第七章 赤と黒 第四話
広間では慌ただしく騎士達が動き回り、事件の後始末や現場検証に追われていた。アルフリートら賓客は用意された別室に移動し、あちらこちらでざわざわとざわめく人の輪が出来ている。アイリーンとクレアは目の前で起こった惨劇に動転し、涙を止める事が出来ぬ有り様で、それぞれの夫が付き添って控えの間で休んでいた。エリザベートを始め皇女達も相当にショックを受けたらしく、蒼白な顔色のまま椅子にぐったりと座り込んでいる。グスタフは騎士達への指示を出すのに忙しく、この場を取りまとめているのはいつの間にかアルフリートになっていた。
彼はほとんどの宮廷騎士を「全員でアイリーンに貼付け」と、彼女の護衛に割き、メレディスら数人の家臣と共に、何故か指示を仰いで来るプロタリア閣僚にあれこれと命令を下していた。ヴィンセントの元にリサも、今日はごく普通の外交官の制服で駆け付け、国王の補佐をてきぱきと務めている。レオンはいい機会だと思ったのか、アルフリートの近くで彼等の一挙一動をつぶさに観察し、しきりと感心していた。
「皆に飲み物を配らせて、軽い酒がいいだろう。気分の悪くなった御婦人には別室にソファーをご用意して。王宮に箝口令。もう知れ渡ってるとは思うけど、まだ市内に迄は及んでいないだろう。イグナートの来賓はもう少し別室に留め置いて。こうなってしまったからにはいずれ解放せざるを得ないだろうけど、ぎりぎりまで。グスタフ将軍にはお手すき次第こちらに来て頂こう。怪我をした騎士の手当を優先してもらうよう伝言を。ラング、皇女方はもう少しこの場に居て頂きたいんだ、お世話を頼むよ。レイナード、生き残りはプロタリアに引渡しちゃっていいからね。内務大臣?スケジュールが変わったから来賓の宿泊の用意も忘れないで。除幕式典も一日ずれたから気をつけてね。それから、戴冠式の準備が必要になると思うからそちらも」
仕事を進めるアルフリートの顔に笑顔は無かったが、彼は起きてしまった事にいつまでも囚われてはいなかった。ミハイル自身の口から事件の真相を確認出来なかった事は残念ではあったが、あれが二人の望む結末であった事は確かであり、アルフリートはハウザーの依頼を遂行できたと考えていた。
カインからもいつものにこやかな表情が消え、沈痛な面持ちを見せていたが、彼の職務のスピードはいつもと変わる事は無かった。どういうわけか彼もアルフリートの指示の元動いており、ヴィンセントは忙しそうに働きながらも、彼の仕事振りをしっかりと盗み見る事を忘れなかった。
王宮は次第に落ち着きを取り戻す。騒動のあった広間も記録を取った後は瞬く間に片付けられ、別室に移った皆も平静さを見せ始めていた。ひとまず落ち着いたと見たアルフリートは侍女にコーヒーを頼むと、こんな場でも行儀悪く音を立ててすすり、近くに居たレオンの目を丸くさせる。それに気付いたアルフリートが彼に言う。
「おっとっと…ごめんごめん。……レオン、面白いかい?」
先程から興味津々で見つめていた若い王子に問い掛けると、彼は嬉しそうに答えた。
「はい、とても勉強になります。失礼かとも思いましたが、ずっと拝見させて頂いておりました。…陛下は命令に迷いがありません。この場に居る間、一度も逡巡をお見せになりませんでした。凄い事だと思います」
アルフリートの顔にも少し笑顔が戻る。
「俺だって全部分かってやってる訳じゃ無いけど、国王が迷ってたら家臣はもっと迷ってしまうからね。…さすがにプロタリアの閣僚は良く教育されているよ、まぁそれ以上の何かは無いけど」
最後の一言はもちろんレオンにだけ小声で言った物だった。グスタフがタイミング良く戻って来る。
「陛下、お待たせを致しました。何から何迄お手を煩わせてしまって申し訳ございませぬ、感謝の言葉もございません」
「ご苦労様将軍。さっそくで悪いけど皇女方と話をしたいんだ、立ち会ってくれ。レオンも来るだろう?」
「お供致します」
立ち上がった彼等に、トランセリアの閣僚達が付き従う。部屋の隅で力無く椅子に腰掛けている皇女達の元に向うわずかな間にも、アルフリートには指示を伺う声が掛かる。いったいこの国の王が誰なのか分からないぐらいの有り様に、ヴィンセントらは苦笑いをする。アルフリートに気付いたラングが立ち上がって一礼する。
「アルフリート陛下、皇女殿下は皆様大分落ち着かれた様子でございますが、まだ少々お顔の色が優れませぬ。お気遣い頂けると有難く存じ上げます」
「分かった、ありがとうラング。……エリザベート様、ああそのままで結構です。ご気分は如何ですか」
声を掛けるアルフリートに、顔を上げたエリザベートは弱々しく答える。
「…アルフリート様。……わたくしは、とても皇帝の位になど…。ましてや独り身で、十年もの間この国を支える事など…とてもそんな力は」
そっと彼女の前に膝を付くと、優しい声でアルフリートは問い掛ける。
「…エリザベート様。あなたはお父上が、何故国法を曲げてまであなたを皇帝にと指名したかが、お分かりになりますか?」
会話の内容を耳にした三人の姉達が、彼女をじっと見つめている。エリザベートはちらりとそちらに目をやると、アルフリートに言った。
「…おそらく、このまま姉上達の御夫君のどなたかが帝位に付けば、国が割れる恐れがあるとのお考えだったのではと…」
「…素晴らしい、その通りだと私も思います。……エリザベート様、あなたは皇帝の器をお持ちかも知れない」
「…こんな時にそのような御冗談をおっしゃらないで下さいませ陛下。わたくしは真剣に悩んでいるのですよ」
アルフリートの言葉をからかいと取った彼女は、そう言うと少し膨れて横を向く。豪華なブロンドがさらさらと揺れ、顔色は幾分悪かったが、そうしている彼女は十分に愛くるしかった。
アルフリートは微笑み、ラングを振り返る。
「ラング、ハウザー陛下は皇女に伝えるべき言葉を残しているんじゃないのかい?」
年老いた皇帝の忠臣は数秒間の沈黙の後、答える。
「……仰せの通りでございますが、…そのご伝言はエリザベート様が皇帝の継承を承諾した後に、明かすようにと仰せつかっておりますので」
アルフリートは小さく肩をすくめる。
「やれやれ、仕掛けの好きなじいさんだ。……失礼。さて、どうしようかな」
「……ラング」
エリザベートがゆっくりと立ち上がる。侍女達が慌てるのも構わず、彼女はラングに歩み寄り、問い掛ける。その顔には徐々に生気が戻り、顔色も幾分赤みを帯びて来ていた。アルフリートは三人の姉達には感じなかった彼女のしたたかさを再認識し、レオンは真剣な眼差しを彼女に向ける。
「ラング、その前にわたくしからひとつ聞かせてもらいたいの。…陛下は、…お父様は今際のきわに何かおっしゃらなかった?…何か、…一言でも」
「はい、仰せになりました。……皇帝陛下の御臨終のお言葉は…『エヴァンゼリン』と」
「……お母様を……」
両手で顔を覆い、エリザベートは嗚咽を漏らす。それは七年前に他界したハウザーの妻、彼女達の母親の名前であった。三人の姉達も泣き崩れ、それぞれの夫が駆け寄る。尤も次女の夫は血を見て気分が悪くなり、ここには居なかったのだが。ラングは静かに続ける。
「毒の入ったワインを片手に、陛下は『これでやっとあいつの傍に行ってやれる』と、笑っておっしゃられました。……アルフリート陛下にも」
その言葉に立ち上がり、居住まいを正すアルフリート。
「世話を掛けて済まぬと伝えてくれと、陛下ともう一度酒を酌み交わしたかったとも、おっしゃられておりました。……グスタフ将軍」
声を掛けられ顔を上げた将軍の頬にも涙が流れている。ラングの声がかすかに涙声に変わる。
「陛下は将軍に謝っておいででした。黙って逝く事を許してくれと…おっしゃって…おいでで」
「自分の事など…気にされずとも…、…陛下」
肩を震わせ、声を殺して泣くグスタフを、両側からメレディスとレイナードが支える。周囲の人々からもすすり泣きの声が聞こえる。レオンの目も潤み、涙脆いカインの両目からはぼろぼろと止めど無く涙がこぼれ落ちる。アルフリートはそんな中にあってさえ、決して人前では泣かなかった。俯く事無く静かに立つ彼の横で、涙に濡れた頬をそのままに、しっかりと顔を上げてエリザベートがラングに告げる。
「……ラング侍従長、グスタフ将軍も、お姉様達も、……アルフリート陛下、レオン王子。……この場に居る全ての者に。…わたくし、エリザベート・フローレンス・ディヒト・プロタリアス第四皇女は、ハウザー皇帝陛下の指名をお受け致します。…プロタリアの第四十六代皇帝位に就く事をここに宣言致します」
全ての人々が一瞬虚を突かれ、奇妙な沈黙が場を覆う中、アルフリートは静かに膝を付き、エリザベートに対し正式な国王への礼をする。生まれたばかりの若き女帝は途切れ途切れに言う。
「…こうするしか、…これしか、道は無いのですね。……この道しか。……先程から、皆の様子を見ていて分かりました。……このままではこの国はバラバラになってしまいます」
その言葉にアルフリートは驚きを隠せなかった。放心状態にあるとばかり思っていた彼女は、混乱する閣僚達の姿を見ていたのである。エリザベートは続ける。
「……ラング、グスタフ。…どうかわたくしを支えて下さい。…とても、とても一人では…お願いします」
ラングが深々と一礼し、グスタフははっきりと告げた。
「御意、一命を掛けて陛下の御為に尽くしまする」
「…アルフリート様、レオン様。…どうかプロタリアにお力添えを。…お二人にこれ以上のご迷惑をお掛けするのは忍びないのですが、…どうか」
レオンは感極まって答える。
「もちろんです。グローリンドはより一掃の協力をするにやぶさかではありません。これか…」
「我がトランセリアも、これからも変わらぬ友好関係をお約束致します。何も御心配する事はございません」
レオンの台詞にかぶせるようにアルフリートが口を開く。カインは心の底から彼に感謝していた。涙を流しながらも、大陸で最も優秀と言われるこの内務大臣は、レオンが下手な言質を取られる事を怖れていた。
ヴィンセントは心の中でアルフリートを褒め讃え、同時に恐怖に近い感情をも味わっていた。彼の主君は果たしてどれ程迄大陸の未来を見据えているのか。誰も彼もが涙にくれるこの感動的な場面にあって、既に外交の駆け引きが始まっている事を意識している人物が一体何人居るだろう。自分を含めても片手に満たぬのでは無いだろうか。そしてその中に、わずか二十歳のアルフリートが確実に含まれている事に驚愕し、同時にエリザベートの半ば無意識とも取れる政治手腕を刮目して見ていた。
各国の来賓や国内の貴族達が、たった今誕生した皇帝を祝福する為に次々と駆け寄る。その様子を少し離れた所から見ていたアルフリートに、カインがそっと近付き、声を掛ける。
「陛下…先程は申し訳なく、ありがとうございました。…助かりました」
彼の目は少し赤くなっている。恥ずかしそうに頭を下げるカインに、アルフリートは笑って答える。
「どういたしまして。……余計なお世話じゃ無かったかい?」
「とんでもございません。一瞬背筋が凍るかと思いました。レオン様には私からきつく言っておきますので。……あの、厚かましいお願いとは存じますが、陛下にもう一つお伺いしてもよろしいでしょうか…」
歯切れの悪いカインの台詞に、アルフリートは軽口を返す。
「もちろん何なりと。…でもカイン子爵ほど明晰な方の質問に、私なぞがお答え出来ますでしょうか」
「おからかいにならないでください。…その、レオン様はエリザベート様に、…あの、ご好意を持たれているような気がするのですが…」
カインのその質問に、隣に居たヴィンセントが思わず吹き出してしまう。目の前の若い内務大臣の最も苦手とする分野が、そういった男女の色恋沙汰であると言う事は、グローリンド王宮では周知の事実であった。
アルフリートはちらりと赤毛の色男に目をやると、顔を真っ赤にするカインに真面目な顔でこう言った。
「その質問に答えるにはトランセリアで最も適格な男がおりますので、彼に聞いてみましょう。…で、どう?ヴィンセント外務長官閣下。…笑ってちゃダメだろう」
後ろを向いて肩を震わせるヴィンセントは、やがて振り向くと咳払いの後口を開く。少し離れてリサが睨んでいる。
「…大変失礼を。私が見る限りでは確かに、大変ご関心を持たれているように見受けられますが、…カイン様のお聞きになりたいのは、それが恋愛に発展しそうかどうかと言う事だと考えますが」
うんうんと頷くカイン。どうやら本当にこういった男女関係の話は苦手らしい。ヴィンセントは続ける。
「お互いに大変お若い事もありますし、その可能性は高いかと存じ上げますが、要はレオン様のアクション一つに掛かっていると思います。こう言ってはなんですが、エリザベート様は幾分尻がかる……失礼、惚れっぽ……えーと」
「恋愛に積極的な方であると」
「そうそう見受けられますので、…陛下申し訳ありません、片やレオン様はあの通りの美貌の持ち主。その気になれば姫君の五人や十人落とすのは雑作もな……いてっ」
後ろに忍び寄ったリサがヴィンセントのお尻をつねる。アルフリートは笑いを堪えるのに必死だ。カインはそれでも真面目な顔でその話に頷き、言った。
「この場だけのお話ですので言葉を飾られるお気遣いは無用です。……申し訳ありません、大変参考になりました。私はこういった事に疎くて」
アルフリートがにこにこと彼に言う。
「確かにさっきから見ているとカインがそう思うのも分かるけどね。ただこればっかりは外からやいのやいの言ってもどうにもならないからなぁ。…ミハイルとオリヴィアだって事の起こりは色恋事だったわけだからねぇ…」
「へ…陛下。不吉な事をおっしゃらないで下さいませ」
突然不安になったカイン。彼等が見つめる先では確かにレオンがじっとエリザベートに視線を向けている。その眼差しは朴念仁のカインにもそれと気付かせる程、熱を帯びた物だった。
人の波が一段落したと見たラングは、アルフリートに一礼し、目で合図を送る。先程途中になったハウザーの言葉を伝えるようであった。
幾分疲れた顔のエリザベートを椅子に座らせ、ラングが集まった一同を見渡して静かに口を開く。三人の姉も興味津々で耳を傾けている。
「エリザベート様が皇帝位に就かれます事を承認なさいましたので、亡きハウザー様の御遺志をお伝え致します。尚、わたくしが承った言葉はこれで最後でございます。もう何も隠してはおりませぬ」
一瞬の間を置いて彼は言った。
「ハウザー様が第四皇女エリザベート様を御指名になった訳は、先程御本人がおっしゃられた通り、三人の皇太子様があい争って国が割れる事を怖れた為というのがまず一つ。そしてエリザベート様こそが、四人の御息女の中で最も御自分の血を色濃く受け継ぎ、皇帝の資質がお有りだとハウザー様がお感じになったからでございます」
「………それって、…『勘』…ってことなの?」
エリザベートは驚いたのか素で訊ねる。ラングは丁寧に答える。
「そういった見方もございますが、ハウザー様ほど人を見る目のお有りな方はいらっしゃらないかと存じ上げますので、エリザベート様を十七年間ご覧になっての御判断でございましょう。……アルフリート陛下、ハウザー様は陛下の御意見を参考になさったとおっしゃっておいででしたが、お心当たりはございますでしょうか」
その問いにアルフリートは絶句する。一同はトランセリアの若き国王が、プロタリアの皇帝人事にまで影響を及ぼしていたのかと驚き、彼を注視する。
アルフリートは彼には珍しく、うまい言葉が見つからないのか口籠っていた。それもそのはずであり、ハウザーが言った彼の意見とは、二年前のお忍びで話した『政治はいつだって賭けです、明日の保証など無いも同然でしょう』という台詞の事だと思い当たったからだ。ハウザーは頼りにならない婿達に国を任せるならば、いっそ自分の娘に一点賭けしてしまえと考えたのである。
アルフリートは心の中で(あのくそじじい〜)と思いながら、当り障りのない返事でその場を誤魔化す事にした。まさか『ろくな馬が居ないんで自分の馬に賭けた』とはさすがに言えなかったのだ。
「……どうでしょうか、今思い返してみましたが、私ごときにハウザー様への意見などなかなか言える物ではございませんでしたし、何かお考え違いをなさっておられたのか…。申し訳ございませんが記憶に定かではありません」
ラングはうやうやしく頭を下げ、言った。
「左様でございますか、不躾な質問をしてしまい大変失礼を致しました。…エリザベート様、わたくしの伝えねばならぬ事柄は以上で全てでございます。今まで皇女様方をはじめ閣僚の方達を偽っていた事、そしてハウザー様のご自害をお止めせず、あまつさえそれをお手伝い致した事、その罪は万死に値すると考える次第です。いかなる処罰をも覚悟しております。どうかこの白髪首を切り落とし、亡き陛下の御許へ伺わせて頂く事が、わたくしの最後の望みでございます」
「やめて頂戴ラング、そんな事言わないで」
エリザベートはそう言うなり立ち上がり、老人の手を取って訴える。
「お前に死なれたらわたくしは誰を頼りにすればいいのですか。ラングとグスタフが居なければ、わたくしにとても国などまとめられるものではありません。どうか末永く仕えておくれ」
床に膝を付き、頭を垂れるラング。感動的なその光景に、レオンはまたもやじっと熱い視線を送る。アルフリートは(たいしたもんだなぁ、この姫さんは…)と、少し感心すらしていた。ハウザーの達見の通り、彼女が元々皇帝の器を有していたのか、それとも、この一連の事件でいわゆる『化けた』のか。彼は今後しばらくはプロタリア宮廷から目が離せないだろうと考えていた。
ひざまづいたラングが静かにエリザベートに語り掛ける。
「ハウザー様は大変お疲れになっていらっしゃいました。四十年の長きに渡り、国を支えて来た重圧と、様々な内憂の心労とで…。王妃殿下がお亡くなりになったのも、かなり堪えたようでございます。そのように私に愚痴をこぼす事もございました。『もう降りてもいいだろう』と、おっしゃって…、私はそれをお止めする事が出来ませんでした…。申し訳なく…思います」
それは自ら死を選んだ皇帝が、ラングに語った最後の本音であった。エリザベートは真剣な面持ちで耳を傾け、自分の身にのし掛かった事態の重さを噛み締めていた。
人々が三々五々部屋を出て行く。明日、墓碑除幕式典と仮の戴冠式が行われる事が正式に発表され、一同は疲れた顔でそれぞれの客室に帰って行く。帰り掛けたアルフリートの元へ、ラングがそっと近付く。
「失礼を致します陛下。先程の御返答の件ですが…」
「勘弁してくれよラング。あなたは全部知ってるんだろう、とても正直になんか言えるもんか」
アルフリートのその返事に、老人は小さく微笑み答える。
「申し訳ございませんでした。ハウザー様にこう聞いてみろと仰せつかっておりましたもので…。皇帝陛下はあの晩のアルフリート様とのお話を、それはそれは楽しそうに何度もわたくしに話して下さいまして、『いっその事孫に期待してみては…』とおっしゃられた意見も御参考にされたようでございます」
「……ラング、本当はまだ何か隠してるんじゃないのかい」
「滅相もございません。もう全てお話した次第でございますれば」
頭を下げつつ去って行く老侍従長をため息と共に見送りながら、アルフリートは思っていた。
(まったく年寄りは油断ならねぇ、食えないじじいばっかりだ。……この分じゃグスタフだって、まだ裏にあと二、三枚何かあってもおかしくないなぁ…)
そこまで考えて彼はふと気付く。もしラングがグスタフと通じて皇帝を暗殺し、自殺に見せ掛けたとしたら。二人は既にエリザベートの絶大な信頼を得ており、一種の傀儡政権とも取れる状況を作り出す事に成功している。文をラングが、武をグスタフが掌握すれば小娘の女帝など思うがままだろう。考えに沈み込むアルフリートの元に当の将軍が駆け寄り、声を掛ける。
「アルフリート陛下、お疲れの所申し訳ございませぬが、アイリーン様からオリヴィア様の告白の詳細をお伺いしたいのですが…」
疑いを掛けていた当人を目の前にしても、アルフリートは動揺する素振りも見せず答える。
「お役目ご苦労様です将軍、多分大丈夫でしょう。もちろん私も付き添いますから」
並んで歩き出す二人にトランセリアの閣僚が付き従う。ヴィンセントとリサはその場に残り、油断無く最後まで場の動きを観察していた。
別室でソファーに横たわるアイリーンが、オリヴィアの話した真実をグスタフに語る。シンとアルフリートが近くに寄り添い、書記官が彼女の言葉を書き取っていく。
オリヴィアの語った内容は、ほとんどレイナードの調査した事と違いは無かったが、彼女は最後まで父親である王弟の関与を否定し続けた。伯爵を暗殺したのは彼女自身であり、毒薬はミハイルより受け取ったと語った。この部分がレイナードの探り当てた密使の情報との相違点であり、疑わしい部分だった。ただミハイルとの関係は五年前から現在まで細々と続けられていたらしく、それはエリザベートと婚約した後も変わらなかったらしい。グスタフは皇帝となった皇女に当然この報告書を提出しなければならず、苦々しい表情をしていた。
全てを話し終えたアイリーンはシンに抱きかかえられ、きちんと医師の診察を受ける為に部屋に戻って行った。結果としてイグナートの関与が疑わしいだけで証拠を見つける事が出来ず、プロタリアは彼等を解放せざるを得なかった。二度に渡って現れた賊も、一度目はミハイルが差し向けたものであり、二度目はオリヴィアが自害の時間を稼ぐ為に放ったのではという推理がなされたが、これも今後の取り調べを待つより他は無かった。
帰り際、アルフリートはグスタフを手招きして小声で告げる。
「将軍、ラングが自害する可能性があると思う。警戒をした方がいいかもしれない。…余計なお世話かも知れないけれど」
「……お心遣い感謝致します。私も少し気になっておりまして、騎士を付けてはおるのですが…。後で話をしてみる事に致します。本当に陛下には何から何まで…」
「いや、ウチの年寄りからも言われているんでね、ハウザー殿の為に働いてやれって」
「…?……アーロン様がでございますか。それは…誠に有難く……言葉もございませぬ」
感極まって深々と頭を下げる将軍に軽く手を振り、アルフリートは部屋を出る。歩きながら(年寄りにじいちゃんの名前を出すと効くなぁ…)などと考えていた。アーロンの治世を知る年代には、その強大なカリスマ性が骨の随まで染み渡っているのだろう。
ようやく客室に戻ったアルフリートは行儀悪くソファーに足を投げ出し、好物の水で薄く割ったブランデーを飲みながらヴィンセントに言った。
「いずれにせよイグナートは国王派、王弟派双方とも、プロタリアとのパイプをこれでかなり失った筈だ。中立派への接触を急ごう。プロタリアとグローリンドそれぞれへの対外政策も少し練り直す必要があるなぁ。大使館の人員を増やせるかな、特にプロタリアはエリザベートもそうだけど、ラングとグスタフから目を離さない方がいいだろう。帰ったらユーストと……リカルドにも相談して予算を増やして……くれるかなぁ?あいつ」
「戻り次第御前会議用に資料を揃えます。予算の件は…フランク殿に働きかけていただきましょう」
外務長官とのやり取りで、アルフリートは今さらながら自国の貧乏さ加減を思い出す。ここ数日のプロタリア暮らしで、何もかもが豪華な生活に少し慣れてしまった彼は、国に帰ったら早く感覚を取り戻さないといけないだろうと思っていた。
「ああそうだ、カインを通じてルーク王にも会見を申し込みたい。…親父はもう動いちゃくれないだろうから」
「グローリンド王宮には私の個人的な知人もおりますので、早急に実現させるよう手配致しましょう」
そう答えたヴィンセントに、アルフリートは事もあろうににやりと笑うと小指を立てて見せた。そんな下世話な事をいったい何処で覚えて来るのか、ヴィンセントは呆れ果てて答える。
「違います。外交官の男です。……陛下、お願いしますから」
「はいはい、ごめんね。そうだヴィンセント、君を見込んで聞きたい事があるんだけど」
「な…なんでございましょう」
突然身体を起こしてひそひそ話を始めるアルフリートに、戸惑うヴィンセント。
「エリザベートってバージンかなぁ?…レオンは?どう思う、忌憚の無い意見を、是非」
ずっこけながらも確かに全く外交と関係の無い質問でも無いと思った彼は、真面目に答える。
「……エリザベート様もレオン様もおそらくご経験は無いと思います。特に皇女殿下はほぼ間違い無く」
「すごいねヴィンセント。分かるんだ」
「はい、あのケツは……失礼、お身体のラインがまだ。それにミハイルと二人でのたたずまいに、そういった匂いが感じられませんでしたから」
「ふーん、勉強になるなぁ…。えーと、今の話はリサには…」
「………別段困りは、……いや…やっぱりご内密に」
「はーい。さて、ひとっ風呂浴びようかなっと」
鼻歌混じりに浴室に向かう若き主君の後ろ姿を見つめ、(まるっきり中年親父だ…)と思うヴィンセントであった。
浴室でのんびりと湯に浸かりながら、アルフリートは様々に考えを巡らしていた。先程中断されたラングに対する疑念は、可能性の低い推理だろうと思い直していた。
ハウザーが数十年来の忠臣であるラングを信用していた事は、彼がアルフリートとの密談の内容を知っていた事から間違い無いだろうと思われたし、貴族とはいえ低い身分のラングを取り立てたのもハウザーだろう。侍従長と言えど大国プロタリアのそれは他国の同役とは比べ物にならぬ職権があり、彼が仕えた年月を考えれば、宰相に近い地位と言っても過言では無かった。ラングが皇帝を弑する動機が希薄であり、仮に事実だとしても、かなり危ない橋を渡る事になるとアルフリートは考えていた。
エリザベートとラングの間に密約が交わされていたとか、突飛な空想だが知られざる血縁関係があるとか、疑い出せば切りが無かったが、アルフリートはこれ以上他国のお家騒動に首を突っ込むのはやめようと決めていた。他所者のレイナード以外には、プロタリア宮廷で真相を知っている人物はおそらくラング一人となった今、真実を全て知る事など不可能だとも思っていた。明日にでもレイナードに裏を取ろうと考えてはいたが、ラングはハウザー以上の高齢であるから、ひどい話だが傀儡政権になったとしてもそう長く続く訳では無く、グスタフは事が有ろうと無かろうと、全軍の実権を握っているのに違いは無かった。
先程のグスタフへの警告も、彼は幾分迷ってからの発言だった。ラングが死んでくれた方がプロタリアの国力は幾らか弱まり、トランセリアとしては好都合なのだが、そこ迄するのも気が引けた。お家騒動が続いて大陸が不安定な状況に陥る事態も避けたかったし、ミハイルとオリヴィアの自害でもう十分だろうと考えていた。
(俺って甘いなぁ…)と、自嘲気味に思いながら、長湯をしてしまっている事に気付き、時代物のバスタブから上がった。用意されてあったこれまた豪華なローブを羽織り、脱衣室に出ようとしてはたと足を止める。着替えを持って待っているのは、おそらくセラとシンシアであろう事に思い当たったのだ。普段の王宮で彼の世話をするのは年老いた男性の侍従であり、若い女性である二人に着替えを手伝ってもらうのはさすがに恥ずかしかった。アルフリートは他国の王族と違い、少年の頃は普通の庶民と同じ暮らしをしており、着替えなどももちろん全て自分でやっていた。彼はおずおずと浴室から声を掛ける。
「えーと、セラとシンシアかい?着替えはそこに置いといていいから」
しばらくの沈黙の後、シンシアの声が小さく返って来る。
「かしこまりました。……お一人でお出来になりますでしょうか?」
「……出来るから」
「それでは失礼致します」
ドアから首だけ出して二人が居ないのを確認したアルフリートは、そそくさと服を身に着けながら思う。
(俺……どういう風に思われてんだろう……)
赤い顔で出て来た国王をセラとシンシアの二人が捕まえ、濡れた髪の毛を楽しそうに拭いている。明日の打ち合わせをしていたメレディスとヴィンセントがその光景に笑いを堪える。アルフリートは照れ臭そうに言う。
「…も、もういいから」
「いけません、お風邪を召してしまいます」
「お身体はちゃんとお拭きになられましたか?」
同世代の女性に子供のように扱われ、彼は仏頂面をしながらも、皆が随分とリラックス出来ている事に安堵していた。




