6、第5警備隊隊長リネット
本日も少々長めの文章です。
ベルメケースの街を出立してから数日後。
ウェルスの街に辿り着いた私は、ダンさんに乗車賃を支払おうと財布を手に取った。元々公爵から貰った金だけだと、この街に来るのが精一杯なのだ。だから私はウェルスの街で仕事をある程度こなして金銭を得てから、共和国に向かおうと思っていた。
御者席に座っている彼にお金を渡そうとすると、本人がそれを止める。
「嬢ちゃんの乗車賃分は、爺さんから貰っているから、いらないっす。むしろこれからが大変だろうし?そのお金は取っておけばいいっすよ」
まさか爺が払っているなんて……その事実に驚いた私は、言葉に詰まってしまう。乗ったのは自分なのに払わないのは気が引けるのだが……戸惑いながらも彼に再度確認する。
「……宜しいのですか?」
「問題ないっすよ。爺さんからその分たっぷり貰ってるから!返済は次、爺さんに会った時してくれればいいっすよ」
「……分かりました。ありがとうございます」
頭を下げて彼の誠実さに感謝をした。正直、爺から貰った金子のことを内緒にして、ここで金銭を貰っても良かったはずだ。それをしなかった彼の優しさには頭が上がらない。
顔を上げると、「そういえば」と呟いたダンさんが御者席を漁り、何かが入っている袋を手渡される。その袋はずっしりと重く感じた。覗いてみると、そこには魔石が。母カロリーナから頼まれていたものだったらしく、渡しそびれてしまい彼に預けたとのことだった。
「何から何まで、本当に助かりました」
「良いってことよ!シアさんも頑張るっすよ!」
「はい、ありがとうございます」
再度頭を垂れて感謝の意を示す。ダンさんは私の頭をクシャッと撫でると、そのまま背を向けて御者席に戻った。そのまま爺の元へ向かうのだろう、彼は手を振りながら去っていく。そんな彼の馬車が見えなくなるまで、ずっと見つめていた。
その日はウェルスの街で宿を取って一泊する。慣れない馬車の旅は思った以上に疲れていたらしく、その日はすぐに眠る事ができた。
翌日、ウォルトン共和国を目指すため、辻馬車を探していた。宿で話を聞いたところ、共和国行きの辻馬車は関所の外にあるらしい。私は門を抜けるための列に並ぶ。
半刻も経たないうちに、自分の番となった。『シア』という名前を名乗り、適当に繕った出国理由を述べると、納得したのかそのまま通された。内心安堵しながらも門をくぐり抜けたところで……ピシッと薄いガラスにヒビが入ったような音が頭の中で響く。
驚いて立ち止まり周囲を見渡すが、それらしき物は目に入らない。偶然目に入ったのは、いつも付き添ってくれる精霊たちだけだ。何があったのだろうかと、思わず眉を寄せていると、立ち止まったことに疑問を持ったのだろう、先程質問をした兵士が首を傾げてこちらを見ている。
「大丈夫ですか?何か心配事でも?」
「いえ、何でもございません。音が聞こえたように感じまして……きっと私の気のせいですわ」
「そうでしたか」
「ええ。気にしないでいただけると助かります」
周囲にガラス1つ見当たらないことを目で確かめ、自分の勘違いだと結論づける。そしてそのままお辞儀をしてその場を離れることにしたのだった。
無事に共和国行きの馬車を見つけ、私は馬車で揺られていた。
共和国に向けて走る馬車の中は意外と快適だった。乗っている人たちの多くは出稼ぎで王国に来ていて、契約が切れたため共和国に帰省する者が多いようだ。仲良い者たち同士で喋っている者もいれば、静かに読書をしている者、寝ている者もいる。
ちなみに私は静かに窓の外を見ていた。王国とは違う景色に心惹かれたのである。
王国、とくにベルブルク領では農業が盛んだったため、一面の葡萄畑というのをよく見ていたが、今目の前に映るのは大きな山だった。ベルブルク領にも山はあったが、ここまで高い山というのはお目にかかれないものだ。外の景色を見ながら、ダンさんにお勧めされた店で以前購入していたお菓子を口にしていた。
ウェルスの街から離れて半日程。御者曰く、後数時間ほどで着くと言われた時に差し掛かったのは、森だった。森を抜けると、共和国が見えるらしい。木々が生い茂り、一歩奥に入れば迷いそうな森だったが、道は整備されているので迷うことはない。そんな森を通り抜けている最中だ。
最初は外に目を向けていたが、十数分もすると同じような景色ばかり続いたためか飽きてしまっていた。そういえば、と思い爺から受け取ったメモ帳を読もうかと鞄に手を入れていたその時。
「ねえ、お姉ちゃん。お姉ちゃんはどこの人?」
目の前に座っていた男の子が私に話しかけてきたのだ。彼の母親らしき女性は後ろで慌てているが、腕に抱いている娘の機嫌が悪いらしく、この男の子まで手が回らない様子である。
そんな様子を私が見ていたためか、その母親と目が合ったように思う。それに気づいた女性は申し訳ないと伝わるような顔で私に頭を下げている。息子が好奇心で私のことを聞いたからだろう。彼女が顔を上げた後、微笑んで「大丈夫ですよ」と声を出さずに口を動かしておいた。
口の動きで私が相手をする事に気づいた母親は、再度頭を下げて娘をあやす事に集中する。それを一瞥すると、目の前にいる男の子の目線に合わせてなるべく笑顔で話しかけた。最近公爵家では笑顔を見せる事が無かったので、自分の顔が笑えているのか心配ではあったが……
「私は王国で生まれたのよ」
「そうなんだ!ねぇ、どうしてこの馬車に乗っているの?」
後ろで「トビー!」と母親の声もするが、男の子は気にしていないようだ。子どもはとても純粋で、大人なら聞けないこともどんどん聞いてしまう。トビーからすれば、いつも乗っている馬車に見たことのない若いお姉さんが乗っていたのだ。気にならない筈はない。
その無邪気さに私は自然と笑みが溢れた。
――その笑顔にほう、と見惚れている大人がいる事にも、トビーの質問にアレクシアがなんと答えるのか、聞き耳を立てている大人がいる事にも彼女は気づかなかったが。
それもそのはず。アレクシアはこの質問にどう返答すべきか頭を働かせていたため、周りを気にする余裕が無かったのだ。
とにかく不自然にならないような理由を……と考えて、ピンと閃く。
「実はお店を開こうかと思っているの。そのために旅をしながら場所を探しているのよ」
まあ、嘘ではない。魔石の店を構えるつもりであるし、王都から馬車で旅をしてきたとも言える。これで深く聞かれれば、べルメケースの街の様子でも話してあげれば良いだろう、と思い直したが、トビーはその答えに納得したようだ。
「おねーさん、どんな店を開くの?」
「そうねぇ、魔石って知っているかしら?」
「魔石?」
「そう、ツテがあるからそれを販売しようかと思っているの」
――魔石という言葉に大人たちは耳を疑う。こんな若い女性が魔石を売買する能力があるとは思えなかったからだ。何か伝手でもあるのだろうか……もしかしたら騙されているのでは?と誰もが思っていた。
馬車の音が煩かったため、私は周囲が固唾を呑んで見守っている事に気づかなかった。静かになった周囲を一瞥しようとしたその時。
「うわああぁぁぁぁ!!!!」
と静かな森の中に悲鳴が響き渡ったと同時に驚いた鳥たちも空に飛び上がったため、一瞬で騒々しくなり始める。悲鳴を上げたのは御者のようで、その声と騒音に「何事だ!?」「なんだ?!」と周りの人々が声をあげた。
馬車内に混乱が広がる中、入り口の扉が開き、慌てた御者が入ってこう告げた。
「グレートウルフです!窓に近い方、窓に鍵を掛けてください!」
グレートウルフ……珍しい魔物ではない。だが、森の街道であるこんな浅い場所に現れるのは珍しいことである。彼らが生息するのは森の深い場所なのだ。銀色の毛並みを持ち集団で行動する性質を持ち、縄張り意識が強い。以前領地経営で習った時に、「魔物の性質を理解しておく必要があります」と言われ、勉強していた。
「こんな事で役に立つとは思わなかったわ……」
ボソッと呟いた言葉は誰にも聞かれることは無かった。そんな事を気にしている場合ではないからである。
「ここに入る前、救援信号を打ち上げました。籠もって時間を稼ぎましょう」
窓に近い同乗者はすぐに御者の言う通りに窓の鍵を閉め、身を縮こまらせる。ここで魔法や剣を使える人は居ないらしい。ただただ恐怖だけがその場を支配していた。
だが、時間を稼ぐと言ってもただの辻馬車である。もし救援が遅れれば、全員が無事とは限らない。そう判断し、一か八かで賭けに出る。御者が扉を閉めようとした瞬間、私は外に飛び出す。
「嬢ちゃん!?何故出た?!」
「私は魔法が使えます。時間稼ぎをします」
「あ……あぁ……」
御者の顔が真っ青になっていく。余程怖かったのだろうか。アレクシア自身、睨んだつもりはないのだが、彼にはそう見えたらしく、何も言わずに扉と鍵を閉めている。
そしてアレクシアが御者席に回ると、目を真っ赤にしたグレートウルフがこちらを見て唸り声を上げていた。目の前にいる馬は、グレートウルフに怯えているのか、逃げることもなく固まっている。不自然な様子なので、もしかしたらグレートウルフから何か魔法をかけられているのかもしれないが。
アレクシアは改めてグレートウルフに目を向けると、彼らは襲うことなくただただ威嚇している。その理由は理解できないが、無闇矢鱈に襲うわけでは無さそうだ。だが、その均衡がいつ崩れるかは分からない。なぜなら……
「目を赤くしている……怒りに支配されているのね」
彼らが憤怒している原因が掴めないからだ。いつ襲ってくるか分からない状態である。
この様な状態の場合、グレートウルフを落ち着かせるためには気絶させるのが一番である。だが精霊の魔力を利用する私の魔法は殺傷力の高いモノか守備に特化したモノが多い。実戦経験の少ない私はここで相手を殲滅していいのか判断に困っていた。
「確か、魔物によっては殲滅が禁止されている場合もあったはず……」
倒すことで逆に群れを引き寄せてしまう場合があるからだ。そう考えたら守備しか選択肢はないだろう。
「風の精霊さん、いるかしら?」
そう呼び掛ければ、私の前には楽しそうに舞っている風の精霊さんが現れる。
「先ずは馬も含めた馬車に防御魔法を掛けたいの。力を貸してもらえるかしら?」
踊っている精霊さんは頷くと、私に魔力を分けてくれ、私は防御結界を張り巡らせた。
結界を掛けられた事に気づいたグレートウルフは体当たりを仕掛けるが、精霊の力を借りている魔法は強力なため破れることはない。危機を回避できたと胸を撫で下ろす私だっただが、このままでは埒が明かない。先ほど御者さんが「応援を呼んだ」と言っていたが、いつになったら来るのだろうか。通常であれば、半日以上は保つであろう結界だが、頻繁に攻撃されてしまえば結界の寿命はその分縮んでいく。そうであっても精霊の魔力を借りている結界なので、最低でも2、3時間くらいであったら持つだろうが。
その間にどうすべきか考え始めた私だったが、ふと気づくと結界に体当たりするグレートウルフがいなくなっていた。何事かと目を配ると、両手の数程いたウルフの半分が土の上で気絶をしているではないか。
「一体何が……?」
目をパチクリと見開いていると、倒れたグレートウルフの後ろに金髪をポニーテールにした人が立っていた。だがその姿をもっと良く見ようとした瞬間、彼女は目にも留まらぬ速さでグレートウルフの首元に木刀の様なモノを叩き込み始める。状況が飲み込めない中、残りのグレートウルフもバタバタと倒れていく。
最初はその戦闘に呆然としていたが、助けてくれた人のお陰で危機は去ったようだ。その人が良い人なのかは分からないが。こちらに近づいてくる人をよく見ようと目を凝らしたところ……
「リネットじゃないか!君が助けてくれたのかい?」
静かになったからだろう、御者が外に出て安全を確認しにきたらしい。丁度結界の内部にいるので、もし生き残りがいても彼は守れるはずだ。そしてこの御者はリネットと呼ばれる……名前からして女性だろうが、彼女の事を知っているらしい。予想では警備隊辺りだろうか。彼女の後方には部下と思われる人たちがこちらに向かって走ってきている彼らの格好を見てそう当たりをつけた。
「マークさん、間に合ってよかった。貴方が救援信号を上げてくれたから、私たちは駆けつける事ができたんだ」
「いやいや、本当に助かった……ありがとう」
「それに、そこにいるお嬢さんが強固な結界を張ってくれていたからね。見る限り馬車も馬も両方無事だろう」
「本当かい?」
先ほど不自然に固まっていた馬も、どうやら元通りに戻っているようだ。御者さんは馬車の回りを一周ぐるりと確認すると、私の目の前に現れる。
「おお、確かにリネットの言う通りだ……嬢ちゃん、ありがとう!お嬢ちゃんが外に出た時は、本当に背筋が凍るような思いだったが……君も本当に無事でよかった!」
いきなり話を振られた私は戸惑った。馬車から外に出る時、怯えさせてしまったため少し気後れしていた事、そして今の御者のように素直にお礼を言われた事が無かったためだ。
「いえ、私は何も……倒してくれたのはあの方ですし……」
「勿論リネットたちの手柄でもある。だが、馬車や馬が無事なのは、君が防御結界を展開して守ってくれたからだろう?本当に助かったよ」
御者さんに感謝を述べられ、私はしどろもどろになりながらも頷いた。
そんな私に彼はさらに畳み掛けるように、馬車を守ってくれたお礼として、料金は要らないとまで言ってくれたのだ。最初は拒否していた私だったが、押されてそのお礼はありがたく受け取る事にする。
私たちのやりとりを微笑んで聞いていたリネットさんだったが、私たちの会話が終わったことに気づくと、彼に話しかけた。
「マークさん、私たちも業務が終わって帰宅途中だったから、もし良ければこのまま同行しよう」
「いいのかい?なら遠慮なく、お願いするよ」
「承知した」
そう言って私たちに背を向けたリネットさんは、集まってきた部下に指示を出す。1人は早馬でグレートウルフが出没した件をこの先の街にいる領主様へ報告に行くらしい。数人は残ってグレートウルフを森へ運び、リネットさんと残りは馬車の護衛も兼ねて帰宅する事になった。
彼女の指示の手際の良さに惚れ惚れしていた私だったが、ふと自分が御者席に着いている事を思い出す。慌てて後ろに戻ろうと席を降りたところで、リネットから声がかかった。
「防御結界を張ってくれてありがとう。共和国の民を助けてくれて助かった。私はウォルトン共和国ブレア領第5警備隊隊長のリネットと言う」
「御丁寧にありがとうございます。私は……シアと申します」
本名を言いそうになった私だったが、なんとか留まってシアの名前を言うことができた。
名前を言う前に間ができてしまったのが、怪しまれないかと冷や冷やしていたが、リネットが気にした様子はない。密かに胸を撫で下ろしていたが、すぐに彼女に声をかけられたため少しだけ肩が跳ねてしまった。
いきなり声をかけて驚いたように思ったのだろう。彼女は目線を少し下げて申し訳なさそうな顔をしていた。
「驚かせてしまい、すまない。先程の件で軽い事情聴取をしなくてはならなくてね。君は様子を見るに、王国からの旅行者だろう?街で宿も取らないといけないだろうし、先に聴取させてもらってもいいかい?」
「事情聴取とはどのような事をお話しすれば宜しいのですか?」
私が何処の誰でと根掘り葉掘り尋ねられてしまえば、追放された令嬢だと隠し通す事ができないかもしれない、そう思い彼女を警戒する。それを感じ取ったのか、彼女は首を左右に振りながら返答した。
「安心してくれ、そんな詳しく聞くつもりは無いさ。グレートウルフの様子やシアさんがどんな魔法を使ったのか、状況を教えてもらえれば、こちらとて助かる。シアさんは知っているか分からないが……グレートウルフはこの周辺だと滅多に出没しない魔物だ。もし、他の群がいるとしたら、この街道でまた同様の被害が起こる可能性があるという事だろう?可能性を少しでも潰しておきたいだけさ……さて、その場所なんだが馬の上でも良いかな?」
いつの間にか後ろには彼女の部下がおり、一人だけ二頭の馬を持った男性がいる。一頭はリネットさんが乗ってきた馬なのだろう。彼女と共に馬に乗って話そうか、ということらしい。確かに、馬車内で話せる事でもないので仕方のない事だと思う。
いいですよ、と答えようとした私の声に被せて、彼女の部下の一人が手を挙げてこう言い出す。
「隊長!その役目、俺がやりたいっす!」
仕事ではあるが、女の子と一緒に馬に乗れる……リネットさんの部下の一人である彼はそう思ったのだろうか。彼女に睨まれるだろうと勿論理解してはいるが、女の子と馬に乗る――その魅力には抗えなかったらしい。
彼を見る部隊の仲間の視線は羨望、呆れ、感心……様々だ。リネットさんはそんな部下の様子をちらりと一瞥した。そして「却下だ」と彼に睨みを利かせる。だが、彼はそれでもめげなかった。
「えー、隊長ばかりずるいっすよ」
「……それならバズ、お前は二班の手伝いに回すぞ?」
「いえ、後ろからお供させていただきます!」
現在二班はグレートウルフの移動を行なっている。つまり、帰宅が遅れる組なのだ。バズと呼ばれた彼は、早く帰りたいのだろうか潔く引き下がった。
「では、シアさん。行こうか」
馬上からリネットさんは、目の前に手を差し出した。
意を決した私がリネットさんの手を取り、馬によじ登る。彼女の手は細くてしなやかだったが、硬い。鍛錬を怠っていないのだろう。剣ダコが所々に見受けられる。
私は初めての乗馬に緊張しながらも、馬上から見える景色に目を奪われていた。
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
誤字脱字のご指摘、ありがとうございます。
今回からは推敲サイトの力も借りているので大丈夫だと思いたいのですが、またお気づきの点があればご指摘いただけると幸いです。
*誤字脱字で、ウルフ(狼)の数え方のご指摘を受けましたが、匹の表記で引き続き進めていきます。
調べたところ……鳥類を除く、動物一般は全て「匹」で数えるそうです。ただし、その中でも人間が抱きかかえることのできない大きさの動物や希少価値の高い動物は「頭」で数える事もあるらしいです。
確かに、一匹狼って言いますよね〜ご指摘ありがとうございます。勉強になりました!




