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SAKURA過去編―舞い落ちる罪華  作者: 美音
第一部 幼少編
7/9

 第五章 同族嫌悪




一.



「う、あ」

 此処は忠行の寝屋である。

 本来はしん、と静まっている筈の空間に、荒い吐息と掠れた声が響いていた。

 それはどれも忠行が発したものであった。

 畳の上に仰向けになった彼は、涙で頬を濡らしながらも下腹部を襲う激しい痛みに耐えていた。

「つ、椿樹。もう駄目じゃ、痛い」

 忠行は手を伸ばし、覆いかぶさっている椿樹の腕を掴んだ。

 彼は首を横に振り、片手で忠行の両手首を掴んで頭上に拘束した。

「なっ」

 何故、と目を見開く忠行に、椿樹が眉根を下げて笑いかけた。

「駄目です、此処でやめると貴方がお辛いだけですよ」

「そ、れは」

 堪まれず、目を逸らす。

 確かに今の状況で放りだされるのは、辛いどころか拷問に近い。

「それに」

「あっ」

 椿樹の指先が肌を滑り、身体が大きくびくついた。

「私もいい加減、早く終わらせたいので」

 ふっ、と皮肉交じりに笑む椿樹の額から、汗が伝う。

「椿樹……」

 普段見ることのないその表情に、不覚にも魅せられた。

「では、いきますよ」

 椿樹の切迫した声が、耳を通る。

「――っ!」

 瞬間、忠行は大きく息を呑み、身体を仰け反らせた。

 悲鳴にも似た叫びが、部屋中に木霊した。



「はい、終わりましたよ。目を開けてください」

 椿樹に促され、忠行はきつく閉じていた両目を恐る恐る開いた。

「はあっ、はあっ、御主……覚えておれ」

 忠行は乱れた息を整えつつ、椿樹を睨みつけた。

 一方、椿樹は怯むどころか満面の笑みを浮かべている。

「仕方ないでしょう。貴方の腹の傷を治療しなくてはならなかったのですから」

「だからって、あんなに痛くせずとも」

「深い傷口なのですから、痛むのは当然でしょう。そもそも、貴方があのお屋敷に祓いに行ったのが悪いのですよ」

「ぐぬぬ……」

 言い返す言葉もない。

 忠行は閉口し、床を見つめることしか出来なかった。

「それにしても」

 椿樹は何処か楽しそうに口角を上げた。

「先程の忠行殿は見物でしたねえ」

「どういう意味じゃ」

 思わず、むっ、として問う。

「いえ、何と言いますか。かなり誤解されそうな感じといいますか」

「はあ?」

 意味が分からない。

「貴方が殿方から狙われるのもわかる気がしますな」

「笑顔で何をぬかしとるのじゃ、御主は」

 椿樹のとんでもない発言に、忠行は流れた冷汗を拭った。

 その時。

障子が、音を立てて開いた。

 道満が、冷たい瞳で此方を見下ろしていた。両手には水が入った桶を抱えている。

「人が心配して一晩中看病したというのに何を遊んでいる。それも江人殿の式神と。その様子では男に興味がないというのは嘘だったようだな」

 道満の言葉に忠行は、はっ、と我に返った。

 椿樹に両腕を抑えられて、馬乗りにされている姿は、変な誤解を招きかねない。

 現に、道満は忠行と椿樹の関係を誤解しているようである。

 口調は冷静だが、良く見ると身体がわずかに震えている。

 忠行はあわてて椿樹の腕を振り払って起き上がると、道満に近づいた。

「ど、道満や。御主、何か誤解しておらぬか」

 恐る恐る、問うてみる。

「何のことです」

 道満は表情を益々固くして、忠行から視線を逸らした。

「椿樹はただ、腹の傷を治療しようとしただけじゃ。じゃが、如何せん痛む傷でのう。痛みで大暴れするわしを椿樹が押さえていたというわけだ」

「忠行殿の言う通りですよ」

 椿樹はうなずきつつ、笑顔で忠行を指差した。

「さすがに忠行殿に手をだすほど物好きではありませぬ」

「なっ、どういう意味じゃ」

 詰め寄る忠行に構わず、椿樹は話を続けた。

「それに、私は江人殿の式ですからな。主の大切な御子おこに手をだすような真似は、絶対に出来ませぬよ」

 はっきりと、有無を言わさぬ口調であった。

「それもそうだな」

 道満は何か腑に落ちないようであったが、渋々椿樹に同意した。

「誤解が解けて良かった」

 椿樹が、ほっとした様子で道満に微笑みかける。忠行はそんな彼を横目で見遣り、大きく鼻を鳴らした。

「ふん、元はと言えば御主の所為ではないか」

「あれほどの怪我なのですから、早く治療せねばお命にかかわりまする。それなのに貴方ときたら、まるで童のように暴れて」

「痛みが酷かったのだから、仕方あるまい」

 ふと、道満と目があった。

 何やら不機嫌そうな表情で、忠行達を見ている。

「どうした、何かあったか」

 不思議に思い、訊ねる。まさか、未だ疑われているのだろうか。

「別に」

 否定した割に、不機嫌丸出しの口調である。

「……素直じゃないですねえ」

 椿樹が、やれやれと首を横に振った。

「は?」

 わけがわからず、聞き返す。

 すると、突然道満が忠行に向き直った。

「忠行殿、腹は減っておらぬか」

「……は」

「は、ではない。どうなのだ」

 道満が険しい顔で忠行に迫る。

 その迫力に押され、忠行はじりじりと後ずさった。

「へ、減っておる。減っておるぞ」

「そうか」

道満は忠行から離れ、椿樹に声をかけた。

「椿樹、用事を頼んでも良いか」

「はい、何でしょう」

「飯を持って来てくれ。忠行殿と私の二人分だ」

「……畏まりました」

 椿樹は一瞬目を見開いたが、瞬時に意味深げな笑みを浮かべた。

「では、ごゆっくり」

 またもや意味深な言葉を残し、椿樹は寝屋を出た。

 衣擦れの音が消えた刹那、道満が呟いた。

「――怪我は、大丈夫なのですか」

「あ、ああ」

「そうですか、良かった」

「ああ……ってうわっ」

 忠行は大きく悲鳴を上げて床に倒れた。

 ふらり、と傾れ込むように道満が抱きついてきたのだ。

「何じゃ、突然」

 あわてて押しのけようとしたが、出来なかった。

 道満の肩が、小刻みに震えていた。

 声を押し殺して、泣いているのだ。

「どうした」

 努めて優しく問うと、抱きしめる力がより強くなった。

「忠行殿が気を失った時は、もう駄目かと思いました。私の所為で儚くなるのではないか、と気が気ではなかった。何より、貴方が私の傍から消えてしまうのだと思うと、辛くて」

「そうか」

 忠行は、くすくすと笑い声を零した。

「まさか、御主にそこまで思われていたのはのう」

「ああ、私もびっくりした」

「……左様か」

 はっきりとのたまう道満に、忠行は乾いた笑みを浮かべた。

「でも、一つ気付いたのです。貴方への気持ちに」

 道満がゆっくりと顔を上げる。

 二人の視線が交わった。

 涙で潤んだ瞳で見つめられ、思考が停止する。 

 周囲の音がどんどん遠ざかっていくのを感じた。

 心臓の音だけが、鼓膜を揺らしていた。

 道満の唇が開いた、その時。

――ならぬ。

 心が、叫んだ。

 道満が今から言わんとしたことが、分かってしまったから。

 咄嗟に、両手で道満の口をふさいだ。

「駄目じゃよ」

 どうして、と目で訴える道満に、忠行は力なく笑った。

「御主は、未だ幼い。真の恋を未だ知らぬ程にな。御主のような幼子が、師や兄弟子への憧憬を恋慕と勘違いしてしまうことなぞ良くある話じゃ」

 手を道満から離し、背を向けた。

 失望の色に染まってゆく道満の瞳を、表情を、これ以上見たくなかった。

「それに、男は好かん」

「では、何故椿樹は傍に置く」

「……椿樹?」

 話が見えぬ。

 忠行は道満に向き直った。

「先ほども言ったが、奴との関係は誤解だ」

「そういうことではないっ!」

 道満が、悲鳴に近い声で叫び、忠行の胸倉をつかんだ。

「お前さん、何も知らぬのか。椿樹は――」

「何をなさっているのですか」

 背後から伸びた手が、道満の瞳を覆った。

「……あ」

 道満は小さく声をあげると、床に伏して動かなくなった。

 何らかの術で、気絶させられたのだろう。彼は、意識を手放していた。

「忘れているようですが、貴方は弟弟子。兄弟子である忠行殿の胸倉をつかむなぞ、言語道断。身の程を知りなされ」

 倒れた道満を見下ろし、冷たく言い放ったのは椿樹であった。

 呼吸は乱れ、顔が若干青ざめている。

明らかに、焦っている。

「駄目ですぞ、忠行殿もしっかり指導をせねば」

「そうだな。しかし、道満がわしにつっかかるのはこれが初めてではないぞ」

「しかし」

「御主、何か様子が変じゃぞ。らしくない真似をしおって。何も気絶させることはなかろう」

「は、申し訳ござりませぬ」

 椿樹はようやく我に返ったのか、深々と頭を下げた。

「道満殿を見ていたら、妙にいらついてしまって……」

 椿樹はさらに何かを言いかけたが、僅かな間の後、口を噤んだ。

「椿樹?」

 顔を覗きこむと、忠行の視線から逃れようとするかのように、顔を背けた。

 伏せられた瞳は、悲しげな光を帯びていて。

 忠行は、彼の唇が紡いだ言葉の先を見透かしてしまったような気がした。

「私としたことが、過ぎた真似を致しました。申し訳ござりませぬ」

 椿樹は道満を抱えあげると、奥の襖を開けた。

「道満殿は私が介抱致しましょう。忠行殿はゆっくりと休んでいてくだされ。……それと」

 人差し指を唇に当て、目配せをした。

「先ほどのお話は、江人殿には内密にお願いします」

「……ああ」

 遠ざかる背中を見つめながら、忠行はひっそりと呟いた。

「同族嫌悪、か」



二.



「……いつまで背負っているつもりだ」

 背後から、声が聞こえた。

 機嫌の悪さが滲み出たそれに、椿樹は苦笑しつつも振り向いた。

「おや、もう起きましたか」

「誰の所為だと思っている」

「致し方ありませぬよ。貴方がうっかり口を滑らそうとするものですから」

「だからってあれはやり過ぎだ」

「ふふ、返す言葉もござりませんね」

 椿樹は再度苦笑しつつ、歩みを進めた。

 彼は今、道満を背負いつつ、彼の寝屋へと向かっていた。

「……何時から、私の想いに気付いていたのです」

「そりゃあ、見れば分かるさ」

「ああ」

 椿樹は、ふっ、と眉根を下げて笑った。

「似たもの同士ですからな、私たち」

莫迦ばか、一緒にするでない」

「おや、好きな人が一緒という共通点ならありますぞ」

「違うだろう」

 道満の言葉に、椿樹は思わず立ち止った。

「……え」

 振り向き、聞き返す。

 そんな彼に、道満は呆れ混じりに溜息を吐いた。

「お前さんが想いを寄せているのは、忠行殿ではない。江人殿だろう」

「何故」

 椿樹は愕然と立ち尽くした。

 今まで、ずっと隠し通してきた。

 周囲の者にも。江人にすらも、だ。

 主人に対する邪な想いは全て笑顔の裏に押しとどめてきた。

 この恋慕が江人を困らせることを重々知っていたからだ。

 なのに、何故。

「さっきも言ったろう、見れば分かる」

 ふっ、と自嘲的な笑みを浮かべた。

「叶わぬ恋をしているという点では、似たもの同士だからな」

 道満は続けた。

「お前さんが常に忠行殿の傍に在ろうとするのは、お目付け役というのもあるが、江人殿と重ねていたふしがあるからだろう。私はそれを感じていたからこそ、お前さんが忠行殿の近くにいるにが気に食わなかったのだ。どんな理由であれ、想い人に邪な感情は抱かれたくないものよ」

「そうですね、そうやもしれません。なれど」

 そこで椿樹は言葉を切った。

 道満の寝屋についたのだ。

 御簾を上げ、中に入る。

 道満をそっと畳の上に降ろした。

 視線を合わせ、口を開いた。

「もう、忠行殿に想いを寄せるのは、辞めたほうが良いやもしれませぬ」

「なっ」

 何故、と言いかける唇に、人差し指を押しあてた。

「忠行殿にとって、貴方は大切な兄弟弟子だからです。貴方を大切に想うからこそ、貴方との今の関係を壊したくないからこそ、忠行殿は貴方に最後まで告白をさせなかった」

 道満は、何も言わずにうつむいた。

 否、言い返せなかったのだろう。椿樹の言うことは事実だったから。

「貴方が想いを燃え上がらせるほど、忠行殿を困らせることになるのです」

「……お前に何がわかる」

 道満は、きっ、と鋭い目つきで此方を見上げた。

「人間でもないお前に、何が分かる。そう簡単に諦められるのであれば、とっくにそうしておるわ。諦めがきかないからこそ、融通がきかないからこその恋ではないのか。お前さんがいうようなやり方は、ただの逃げだ!」

 椿樹は、はっ、と息を呑んだ。

 胸が、痛い。

 確かに、自分も道満と同様に考えていた時期もあったのだ。

「ええ。確かに、私は人間ではありませぬ」

 震える声で、呟く。

「なれど、忠行殿と貴方にはお辛い想いはさせたくないのです。わかってくだされ」

「――でも現にお前は、辛い想いをしておるではないか」

「……道満殿」

 静かな声で諌める。

 だが、道満は止めようとはしなかった。

「本当は帝と江人殿の関係もよく思っておらぬのだろう。本当は江人殿の隣を自分が歩きたいと思っているのだろう」

「おやめ下さい、道満殿!」

「では何故そんなに悲しげな顔をする」

「それは」

 椿樹はぎりぎりと歯を噛みしめた。思い出したくもない過去の残像が、脳裏をよぎった。

 床に広がる金糸と、白い頬を伝う涙。

 今更悔やんでもやり直すことの出来ない、思い出というには苦すぎる過去だ。

 押し殺した声で、言う。

「貴方にも時期に分かりまする。許されぬ恋の辛さというものが」

 踵を返し、寝屋の外に出た。

 風が吹く。

ふわりと、赤い髪が宙を踊った。

向かいの透き廊を、一人の男が渡って来るのが見えた。

江人であった。

嗅ぎ慣れた香が、此方にまで漂ってくる。

 平静を保ちつつ、主の元へと駆け寄った。

「忠行の容体はどうなのだ」

 独特の低い声が、耳朶を打つ。

「ええ、先ほど目を覚まされ、傷口の治療を致しました」

「そうか」

 ふう、と小さく息を吐く。

「世話に焼ける奴だ」

「ええ」

「……椿樹」

 突如名前を呼ばれた。

「何でしょう」

 江人に顔を向ける。鋭い眼で見つめられ、心臓が跳ねた。

「何かあったか」

「え?」

 聞き返すと、江人は一つ瞬き、再度溜息を吐いた。

「否、思い違いやもしれぬ」

「私が、何か」

「貴様が――」

 江人は椿樹から目線を逸らし、呟いた。

「泣いているように、見えたのだ」

また、胸が痛んだ。

 


三.


 数日後。

 腹の傷がすっかり癒えた忠行は、大内裏での宮務を再開した。

「いやー、休養の後の仕事は面倒じゃのう」

 簾の子縁を歩きながら、忠行は顔を顰めた。

「また、そんなことを」

 彼の隣で、保名やすなが苦笑する。

「貴方の復活を心待ちにしている方々がたくさんいるのですぞ」

「どうせ、己の吉兆にいちいち怯えておる貴族さんたちじゃろう。祓いなぞ、わしではなく他の者に頼めばよいものを」

「まあまあ、忠行殿が人気者って証じゃないですか」

「どうせなら、若い女人にもてたいのう」

「おや」

 突然保名が、立ち止まった。

「どうした」

 つられて忠行も足を止めた。

「道満殿ですよ」

 前方を指し、言う。

 指先を追うと、見覚えのある後姿が目に入った。

「何処に隠れておるのかと思ったら」

 忠行は、ちっ、と小さく舌打ちをしつつ、道満に近づいた。

 忠行がケガをして以来、道満に避けられ続けていたのだ。

 今日もそれは同じで、内裏でも道満の姿を見かけることはなかった。

「道満」

 声をかけると、目の前の背中が大きく跳ねた。

「あっ」

 振り向き、小さく叫んだかと思うと、一目散に逃げ出した。

「な、待て!」

 忠行もそれを追う。

「忠行殿!?」

 後ろから、保名の声が聞こえたが、忠行は足を止めなかった。

「何で避けるのだ、道満!」

「何でって、お前さんの所為だろう!」

 走りながら、道満が返してきた。

「自分のしたことを胸に手を当ててよく考えてみろ!」

「ああ……」

 忠行はにやり、と妖しい笑みを浮かべた。

「わしがお前さんにあーんなことやこーんなことをしたから、か?」

「――その言い方はやめろ!」

 道満は立ちどまり、此方を指差して叫んだ。

 それに対し忠行は、はてと首をかしげた。

「じゃあ何と言えば良いのじゃろうか」

「とりあえず、変な言い方はするでない」

「じゃあ」

 くすりと笑い、口を開く。

「お前さんにわしが告――」

「わーっ!」

 道満が全速力でかけもどり、忠行の口を塞いだ。

「誰がこんなところで言えと」

「えー? 言うなとも言わなかったじゃなーい」

 口から道満の手を引き剥がし、目配せをした。

 道満は、あからさまにぎょっ、とした表情をした。明らかにひいている。

「そ、その変なしゃべり方はやめろ」

「……ま。何にせよ」

 忠行は道満の手首を掴み、強く握り締めた。

「漸く、捕まえた」

「は、離せ」

 道満が手を振りほどこうと抵抗しても、忠行は微動だにしなかった。

「離さぬ」

「なっ」

 唖然と見上げてくる道満を、忠行は真剣なまなざしで見下ろした。

「御主は、馬鹿だな」

「何」

「あの程度のことで御主を見捨てるとでも、思うたか」

「え……っ」

 漆黒の双眸が、大きく見開かれる。

「何で、お前さん」

 忠行は道満の頭を小突き、微笑した。

「御主のことは、何でもお見通しじゃよ。大方、わしに嫌われて捨てられるとでも思うたのじゃろう。違うか」

「い、否……」

 道満は顔を真っ赤にして俯いた。

「でも、良いのか。お前さん、男には興味ないのだろう。気持ち悪くはないのか」

「ふん、やはり御主は馬鹿だな」

 腕を引き、抱き寄せた。

「御主に対する感情は変わらぬよ。御主は大事なわしの弟弟子だ。今までも、これからも。だから、捨てられるだなどと馬鹿なことは考えるな」

「……はい」

 道満は頷き、目尻を擦った。

 指先が濡れていたのは、見なかったことにした。

「さて、それじゃあ行こうか」

 忠行は道満から身体を離し、ぐっ、と伸びをした。

「何処に」

「勉学じゃよ、勉学」

「またあのいけ好かない陰陽師か……」

 はあ、と道満が深いため息を吐いた。

「嫌か」

「そりゃあ。江人殿や忠行殿のことを化け物呼ばわりするし」

 思い出すだけで腹が立つ、と道満は大きく鼻を鳴らした。

「なら、わしと修行するか」

「へ?」

 間抜けな声で聞き返す道満に、忠行はにやりと笑みを浮かべた。

「父上に、陰陽道を教えるように頼まれておるからのう」

「な、なれど今は宮務が」

「修行も仕事のうちじゃ。上の者にはわしから言っておこう。わしもちょうどサボりたい気分だったからちょうど良いわ」

「さぼりたい、と聞こえたが」

 道満はあきれ気味だが、少し嬉しそうにも見える。

「そうか、わしと一緒にいれるのが嬉しいか」

「は、何を急に」

「御主、思っていることが顔に出るんじゃよ」

「なっ」

 道満の顔がみるみるうちに赤く染まる。

「……うぬぼれるな、阿呆」

 小さく、すねたように呟く。

 その姿は年相応にかわいらしい。

 ――ここでかわいいと言えば怒るであろうなあ。

 忠行は内心で苦笑しつつ、歩きだした。

 その、刹那。

「あ、やっと見つけたぞ。忠行」

 背後から声をかけられ、忠行は身体を硬直させた。

 恐る恐る、振り向く。

 先程話題に出ていた陰陽師が、仁王立ちしていた。

「げっ」

 隣で道満が小さく舌打ちをするのが聞こえた。

 それに気付かず、彼は気だるそうにこちらに向かって歩いてくる。

「貴様、座学にも出ずに何所をほっつき歩いていたのだ」

「すまんなあ、今日は休ませてもらえぬか」

 忠行は後ろ頭をかきながら、へらりと笑った。

「急な体調不良で」

「あっ、阿呆か! そう簡単に休ませてたまるか」

「えー、しょうがないのう」

 忠行は口元を歪ませ、呟いた。

「じゃ、強行突破で」

 道満の背中と膝に手を回し、抱え上げた。

 横抱きである。

「は」

 呆然とする陰陽師に、片眼で目くばせをした。

「今日は見逃してくだされ」

「な、に」

 不安げに見上げる道満の髪を、くしゃりと撫でた。

「行くぞ」

 その言葉を合図に、陰陽師から反対方向に踵を返して駆けだした。

「待て!」

 背後から、名を呼ぶ声と、足音が段々と近づいてくる。

「奴め、意外と足が速いのう」

「案ずるな、私に考えがある」

 道満はそう言うと、片手で印を組んだ。

 ふっ、と目を伏せ、口を開く。猫のような双眸に、漆黒の光が灯った。

「……氷華」

 周囲の温度が急激に下がるのを感じた。

 冷気で、肌が痛い程に寒さが増してゆく。

「ぎゃああっ」

 陰陽師の悲鳴が聞こえ、咄嗟に後ろを振り向いた。

 足を氷漬けにされ、慌てふためいている。何とか足をひきぬこうとするが、辺りに広がる氷の大地の一部になってしまっているため、びくとも動かない。

その何とも哀れな光景に、道満が満足げに笑った。

「ふん、良い気味だ。そのまま凍えてしまえ」

「お前さん、意外と性格悪いのう……」

「ああいう目にあえば、少しは懲りるだろう。忠行殿を侮辱することも控える筈だ」

「ま、それそうじゃが」

 道満は敵に回さない方が良いやもしれぬ。

 忠行は、遠くなる喧噪を耳にしながら、そう思った。

 


 その夜。

 忠行は屋敷の廊下に伏していた。

 狩衣はところどころ破れ、黒こげている。

 父・江人に制裁された痕であった。

「あらあら、派手にやられましたね」

 そんな彼をのぞき込み、椿樹が笑う。

「まあ、自業自得ですが。何で座学を抜け出してきたのです。ばれたら江人殿に怒られるとわかっているでしょう」

「男たるもの、自ら進んで危険を楽しまねばなるまい」

「……何を戯けたことを言っておるのだ」

「ぎゃっ」

 親指を突き立てた忠行の頭上に、拳が振り下ろされた。

 ……江人であった。

 額に青筋を浮かべ、悶絶する忠行を見下ろしている。

「そんなに躾られたいのか、貴様は。とんだ変態だな」

「ご、誤解です。父上」

 忠行は涙目になりながら、後退った。

 これ以上、暴力を振るわれるのはご免である。

 顔に傷をつけられようものなら、しばらく女遊びはご無沙汰になってしまう。

 そんな彼の考えを見抜いたのか、江人はきらりと目を輝かせた。

「ふん、吾輩はそんな変態な趣味に付き合う気は更々ない。なれど、貴様の女遊びがなくなるのならそれもまた一興」

「なにを真顔で恐ろしいことを仰っているのですか!?」

 今にも刀を抜きそうな勢いの江人に、忠行は血の気が引いてゆくのを感じた。

 ――このままではいつか父上に殺されるのではないか。

 いっそ賀茂家から脱走するか。

 そんな横暴な考えが、頭を過ってしまう。

「落ち着いてくだされ、江人殿」

 下手をすると殺人に発展しそうな親子二人を見かねたのか、椿樹が江人の手を取った。

「周りを、よくご覧くだされ」

「……周り?」

 親子は仲良く声をそろえて、周囲に視線を向けた。

「今の聞いたか」

「ああ」

「江人様が忠行様の趣味に付き合うとな」

「まさか、そういうことか」

「なれど、親子だぞ」

「否、あんなにも見目麗しいお二人のこと。ありえなくはあるまい」

「そんな、我らの江人様が他の男のものになるなぞ……」

「あいてが忠行様では我らは太刀打ちできまい」

「しかし、あのお二方が共にいる姿は素晴らしい」

「ああ、飯が進むというもの」

 ……賀茂家の弟子達が物影から此方の様子を伺っていた。

「声が大きすぎるのですよ、貴方達は」

 椿樹が呆れ混じりに溜息を吐いた。

「貴様等」

 江人が殺意の籠った眼差しを、弟子達に向けた。

「一体誰の許可を得て、かように下衆な想像をしておるのだ……?」

 かしゃりと音を立てて、鞘から刀が覗く。

「ひいっ」

「申し訳ござりませんでしたああ!」

 すると、悲鳴を上げながら一目散に逃げて行った。

「……ふん、阿呆共が」

 江人は忌々しげに顔を顰め、刀を納めた。

「今回は見逃してやる。もう二度とするなよ」

怒りが逸れたのか、忠行を見下ろす視線はどこか柔らかい。

「道満と親密になるのは良いが、悪ふざけまで教えることはない。お前のような者が増えても困るからな」

「は……、以後気をつけまする」

 深々と頭を下げる。

「初めから素直にそう返せば良いのだ」

 幼いころからそうだ、と江人は独り言のように呟いた。

「……貴様の所為で疲れた。もう寝る」

 江人は踵を返し、忠行に背を向けた。

「畏まりました。では後ほど酒を」

「ああ、頼む」

 恭しく頭を下げる椿樹に、江人が片手を上げて答えた。

 その光景を見、忠行はぼそりとごちた。

「気のせいか、わしとずいぶん態度が違うようじゃが」

「当然です、主従ですからな」

 椿樹は照れも躊躇いもせず、真顔で答えた。

「では、将来わしの式になった時も、あのように接するのか」

「否、それはないですな」

 即答する椿樹に、忠行はがっくりと肩を落とした。

「わしってそんなに威厳がないのかよ……」

「まあ、私にとって江人殿は特別ですから」

 そう笑う椿樹の表情は、どこか寂しげであった。

「ま、あの父上が気を許す程じゃもんなあ」

 忠行の言葉に、椿樹の顔が固まった。

「え」

「それだけ信頼しておるのだな」

「……ええ、そうですね」

 椿樹は花が開くように微笑んだ。

「やはり、貴方にはかないませぬな」

「へ?」

「こちらの欲している言葉を見抜いてしまう。人たらしというか、才能なのでしょうな」

「そ、そうか?」

 よくはわからぬが、誉められているらしい。

 一応、お礼を言う。

「ありがとうな」

「……ふふ、本当に不思議な方だ」

 椿樹は一瞬目を瞬かせ、くすくすと肩を揺らして笑った。

「では、私も江人殿のところへ参りますので失礼致します」

「ああ」

 椿樹はゆるりゆるりと歩き出した。

 だが何を思ったか、足を止めて振り向いた。

「道満殿とはどうなることかと思いましたが、仲直りされたのですね」

 影に隠れて、彼の表情はよく見えなかった。

「ああ」

 忠行は元気よくうなずいた。

「奴が一緒にいるとうれしい、と思ってくれるからのう」

「……なるほど、そうですよね」

 椿樹は小さくうなずくと、再び足を進めた。

「何じゃ、あれは」

 忠行は後姿を見送りつつ、首をかしげた。

「何か、あったのか」

 すっ、と目を細め、呟く。

「何も起こらぬと良いが……」

 ふわり、と。

 金糸を、夜風が揺らす。

 忠行はぶるりと身体を震わせた。

「おおう、寒いのう。わしも早く寝るとするか」

 こういう時は女人と酒じゃ、と鼻歌交じりに寝屋へと足を進めた。

 

 

四.



 その頃。

 椿樹は江人の寝屋にいた。

「さあ、どうぞ」

「うむ」

 差し出した杯を飲み干す主を横目に、口を開いた。

「今宵も、出かけるのですか」

「……ああ」

 江人はすっ、と背後に視線を這わせた。

 その先には薫物を焚きしめている最中の単があった。

 江人の余所いき用のそれである。

 彼は帝に会いに行く時は必ずお気に入りの香を衣に纏わせるのであった。

「そうですか」

 椿樹はそれ以上の言葉が出て来ず、口を閉じた。

 本当は、行かないで、と言いたい。

 だが、過去に自分がしたことを考えると、そんな身勝手なことは言えない。

「……江人殿」

「何だ」

「貴方は、未だに私を信用してくださっているのですか」

 江人は一瞬固まったが、すぐに元の顰め面に戻った。

「戯言を」

 江人は椿樹の手から酒を奪い、手酌をした。

 一息に飲み干し、口元を拭う。

 酒に濡れた唇が何とも艶やかで。

 劣情を誘うその姿に、思わず目をそらした。

 だが、江人は椿樹を真っすぐな瞳で見据えた。

「今、貴様が此処にいることがその答えだ」

「……はい」

「それ以上の答えがあるか」

 その威厳に満ちた力強い言葉に、椿樹が口端を上げた。

「いえ、ありませぬな」

「なら、もうきくな」

 そう吐き捨て、顔をそむけた主の頬は僅かに赤く染まっていた。

「江人殿……」

 かような些細な変化ですらも嬉しくて、愛おしくて。

 椿樹は掻き抱きたくなる衝動を必死で抑えた。

「私は、幸せです」

 江人は、酒がなくなれば、すぐにこの寝屋を出てゆくだろう。

 その些細な間だけだが、この男は自分だけを見てくれる。

 それだけのことだが、椿樹にとっては幸福だった。

「……言っていろ、ばか」

 杯を交わす、この怠惰なひと時が。



 


予想以上のほもっぷりにびっくりしてます

みんな勝手に動きすぎ!

特につばき…

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