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足音と気配だけで相手の位置を把握して、できるだけ遠くに離れる。
よくは見えないけど、竜はお構いなしだった。
砂埃で姿を隠した竜は、本当に無差別に、やたらめったら攻撃している。
もはや、手がつけられない感じだ。
ただし、自暴自棄になっている感じはしない。
まぐれでも一発当たってしまえば勝てる。
そう思っているようだった。
普通にやっても攻撃が当たらないからって、とんでもないことを思いつく。
砂埃の向こうから、風切り音や、岩壁が破壊される音、ブレスの咆哮。
暴力的な音が聞こえてくる。
砂埃がおさまりかけると、竜はこっちをさがして周囲を見回す。
そして、見つけるともう一度砂埃を巻き上げて姿を隠し、攻撃を開始する。
大体の見当をつけて手数を増やして攻撃してくる。
いつも、判断ミスをして竜の攻撃を食らってきた。
さっき、羽ばたきの風圧をくらったことからもわかるように。今のこの状況も非常に危ない。
どうする……。
なにか攻撃を食らったら、こんどこそフラスコは割れてしまう。
一番気をつけなくてはいけないのは羽ばたきだろうか。
しかし、あれだけ暴れているなら疲れるのも早いはず。
逆にこの局面を乗り切れば、チャンスは思ったよりも早く訪れるかもしれない。
明後日の方向で暴れていると思われる竜。
それがいつの間にか近づいてこないように、慎重に耳を澄ます。
咆哮や羽ばたきの音で、足音も聞き取りづらくなっている。
気づいたらいつの間にか接近されていた、なんてことになったら目も当てられない。
そんな折に。
すべての音が消える。
…………。
え……。
竜の気配はある。
何もせずに休んでいる?
毎回、律儀に砂埃をあげてはこちらの視界をふさいでくれているため、相手が何をしているかはわからない。
どうやら広間の中央に陣取っている……。
そして、咆哮。
次の瞬間、砂埃を切り裂いて自分にブレスが迫ってきた。
とっさに身をかがめようとして、あおられる。
後ろに倒れそうになって尻もちをつき、そのまま、横に転がってブレスの射線から外れる。
あわててフラスコを確認する。
大丈夫。
割れてない……。
自分の姿が見えているなら、追尾してさらにブレスを浴びせかけていたはずだ。
だけど、それもなかった。
竜は本当に適当にブレスを吐いたのだ。
そして、偶然、そこに自分がいた。
広いとはいえ、空間は限られている。
こんなことも起こりうる。
青ざめた。
これはもう「運」の要素が非常に強いような気がした。
同じような状況はたびたび起こった。
視界のふさがれた状況の中。
遠くにいると思った竜の尻尾の薙ぎ払いが目の前をかすめるときもあった。
羽ばたきは、なんとか対策できた。
吹き飛ばされて壁に叩き付けられるなら、最初から壁にくっついて戦っていればいい。
それでも気持ちを緩めずに、戦い続けた。
どれくらいそうしていたかはわからなかった。
やがて。
何度も巻き上がっていた砂埃もおさまった。
この空間の中央に竜がいてこちらを見ている。
竜はただ、こちらを見ていた。
何もしない。
なぜ?
いや、なにかしようとしている。
緩慢な動きで自分のほうに近づこうとしてきた。
ずぅん。
小さな地響き。竜の一歩。
だけど、遅い。
いつもよりさらに遅い。
動くのもおっくうなのか。
もう、体力が尽きたのか。
前回の疲れが残っている様子だったのは、見て取れた。
今回も十分に相手の体力を削れたと思う。
ここがチャンスか?
自分はどれくらい戦っていた?
吹き抜けの天井から降り注ぐ日差しが星明りになり、また日差しに変わるのは見た、ような気がする。
砂埃に紛れていたけど。
集中して戦っていたので、はっきりとは確認していなかった。
気にもしていなかった。
だけど、何十回という攻撃をやり過ごしたはずだった。
これで疲れていないわけがない!
今か。
守ってきた、このフラスコを使うときなのか。
ただ、どこで使う?
足にダメージを与えて、横倒しにし、逆鱗を攻撃する。
逆鱗に攻撃するとき?
いや、そもそも横倒しにしなければ何も始まらない!
切り替える。
攻勢に出る。
待ちの戦法は反撃を秘めていて初めて作戦になる。
だから。
まっすぐ走っていく。
竜は一瞬とまどった。
今まで逃げ回っていた地を這う虫がいきなり自分に向かってきた。
そんなことを考えたかもしれないが。
理由はどうだっていい。
その一瞬の戸惑いが、スキになる。
尻尾で薙ぎ払おうか、と体をひねろうとしてやめていた。
もうすぐそこまで自分が迫っていたからだ。
苦し紛れだったのか。前足の爪を振り払った。
当然、そんな中途半端な攻撃は食らわない。
股下に潜り込む。
連弩から斧に持ちかえる。片手だけ。
もう片方の手は自分の頭蓋骨の中に突っ込んだ。
割れかけたフラスコ。
中には頑丈な竜のうろこを溶かす酸が入っている。
いつもたたいていた竜の足首。
肉も薄く、すぐに腱や骨まで刃が届く。
この鱗さえどうにかできれば!
フラスコを叩き付けた。
液体が飛び散る。
強力な酸が竜の足首のうろこを焼いた。
うろこがとけて、その奥の肉まで見える。
竜が咆哮じゃない、悲鳴をあげるのが聞こえた。
容赦はしない。
両手で斧をもって叩き付ける。
一撃。竜がうめいた。
ふらふらになった体で、何度も自分の邪魔をしようとしてくる。
爪を振り下ろしたり、足をばたばたさせたりした。
でも、なんか。
慌てているように見えた。
今まで、こんな攻撃を食らったことなどなかったのか。
そもそも、腐蝕竜には生物は近づくだけで死んでしまうから。
きっと、初めての痛みなのだろう。
だけど、ごめん。
次はもっと痛いから。
二撃。
肉に深く食い込んだ。
この位置は人間だったら、アキレス腱。
血が飛び散る。肉がぶちぶちと音を立てる。
三撃。
斧の刃に硬いものが当たった。
骨の感触だと思う。
あんなに何十回もたたいてようやく一枚割ることができた、うろこ。
それがなければ、たった三回の斧撃で。
竜は。
苦しいうめきを上げながら。
崩れ落ちるように。
倒れた。
ついに、その時がきた。