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SAKURA過去編―舞い落ちる罪華  作者: 美音
第一部 幼少編
5/9

第三章 太陽と月




一.



 夜。

 賀茂家の者達は大広間で食事をしていた。

 道満も、そのうちの一人である。

 誰と話すことなく、静かに飯を口に運んでいた。

 ふと、隣に座していた男が、声を掛けてきた。

「おい、新入り。何でお前のような者を江人様は弟子入りさせたのだ?」

「何」

「とぼけるなよ。どうせ江人様に何かしたのだろう。どのような手を使ったのだ」

 言っている意味が分からぬ。道満は露骨に顔を顰めた。

「何を仰っているのか、よくわかりませぬが……」

「ほう、とぼけるか」

 くくく、と男は嫌な笑みを浮かべた。

「江人様は男しか愛せぬ男らしいからな。俺にも教えてくれよ、どうやってあの方を落としたのか」

 ここで漸く道満は理解した。途端に男に対して嫌悪と侮蔑の情が湧き上がった。

「……下衆が」

 一言だけ吐き捨て、食事に手をつけようと箸を伸ばす。

「まあ、怒るなよ」

 男の手が肩に回る。

「仲良くしようではないか、同じ弟子同士」

 肩から移動した指先が足元へと落ちる。

 悪寒が身体の芯からせり上がり、大きく息を呑んだ。

 抵抗しようと、身体を動かそうとした。

 ……だが。

 ――身体が、動かぬ。

 見ると、男の指先から、微かに光が漏れている。

 呪を、かけられているのだ。

 助けを求めて江人のいる上座へと視線を遣る。しかし、全く気付かずに黙々と食後の唐菓子を食んでいる。

 珍しく幸せそうな表情が、今は恨めしい。

 ――どうすれば。

 他の弟子に助けを求めても、無駄であろう。江人が、よそ者である道満を賀茂家に迎え入れたことを、快く思っておらぬものがほとんどなのだ。

 今もきっと、見てみぬふりをしている者がほとんどであろう。

 ――何故、かような目に。

 零れそうになる涙をぐっとこらえ、歯を噛み締めた。

「――何をしておるのじゃ、御主は」

 背後から、声が聞こえた。

 誰なのか確認する間もなく、呪縛から解放された。

 突如現れた忠行が、男の額に札を押し当てていた。

 江人や他の者達に気付かれぬよう、身体が触れ合う程の距離をとっている。

「嫌がる子ども相手に呪をつかうと、父上に燃やされるぞ。愚か者が」

 かかか、と楽しげに笑う。なれど、此方を見る瞳は怒りに燃えている。

 普段の彼からは想像も出来ぬその姿に、恐ろしいとすら思った。

「ひ、い……っ!」

 男はがくがくと身体を震わせ、小さく悲鳴を上げた。

「も、申し訳ありませんでしたああっ!」

 男は急いで飯を掻き込み、広間を後にした。

「なんとまあ、愚劣な奴よのう……わしは悲しいぞ」

 よよよよ、と袖で涙を拭く真似をしつつ、道満の隣に腰掛けた。

「大丈夫か?」

 ぼそりと、呟く。道満にしか聞こえぬような声であった。

「お前さん、何で」

「何でって、困った者を助けるのは当然じゃろうよ」

 忠行はきょとんとした顔で、答えた。

「だが!」

 道満は身を乗り出すようにして叫んだ。

「だが、私は今朝酷いことを!」

「ああ、気にしておらぬ。わしこそすまなかったな」

「……え」

 忠行の大きな手が、赤い髪を撫ぜる。

 先ほどの男とは違い、嫌悪感はなかった。

 忠行は、ふっ、と優しい笑みを浮かべ、呟いた。

「かように綺麗な髪は世に二つとないというのにな」

 かっ、と顔が熱を帯びるのを感じた。

 髪を褒められたことなぞ、一度もなかった。

 むしろ、赤髪が原因で何度もからかわれ、気味悪がられてきたのだ。

「どうした、顔が赤いぞ?」

 覗き込んできた栗色の瞳と目が合う。

 近くで見ると、性格とは逆に、整った品のある顔立ちをしていた。

 黄金の髪と相俟って、途轍もなく神々しい存在に思えた。

「綺麗だ……」

 自然と、言葉を紡いでいた。

「え?」

 忠行の顔が驚愕で固まる。

 はっ、と口を両手で覆うも、もう遅い。

 周囲の弟子や江人でさえもこちらに注目していた。

「――忠行、道満」

 江人は小さくため息を吐き、口元を微かに歪めた。

睦言むつごとは、寝屋でしてくれぬか」



二.



「どうまーん」

 後ろから、声が聞こえた。

 ああ、またかと道満は重いため息を吐いた。

 頭上に影が出来る。

 瞬間、懐から杓を抜き取った。

 ぴしゃん!

 投げた杓が、空中を飛ぶ忠行の額に命中した。

「おふっ」

 奇妙な悲鳴をあげ、忠行は床に崩れ落ちた。

 昼時の賀茂家。

 家の掃除をしていた道満は、運悪く、内裏から帰って来た忠行と出くわしてしまったのであった。

「いい加減にしろ、忠行殿」

 じろりと、険しい眼つきで睨みつけた。

「出会うたびに飛び掛るな。只でさえ、賀茂家の者に誤解されておるというのに」

 忠行は赤くなった額をさすりながら、ゆっくり起き上がった。

 涙を浮かべ、唇を尖らして此方を見上げる。

「それはわしの所為じゃないもーん」

「煩い!」

 道満は顔を真っ赤にして怒鳴った。

 確かに忠行の言うとおり、元は自分が悪いのだ。

 だからか、余計腹が立つ。

 ……大広間での件から七日。

 以来、忠行はどう満に妙になついていた。

 出会い頭に抱きつくのは日常茶飯事。更には寝床にもぐりこんだり、みそぎをしようとしたりの、やりたい放題である。

 嫌がらせなのか、何なのか。道満はすっかり参っていた。

「また、喧嘩ですか?」

 忠行に付いて来ていたのか、いつの間にか椿樹つばきが横にいた。

 くすくすと笑いながら、忠行に手を差し伸べた。

「忠行殿も、こりませんなあ」

「楽しいのじゃよ、道満と遊ぶのは」

「おやおや、遊びだそうですよ。貴方との関係は」

 椿樹が意味ありげな目線で此方を見た。

「知るか、莫迦」

 ――完全に、からかっておるな。

 道満は盛大にため息を吐いた。

「――時に、道満殿。江人殿がお呼びですぞ」

「江人殿が?」

「ええ。忠行殿とご一緒に来るようにと」

「何じゃ、また説教か?」

 忠行がげんなりとした表情で肩を落とした。

「安心しろ、今日は私がいる」

「いやーん、道満ってば男らしい。わしを護ってくれるのか?」

 くねくねと身体を動かす忠行に、阿呆、と一喝した。

「私は怒られることはないからな。説教ではない筈だ」

「その通りですよ、忠行殿」

 椿樹が苦笑しつつ、歩き始めた。

 道満達もそれに続く。

「恐らくは、道満殿のことでしょうな」

「私のこと、か?」

 椿樹の蒼い瞳が此方を見つめ、微笑んだ。

「きっと、腰を抜かしますよ」



 しばらくして。

 江人の寝屋で、悲痛な叫び声が響いた。

 道満のものである。

「何だ、騒々しい」

 江人が眉根を寄せて、道満を睨める。

 お怒りのご様子である。

 普段の道満であれば素直に謝るが、今は違った。

「な、何故江人殿ではなく、忠行殿に陰陽道を教わらねばならぬのです!?」

 身体をふるふると震わせながら、隣に座している忠行を指差した。

 当の忠行は怒ることも無く、どうどう、と道満の肩を軽く叩く。

「まあ、落ち着け。父上なりに何かお考えがあるのじゃろうよ」

「阿呆!」

 肩から手を払いのけ、じろりと睨む。

 何故、忠行は平気な顔をしていられるのだ。

 その疑問が更に道満を苛立たせた。

「これでは誤解が更に深まってしまうではないか!」

「わしは構わんが」

「私が良くない!」

「つれない奴じゃのう……」

「煩い!」

 我慢できず、忠行の胸倉を掴んだ、瞬間。

 翡翠色の閃光が、二人の真横を掠めた。

 はらり、と髪の毛が二、三本床に落ちた。焦げた臭いが、鼻腔を擽る。

「……え?」

 二人は視線を合わせたまま、呆然と呟いた。

恐る恐る、顔を閃光が飛んできた方向へと向ける。

 其処には、鬼がいた。

 金糸を振り乱し、琥珀色のまなこをぎらぎらと光らせて、此方を睨んでいる。

 瞬きさえ出来ぬような重々しい殺気が、視線に込められている。

光を帯びた刀を、片手に握り締めているその姿は、まるで落ち武者のようであった。

「貴様等」

 鬼もとい落ち武者が、唸るように言う。

「いい加減黙らぬと、斬るぞ」

「も、申し訳ありませぬ!」

 忠行と道満は、ふたり仲良く床に平伏した。

「ふん、愚か者どもが」

 江人は小さく舌打ちをしつつ、刀を納めた。

「下らぬ噂なぞ、気にするな。貴様等は只、己を鍛錬することだけを考えておれば良い」

 衣擦れの音をさせながら、江人が近づいてくる。顎に手を掛けられ、視線が上がった。

「え、江人殿?」

 鋭い瞳に射抜かれ、身体が硬直した。

「我輩は貴様を見捨てた訳ではない。忠行に任せるのが良いと判断したまでのことよ」

 忠行を一瞥し、口元を歪ませる。

 笑みのようにも、見えた。

「陰陽道に関しては、此奴のほうが優秀だ」

「父上……!」

 忠行が目を輝かせながら、江人を見上げた。

「分かったのなら、もう我輩に逆らおうとするでないぞ」

江人は鬱陶しげに視線を逸らし、御簾へと足を進めた。

半分ほど開いた御簾から風が入り、金糸を靡かせた。

瞳をすう、と細め、息を吐く。

長い睫で、目元に影が出来た。

「道満。明日から貴様も陰陽寮に来い」

「……え」

何故、と呟く道満を、横目で見遣る。

陰陽生おんみょうしょうとしてな」

「つまりじゃな」

忠行が笑顔で付け加える。

「陰陽寮の上官の下で学べるということじゃ」



三.



「どうまーん」

 背後から、声がした。

 ここのところ、毎日のように感じる、既視感。

 道満は深く息を吐き、懐から刀を取り出した。

 呪を唱え、抜刀する。

 振り下ろされた刃は、忠行の喉下で止まった。

「うおおおう……」

 忠行は両手を大きく広げたまま、固まっている。

「此処は、陰陽寮だぞ」

 呆れ混じりに呟くと、忠行はにんまりと笑みを浮かべた。

「御主が迷子になるから探しにきたのじゃよー。父上の言いつけを忘れたのか?」

 道満は、うっ、と言葉を詰まらせた。

 今朝、家を出る際、注意をされたのだ。

 忠行の傍を離れるな、と。

「お前さんと行動していると疲れるのだ」

「だからといって、単独行動はちと困るぞ」

 忠行は苦笑しつつ、道満の額を小突いた。

「そら、刀をしまえ。他の者に見られたら困る」

「……は」

 渋々、刀を懐に納めた。

「何故、江人殿はかような言いつけをするのだ」

「まあ、そのうち分かるさ」

 忠行は、ふ、と小さく笑って、これまでとは違う低い声音でそう呟いた。



 道満は、忠行に先導され、ある部屋に入った。

 数人の若者が文机に向かっていた。

 その傍らを、一人の男が歩いている。

 陰陽師であろうか。時折立ち止まり、若者たちに何やら指示をしている。

「悪い、遅れた」

 忠行が笑顔で声を掛けた。

 男はちらりと一瞥し、ため息を吐いた。

「餓鬼一匹追い回すのにどれ程かかっておるのだ。……その餓鬼が新しい陰陽生か」

「ああ。芦屋道満だ。まあ少々生意気じゃが、宜しく頼む」

 忠行に頭を掴まれ、無理やり頭を下げられた。

「ほう……」

 男は低く声を上げ、無遠慮な視線を道満に向けた。

 生まれてからずっと、浴びてきた冷たい視線。

 好奇と、嘲りの混ざった表情。

つい、反射的に男を睨みつける。

「そなたの父上は、随分と変り種がお好きなようで」

 男が皮肉交じりに言った。

「ああ、自身も人間離れしたあの容姿だから、惹かれあってしまうのかな」

「貴様ァっ!」

 怒りに任せて胸倉を掴もうとしたが、忠行の手がそれを遮る。

「忠――」

「すまぬな、初めての宮務故、いささか緊張しておるようじゃ」

 道満の言葉を遮るように、早口で謝罪する。

 何をしているのだろう、この男は。

 信じられぬ思いで、忠行を見上げた。

 自分の父親を目の前で侮辱されたのだ。

 なのに、何故。

 顔色一つ変えずに、謝罪をしている?

「ふん、早く席に着けい!」

「はい」

「くっ」

 ぎりぎりと拳を握り締め、俯く。

「行くぞ」

 忠行にぽんと背中を押され、道満は空いている文机に向かった。

 ふと、視線を感じ、周囲を見渡す。

 若者たちと目があった。

「……化け物」

 低く、呟かれた言葉。

 道満は怒りで顔を歪め、文机の下で、再度拳を握った。

 爪が皮膚に食い込み、血が滲んだ。

 ――嗚呼、そうか。

 ふっ、と瞳を閉じ、自嘲的な笑みを浮かべた。

 漸く、理解できた。

 道満が怒りに任せて暴力沙汰を起こさぬように、忠行が傍につくことになったのだ。

 なれど、それで良いのか。

 このまま、師を侮辱されるのを聞き流しておけというのか。

「道満」

 ぼそり、と忠行が呟く。

 握り締めた拳が、暖かな手に包まれた。

「……有難う」

 優しい声が、耳元で囁く。

 ばっ、と顔を上げる。

 栗色の瞳と、視線が交わる。

 綺麗な、笑顔だった。

 その黄金の髪のように。

 天空で輝く、太陽のように。

 その優しさが、美しさが、全てが腹正しい。

 それ以上に。

 かような莫迦な男に一々惹かれてしまう自分が、腹正しい。

「ばか……っ」

 掠れた声で罵倒してやり、目を背ける。

 何故か、泣きたくなった。

 



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