52
死んだ……、のだろうか。
全く動かなくなった竜。
自分はそっと、突きたてていた剣を引き抜いた。
大量の血があふれ、流れ出た。
洞窟の床に大きな大きな水たまりができる。
さて。
確認、しなければならない。
自分は竜の頭が横たわる場所へおそるおそる歩いて行った。
かすかに。
竜はまだ呼吸をしていた。
だが、もはや瀕死のようだ。
もし、またこの竜が起き上がって攻撃して来たら。
連弩の矢はなくなった。
斧は砕け、盾も鎧もマントも腐蝕してボロボロだ。
剣、剣しかない。
竜の逆鱗に突き立てられた剣だけがいま使える唯一の武器だった。
剣を構える。
だけど。
竜がうっすらと目を開いた。
そして、口を小さく開く。
「そのあきらめの悪さ、知っている」
驚いた。
人の言葉をしゃべるとは。
想像もしなかった。
「おかしい、と思っていた。
どんなに傷ついても意に介さず、何度倒れても立ち上がって向かってくる。
その魂には見覚えがあった。
今、気づいたわ」
竜は続けた。
「そんな姿になってまで、我々の邪魔がしたいのか。四番目の守護者」
それは怨嗟の声。
ただ、何を言われているかわからなかった。
でも、竜は何かを知っている?
わからない。
けれど。
「お前は、こんな骨だけの自分のことを知っているのか」
問いかける。
竜は、ははぁ、と息を漏らした。
「貴様……?」
じろじろ見られたあと。
「なるほど、そういうことか」
皮肉気に笑う。
「ならば、これはなるべくして起こったこと」
「何を?」
全然、答えになってない。
「理屈ではないということだ」
それ以上、しゃべる気はなさそうだった。
長い沈黙の後。
「ここまでか」
それが竜の断末魔だった。
次の瞬間。
竜の体がドロドロに溶けだした。
皮が破れ、肉が腐って骨だけの姿になるまで、あっという間だった。
何が起こったのか、さっぱり分からない。
ただ、どうやら自分は勝ったらしい。
ふと、死骸に埋もれて何か赤く光るものがあった。
近づいて、手に取ってみる。
それは平の上を転がるくらい小さな赤い玉だった。
見ていると、なんか胸がざわざわした。
とりあえず、持っていこうと思ったが、どこにもしまうところがない。
仕方ないので、頭蓋骨の左目の部分に押し込んだ。
まるで、赤い玉は最初からそこにあったみたいにしっくりとおさまった。
…………。
ハッ!
そういえば、こんなことしている場合じゃない!
街は!
みんなは!
洞窟の入り口は、竜ががれきで埋もれさせてふさいでいた。
自分は両手を使って、必死でそれを取り除いた。
ようやく、人間が一人通れるくらいにまでになる。
やっぱり時間の感覚はわからないのだが、丸一日くらい撤去作業をしていたように思う。
やがて、ようやく開いたがれきの隙間に体を滑り込ませるようにして外に出ることができた。
なんとなく気づいていたけど、竜の瘴気が薄くなっている。
洞窟の外に出た。
山の中腹にある洞窟。
山の木々は枯れて落ち、黒く染まっている。
だが、黒い霧はどういうわけか、もうすっかりなかった。
見上げると青い空。
明るい日差し。
山からは、ランバートの南部に広がる平野の様子がよく見渡せた。
本来なら黄金色に染まっているはずの麦畑は、見渡す限りどす黒く。
この様子では、今年の収穫は全く望めないだろう。
だけど、来年はわからない。
腐蝕竜は、もう、いないのだから。
マルガが言っていた。
備蓄を開放すれば、今年だけならなんとか食いつないでいけるかもしれない、と。
なら、まだ希望は持てる。
自分はボロボロの鎧と、擦り切れたマント、それに剣を片手に帰路についた。
さやをなくしてしまったので、剣は抜き身のままだ。
ふらふら、と。
ランバートまで歩いて帰った。
その間、人間には一人も出会わなかった。
いや、正確には。
猫一匹、出会わなかった。
虫も、鳥も、何も、いない。
腐蝕竜は、もう、いないのに。
黒い霧は、どこまで広がったのだろう。
自分が出発したときは、ランバートの街にかなり接近していた。
そして、自分はどれくらいの期間、竜と戦っていたのだろう。
三日? 一週間?
よくわからない……。
けど、その間に……。
やはり二日かけて、ランバートの街に戻ってきた。
見上げれば、首の骨が痛くなるほど高い城門。
いつもは見張りの兵士が立っているはずなのに、今日は誰もいなかった。
なぜ?
だめだよ。仕事はしっかりやらなくちゃ。
でも、どこに行っちゃったんだろう。
開けてくれないと、街の中に入れないんだけど。
自分は巨大な門をたたいた。
「もしもーし! 誰かいないのー!」
静かな。
本当に静かな昼下がり。
こんなに天気はいいのに。
霧はもうはれたのに。
なのに、誰もいないなんて。
とはいうものの。
さっきから、嫌な予感ばかりが頭の中をよぎっている。
行き場のない何万もの人が、黒い霧に飲み込まれた?
この城壁の中で?
いや、これは想像の話だから。
本当に、どうなってしまったのか。
いくらなんでも、おかしい。
人の気配がなさすぎる。
門もびったりと閉じたまま。
やはり……。
いや。
信じない……。
信じたくない……。
もし仮にそうだとしたら。
自分の今までの戦いは一体なんのためだったのか。
やはり、自分は間に合わなかったのか。
門の向こうにどんな景色があるのだろうか。
それを見るのが怖かった。
長い間立ち尽くしていたらしい。
いつの間にか、夕暮れ時になり、星が空に浮かび、そして、また日が昇る。
自分は、一歩も動かずその場に立ちすくんでいた。
門が中から開いて、お帰りと誰かが迎えてくれるのを待っていた。
だけど、そんな瞬間は来なかった。
でも、自分のやったことの結果から目を背けるのはもうやめにしようと思う。
この城壁をよじ登ってでも、中に入って、そして確認しなくてはならない。
そして、城壁を手をかけた、その時だった。




