第四十話 煩悩(三)
部屋の中には一人分の夕餉が用意されてあった。
丞蝉は、白菊丸が悋気など信じられない思いで席に着きながら、ともかくも箸を取り粥をすする。
高香が気を利かせてくれたのか、まだ温かい粥が冷えた胃にゆっくりと落ちていくのが何とも言えぬ安堵感であった。
「今日一日、白菊丸殿はずっと門前に立っておられたのです。私が知らぬふりをし、黙っていたのが悪かったのでしょうか、夕刻、寺男が戻るやいなや激しく詰め寄っておりました。あなたは何ゆえ、どこに行かれたのか、どんな女と一緒なのか、なぜ黙って行かれたのか」
「法師は、法師はご存知なのか?」
高香の瞳が申し訳なさそうに丞蝉を見上げる。
「実は……寺男が戻ってきてから、私が法師にお話申し上げました」
「何っ?! して、法師は何と?」
「渋いお顔はされておいででしたが、かと言ってもう泊めてしまったものは仕方がありません。相手が身重の女性だったということもあり、他言無用とだけ」
ほっとしながらも、丞蝉は皮肉っぽく笑う。
「天礼兄が、いくらでも他言してくれよう」
だが高香はあっさりと返した。
「天礼殿のことより、白菊丸殿の方が大変なのではありませんか。あの怒りようは、私も意外でありましたが」
そう言って思い出したようにふふっと笑ったが、当の丞蝉はまたも口が開いた。
「白菊殿が本当に悋気などと……お前はそう思うのか?」
「はい。あなたが今日中にお戻りになられてよかった。明日だったらきっと、白菊丸殿に殺されておいでだったでしょう」
あまりにも明るい口調でそう言われては、さしもの丞蝉とて返す言葉がない。
だが丞蝉の心の中にくすぶっていたものが、今度こそ燃え始めていた。
抑えきれぬ衝動が、腹の下から突き上がってくる。
「傷はどうですか。薬草を張り替えておきましょう……」
「よせ!」
その大声に高香は思わず身を引いた。
「よせ。俺に触るな」
今、この昂ぶった状態で触れられては、たとえ相手が高香であっても押し倒してしまうやも知れぬ。
昨日よりずっと、女の体に触発されている我が身が、今は強烈に白菊丸を求めていた。
だが白菊丸は、上稚児。
「高香よ、後で峰王をよこしてくれ」
その稚児の名を聞くと、高香はびくりと身を緊張させ、まるでその周りに膜を張ったように一線を画した。そして、
「わかりました。そのようにお伝えします」
とだけ言って、速やかに部屋を出て行った。
ひとりきりになって丞蝉は、高々山歩きをしたぐらいで己が煩悩を拭い去れたなどと思っていた自身の甘さに、頭を抱え歯噛みし続けていた。