第115話 粘液ハグ
「……現状では、あたしたちはまだ誰も殺すつもりはないよ」
日和さんは僕たちの現在の意思を教えた。
「でも、殺し合わないと世界を守れないのでは……」
「まだ、カオスっていうのが本当に来るのか、わからないんだよ。だからあーしたちは、今はその手段をとらないの」
「それと、殺し合う以外にも世界を守る手段がないか、探っています。猫俣さんの言うとおり、まだそのときは来ていないから」
大井さんは眉をひそめた。
「……殺さなかったら、またわたしは星也くんを狙うかもしれないですよ」
大井さんの発言に対し、日和さんは返す。
「そしたら、わたしが彼を守るわ。今度こそあなたに奪わせない」
大井さんはヘヘっと、暗い笑みを浮かべた。
「お、大井さん?」
「……わたしは、世界が滅んでしまってもいいと思ってます。わたしにこの世界は生きづらいですから……。でも、そこにはわたしの大切な人も必要なんです。二人で、わたしは終末を迎えたい」
大井さんが再び宝石を強く握る。するとブワッと、大井さんの背後にダークゾーンが出現した。
「何を!」
みんなが即座に警戒し、日和さんが後ろから僕を引っ張って大井さんから距離を取ると、戌子とかりんさんが僕の前に出てきた。
「しばらくは、星也くんに手を出しません。でも、わたしはいずれ、君を迎えに行きます。必ず……」
だがそう言い残し、大井さんは背後に下がってダークゾーンに飲まれていった。僕らはそれを見送ると、ダークゾーンは即座に閉じて消えてなくなった。
逃げたのか。
「えっと、みんな、ありが……」
とりあえず、僕は三人へ感謝をしようとするも、言い切るよりも前に日和さんが僕に思い切り抱き着いてきた。
「うわっ!?」
無言で飛びついた日和さんは、力強く、ギュッと上半身裸で粘液まみれの僕を躊躇なく抱きしめる。
「……ありがとう、日和さん」
「ごめんなさい……また守れなかった……」
「何言ってるんですか、めちゃめちゃ守ってくれたじゃないか」
むしろ二日にわたって襲われてしまって申し訳がない。
「そうそう、あーしらもいっしょに助けたけれどね」
と、かりんさんが僕に手を伸ばそうとするが。ガシッと、横から戌子がその手を掴む。
「臭い手でオニイに触らないで……」
ドッと低い声で戌子が威嚇する。
「く、臭くはないっしょ」
「臭い。余ったるい発情した汚らわしい臭いがプンプンする。お兄に臭いが移るから近づくな」
それはあまりにも敵意に満ちた悪口。
「あのー、幼馴染ちゃん? あーし、お願いされたから一緒に星也くんを探してあげたんだよ? こんな敵意むき出しにしなくてもいいんじゃない?」
「頼んでない。たまたま町であんたに会った日和さんが、知らないか聞いただけ。勝手についてきたのはそっち」
「でも、あーしのおかげであの触手の猛攻、打開できたでしょ?」
「それは、ありがとうだけど」
「だったら、木野くんに抱き着く権利くらいはあるよね」
「駄目! その匂いをなすりつけないで!」
一方的に敵対心を向ける戌子に対し、かりんさんは柔らかく自分の権利主張をする。
「みんな、ありがとう。僕のために、ボロボロになっちゃって……」
日和さんも戌子も、顔や腕に痣が残っていた。美人な二人の肌に傷がついてしまった。
「ごめんなさい……」
「謝らないでよ。全部家に忍び込んで誘拐した、あの人が悪いんだから」
日和さんは涙声で言ってくる。しかし、裸でヌルヌルした状態で日和さんが抱き着いてくると、胸の柔らかさを胴体で直接感じて、そのねばつきも相まって、すごくドキドキする。
「お兄も、あいつの匂いが染み付いてて臭い。早く帰って身体を洗って」
「うん、そうだね」
なんにしても、この粘液は早く落としたい。
大井さんもしばらく僕の前には現れないと言っていたし、今のところは家に帰っても大丈夫だろう。
「私も、今日は君の家に泊まります」
「うん、ありがとう日和さん」
そんなわけで、この埃っぽい工場から移動したいけれど。
しかし、日和さんはずっと僕に抱きついていて、動けない。
「えっと、日和さん、抱き着いていただけるのはこの上ないほど嬉しいのだけれど、そろそろ離れてもらわなないと、ずっとここにいるのも……」
「ごめんなさい。でも、君から離れてしまったら、君がどこかに消えてしまうんじゃないかって、怖くなっちゃって」
相当、日和さんを不安な目に合わせてしまったようだ。
「そんなに想ってもらえて、僕は幸せです」
温かくその気持ちを伝えたのだが。
「ちょっと、イチャつかないでもらえる? あたしだって、同じ気持ちで、お兄から離れたくないのだけれど」
「あーしも、星也くんを想ってる気持ち、心配した感情は誰にも負けないよ」
「こんな野良猫より、あたしの方がお兄のこと好きですー」
「あーしは野良猫じゃない。星也くんだけの猫だよ」
戌子とかりんさんはいがみ合う。
「えっと、本当にそろそろ行きましょう? 話したいこともあるし」
日和さんはやっと僕を離したが、今度は手をつないでくれた。指を絡めた、恋人つなぎだ。
「この手は家に帰るまで離さないよ、絶対」
強い想いを、ぎゅっと握りしめられる細い指から感じた。




