4、母との思い出を振り返る
「お嬢様をよろしく頼むよ、ダン。それと儂も帝国に向かいたいんだが、お前さんにお願いできるか?」
「はっはっは、爺さん両方とも任せてくださいっす!爺さんの出発は余裕をもって2週間後くらいでどうっすか?」
「ああ、分かった。その間は最後だと思ってこの街を満喫しているわい」
爺は少人数用の馬車を用意してくれたらしい。ダンと呼ばれる御者と爺のやり取りを馬車で聴きながら、私は忙しなく通り過ぎる人々の様子をじっと見つめていた。
母が亡くなり王宮に入るまでは爺と、王宮に入った後は前国王陛下とともに城下町の視察を兼ねて見て回った事が何度かある。その時も彼らの様子をただただ見つめていた事を思い出して、少しだけ胸から込み上げてくるものを感じた。
未練は無いけれど、住み慣れた土地を離れる事に寂しさを感じるのは仕方がないと思う。最後に街の様子を目に焼き付けておこうと、静かに周囲を見回していた。
「お嬢様、準備は終わりましたぞ」
「爺、何から何までありがとう」
「いえいえ、儂はこれくらいしかできませんからの……」
どっこいしょ、と声を出しながら爺は隣に腰掛ける。改めてこれが最後なのだと思うと、悲しい。そんな私をまるで励ますかのように、爺の表情は笑顔のままだ。
「最後に……お嬢様、以前話した事を覚えておられますか?」
「……ええ。まさか本当に爺の話が役立つ時が来るとは思わなかったわ……」
爺が教えたのは、お菓子作りだけでは無い。市井での生活の仕方や買い物の仕方なども教えていた。回数はほんの片手程ではあるが、街の様子を見せるため、私に変装をさせて連れてきた事もある。
――アレクシアは知らないが、これも亡き母であるカロリーナのお願いだった。万が一公爵家から追い出されても、彼女が生きていけるように……そう願って。その願いが報われたのだ。本当は報われない事が一番ではあったのだが。
「爺、本当にありがとう。今トランクの中に入っている物は、全部爺と一緒に買った物よ。これだけはミラに気づかれなかったの。ずっとトランクの中に入っていたからかもしれないけれど」
それにもし見つけられていたとしても、庶民が着るような服を好んで持って行くとは思わない。むしろ、「お姉様にはお似合いよ」と思われていたかもしれない。
トランクも古びているのでミラには興味を持たれなかったらしい。その事も幸いした。これもれっきとした魔道具だ。見た目からは分からないほど、容量は大きい。
「その鞄があれば、当分は宿暮らしでも問題ないと思いますな。いざとなれば、魔石屋か街のギルドに行くと良いでしょう」
「ええ。そうするわ……ありがとう、爺」
「いえ、本当に何もできず……そうそう、儂からの餞です。受け取ってくだされ」
そう言われて受け取ったのは、数枚の金貨である。
「爺、貰うわけにはいかないわ」
「いえいえ、お嬢様。これは貸しですぞ。次に会った時には、増やして返していただけると嬉しいですな」
そう言って悪戯っ子のように笑う爺。
その笑顔で胸の奥底から温かいものがじんわりと滲んでくる。そして同時に悲しみも。私はそれを隠すように、王子妃教育で鍛えた笑顔をたたえてみせた。
「お嬢様、人は一人では生きていけませぬ。時には誰かに頼る事もこれから学んでくだされ。ゆっくりでいいですから」
「ええ、分かったわ」
「成長したお嬢様に会える事を楽しみにしていますぞ」
その会話が終わるのを見計って御者であるダンから声を掛けられた。目指すのはウェルスの街だ。
ウェルスはアフェクシオン王国と隣国ウォルトン共和国の境界近くにある、王国領土の街だ。
バートやミラとの関わりのある王都にもベルブルク領にも、自分の居場所はない。そう考えているからこそ、まずは王都やベルブルグ領から程よく距離があり、公爵家から出ていく際に投げつけられた金銭でも向かうことのできるウェルスを目的地にした。
爺が言うには、金貨一枚であればウェルスまで向かい宿を数日分借りることのできる金額らしい。これなら爺から貰った金貨はしまっておく事ができそうだ。
爺から貰った金貨は使わず、ウェルスの街に着いたらすぐに職を探し、お金を貯めたら追々はウォルトン共和国に向かおう、そう考えていた。
そうこうしているうちに馬車は走り出す。後ろを振り返ると、爺が頭を下げているのが見える。馬車が揺れるため後ろの窓を開けることは叶わず、ただただ爺の少し薄くなった頭部を見えなくなるまで見つめていた。
爺の姿が見えなくなる頃、私は背もたれに寄りかかり、爺から貰った形見の本を右手で撫でていた。
「貴女は貴女の思う道を進みなさい。それがどんなに茨の道であろうとも、母はずっと貴女を応援しているわ……ごめんね、最後まで見届けることができなくて」
今でも覚えている。これが母の最後の言葉だ。
身体が弱くいつも寝たきりだった母だけが、家族の中では唯一アレクシアの味方であった。母と爺がいなければ、今頃どうなっていただろうか……そう考えると、背筋がゾッとする。
彼女は前愛し子として様々な事を教えてくれた。
「愛し子だから何でもできる、と傲慢になってはいけないわ。できるのは精霊の力があってこそ。だから私たちは協力してくれる精霊たちに、感謝を捧げなくてはならないのよ」
「愛し子の力は他者の為にも使うよう心掛けるのよ。勿論、自分の為に力を使ってはいけない訳ではないわ。ただ……自分の
欲望の為だけに力を使ってしまうと、その身に破滅が降りかかると言われているのよ」
「愛し子の力は、精霊たちの魔力を借りて行使するものなの。精霊の持つ力は膨大よ。その魔力をきちんと操作できるよう、毎日の訓練を欠かさず行いなさい」
そう母から口酸っぱく教えられていた。だから言われた通り毎晩精霊へ感謝の祈りを捧げていたし、訓練の一環として毎日魔石に魔力を込めていた。教わったのは3歳の頃だ。そこからずっと魔石に魔力を込めており、その魔石は瓶に入れて鞄の中に入っている。
ふと初めて母が魔石に魔力を込めた時、魔石がキラキラと輝いて綺麗だね、とミラと言い合った事を思い出す。
……最初はミラとも仲が良かったはずなのだけれど。どうしてこうなってしまったのかしら……
そう思うのも無理はない。
幼い頃はミラとも仲が良く、一緒に母の話を聞いていた。いつも「おねえちゃま」と言って笑顔を見せていた。
だが彼女たちが3歳頃になると、ミラがアレクシアのことを毛嫌いし始め、彼女は父であるバートに張り付き甘えるようになったのだ。
そこからミラは母の元に来ていたのかは分からない。少なくとも私が母の離れにいる時には、近づくことすらしなかったのだから。
そこから6歳になるまで、毎日一時間、母から精霊や愛し子について様々な話を聞いていた。その一時間は彼女が安らげる時間でもあったし、幸せな時間でもあったのだ。
だが裏を返せば、母が亡くなった後は公爵令嬢としての扱いすらされず、侍女もつかず身の回りのことは自分でやっていた。初めは父に苦言を呈していた使用人もいたのだが彼らは辞めさせられ、身支度が何もできない彼女を見かねてやり方を教えてくれた侍女は、一身上の都合を理由に屋敷から離れていったのだ。
その後ハリソンと婚約が決まり、王宮に召し上げられた彼女を待っていたのは――
辛かった今までの事が頭によぎる。
「もう私はどこに行っても自由。これほど喜ばしいことはないわ……頑張ってきて、良かった……」
瞼が重くなる。今までの緊張が一気に解れたのだろう。
馬車の心地よい揺れを感じながら、重い瞼をゆっくりと下ろしたのだった。
いつもお読み頂きありがとうございます。
ブックマーク、評価、いいねも頂けて、いつも本当に嬉しく思います。
いつの間にいいね、という機能が付いたのか……今回初めて知りました!
王国を出るまで後2、3話程あります。
以前の作品だと4話目では隣国行きの馬車に乗っているのですが、少し話を追加しました。
まだまだヒーロー君が出るのは先の話になりますが、アレクシアの旅を楽しんでいただけると嬉しいです。




