに少し離れたところから、静かにこちらを見ていた。
よかったですね。
やりましたね。
彼の目がそう言っていた。
うなずき返すと、彼は下を向いて肩を震わせた。
戦っていたのは自分ひとりじゃない。
みんな、きっと何かと戦っていたんだ。
落ち着くと、三人で中央通りを歩いた。
門の周りには人がいなかったけど、城に近づくにつれて少しずつ人の姿が見え始めた。
「南側にある正門は付近まで霧に飲まれてしまいまして。住民は、それを避けるように街の北に避難したんです」
と、門番が教えてくれた。
そういうことか。
でも、よかった……。
本当に、よかった……。
街ですれ違う人が、自分を見て足を止める。
みんな、ただ見つめてくるだけ。
けど、たまに遠くから「ありがとうー!」と叫ぶ声が聞こえてきてなんだかうれしくなった。
城の周辺地区ともなると、さすがに人が多かった。
正門周辺まで霧に飲まれてその付近の住人が押し寄せるようにこっちにきたのだから、人口密度もかなり高い。
がやがやと。
霧がいつの間にか晴れて、人々の顔には安堵が広がっている。
少しずつではあるが、明るい顔が増えてきている。
もう、家の中で怯えている必要もないのだ。
以前、配給をしていた中央広場も人でごった返していた。
ただ、霧が消えても食料をはじめとして、様々な問題が残っている。
まともな商売もできるはずない。買い物だってそうだ。
でも、人々は何をするでもなく、屋外にでる。
大手をふって外を歩ける、そんな当たり前のことがとてもうれしそうだった。
城へ続く広い道も人で埋め尽くされていた。
この中を通っていくのは、ちょっと大変だな、と思ったが。
自分が姿を見せると、誰ともなしに道を譲ってくれた。
人の波が割れて。
いつの間にか、城までの一本道が出来上がっていた。
自分はそのまま行こうとしたが、門番はそこから動かなかった。
「どうしたの?」
「自分にはこの道を通ることはできません」
「なんで?」
言いたいことはなんとなーくわかる。
でも、気にすることもないんじゃないかなぁ。
それを言うと。
「いえ、この道を歩くのはあなただけであって欲しい」
見れば、ミザリも門番と一緒にいる。
「小さいお嬢さんも、きっと同じことを感じているのでは。
大丈夫、自分があとで城に送り届けます」
ミザリは、たしか今年で七つだ。
自分にいつもべったりだったのに。
ミザリの目が、「行って」と言っている。
悲しそうな顔も寂しそうな顔もしてない。
それどころか、どこか誇らしそうな顔さえしている。
自分はうなずくと、その道を進んだ。
左右に別れたたくさんの人が自分を見ているので、とっても緊張する。
別に騒がれたりするわけでもないから、いいけど。
そういえば、自分の格好がいまさらながらに気になった。
ボロボロの鎧とマント、右手には抜き身の剣をぶら下げている。
城につくまでの間、鎧についた瘴気とかを吸って誰か病気にならないかな、と思ったが。
さすがに大勢の人が見ている前で、脱ぎ始めるのは恥ずかしかった。
城につくと、見知った顔が出迎えてくれた。
伯が何も言わずに近づいてきて、自分をぎゅうぎゅう抱きしめた。
普段なら、おっさんにこんなことされても何かの罰としか思わない。
けど、今は別だ。
逆にぎゅうぎゅう抱きしめてやった。
でも、あれ?
伯のほうが自分より腕力ある……。
自分の腕力、貴族の文官以下だったのかい。
いまさらながらに、笑いがこみ上げる。
伯は、笑い出した自分をきょとんと見つめたが、そのうち一緒になって笑い出した。
工房の親方は一言だけ自分に聞いてきた。
「役にたちましたかね?」
自分は右手に下げていた抜き身の剣を見せた。
「今回は、折れなかった」
「そうか、そうか……」
つぶやいて体を震わせたが、すぐに工房に戻るという。
「今回のことで思い知りましたよ。
親方なんて呼ばれても、自分はまだまだだって。
次は、竜が斬れる剣、作ってみせるぜ」
より良いものを、さらに良いものを。
職人だなぁ……。
去っていく背中が前より大きく見えた。
隊長も言葉が少なかった。
「やったか」
「うん」
隊長が自分をじろじろ見る。
え。
なに?
「ひょっとしたら、俺はもうお前には勝てないかもしれないな」
「なんで?」
「いや、まぁいい」
二カッと笑って去っていく。
残ったのは、マルガとオルガの姉妹だった。
「おかえり」
マルガが言った。
でも、いつもの軽い口調じゃなかった。
なにか、含みのある重たい「おかえり」だった。
なんだろう。
急に不安がよぎった。
「骨さん、実は……」
「オルガ! やめなさい」
マルガが珍しく声を荒げた。
「でも、ねえさん。今、言わないと、もう……」
オルガの言葉にマルガは頭を抱えた。
見えなくても、ベールの下で苦々しい表情を作っているのがわかる。
それを肯定ととったのか、オルガはたどたどしく言った。
「実はエミリが……」
頭が真っ白になった。
ベッドに寝かされたエミリはとても穏やかな表情をしていた。
窓際から明るい光が降り注いで、彼女を照らしていた。
少しそばかすの浮いた白い顔、長い髪は丁寧に結われて枕元に流れていた。
彼女の赤い髪は、白いシーツの上で血が流れているようにも見えた。
わが目を疑う。
「う、嘘だよね……」
マルガはやはり苦々しい表情でうつむいている。
オルガは下を向き、口を手で覆って肩を震わせていた。
エミリ……。
思えば。
彼女は誰よりも献身的だった。
親を亡くしたミザリの世話を村の中で一番よくやっていたのは、彼女だった。
ここに来てからも。
自分が出ていくときは、なにくれとなく準備をしてくれ。
帰ってきたときは、必死で手当てしてくれた。
自分がいないときだって。
肺を病んでいたにもかかわらず、街に出て配給の手伝いしていた。
きっと、自分の知らないところでもっと頑張っていたと思う。
自分のことはいい、でも、ミザリには未来を作ってあげたい。
そんなことを言っていた彼女の優しい顔を思い出した。
泣きたい、と思った。
でも、自分はよくしてくれた人に涙一つ流せない。
あごの骨だけが、小さくカチカチとなった。
そんな自分を見て、マルガは小さく言った。
「オルガ、そろそろ……」
オルガは気楽に言った。
「だよねぇ。そろそろ洒落じゃ済まないよねぇ。
ここまでにしましょっか。
それじゃ。
エーミリ!」
は?
急に何言いだすの?
と、寝ていたエミリの目がパチッと開いた。
ベッドからよっこらしょっと起き上がる。
「最初に言っとくよ。これ、悪いの全部オルガだからね!」
え、えーと……。
マルガは申し訳なさそうに言う。
「私は止めたのですが……」
おい。
こら。
まさか……。
「霧が晴れたからさ。骨さんが帰ってくるはずじゃん? でも、ただお迎えしただけじゃつまんないじゃん?」
オルガ……。
てんめぇぇぇぇえ!
「ふざけんな! ばか! ばか!」
オルガにつかみかかった自分を女性三人が止めた。
自分はあっさり、細身の女性たちに取り押さえられた。
くそう! くそう!
力がないにもほどがある。
この枯れ木のような腕が恨めしい。
床に組み伏せられた自分の耳元で、エミリがつぶやく。
「おかえり」
やっと、自分の居場所に帰ってきた気がした。
とりあえず、落ち着いて今は部屋の中でまったりしていた。
ミザリもいつの間にか帰ってきていて、エミリと遊んでいる。
と、城の外が急に騒がしかった。
二階の窓から下を見ると、城の前庭を街の人たちが埋め尽くしていた。
まだまだ人は集まってきている。
なんだろ。
暴動?
配給、少ないから。
それに伯って人望ないし。
うっかり口からもれていたのか、いつの間にか部屋に入ってきた伯がはははと力なく笑った。
でも、そうじゃないらしい。
「応えてやってくれ」
伯に背中を押されて、隣の部屋に移動する。
そこにはバルコニーがあった。
眼下には見たこともないようなたくさんの人が集まっていた。
以前、広場でみんなに頭を下げてお願いしたことがあったけど、それってやっぱり一区画の人たちがいただけなんだなっていまさら実感した。
眼下にはすべて人で埋め尽くされている。
そういえば、まだ、鎧脱いでなかった。
オルガが、ほとんど瘴気ないから別にいいよと言われてきっぱなしだった。
マルガが竜にとどめを刺した剣を持ってきて、手渡してくれた。
さやのない抜き身の剣だ。
「これがあれば、あなたでも多少は見栄えがするでしょう」
ん?
ほめられた? けなされた?
まぁ、いいや。
自分がバルコニーに立つと、ざわめいていた群衆も静かになった。
すべての視線が自分に集まるのを感じる。
たくさんの人の前に立つのはなんだか怖かった。
でも、今は全部受け止められる気がする。
みんなが固唾をのんで、自分の言葉を待っているのがわかった。
どうしよう。
何を言えばいいんだろう。
かっこいいことなんて言えないよ。
思いつかないし。
変なこと言って、がっかりさせるのはいやだな。
だけど……。
「思いついたことを言えばいいのですよ」
マルガが後押ししてくれる。
でも、思いついたこと?
正直、頭真っ白なんですけど。
えーと。
えーと。
たくさんのことが思い浮かんできた。
始まりや、みんなのつらそうな顔や、それでも戦い続けた日々。
わずかな時間だったかもしれないけど。
でも、それがいっぱいになって整理なんてできなかった。
頭の中、ぐちゃぐちゃになったままで。
出てきた言葉は、言葉ですらなかった。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおォォォ!」
まるで獣の叫び声だ。
知らず、剣を持つ手を振り上げていた。
一瞬の後。
爆発したように群衆から声が上がった。
この城を揺らすような、それどころかランバート全体を揺らすような。
竜の咆哮よりも、ずっと激しく体を揺さぶった。