2 神殿の不穏な気配
ずかずかとリンとガイの卓へやって来たカトリーナは、当然のように空いている席へ腰を下ろした。
すらりとした脚を組み、肩肘をつく。その動作ひとつで、周囲の空気がわずかに張り詰める。
――そして。
何の前触れもなく、リンのジョッキに手を伸ばし、そのまま一気に飲み干した。
「……はぁーっ」
満足げな吐息がこぼれる。
「自分で頼めよ!!」
あまりにも自然な強奪に、リンが即座に噛みつく。
だがカトリーナは、犬が吠えている程度にしか思っていないらしい。
空になったジョッキをそのままアリーへ差し出す。
「これ、もうひとつ頂戴」
「俺の分も頼めよ! アリー、それ二つ!」
騒がしさが倍増した卓に、アリーが肩をすくめながら注文を書き付ける。
「なに? 今日、やけに景気いいじゃん。臨時ボーナスでも出た?」
料理に手を伸ばしながら、カトリーナがちらりと二人を見る。
「あるわけねぇだろ、そんなもん」
「削られる一方の人生だよ」
景気の悪い返答に、カトリーナは一瞬だけ目を丸くした。
それから、ふっと笑う。
「それにしちゃ、リッチに見えるけど?」
「レオンがさ、なんでも飲み食いしていいって」
――その瞬間。
カトリーナの目の色が変わった。
獲物を見つけた肉食獣のように、すっと細められる。
「……レオンが、そう言ったの?」
「……あ、ああ?」
空気が変わる。
リンとガイがわずかに身を引いた。
「……なんか、あったの?」
ガイが恐る恐る口を開く。
カトリーナは大きくため息をついた。
「はぁ……。だからあんた達は、まだヒヨコなのよ」
「は?」
「『なんでもいい』を、そのまま受け取るバカがどこにいるの」
言いながら、ちらりとアリーとベスを見る。
二人は、いつもの三日月のような目で黙っていた。
「アリー、ベス」
カトリーナがにやりと笑う。
「レオンのキープしてるボトル、上から順に持ってきて」
「さすが!」
「分かってるぅ!」
女三人の温度が、一瞬で揃った。
リンとガイがぽかんとする。
「『なんでも』でしょ?」
その一言で理解が追いついた。
「……あ」
「……ああ!」
次の瞬間、二人は勢いよく身を乗り出した。
「それはアリだろ!!」
「天才じゃん!!」
「今さら気づいたの?」
呆れたように肩をすくめながら、アリーとベスが次々とボトルを並べていく。
見たことはあるが、手は出せなかった酒ばかりだ。
「経験の差って、こういうところに出るのよねぇ」
「リンちゃんガイちゃん、伸びしろしかないわよ」
ありがたいのかどうか分からない助言は、歓声にかき消された。
――そしてしばらく後。
ひとしきり騒ぎ、酒も回り、ようやく一息ついた頃。
リンが思い出したようにカトリーナを見る。
「そういや、お前、今日『祈りの日』じゃなかったのか?」
「そうだよね。なんでここにいんの?」
機嫌のよくなったカトリーナが、リンの鼻をつまんだ。
「年上に向かって『お前』って言うなー」
「……っぐ。離せ」
嫌そうに振り払うリンを見て、カトリーナは顔をしかめた。
「神殿で、ヤなもん見ちゃってさー」
軽い口調のわりに、ほんの少し困惑が混じっている。
「さっき『聞いて』って言ってたやつ?」
ガイはさりげなく、カトリーナのグラスを水に差し替えた。
――絡み酒の気配を感じ取ったためである。
カトリーナはそれに気づきつつも、特に何も言わなかった。
「ねぇ、あんた達。『祈りの日』って何か分かってる?」
「神殿で祈る日だろ。おま……カトリーナみたいな治癒魔法持ちが」
「怪我を治してくれる人たちが『聖女』って呼ばれてるやつだよね」
「カトリーナは違うけど」と言いかけて、ガイは飲み込んだ。だが、顔には出ていたらしい。
「出てるわよ」
ぺしん、と額を弾かれ、ガイが小さくうめく。
「でも、まあ間違ってない」
カトリーナはグラスを軽く回した。
「ただし、本質は別。あれは――」
少しだけ、声の調子が変わる。
「ただのパフォーマンスよ。神殿のためのね」
場の空気が、ほんのわずかに沈んだ。
リンとガイは思わず顔を見合わせる。
「らしくねぇじゃん?」
リンが口の端で笑う。
――軽口で流すには、少しだけ重い。
そんな小さな違和感だけが残った。




