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唾液まみれの除霊

高校1年。夏


教室には、いつも独特の臭気が漂っている。


それは、生徒たちの汗や制汗剤の匂いなどではない。

十代特有の、純粋で残酷な悪意が煮詰められ、腐敗した匂いだ。


俺にはそれが、目に見えるほどの黒い霧となって教室の床を這い回っているのが見える。


俺の席は、教室の片隅。窓際の一番後ろ。


そこは、クラスの連中が「ゴミ捨て場」と呼ぶ場所だ。


「おい、掃除屋。今日も陰気な顔してんな」


工藤が、俺の机の上に置いてあったノートを手に取った。


それは、家業の寺から持ち出した、古い写経用の紙だった。


工藤はそれを鼻で笑うと、目の前でビリビリと無造作に引き裂き始めた。


「こんな紙切れ、何の役に立つんだ? 呪いでもかけてんのか?」


ひらひらと床に舞い落ちる紙片。


工藤は止まらない。

彼は俺の筆箱を掴むと、中身を床にぶちまけ、その上から冷たい水が入ったボトルを躊躇なく浴びせた。


俺の教科書はまたたく間に水を吸い、インクが滲んでぐしゃぐしゃに腐っていく。


「あーあ、滑っちまった。……拾えよ。跪いて、ちゃんと全部拾え」


工藤はわざとらしく俺の頭を踏みつけ、そのまま靴の裏でグリグリと床に押し付けた。


周囲の連中が、それを娯楽として眺め、クスクスと笑い声を上げる。

彼らにとって、俺の屈辱は明日を生きるための笑い話だ。


俺は何も言わない。


痛覚よりも、工藤の肩にどっかと居座っている、どす黒い怨霊の姿に辟易しているだけだ。


あいつの悪意が、その霊を肥え太らせ、腐った泥のようにあいつ自身を蝕んでいる。


俺は淡々と、床に這いつくばって水を吸った教科書を拾う。


誰の助けもない。俺は、独りだ。


その時、教室内が水を打ったように静まった。

視線の先、教室の入り口には、桜木が立っていた。

 

桜色の髪をふわりと揺らし、誰もが振り返るような完璧な容姿。

学園のアイドル、誰もが憧れる聖女。


「……何やってるのよ。また、そんなところで」


桜木は床に這いつくばる俺を、心底汚らわしいものを見る目で冷たく見下ろした。


彼女の瞳には、一切の慈悲はない。


「あんた、そこにいるだけで空気が汚れるんだけど。」

 

彼女の冷徹な言葉に、教室中が同意の笑いに包まれる。

彼女の「冷徹な拒絶」は、このクラスにおいて最も正しい行動とされていた。


彼女は俺を一度も人として数えず、ゴミを踏み越えるようにして自分の席へと歩いて行った。




     * * *


放課後。

湿った教科書を鞄に突っ込み、俺は校舎の最上階へ向かった。


誰にも見つからないよう、古い音楽準備室へ。


扉を開けると、そこには、先ほどまで気高く振る舞っていた桜木が、床に崩れ落ちていた。



制服は乱れ、桜色の髪は汗で首筋に張り付いている。彼女の瞳は熱に浮かされ、呼吸は荒く、清楚な聖女の面影はどこにもない。



「……遅い」


彼女は掠れた声で、俺を罵った。


その瞳は、俺の首を絞めたいのか、それとも別の欲求を求めているのか、判別できないほどに濁っている。


「……早くして。あんたの……その汚い舌を、今すぐ私に入れてよ……!」


彼女は俺の制服の襟を掴み、引き寄せる。


彼女の体質が呼び寄せた悪霊が、今まさに彼女の神経を内側から食い荒らしている。


苦痛と、それによって引き起こされる耐え難い昂揚感。


彼女はツンと背を向けながらも、本能では俺の「汚らわしい儀式」を求めて震えているのだ。


「……そんなに急かすなよ。たっぷり吸い出してやる」


俺が唇を合わせると、彼女は喉を鳴らした。


キスではない。それは彼女の神経を侵食する「穢れ」を、俺というフィルターを通して引き抜く行為だ。


ドロリと、甘く腐ったような粘り気のあるものが、彼女の奥から俺の喉へと滑り込んでくる。


俺の舌が彼女の口内を蹂躙し、より深く、より根源的な穢れを吸い上げる。


彼女は背中を反らせ、俺の背中に爪を立てた。


教室での彼女がどれほど高潔で、どれほど残酷だったとしても、今この瞬間、俺の目の前で熱に溺れている彼女のほうが、圧倒的に「本物」だ。


 俺が唇を離すと、彼女は口元から銀色の糸を引き、蕩けた瞳で俺を見上げた。


その視線には、聖女の面影はなく、ただ、次に与えられる「救済」を飢え求める、獣のそれがあった。

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