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甘露の革命 ―泥に堕ちた聖パティシエは、光の結晶で世界を溶かす―  作者: 時空院 閃


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第10話:泥の盟約と、分け合われる琥珀の奇跡

いつも『甘露の革命』をお読みいただき、本当にありがとうございます!


前回の第9話では、激しい雨が降る深夜の納屋で、大の大人二人が七歳のルカの指示のもと、汗だくで生地を捏ね上げました。そしてついに、鉄のオーブンの中で村を支配するための『最強の香りの兵器』――琥珀のカンパーニュが産声を上げました。


本日更新の第10話では、いよいよ夜が明け、雨上がりの泥の村に「かつて誰も嗅いだことのない、圧倒的な幸福の匂い」が解き放たれます。


匂いに引き寄せられ、ジャックの家の前にぞろぞろと集まってくる村人たち。飢えと寒さで理性を失いかけた彼らの手には、錆びた鎌や泥だらけのくわが固く握りしめられていました。


暴徒と化す一歩手前。一触即発の空気が張り詰める中、ついに納屋の重い扉がギィと開きます。

極限状態の村人たちの前に姿を現したのは、武器を持ったジャックではなく――。


ルカの仕掛けた「香りの兵器」は、飢えた村人たちに何をもたらすのか。泥の村が初めて共有する『琥珀の奇跡』の瞬間を、どうぞ最後までお楽しみください!

夜明け。冷たい雨が上がった泥の村を、かつて誰も嗅いだことのない「圧倒的な幸福の匂い」が覆い尽くしていた。


ジャックの家の納屋の前に、ぞろぞろと人影が集まってくる。

落ち窪んだ眼窩に、血走った瞳。雨上がりの寒さに震える彼らの手には、錆びた鎌や、泥だらけのくわが固く握られていた。飢えと寒さで理性を失いかけた、暴徒の一歩手前の村人たちである。


「……ジャックの家からだ。間違いない」

「麦を焼く匂いだ。こんなに甘くて、香ばしい匂い……今まで嗅いだことがねえ」


一触即発の空気が張り詰める中、ギィ、と納屋の重い扉が開いた。


村人たちが身構えたその時、現れたのは武器を持ったジャックではない。

大きな木の板を抱えた巨漢のバルカスだった。板の上には、十字の切れ込みから純白の生地を覗かせた、巨大な琥珀色のカンパーニュが山のように積まれている。


「……っ!」

村人たちの喉が、一斉にゴクリと鳴った。途端に殺気立ち、前に出ようとする男たち。

だが、バルカスの後ろからスッと姿を現した小さな影が、彼らの足を縫い留めた。


「おはよう、みんな。朝早くからごめんね」


七歳のルカだった。

彼は怯えることも、見下すこともなく、ただ近所の子供が挨拶をするような穏やかな声で言った。


「これは、僕と父さんと、バルカスおじさんで焼いたパンだよ。……みんなの分も、ちゃんとあるから」


ルカがコクリと頷くと、ジャックとバルカスが木の板を広場の中央に置き、大きなパンを手でちぎり始めた。

バリッ、と硬い皮が割れる小気味よい音が響き、閉じ込められていた熱い湯気と、小麦の暴力的なまでの甘い香りが弾け飛ぶ。


「並んでくれ。押し合わなくても、全員分ある」


バルカスが、一番前にいた老婆の震える両手に、ふかふかのパンの欠片を乗せた。

老婆は信じられないものを見る目でその欠片を見つめ、祈るように口へ運ぶ。


「…………あぁ」


老婆の口から、声にならない吐息が漏れた。

外側の皮は香ばしく噛み応えがあり、中の生地は驚くほどしっとりとして甘い。噛みしめるたびに、絶望で干からびていた胃袋の底に、温かい「命の火」が灯っていくのが分かった。


「……う、美味え……っ。なんだこれ、美味えよぉ……!」


パンを受け取った者から順に、泥の上にへたり込み、ボロボロと涙をこぼし始めた。

握りしめていた鎌や鍬が、次々と泥濘でいでいの中へ落ちていく。奪うために来たはずの彼らの心は、ただ一口の温かいパンによって、一瞬にして溶かされてしまった。


広場が、パンを噛みしめる音と、静かな嗚咽に包まれる。

ルカは、その光景を真っ直ぐに見つめ、静かに、だが村の全員に届く声で話し始めた。


「みんなに、お願いがあるんだ」


顔を上げた村人たちの目に、もはや敵意は微塵もなかった。そこにあるのは、この奇跡を与えてくれた幼い少年への、純粋な畏敬と感謝だけだ。


「このパンの粉は、遠くの街の貴族様が、僕のお菓子と引き換えにくれたものなんだ。……でも、もし外の怖い役人や兵隊が、この村にこんなに美味しいパンがあるって知ったら、どうなると思う?」


「……奪われる」

口の周りにパン屑をつけた若い農夫が、青ざめた顔で呟いた。

「俺たちの分も、ジャックの家にある粉も……全部、奴らに持っていかれちまう」


「うん」

ルカは小さく頷いた。

「僕は、父さんや母さん、エマと、ずっとこの村で笑って暮らしたい。だから……みんなで『秘密』にしてくれないかな。外の人が来たら、ここはただの貧しい泥の村のフリをして。その代わり……」


ルカは、優しく微笑んだ。


「僕が毎日、みんなのお腹がいっぱいになるまで、最高に美味しいパンとお菓子を焼くから」


それは支配の言葉ではなかった。

家族を守りたいという少年の切実な願いと、村全体を「一つの大きな食卓」として迎え入れる、優しい盟約の提案だった。


「……決まってんだろうが」

先ほどルカの家を襲おうとしていた男が、泥だらけの手で顔を覆いながら叫んだ。

「誰が……誰が、お前らを売るもんか! このパンを奪おうとする奴がいたら、俺が鍬で頭をカチ割ってやる!」


「そうだ! 余所者なんか、村に一歩も入れさせるか!」

「ルカ、お前はうちの宝だ。村の全員で、絶対にお前たちを守り抜いてみせる!」


怒号のような歓声が、夜明けの空に響き渡る。

彼らはもう、飢えた哀れな農民ではない。ルカという小さな天才と、この温かい食卓を命懸けで守り抜く、強固な「共犯者かぞく」へと生まれ変わったのだ。


少し離れた納屋の入り口で、その光景を無言で見つめていたヴィクトリアは、小さく息を吐き出した。


(……なんて恐ろしい子。金や力ではなく、『優しさ』と『美味』で、人間の魂の根源を縛り上げてしまった……)


権力者の汚い欲望にまみれた帝都に嫌気がさしていた彼女の胸の奥で、かつて失ったはずの熱い感情が蘇ってくるのが分かった。


(……いいわ。この小さな王様が作る『お菓子の国』を、私のすべてを懸けて、外の毒から守り抜いてみせる)


泥だらけの広場の中央で、ルカは村の子供たちに囲まれて笑っていた。


この日、世界で最もみすぼらしい泥の村は、世界で最も幸福で、誰にも侵すことのできない「絶対の聖域」へと、その第一歩を踏み出したのだった。


第10話を最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!


一触即発、暴動寸前だった泥の村の大人たちが、たった一口の温かいパンによって武装解除され、ボロボロと涙を流してへたり込む……。ルカが仕掛けた『甘露の革命』が、ついに村全体を包み込んだ瞬間でした。

飢えと寒さに震えていた彼らにとって、あの琥珀色のカンパーニュはまさに命を繋ぐ奇跡。圧倒的な「美味しさ」は、時にどんな武器よりも強い力を持つというパティシエ・ルカの真骨頂をお見せできたかと思います。


さて、極上のパンを分け合い、村が一つにまとまって大団円……といきたいところですが、ルカの戦いはここからが本番です。

次回の第11話では、ヴィクトリアから提供された最高級の「白麦」が早くも底を突き始めるという、現実的な危機に直面します。

「他人の供給に依存していては、本当の独立は得られない。この最悪な泥の土地で、主食を自給しなければ」

そう決意したルカが一人で向かった先は、村人すら近づかない危険な『底なしの毒沼』でした。果たして、パティシエの超感覚マイスター・ヴィジョンは、あの泥濘の中からどんな「黄金の原石」を見つけ出すのでしょうか!?


「村人たちの反応に感動した!」「毒沼から何が見つかるのか気になる!」と思っていただけましたら、ぜひページ下部から【ブックマークの追加】と、【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけますと大変嬉しいです!皆様の温かい応援が、毎日の執筆とルカの次なるレシピ開発の最大のエネルギーになります!


それでは、次回の更新もどうぞお楽しみに!

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