最終話「それでも僕は、逃げ続ける」
世界が救われた、という報告はギルドを通じて各国に伝わった。
勇者アルト・レイスの名は、一夜にして大陸中に広まった。魔王を無傷で完封した伝説の勇者、と。剣を一度も抜かずに魔王軍を壊滅させた英雄、と。
全部本当のことだった。それが余計に辛かった。
凱旋から三日後、アルトはギルドの窓口に呼ばれた。
ミラベルが、完璧な笑顔で待っていた。
「おめでとうございます、アルト様。世界を救いましたね!」
「……ありがとうございます」
「ご感想は?」
「……味方が一番怖かったです」
「それは何よりです! さすが私が推薦した人材ですわ!!」
ミラベルが一冊の手帳を窓口に置いた。分厚かった。付箋が無数に貼られていた。
「アルト様のこの半年間のデータです」
「全部記録してたんですか!? い、いつの間に!?」
「もちろん。ステータス変動、バフ耐性、精神的閾値、逃走パターン、回復速度——全て」
「何のために?」
「う~ん、次のためです」
間があった。
「……次?」
「ええ」
ミラベルが眼鏡を押し上げた。
「アルト様は今や、世界最高峰の耐久値を持つ勇者です。これを活用しない手はありません」
「活用って、魔王は倒しましたよ?」
「魔王の次は、魔神です。そのあとは竜神、デーモンロードに……」
「聞いてないですよ!!!」
「今お伝えしました!」
「今、言い出したんですよね!?」
ミラベルが新しい書類を取り出した。
「パーティメンバーも増員します。今度は——」
「嫌です!」
「まだ言い終わっていません」
「嫌です!!」
「聞いてください」
「絶対嫌です!!」
アルトは窓口から飛び退いた。振り返って走り出した。
扉の外に、四人と双子が並んでいた。
「逃げるんですか、アルト様」
「逃げます!」
「待ってください」
「待ちません!」
「追いかけていいっすか」
「来ないでください!」
アルトは走った。石畳を蹴って、全速力で走った。
後ろから足音が追いかけてきた。セレスティアが聖光を纏いながら、フラムがフラスコを抱えながら、リプレがアーティファクトを展開しながら、ヒルダが盾ごと、ノワールが無言で、ブランが手帳を片手に。
「愛しています、アルト様!」
「データが逃げていきます!」
「待ってくださいよ先輩!」
「逃がさない!」
ゴードンが酒場の前でそれを見ていた。干し肉を齧りながら、遠い目をした。
「……とりあえず俺も走るか?」
誰も誘っていなかった。それでも走り出した。傷だらけのまま、全速力で。
追いつけるはずがなかった。それでも走った。アルトの唯一の友人として。
街の外れで、ミラベルが手帳に書き込んでいた。
「逃走速度、過去最高ですね」
静かに、完璧に、微笑んだ。新しい手帳を取り出した。一ページ目に、すでに文字が書いてあった。
『魔神計画。開始予定日——本日』
ミラベルは空を見上げた。アルトの悲鳴が、遠くから聞こえてきた。
「ふふ。——やはり、地上は楽しいですね」
世界は救われた。
だが、勇者の受難は、まだまだ続く。
(完)




