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前編「姫姉さま」

「帝都の平和を脅かす、悪しき闇……これ以上のさばらせる訳にはいきません」


 悪しき者を裁く時、陛下はいつも勇ましくそうおっしゃっていた事を、僕は昨日の事の様に思い出します。


 弱きを助け強きを挫く。

 助けを呼ぶ声があれば、陛下は我が身を省みず、民の声に耳を傾けたのです。


 いつの世も繁栄と平和を感じる象徴的な声と言えば、子供たちの無邪気な笑い声だと、僕は思うのです。


 ここグリドニフ帝国領 コーラルローズ。


 アニマガルド大陸を治める帝国領土の中でも、特に若い夫婦が多く暮らす街であり、小鳥のさえずりよりも大きく、そして賑やかに毎日子供たちの声がこの街には響いておりました。


 そんな街の中心部にある森林公園の中には、趣のある白亜の大きな御屋敷があります。


 その御屋敷には、コーラルローズの領主が住んでおりますが、門番が民を払う事は無く、その御屋敷の敷地も開放され、子供たちの遊び場となっていたのです。


「姫ねぇーーーさまーー」


 まだ幼く甲高い声の主は、御屋敷の薔薇園を兼ねて作られたテラスに、切羽詰まった様子で飛び込んでいきました。


 金の装飾が施された白いベストを泥だらけにして、葉っぱが擦りついている事も気にせず遊んでいる紫髪のこの子は、現皇帝ハンゲルブ・ヴァーミリオンの第2皇子アズール。皇子とはいえ、遊びたい盛りの6歳の男の子です。


 薔薇の枝葉に鋏を入れている気品漂う乙女に、助けを求めます。


「どうしました皇子。そんなに慌てて」


 どこか神秘的な柔らかい声で、アズール皇子の身を案じるのは、皇子の従姉にあたる19歳のイリデスケンティア・ヴァーミリオン姫です。


 3年前に亡くなったお父上に代わり、コーラルローズの領主となった若き才女でございます。

 

 白紫色の艶のある美しいロングヘアをギブソンタックでまとめ上げ、明るい朱色のバッスルドレスを品よく着こなしており、まるで絵画の中から現れた様な、それはそれは美しいお姫様です。


「助けて姫姉さま、鬼が来ちゃう!!!!」


 バタバタと足踏みを止めずに、話すアズール皇子。

 イリデスケンティア姫は、鋏を置き、アズール皇子へ深い紫色の瞳を向けました。


「鬼?かくれんぼですか?」

「うん、武器屋のマークが鬼なの!!姫姉さま、どこかいい隠れる場所は無い!?」


 姫様は、辺りを見渡しますが、少し困った顔で、


「そうは言っても、テラスは薔薇が多いですから、トゲで危ないですよ」


 と、既に泥と葉っぱだらけの皇子を気遣いました。

 お二人がそんな会話をしていると、御屋敷の裏手からパタパタという足音が近づいて来ます。


「皇子〜どこ〜」


 小さな男の子の声が聞こえ、さらにアズール皇子は慌てるのです。


「マークが来る!!鬼が来ちゃうよ」


 必死に訴えていた皇子の視線が、姫様の足元に移っていき、


「!!!!」


 慌ててパニックになっていた皇子の表情が、パッと明るく変化すると、姫様の朱色のスカートを乱暴にめくり上げ、


「皇子!?」


 姫様のスカートの中に隠れてしまったのです。


 そこに武器屋の息子マークがやってくると、姫様には目もくれず、テラスにある椅子やテーブルの下を覗いたり、薔薇のトゲを気にしながら茂みの中を調べたりとアズール皇子をくまなく探しました。


「姫姉さま、アズール皇子知らない?」

「皇子はーー」


 マークの問いに、姫様が答えようとすると、


「っ!」


 と声に詰まります。スカートの中のアズール皇子がぎゅっと後ろから脚にしがみついたのです。

 姫様は、脚にしがみつく皇子の必死さを感じ、マークに優しくこう答えます。


「皇子なら、ここには隠れる所が無いからと、門の方へ行きましたよ」

「えー門の方は無しって言ったのに〜」


 口を尖らせて文句を言いながら、マークはテラスから離れて行きました。


 皇子を探すマークの声が聴こえなくなっても、脚に抱きついた皇子の指には力が入ったままです。


「皇子、マークはもう行きましたよ」


 小声でそう言い、姫様はスカートの裾を少し持ち上げると、皇子はゆっくりとそこから顔を出します。右を見て、左を見て、キョロキョロと辺りを警戒しながら、やっとスカートから体を出すと、鬼のマークがいない事に安心したアズール皇子は、姫様に向き直り、深くお辞儀をしました。


「ありがとう、姫姉さま」


 感謝を述べる皇子のその屈託のない笑顔を見て、微笑む姫様でしたが、


「今の隠れ場所は、今回だけの特別ですよ、皇子」

「うん」

「貴方は勇者の子孫。皆を導く勇者の血を引く皇子なのです。婚姻を結ぶ女性以外のスカートの中に入ったり、女性の足に乱暴に抱きついてはいけませんよ」


 アズール皇子はしばらく考え、名案を思いついたように顔を輝かせ、


「じゃあ僕、姫姉さまと婚姻するよ!!」


 無邪気なその案に対し、姫様は毅然と答えました。


「私たちは同じヴァーミリオン家の者。帝国の法では婚姻は出来ません」

「そうなんだ。姫姉さまみたいな優しい人がイイなっ」

「皇子にふさわしい、素敵な優しい女性をお探しになって下さいね」

「うん」

「でも皇子が悪さをした時に、怒ってくれる女性の方が良いかもしれませんね」

「えー」


 アズール皇子は、笑いながら逃げるようにイリデスケンティア姫から離れると、一礼してテラスを後にしました。


 薔薇の手入れに戻るイリデスケンティア姫のそばに、スッと影が落ち、いつの間にか、片膝をついた黒髪ショートカットの少女が頭を下げて控えており、


「姫様」

「モモ、どうしました?」


 モモと言われた姫様と同じ年頃の少女は、頭を下げたまま、


「皇帝の使者がこちらに向かっているようです」

「アズール皇子のお迎えには早いようだけど?」

「迎えの馬車ではございません、早馬です」

「早馬?」

「手の者から知らせを受けました。帝都から馬を乗り継いでこちらに向かっていると」

「承知しました。部屋に戻ります。モモは皇子の護衛を続けて」

「御意」


 モモはまた音もなく姿を消し、皇子の護衛に戻りました。

 イリデスケンティア姫は、南の空を見つめ、


「帝都で何かあったのかしら」


 そう呟き、屋敷の中に戻るのでした。



 青天の霹靂とは、よく言ったもので、早馬の皇帝の使者がもたらしたのは、まさに予期せぬ報でありました。


「申し上げます。皇帝ハンゲルブ陛下と第1皇子ヴィクトール皇子の乗る四輪馬車《コーチ》が、聖騎士国アルバアロに向かう道中に、昨日《さくじつ》の大雨による土砂崩れに巻き込まれ……」


 使者は言葉が詰まり、唇が震え、涙声になり、


「……落石に押し潰され……共に……亡くなられましたっ」


 使者の堪えていた涙は、報告を終えた途端に、大粒となって流れ落ちました。

 あの時の使者の表情を思い出すと、僕は今でも胸の奥がぐっと熱く、やり場のない悲しみが込み上げて来ます。


 皇帝と第1皇子の事故死の報告を聞いたイリデスケンティア姫は、思わずアズール皇子を見るのです。


「姫姉さま、どうしたの?」


 6歳のアズール皇子には、父と兄の死も、皇位のことも、何も理解できていないのです。


 約500年前、魔王を倒した勇者が周辺国を統合して建国したグリドニフ帝国では、勇者の子孫が代々皇帝に即位しております。

 皇位継承権は直系優先の為、勇者の直系の血筋であるヴァーミリオン家が皇位継承権の上位にあるのです。


 つまり、つい先刻まで、無邪気に遊んでいたこの年端もいかない幼い皇子が、皇帝となる日が突然、あまりにも突然にやってきたのでした。


 イリデスケンティア姫は、キョトンとしているアズール皇子を優しく抱き寄せると、皇子を支える事を決意するのでした。


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