2... 名も知も無いまま消えるEDENへ
ちぐはぐに響く何の遠慮もない足音に、各々の作業をしていた人は我先にと壁に張り付いていく。踵を打つ音に怒声が被り、従者達は目を伏せ隠れるように仕事をする。
目にも入っていないのだろう、中央廊下を言い争いと共に進む二人の前を行くのは体躯の良い、豊かな生活を享受していると一目で分かる城の主。大きな冠を頭に乗せ、上等な生地だと一目で分かるマントを惜しげもなく引き摺っている。その後に、アインが続いていた。
「黙れ小僧! 貴様の下らん御託はもう聞き飽きた!」
「お言葉ですが陛下、此れは――――――」
「煩い!」
大理石さえ割れるのではないかというほど大きな音に、周囲の従者は肩を跳ね上げる。初めて向き合った二人は、明らかに険悪な空気を作り。王は、目も当てたくないと言わんばかりの嫌悪の顔。対する王子は感情など何処かへ捨て置いたような無表情。間髪入れずに、王は自身の持つ深い声を罵倒に使う。
「貴様が如何してあれに取り入ったか知らんがな、儂は貴様を認めた事なぞ一度も無いぞ! 街が滅びに向かうと云うなら其の原因は貴様だろう! “精霊の子”だと!? 反吐が出るわ、此の悪魔めが!!」
「…………」
変わらぬ鉄面皮の奥で、無意識に歯を噛み締める。“息子”として、“父”に対する哀願の叫びを上げる気も、子供さながらの反抗をする気も起らなかった。どれも―――少なくとも、彼の生い立ちに関しては―――、何の間違いも言われていない。
けれど、
「思えばあれもおかしかった! あの女は――――――」
「妃陛下への悪罵は慎め!!」
召使達には聞き覚えの無い高い声に、彼らは一斉に振り返る。怒りに顔色を変えているのは、今や王だけでは無かった。
出し慣れていない大声に、大きく肩で息をするアイン。無意識に千切り落とした眼帯に普段は確りと覆われている、エメラルド越しに見る月の目と、奥に輝く其れ本来の金色が王を射竦めたじろがせる。
一度詰まらせた王の言葉は二度と継ぐ事を許されず、ふんと大きく鼻を鳴らして肩を怒らし立ち去った。
直ぐに落ち着いたアインは其の背に冷たい視線を向け続ける。その後爪先を向けた先は、暮らしの大半を過ごす自室。
「お帰りなさいませ、アイン様」
「……ラミター」
「はい」
当然のように其処に控えていた老執事は、何で御座いますかと首を傾ぐ。何も変わらない穏やかな笑顔に、アインは緩く首を振った。
「いや。……何でもない」
「……アイン様。無礼を承知で数言、申し上げても宜しいでしょうか」
「何だ?」
何も―――――王妃が生きていた頃から、何も変わらない丁寧な態度。最初は、此の老執事も手の平を返すと思っていた。他の多くの、此処にいる召使のように。王妃が亡くなれば、その拾い子など関係ないと。
丁重に扱われながら、愛想の欠片さえも見せない彼を非難する様子を見せる事も無く。必要以上に彼に媚び諂う事も無い。
故にアインは、此の老執事を信頼していた。言葉になど決して出さないが、ラミターも其れを知っている。気付いている、と言うべきか。
「言ってみろ」、尊大に腕を組む彼に、ラミターは一礼し微笑む。
「周囲の方が何と仰ろうと、ミリアルデ様は貴方様を天恵の御子と慈しんでおられたのは事実です。貴方様が、ミリアルデ様に笑顔をお与え下さった事も」
「…………… 分かっている」
細長い杖を傾けて支え、ばつが悪そうに斜め下へと視線を落とすアインだが、ラミターは満足そうに頷き「そうでしょうとも」と言葉を返す。
「アイン様、此の老い耄れにはきっとまたと無い機会です。もう一言お許し頂けますか」
「あぁ」
アインには理解し難いほどに、喜びに満ちた笑顔を見せて。老執事は自らの胸に手を当てる。
「貴方様が此処にいらして下さってから、私めも日々幸福なのです」
「世辞か?」
「滅相も御座いません。アイン様は御世辞と媚が御嫌いだと私が知らずに御仕えしていたと仰いますか」
「………そうだな」
手近な壁に杖を預け、「済まない」、と小さく添える。もう一度同じ言葉を返し、ベッドへ向かう主を彼は見送った。
「もう、お休みになられますか?」―――――少々驚いたように。
「あぁ。近頃……」
ふと言葉を切り、体を返して老執事の方へ背を向ける。
気掛かりではあったが尋ねはしない。極力静かにランプが消され、部屋から人の気配が消える。鎖された深い闇の中、アインは瞼を下ろしていった。
+ + + +
目を、閉じれば。頭の中にあの人の、柔らかな声が木霊する。
『いらっしゃい、アイン』
彼女が実の子に聞かせるように、夜読んでくれた絵本の中に出てきた“精霊”という物を、其処に浮かび上がらせたような人だった。
透き通るような肌と柔らかな髪。優雅な立ち振る舞いは、育ちの良さを余す所なく反映させて。気丈で思い遣りのある、例えば彼女をラミターなどは、自慢の主と誇っていた。
おそらく。王が彼女を今でも無下に扱うのは、彼女を怖れたからだろう。
此の家の直接の血を引いていたのは彼女であり、人柄も、彼女の方が慕われる要素は多かった。権力を持った後も何処かで、王は気付いていたのだろう。城に使える人々が、今、誰の下に居るのか。
誰もが王妃を慕っていた。だからこそ、何処の者とも知れない赤子を王妃が抱え、あまつさえ“精霊の子”などと呼んだ時、皆が彼女を嘆き見た。気が触れたのだと言う者も、決して少なくは無かったと云う。
『貴方に、言い伝えを教えてあげましょう。此れは大切な教えだから、決して他の人に言ったり、貴方が忘れてはなりませんよ』
幼いアインを膝に乗せ、歌うように語った家の伝説。只豊かなだけの此の家が、“王家”とまで呼ばれるようになった所以。
言い付け通り、いや、無意識かも知れない。王妃から聞く随分前から、何処かで知っていたのかも知れない。何にせよ、深く刻まれた物語は決して忘れることは無かった。
「……………」
自覚するほどに最近重くなった体を、アインは緩慢に起こす。カーテンを無造作に開けると、朝日で街が輝いていた。
眠った街。此のまま眠り続けていれば、どれほど美しいだろう。
――――――けれど、
知っていた。もう先は無いと。
+ + + +
「んー、やっぱおっかしいよなぁ」
先日と同じ屋根に寝転び、片手を日の光に透かす。
眉を顰めるミデンが思い返すのは、初めてアインと出会った時の記憶だった。
此の世に在るとは思えない、浅い水に根を張る木々の森と、其の先に在る深い泉。根の上に被った土は湿り、其の直ぐ下で太い根が絡み合っている。凹凸のある足場の所々から、澄み切った水が湧き出していた。
其の源流は、奥の泉。周囲の木々より更に大きく聳える一本の大樹が、其の中央に鎮座している。
幻想的な其の森は、後に見て覚えた場所だった。最初に彷徨い行き着いた日は、
『……おい、平気か?』
朧な意識の遥か彼方に、高貴な印象の声が届いて。
そう、何があったのか、全身に傷を負った状態でミデンは其処に倒れていた。
『誰、だ……? あんた』
『ん。結構深いが……此の程度なら問題はない』
傍らに、其の“誰か”の気配。視界の端に光が映り、生温かい其の温度が頭から足へと時間を掛けて移されていく。其れと共に戻ってきた意識が、傍らのその人物は自分と同じ年頃の、おそらく身分も高いであろう少年だと云うことを教えた。
たちまちに癒えてしまった傷。その後どうやって家へ帰ったかは覚えてないが、彼に送ってもらったのだろう。見た事も無いような建物を出て、振り向くと其れは城だった。噂にしか聞いた事がなく、遠目にしか見た事も無い建物。庶民の子供だった自分があんな所に居たなどと、今思えば薄ら寒くなる。
「……間違いねぇな」
うん、と翳した手を握る。先日負った跳ね戸での怪我。あの程度の小さな傷を、アインが治せない筈がない。
聞いてみるかと呟いて、ミデンは城へ足を向けた。
誰にも見つからないように、塀を乗り越え器用に敷地に侵入する。騎士見習いとなった今、堂々と正面に立った所で不審者扱いはされないのだが。逆に、そうなったからこそ、早朝から城を抜け出してサボりを決め込んだ不謹慎さは咎められる。
考え事の為というのは、事実ではあるが言い訳にしかなる筈もなく。訓練所に連れ戻されたなら、次抜けるのも難しいだろう。まして、アインの許へなど。




