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NATY.  作者: 神崎水
1/4

0-1... 始りと共に終りを迎え


此の輝かしい街の下には其れは其れは澄んだ泉が在って、其の中心には朧な光を纏う大樹が根を張っている。誰も信じない昔話だ。聞いた事もないおとぎ話。けれど、其の大樹は今も、

――――――――此の街の下で人々に、恵みを与えて呉れている。


「ミデンか。丁度良い所に来た」


下方で草を踏み締める音に、少年は本から目を上げた。壁掛けの鏡に視線を投げて、足置きに伸ばしていた足を下ろす。鏡の前まで歩み寄ると、傍らに控えていた老執事が彼の頭上に手を伸ばした。

鏡とランプの光を受けて、きらりと輝く小さな冠。恭しく其れを持ち上げると、少年は自ら長い滑らかなマントを外す。


「行ってらっしゃいませ、アイン様」

「あぁ。……表に回るよう言っておけ」

「畏まりました」


杖を乱暴に預けると、彼は大きな扉を抜ける。贅沢の限りを尽しましたと言わんばかりな大理石の床に小高い足音を響かせて、しかし誰もが少年を無視するかのように各々の仕事に従事していた。その横を、後ろを、当然のように通り抜ける。

二人の門衛の間を通り、整った前庭には目もくれず。閉ざされた跳ね戸の前で、一度、緩く首を傾げた。

目線だけを刹那後ろへ流し、致し方無いと手を伸ばす。右手に、左手に、槍を携えた門衛は熱心に見張りを続けていた。其の、彼らの目の前で。

アインの指先が淡く光る。微かに触れた指先から、その光は跳ね戸へと広がって。鎖の引きしめられる一定の音を伴いゆっくりと自らを倒していく。


「な……っ 若君!」


跳ね戸の不可解な行動に、目を見開いた門衛達。其の下に立つ見知った影に遅れ馳せながら目を留めると、咎めるような声を上げる。

途端に駆けて来る門衛に「ち、」と小さく舌を打つと、未だ開き切らない跳ね戸の先端に手を掛けた。

言うまでもなく、普通の人間ならばどう足掻いても届かない高さ。少年は強く踏み込むと、風に持ち上げられるように舞う。己の学習能力の無さを呪うほど、日々見慣れている光景だ。

傾斜が緩くなった頃捕まえようと構えるが、其れさえアインの方が早く、


「ミデン、引け!」


訪問者に手を伸ばし飛び降りる。「走れ!」という少年の声に其の手を取ると、ミデンは城に背を向けた。



+ + + +



「あの跳ね戸、何とかならんのか」

「……無理だろ」


忌々しげに城を向き、開口一番悪態を吐いた。切れ切れの息の合間に笑い、ミデンは律儀に肩を竦める。

例の跳ね戸から随分離れた適当な民家の屋根の上。真っ直ぐな山なりの其れの、城と反対に面する側でようやく落ち着いた彼ら。ミデンは斜面に座り込んだが、アインは其の山上に堂々と腰を下ろしている。


「見つかんぞ、坊ちゃん」

「構うものか。連れ戻されなきゃ済む話だ」

「物騒なこって」


「俺は疲れた」と寝転ぶと、「一人でやれる」と口を尖らせる。

アインが言う所の“魔法”で彼が浮いていたとしても、人一人引っ張って全力疾走は骨が折れた。命じた少年も其れは理解しているのだろう。愛想は汲み取れない表情で、「済まない」とミデンを見下ろし言う。


「いや? 先輩と追い駆けっこなんざ、アインがいなきゃ出来ないしな」

「なら感謝しろ。向こう五年は続けてやる」

「あ、それ勘弁」

「だったら滅多に言わないことだ」


勝ち誇ったような少年の笑み。「気をつけるよ」と手を上げた、ミデンもくっくと喉を鳴らす。堂々たる王子の“お忍び外出”で、城内は今頃慌てふためいているだろう。誰か気付かなかったのか、いや誰も、と口々に。

「良い様だな」、彼は呟く。「カワイソーに」と心にも無い同情の言葉で返してみせた。


「跳ね戸が無ければ一日安泰だったのに」

「オマエどんだけ其れ嫌い?」


含み笑いの少年に、呆れたような声を出す。確かにあれが無かったら、アインのお忍び外出は“共犯者”以外一生気付かなかったろう。現に跳ね戸の前までは、随分上手に魔法を使っていたものだ。おそらく多少触れた所で、誰も気付かなかったほど。

上半身を肘で浮かせて、品の良い顔立ちを仰ぎ見た。ミデンと逆を向く横顔からは、黒で覆われた片目の為に、おそらく遠くへ向けられている視線の先を追うのは難しいのだが。最早常態と言っていい、睨みを利かすような目で街全体を視ているのだろう。人の賑わいは些か下方。適度な静けさの合間に、風だけが音を乗せて来る。


「何か見えるか?」

「……何も。寧ろ此の二日三日で変わった方が懸念すべきだ」


其の言葉とは裏腹に、つまらなそうにひらひらと緩く振られる右手。丁度手の平が目に入り、ミデンは目を見開いた。「どうした?」――――怪訝そうに眉を寄せる。


「お前、痛くねぇの?」


膝を土台に上げられたまま力無く止まっている右手。手の平を指差し慄きながらも尋ねる彼に、自分の方へ其れを返す。見たところ丁度真ん中に、擦り剥いたような傷があった。

アインの脳裏にほんの一瞬、城の者達のありがちな反応が過る。けれど、血も滲まない傷。たとえ子供がやったとしても大事には思わないだろう。ああ、と無感動に頷いた。


「大したものじゃない。どうせ付いたのはさっきだろう。手入れの行き届いていない証拠だ」

「……跳ね戸は掴まねぇよ普通」


きりきりと倒れ来る跳ね戸に掴まった際引っかけた。合点が行き、ミデンは呆れた声を出す。

一体世の中の誰が、人が触れると言えば踏むだけの“橋”の先端を磨くだろうか。承知の上で言ったアインは、ふんと小さく鼻を鳴らした。

其のそっぽを向いた刹那の隙に、彼の手首を掴んで寄せる。確り掴んだまま空いた手で、自分の頭に緩く巻いていた太い平紐状の布を取った。


「何だ」

「何って、此のままじゃ駄目だろ。流石に」

「舐めておけば治るんじゃないのか?」

「坊ちゃん、お前その迷信信じてんの?」


真顔で問うと、伸ばした腕に容赦の無い蹴りが飛んだ。「危っぶね」と何とか持ち堪え、腰に下がっている水筒から残った水を少々掛ける。悪態の二言三言でも浴びせられるかと思ったが、沁みた際顔を顰めたのみでアインは大人しくしていた。

手早く其の手に布を巻き、満足そうな声を上げると白く華奢な手はすぐに引っ込む。


「済まない」

「……じゃねーだろ。こう言う時は“アリガトウ”」


思い立ったように底意地の悪い笑みを湛え、「言ってみ?」とミデンは首を傾いだ。

怒りか、其れとも気恥しさか。おそらく両方なのだろう、アインの顔が赤くなる。


「ッ 同義だ! 何で僕が……ッ」

「ひでぇの。俺結構気ィ遣ったしすげぇ心配したのに」


諦めたような其の言葉。しかしあからさまに肩を落とし、アインから見て影になる側、斜め下へと目線を落とす。わなわなと手足を震わせながら、少年は其の様を見て。勢いよく其の場で踵を返し、ミデンに背を向け紡ぎ慣れない言葉を喉から絞り出す。


「…………恩に着る」

「ん、どーいたしまして」


爽快な笑顔で立ち上がり、街を歩けば“兄弟”とも間違えられるほど背丈に差のあるアインの頭を些か乱暴に撫でた。分からなかった訳ではない、案の定お気に召さないらしく「無礼者!」と罵声が飛ぶ。

荒げられた声に手を下ろすが、ミデンの楽しそうな笑みは変わらず顔に居付いていた。

笑顔の下で、彼は思う。アイン−リマルーンという人が、此れほどまでに感情を表に出すことなど、おそらく誰も知らないだろうと。見目には何処か不似合いな、冷えた雰囲気と威厳を纏う此の若君は何時だって、恐ろしいほどに無感動で、誰もが目を瞠るほどに完璧――――――、


「そういや、アインお前………」


不意に浮かんだ些細な疑問を問い掛けようとアインを見たが、彼は、逆に言葉を呑んだ。

遠くから響く何かを転がしていくような、引き摺るような轟音に語尾が呑まれた所為もある。しかしその音が聞こえた直後、ミデンの目に飛び込んできたのは、

ゾッとするほどの深い哀れみと失望、もしくは諦めの色で眼を埋め、其の音の方を押し黙り見据える一つの“絵”。

音には、聞き覚えが無かった。


「アイン?」

「試運転だ。……ミデン、お前はあれを見た事があるか?」

「いや? 城に軟禁おまけに下っ端となるとなぁ。商人の方がその手の話は早えぇかもよ?」

「……そうだな。良い機会だ。付いて来い」


見せてやる、と言い残し、アインは屋根伝いに進む。かつかつと早足に屋根を鳴らし、しかし小気味良い足音は段々と別の音に掻き消されていった。

適当な屋根の上で止まると、彼は無言で指を差した。尤も、妙な活気に満ちた此処では声を出したところで相手に届く事は無いだろう。指先を追って、ミデンも下に目線を移す。

最初に目に留まったのは、妙な金属で作られた格子。小高い真っ直ぐな、此れも人工だとすぐさま分かる丘の上に、真っ直ぐに横たわり奥で其れごと曲がっている。

何だ、あれは。そう言うようにミデンが首を傾げるが、アインは其のカーブの先に細めた目を未だ向けていた。小さく、息を吐く。しかし其れも、自分の耳にさえ届かずに、


「なっ……」


突如聞こえた比べ物にならない轟音と共に、黒い金属の塊が段々と此方へ向かってくる。良く見ると、其れは先に見た格子の上を駆けていた。ゆっくりと、そして段々と更に速度を落としながら、其れは二人の目の前で止まった。

空気を大きく吐き出す音。其れが収まるのを見計らい、アインが緩慢に口を開く。


「先の音の正体だ。汽車と言う。……遥かな街と此処を繋ぐため、随分前から造られていた」

「……便利なもんだな」

「そう思うか? ミデン、お前はあれに……賛成するか?」


諦めたような笑顔がいやに引っかかり、分からないと首を振って答えた。


「想像したこともないからな。外の街か」


長い道程を只管に歩き、商いをする人々が在るのは知っている。カーブの先からあっという間に此処まで駆けつけて来た、此の汽車という物が走れば彼らは随分と楽になるだろう。ミデンが、思ったのは事実で。

「そうか」、何時もの表情で言う。踵を返し、線路とは反対の道へ下りた。赤く染まった空に、下がった夕日はもう臨めない。そろそろ帰路に着く頃合いだとミデンも瞬時に理解する。


“敵”もないのに聳える城は、当に権威の象徴の為だけに在る物。感情の篭らない視線を、だからこそ、憎々しい思いが伝わってくるかのような視線を、アインはその城に向けた。

未だ、衛兵に気付かれぬ場所。自然と覚えた其のぎりぎりの場所に立ち、少年は彼を振り返る。


「ミデン、お前だけは忘れるな」

「ん?」

「移ろい変わらない物は無い。人や街とて其れは同じだ。……僕は、あれその物に異を唱えている訳ではない」


目を閉じると、轟音と煙を吐き出しながら走る列車と出迎えの歓声が蘇る。発展は、人の進化その物。緩やかにアインは目を開けて継ぐ。


「だが、人は忘れているだろう? 全ての変化の先にあるのが“死”なのだと。それとて、人や街でも変わらぬのだと」

「……此処が……滅ぶって、事か?」

「汽車という物の想起から、此処までは随分早かった。歩みを速めれば果ても其の分早く近づく。僕は、此処が今のままでは……其れほど長くないと見ている」


頷く間も、反論する間も与えずに、「ではな」と彼は城へ踏み込む。ミデンの立ち位置まで響く、アインの帰りへの反応。様々に飛び交う声と音を、茫然と其処に立ったまま、ミデンは只聞いていた。

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