東北へ
9、東北へ
危ないところを救出された愛は栄吉の車に再び乗車して目的地のないドライブをスタートさせた。新宿歌舞伎町近くの駐車場から出て左折すると靖国通りだったみたいで流れのままに進んでいくと市ヶ谷でガード下を潜り九段で靖国神社に着いた。靖国神社の駐車場があった。愛は少し話したかったので
「福井さん、そこの駐車場で少し止まりませんか。」と言うとお爺さんは素直に車を駐車場の脇に停めた。靖国の本殿に向かう参道の巨大な鳥居を見上げる位置に車を停めて落ち着くと愛は
「お爺さん、ここまで連れて来てくれてありがとう。それにお爺さんが助けてくれなかったら、名古屋でも東京でも連れ込まれて今頃レイプされるか、殺されていたかもしれない。何とお礼を言ったらいいか。でも今度はお爺さんが行きたいところまで私がつき合うよ。お爺さん、どこか行きたいところはあるの?」と聞いた。すると栄吉は
「特に行きたいところというのはないけどね。でもわしももう年だから。死ぬときは三途の川を渡らなきゃならない。北に行きたい。」お爺さんは初めて自分の意思を表現した。
「北なのね。東京の真北には日光があるけど日光のことかな。」と尋ねると
「わからない。日光に三途の川はあるのか?」と逆に聞いてきた。愛は
「とりあえず北に向けて行こうか。それじゃまずナビを日光にするよ。」と言って日光と検索して目的地を日光にした。ナビはすぐ近くのICから首都高に乗ることを勧めてきた。言われるままに首都高に乗り、途中のジャンクションで東北道に入り一路北へ向けて走った。車は埼玉県から栃木県に入り宇都宮近くまで来た。走る車の中でお爺さんの本当の気持ちを聞き出そうと愛が
「福井さん、本当に日光に行きたいの?日光に何かあるの?」と真顔で聞いてみた。
ハンドルを握ったお爺さんは表情も変えずに
「日光なんて何で行くんだ。徳川家康に興味はない。」と吐き捨てた。三河から駿府にかけて走っていた時には家康について随分話していたのにと思ったが、ボケ老人を問い詰めても仕方ないので聞き流し、
「それじゃお爺さんはどこに行きたいの。三途の川はどこにあるの?」と問いかけるとまっすぐ前を見ながら表情を変えずに
「北だ。もっと北だ。」とだけ静かに話した。愛はその言葉通りに行くしかないと思い、そのまま北へ道なりに進むようにナビした。車は栃木県を通過し白河に入ると福島県である。
東北地方に入ると愛は『東北 三途の川』と検索してみた。すると『恐山 青森県 下北半島』というような記事が出てきた。愛は
「お爺さん、青森の下北半島の恐山のことかな。三途の川とか地獄とかあるみたいだよ。」と教えた。するとお爺さんは愛の顔を見て、
「そこなのかな。よくわからないけど、そこにあるのか?」と行先を恐山にすることに同意した。そこからは車は福島県を通過し、宮城県に入り南北に長い宮城県を過ぎるとさらに南北に長い岩手県に入る。岩手県は行けども行けども岩手県で、果てしなく続く左右の険しい山の風景に飽きてしまう。しかも運転するのが80過ぎの老人なのでしばらく進むと休憩のためサービスエリアに入らなくてはならず、所要時間は普通の人の倍くらいかかっていた。
岩手県の途中、安比高原を過ぎると安代ジャンクションで東北道から分岐して八戸自動車道へ進むように携帯のナビが教えてくれた。ナビに従って八戸を目指すとしばらくして平野部に出る。久しぶりの平野で八戸が大都会に思えてくる。しかししばらくすると高速道路が途絶え、一般道を走ることになり、アメリカ軍の三沢基地を右手に見ながらさらに北へ進む。野辺地から下北半島に入ると左手に陸奥湾の海を見ながらすすむ。下北半島は列車ならばこの道に並行して進む大湊線があるが、大湊港があるむつ市まで行くと電車もなくなる。景色は最果ての地と言った雰囲気が漂ってくる。
むつ市に着いた2人はここから先にはレストランもないだろうということで、市内のレストランに入り、昼食を食べた。東京を出てから丸1日、24時間以上走った。お爺さんに休息をとらせる必要もあった。しかし孫とお爺さんほどの年の差があるとはいえ、男女で宿泊を共にすることへの抵抗感から宿に泊まることは考えなかった。その分、休憩はたくさんとってきた。最後の休憩にこのレストランで食事をして、最終目的地に向かう。案内によるとむつ市内から恐山までは1時間以内のようだ。
「お爺さん、何を食べますか。」と愛が聞くと
「そうだな、このあたりは魚がうまいんだろうな。お刺身定食はどうかな。」と言うと愛は店の人に
「お刺身定食2つお願いします。」と頼んだ。そしてお爺さんに
「お爺さん、どうして恐山に行きたいの。天国に誰かいるの?」と聞いてみた。するとお爺さんは神妙な顔つきで
「誰かいるのかな。覚えていない。でも身近な誰かが死んだような気がする。だから私も早くあの世に行きたいと一心に祈って来たんだが、なかなかお迎えが来てくれないんだ。恐山で三途の川を渡れば行けるんじゃないかと思うんだけどな。」と言っている。そうこうするうちにお刺身定食がやってきた。確か800円と書いてあったので愛はさほど期待していなかったがものすごいお刺身の量で、このあたりの物価が東京や名古屋とは雲泥の差がある事を感じた。
食べ終わると再び車に乗り、恐山を目指した。恐山は宇曽利山湖という湖のほとりにある。細い山道を登って行くが観光地になっているので車の往来はそこそこある。
30分ほど進んだところで宇曽利山湖に到着した。駐車場に車を停めて長いドライブの終着点に着いた喜びを、背伸びをして大きな欠伸をすることで表現した。お爺さんも車を降りると辺りを見渡し、あの世の姿を見渡した。京都の宇治平等院は極楽浄土の姿を表現したものと言われるが、この恐山は荒涼とした最果ての地と言った雰囲気で地獄とか賽の河原とか言った表現がぴったりする。宇曽利山湖から流れ出る唯一の川が三途の川でその河原が賽の河原である。賽の河原には石を積み上げたものがたくさんあるが、いずれも鬼がやってきて壊してしまうらしい。そしてこの三途の川には三途の川橋が架かっていて、この橋を渡るとあの世なのだが、通行止めになっている。伝説では川を渡る船に乗るには6文銭必要だとか。これらのことは観光看板に詳しく書いてあった。愛はお爺さんと共に看板を一つ一つ丁寧に読みながら、先に進んでいった。恐山菩提寺につくと拝殿に正対して祈りを捧げ、合掌礼拝をした。札所では御朱印もあるしおみくじもあるし、御守りも売っている。普通の観光地になっているようだ。
「お爺さんどうだった。来てみてこんな感じだと思ってたの。」と聞くとお爺さんは
「何か、思っていたのとは違うな。橋を渡るとあの世に行けるんだと思っていた。」と少ししょんぼりしている。三途の川をどんなところだと思っていたのだろうか。観光地化されてしまった恐山にがっかりしてしまったのか。愛はこの老人の心中を推し量るしかなかった。