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甘露の革命 ―泥に堕ちた聖パティシエは、光の結晶で世界を溶かす―  作者: 時空院 閃


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第1話:泥の中の結晶

いつも本作をお読みいただき、あるいは新しく見つけていただきありがとうございます!


プロローグでは、すべてを失い泥の中に落ちた主人公の絶望を描きました。

続くこの第1話では、いよいよ転生から7年後、彼が「パティシエとしての牙」を剥く瞬間が訪れます。


この異世界において、特権階級の貴族たちが「家が三軒買える」と自慢し、平民に見せびらかす至高の甘味。

それは、前世で世界の頂点に立った主人公・ルカから見れば、酸化した獣の脂と泥が混ざった、ただの「不純物のゴミ」でしかありませんでした。


「こんな不純物だらけのゴミを『宝石』と呼んでありがたがっているのか」


その残酷なほどの食文化の遅れを前に、静かに、しかし激しく発火した天才職人のプライド。

彼が反撃のために手に取ったのは、魔法の杖でも伝説の素材でもありません。家畜すら見向きもしない「その辺の雑草」と、ただの「かまどの灰」です。


絶望的な環境の中、温度計すら使わず、水面の対流と気泡だけで温度を1度単位で見極め、極限のシロップを精製していく異常なまでの執念。

暗い土間で産声を上げる琥珀色の「甘美な兵器」が、どのようにこの腐った世界の価値観を叩き壊す第一歩となるのか。


最底辺の泥の中から始まる、最強のパティシエによる痛快なカウンターの幕開けです。

それでは、第1話『泥の中の結晶』、どうぞごゆっくりお楽しみください!

転生してから七年の歳月が流れた。

ルカという名を与えられた彼は、今、冷たく湿った泥土の上に膝をつき、無心で「草むしり」の労働を強いられていた。


細く痩せこけた腕。あばらが浮き出るほど薄い胸板。

この村の農民にとって、飢餓は日常の一部だった。主食は、挽きぐるみの粗悪な麦に木の実の粉を混ぜて焼いた、石のように硬い黒パンのみ。たまに口にできるスープも、出汁という概念が存在せず、ただ塩と野草を煮込んだだけの泥水のような代物だ。

ルカの視界の隅には、彼自身の前世の経験則が作り出した超感覚――『マイスター・ヴィジョン』の青白い文字が、無機質に点滅している。


【対象:飲料水 / 衛生状態:危険(大腸菌群多数検出)】

【対象:土壌 / 栄養素:極低(窒素・リン酸不足)】

【ルカの肉体 / 栄養状態:慢性的な糖質およびタンパク質欠乏】


(……毎日毎日、よくもまあこんな汚染物質と粗大ゴミみたいな飯で生き長らえているものだ)


ルカは内心で毒づきながら、引き抜いた雑草を籠に放り込んだ。

前世で、グラム単位の栄養素と、徹底した殺菌・温度管理に囲まれて生きてきたパティシエの彼にとって、この世界は呼吸をするだけで蕁麻疹が出そうなほどの「不衛生の極み」だった。


その時、静まり返っていた村の広場がにわかに騒がしくなった。

乾いた蹄の音が響き、立派な馬に乗った数人の男たちが現れる。領主の館からやってきた徴税官の一行だ。

村の大人たちは怯えた顔で一斉に地面に這いつくばり、ルカもまた、父ジャックのゴツゴツした手によって強制的に泥の中へ頭を押し付けられた。


「ふん。相変わらず豚小屋のように臭い村だ。今年の小麦の納品量はどうなっている? 貴族様たちの晩餐を彩るには、到底足りていないぞ」


丸々と太った徴税官が、馬上から村人たちを睥睨しながら鼻を鳴らす。

彼は退屈そうに懐から小さな木箱を取り出すと、中から黒褐色をした「親指大の塊」をつまみ出し、口に放り込んだ。

ガリッ、と鈍い音が響く。徴税官がそれを咀嚼した瞬間、風に乗って微かな香りがルカの鼻腔を撫でた。


(……なんだ、この酷い匂いは)


ルカの眉間が深く寄る。

村人たちが「あれはなんだろう」と物欲しそうに息を呑む中、徴税官は下卑た笑いを浮かべた。


「お前らのような泥まみれの農民は一生拝むこともないだろうがな。これは南方から輸入された『黒糖塊』を、宮廷の料理人が香辛料で固めた至高の甘味だ。一口で、お前らの家が三軒は買える代物よ」


そう言うと、徴税官は「不味い所を噛んだ」とばかりに顔をしかめ、食べかけのその塊 をペッと地面に吐き捨てた。

泥の中に転がった「家三軒分」の至高の甘味。

理性を失いかけた数人の村人がそれに飛びつこうとしたが、鞭で打たれて悲鳴を上げた。


騒ぎをよそに、泥に顔を押し付けられたままのルカは、至近距離に転がってきたその「黒糖塊」を冷徹な目で見つめていた。

彼の脳内で、ヴィジョンによる猛烈な成分解析が走る。


【対象:粗悪な糖蜜固形物】

【精製度:12%(灰分、植物繊維、泥などの不純物が多数混入)】

【結合剤:劣化した動物性油脂(酸化率:極めて高い)】


(……これが、至高の甘味? 冗談じゃない)


ルカは吐き気を覚えた。

単にサトウキビのような植物の絞り汁を、灰汁あく抜きも濾過もせずにただ高温で煮詰め、水分を飛ばしただけの「泥の塊」だ。焦げによる炭化の強烈な苦味と、植物特有の青臭さ。さらに最悪なのは、それを固めるために使われている獣の脂が完全に酸化し、腐敗臭を放っていることだ。

その悪臭を誤魔化すために粗悪な香辛料を混ぜ込んでいるせいで、味のバランス(アロマ・プロファイル)は完全に崩壊している。


(精製という概念がないのか。こんな不純物だらけのゴミを『宝石』と呼んでありがたがっているのか、この世界の上層部は)


プロの菓子職人としてのプライドが、静かに、しかし激しく発火した。

彼らが頂点だと思い上がっている「甘み」のレベルが知れた。魔法が存在しようが、貴族が偉ぶっていようが関係ない。こと「食」において、この世界の文明は赤子以下だ。


(教えてやる。本当の『甘美』が、どれほど残酷に人の脳を支配し、価値観をぶち壊すものなのかを)


ルカは視線を移し、先ほど自分が引き抜いていた雑草の山を見た。

家畜すら苦がって食べない、この地方特有の『カイル草』。彼の名の由来にもなったとされる、太く無骨な根を持つ植物だ。

だが、ルカのヴィジョンは、その根の奥底に眠る成分を見抜いていた。


【対象:カイル草の根 / 主成分:イヌリン(多糖類)、フルクトース(果糖)含有率高】


(サトウダイコンの親戚みたいなものだ。適切な温度で熱分解すれば、強烈な甘みを引き出せる)


その日の深夜。

家族が寝静まった土間で、七歳のルカは一人、暗いかまどの前に座っていた。

手元には、昼間にこっそり隠し持ってきた大量のカイル草の根。それを、川の水で何度も煮沸消毒した石で徹底的に叩き潰し、繊維から汁を絞り出していく。

得られたのは、泥水のように濁った、青臭い褐色の液体だ。


(ここからがパティシエの仕事だ)


ルカは、貴重な薪を慎重にくべ、土鍋に入れたその液体を加熱し始めた。

温度計はない。だが、彼の目は液面の対流と、鍋肌から立ち上る気泡のサイズだけで、現在の温度を1度単位で見極めることができる。


【鍋底温度:75℃ / 酵素の失活を確認】


沸騰させれば不快なエグみが出る。ギリギリの温度帯を保ちながら、ルカは用意していた「白い粉」を鍋に投入した。

それは、竈の灰を水に溶かし、上澄みだけを掬い取って乾燥させた「アルカリ剤(炭酸カリウム)」だ。


(ペーハー(pH)を中性に傾け、不純物を凝固させる)


化学反応は裏切らない。

アルカリが投入された瞬間、濁っていた液体の中でペクチンやタンパク質などの不純物が黒いアクとなって分離し、水面に浮かび上がってきた。ルカはそれを、木ベラで執拗に、一ミリの妥協も許さずに取り除き続ける。


最後に、ルカ自身の古着の裾から切り取り、三度煮沸消毒した麻布を使って、その液体を濾過した。

土鍋の底に落ちていく雫は、もはや濁った泥水ではなかった。


「……よし」


濾過された透明な液体を、今度は水分を飛ばすために静かに煮詰めていく。

焦がせば、あの徴税官が食べていた「ゴミ」と同じになる。ルカは全神経を指先と視覚に集中させ、火から遠ざけたり近づけたりを繰り返しながら、限界まで水分を蒸発させた。


数時間後。

夜明け前の薄暗い土間で、ルカは完成した「それ」を見つめていた。


ひび割れた粗末な土器の底に張り付いているのは、黄金色に透き通った、極めて純度の高いシロップだった。

遠心分離機がないため純白の結晶(グラニュー糖)にまでは至っていないが、不純物を完全に取り除いたその琥珀色の液体は、暗闇の中でも微かな光を反射して輝いている。


ルカは震える指先で、そのシロップを一滴すくい取り、自らの舌に乗せた。


――ガツン、と。

脳髄を直接殴りつけるような、圧倒的で純粋な「甘み」。

焦げ味も、泥の臭みも、獣脂の腐敗臭もない。ただ果糖の鋭い甘さだけが、計算し尽くされたクリアな輪郭を持って口の中に広がっていく。前世の記憶と寸分違わぬ、完璧に精製された糖の味だった。


「……勝った」


ルカは誰に聞かれるでもなく、小さく呟いた。

この一滴のシロップは、単なるお菓子ではない。この世界の王侯貴族が食べている泥のような黒糖塊を、一瞬で過去の遺物へと葬り去る破壊力を持った「兵器」だ。


まだ七歳の、貧農の少年の手の中にある琥珀色の雫。

それは、身分も権力もすべてを狂わせ、この不平等な階級社会を下からドロドロに溶かしていく、甘美な革命の産声だった。


第1話『泥の中の結晶』を最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!


貴族や徴税官たちが「至高の甘味」と崇めるものは、前世で世界の頂点を極めたルカから見れば、酸化した獣脂と泥が混ざったただの「ゴミ(不純物)」でした。

そんな絶望的な食文化の遅れに対し、魔法のステータスに頼るのではなく、あくまで「パティシエとしての圧倒的な知識と技術」でカウンターを叩き込む。それがルカの戦い方です。


温度計もない暗い土間で、気泡と対流だけを頼りに温度を管理し、家畜すら見向きもしない雑草から極上のシロップを抽出する。泥に塗れた最底辺の村で、ついにルカによる「甘美な革命」の産声が上がりました。


さて、無事に最高純度のシロップを精製したルカですが、悲しいかな、今の彼は重い石も運べない7歳の子供です。この奇跡を独り占めするには、この世界はあまりにも残酷すぎました。


次回、第2話『琥珀色の禁忌と、父の祈り』へ続きます!


深夜、ルカはこの「琥珀色の禁忌」を、飢えに苦しむ家族の口へ運びます。前世では孤独な職人だった彼が、今世では家族を「相棒」として巻き込み、ついに秘密の工房を立ち上げる熱い展開をお届けします。


もし、今回のエピソードで「ざまぁへの伏線にワクワクした!」「お菓子作りのこだわりが面白い!」と少しでも思っていただけましたら、ぜひページ下部より以下の応援をお願いいたします!


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それでは、次回の更新もどうぞお楽しみに!

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