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第三十九話 煩悩(二)

 山肌を突っ切ったおかげで、戌の上刻(午後七時)までに、丞蝉は円嶽寺の門前近くまで帰って来ることが出来た。


 しっかりと締められた門の前には、左右の柱に火の入った提灯が吊り下げられてある。

 ふと顔を上げ、そのふたつの灯りの間に小さな人影があるのに気付いた丞蝉は目を細めた。

 そしてそれが、水干を着た稚児だと知り、驚きに思わず足を止める。

 そこに立っていたのは、何と白菊丸であった。


 白菊丸は松明を掲げた丞蝉を見、男が近付くのを無言のままじっと待っている。

 両手に大きめの椀が載っていた。

 丞蝉はどういうことかわからぬままに、白菊丸の前に立った。

「丞蝉殿!」

 その時白菊丸の白い顔に、さっと厳しい影が閃いた。

「一体このような刻限まで、どこへ行っていたのです?!」

 怒気を孕んだ口調に丞蝉は口ごもる。

 すると、

「これはそなたの夕餉じゃ」

 言うなり白菊丸は、手に持っていた椀の中身をばっと地面へ投げつけるように撒いた。

「夕餉に間に合わぬほど、そんなにも楽しい旅でありましたか!」


 丞蝉はただ唖然として、撒き散らされた粥を見た。それから白菊丸の顔を見やる。

 今やこの眉目麗しい稚児の顔色は、火のように真っ赤だった。

 さっと後ろに身を返すと小門をくぐり、音を立てて丞蝉を締め出してしまった。

「白菊殿!」

 門を叩く丞蝉に、だが中からは神経質な甲高い声が答えたのみである。

「知らぬ! 今夜は寺へは入れてやらぬ、外で過ごすがいい!」


 まったく不可解な感情のまま、丞蝉はただ立ち尽くしていたが、しばらくするとその小門が静かに開かれた。

 そこには灯りを持ち、すまなさそうな表情を浮かべた高香が立っていた。

「丞蝉殿、お役目ご苦労様でした。お疲れでしょう、夕餉はご用意してあります。ともかく、中へ」


 すでに僧堂は闇の中に静まり返っている。

 丞蝉を案内しながら、高香が事の流れを話し始めた。


「今朝、あなた方が発たれるのを天礼殿が見られていたようなのです。そしてそれを、白菊丸殿に告げた」

「天礼兄が?」

「はい。白菊丸殿の様子がおかしかったので私がお尋ねしたところそのようにおっしゃり、あなたが女と出掛けるなど何事と、かなり怒っておられました」

「白菊殿が? もしや、悋気(りんき)を?」


 ちょうど曲がり廊下に差し掛かかったためでもあったが、高香が少し足を止め丞蝉の方に横顔を見せた。そしてふと自分を見た切れ長の目元は、手元の明かりに照らされてぞくりとさせる美しさがあった。

 高香はにっこり微笑むと、

「そのように存じます」

 とだけ答え、目の前の部屋の戸をすっと開けた。

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