番外編 イグニとの出会いⅢ
ある日。日課になりつつあるように、イグニと話すために人気のない孤児院の裏庭に向かった。
いつもの場所。誰にも来ない、ひっそりとした一角。
『なあなあ、今度はもっと遠くまで行こうぜ。 もっと大きな獲物、仕留めてやるぞ』
「うーん……。森の奥には魔物がいるから禁止されてるんだよね」
いつも通りの調子で話しかけてくるイグニ。だけど。
『そうかぁ。魔物はちょっとおっかないな。あっ、ちょっとだけだぞ!……あれ?』
ふいにその声が途切れた。視線の先を追って、わたしも足を止める。
そこにいたのは、地面に横たわる小鳥だった。
「……」
わたしは屈んで、その小鳥に手を伸ばす。
羽は濡れて体は冷えきり、ぴくりとも動かない。目を閉じたまま、小さな胸はほとんど上下していなかった。
『そ、そいつ……大丈夫なのか?』
肩にいたファイが、不安そうにわたしの耳元でささやく。
「うーん……正直、厳しいかもしれない」
わたしは小鳥を両手でそっと包み込んだ。温めてあげたくて、強く握るのではなく、ふわりと空気ごと包むようにやさしく。
手のなかの小さな体は、本当に冷たくて。
こんな時に聖魔法が使えたら、この子を助けることが出来るのに。
聖魔法。通常の魔法とは異なり、聖なる力を借りて行使する特別な魔法。教会に仕える、ごく一部の人しか扱えないと聞いた。
残念ながら、わたしには使えない。使えるのは、ファイの力を借りた火の魔法だけだ。
「……わたしに、聖魔法が使えたらな」
そう呟いた、そのときだった。
『いいよー』
『力を貸してあげる』
風の音のような、小さな声が耳元ではなく、もっと深い場所から聞こえた。
すると、わたしの手のひらがほのかに光を帯び始めた。金でも白でもない、けれど不思議とあたたかくて優しい色だった。
手の中の小鳥が、かすかに震える。
そして、静かに目を開き、羽をばたつかせ――まるで何事もなかったかのように、空へと飛び立っていった。
「へ?」
ぽかんと口を開けたまま、わたしは空を見上げる。
「何が起きたの? どうして、怪我が――」
『お前、聖魔法使えたんだな!』
肩の上で、ファイが弾んだ声を上げる。
「え、わたし、聖魔法なんて……今まで一度も使えたことないのに」
『そりゃあ、前までは魔力が足りなかったんだろ。でもさっきは、他の妖精たちがお前に魔力を分けたから、使えるようになったんだよ!』
胸の奥がじんわりと熱を帯びた。まさか、わたしにそんな力があったなんて。
戸惑いと、じわじわと込み上げてくる喜び。その両方にわたしは翻弄されていた。
「ええー!? どうしよう……すごい、すごい!」
その一部始終を、誰かが見ていた。
ふと、背後にひやりとした感覚が走る。はっとして振り返ると、庭の塀の向こうに、見慣れない衣をまとった数人の大人たちが立っていた。
そのうちの一人、神官らしき初老の男性が一歩前に出て、静かに言葉を告げる。
「――女神の御使いが啓示を伝えました。聖女が生まれたと。そして聖女は……あなたですね」
わたしは呆然とその言葉を聞いていた。
何を言っているのか、理解が追いつかない。けれど、いつの間にか集まっていた孤児院の先生たちは、そろって目を見開き、誰ひとりとして否定しなかった。
あとで聞かされた話によれば、彼らは女神の啓示に導かれてこの孤児院を訪れ、聖女の兆しを探していたという。
そして、偶然――本当に偶然、わたしが癒しの奇跡を起こした瞬間に立ち会った、というわけらしい。
当然のように、拒否権なんてなかった。
気づけば半ば強引に馬車へと乗せられ、あれよあれよという間に連れ出される。揺れる車内で、ようやく現実がじわじわと追いついてきた。
ええ、わたしどうなっちゃうの……!?
不安が胸を締め付ける。
やがてたどり着いた教会は、わたしの想像よりずっと大きくて、ずっと静かだった。
ひんやりとした静寂が肌にまとわりつき、無意識に背筋が伸びる。石の床に足音が吸い込まれていくたび、心臓の鼓動がやけに大きく感じられた。
神官に導かれ、長い回廊を進んでいく。
扉の前で神官が足を止めた。
「こちらです。女神像の御前へ」
重たそうな扉がゆっくりと開くと、その向こうには広い空間が広がっていた。
静まりかえったその部屋の中央に、荘厳な雰囲気を纏った女神像がひっそりと佇んでいる。
白い大理石で作られたその像は、両手を胸の前でそっと重ね、静かに目を閉じている。
顔立ちはどこか柔らかく、あたたかく、でも決して人間とは思えない神秘的な美しさがあった。
ステンドグラスを通して差し込む光が、像の背後に淡い虹色を描いている。
それがまるで、女神がわたしを見つめているかのように感じられて、思わず息を呑んだ。
「――この像が、女神さま」
この世界を創ったとされる一神。
そっと、心の中でつぶやいた。
どうしてだろう。
ただの彫像のはずなのに、胸の奥が、なぜか強く揺さぶられる。
足音も立てぬよう、そっと一歩ずつ前に進む。
わたしの心臓は、まるで鼓のように高鳴っていた。静けさが深い分、その音さえもこの祈りの間に響いている気がした。
女神像の前に立つと、神官が一礼して、わたしを一人残して静かに後ろへ下がった。
空間には、わたしと女神像だけが取り残される。
どうすればいいのかもわからず、ただ膝を折って祈る真似をする。
――そのときだった。
空気が、震えた。
風は吹いていないのに、衣の裾がふわりと持ち上がる。
周囲に満ちていた静寂が、何かに染まるように変化した。
そして、光。
像の背後から射す光が、徐々にその輝きを増していき、まばゆい金色の波となってこの場を包んだ。目を開けていられないほどの光なのに、なぜか――こわくは、なかった。
むしろ、懐かしいような。
ずっと昔、夢の中で何度も会ったことがあるような、不思議な感覚。
『……ようやく。ようやく、会えましたね』
声ではない“響き”が、頭の中に直接届いた。
優しくて、あたたかくて、それでいて抗いがたい力を持った声。
『あなたの中にある光は、まだ小さいけれど……確かに尊い光。
どうか、その手で――世界に優しさを灯してください』
その声を聞いた瞬間、心の奥がふるえた。
胸の奥にしまっていた何かが、とくん、と音を立てる。
その声に、涙が出そうになる。
なぜか、すごく大切なことを思い出しそうな気がして――けれど、思い出せない。
そして、最後にもう一言。
『おかえりなさい、―――』
え?
……おかえり、って。どういう意味?
あなたに初めて会ったはずなのに。なのに、どうして心が震えるの――?
問いかけても、声はもう返ってこなかった。
静寂のなかで、わたしだけが立ち尽くしている。
けれど――
「ご覧ください、光が……間違いありません!」
「女神の祝福だ!」
扉の向こうに控えていた神官たちのざわめきが聞こえる。
その歓声が、神殿全体に広がり、どんどん大きくなっていく。
わたしが何もわからず戸惑っている間にも、まるで祭礼が始まったかのように周囲は沸き立っていった。
口々に「聖女の誕生だ」「神の奇跡だ」と興奮気味に叫び、誰かは走って鐘を鳴らしに行った。
光は静かに降り注ぎ続け、神殿中の空気が、厳かで祝福に満ちたものへと変わっていく。
そして、鐘の音が響いた。
高らかに、遠くまで鳴り響く、祝福の音。
“聖女の誕生”を告げるように。
そしてアメリアは聖女に認定され、本編へと続きます――。
いつか2章も書いてみたいなと思いつつ、ひとまず番外編はここで一区切りです。ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました!
もし2章を書くことがあれば、この世界の秘密に触れつつ、アメリアと妖精たちの冒険を描いていきたいですね。
新作の連作『運命の番は祝福か?呪いか?』『わたしを狂わせる、運命の番なんて要らない』も良かったら、是非。
また、拙作『悪役令嬢のダイエット革命~〜前世の知識で健康美を手に入れてざまぁします!~』が書籍化いたしました。発売日は5月1日になります。下記にリンクを掲載しておりますので、ご興味がございましたらぜひご覧いただけますと幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします!





