七夕篇
風も吹かない中、七夕の笹がザワザワと揺れ動いた。
俺が真っ暗な部屋で待っていると、咲愛が灯りをつけて入ってきた。彼女の驚きは瞬時に怒りに変わった。
「ひとの部屋に勝手に入って、なんのつもり?」と尋問口調になる。
悲鳴を上げて騒ぐような女ではない。その点はありがたい。
「ああ、急ぎだったんで窓から入った。それより、今、下でホームパーティーやってただろ?七夕の」
「関係ないでしょ」と咲愛は眉をひそめた。「まさか彦星気取り?」
確かに、俺は鬼祓いを生業とする“土牛童子”一族の端くれだ。だが、俺の牛鬼は、彦星が世話しているとかいうヤワな家畜と全く違う。油断すれば俺がやられかねないし、現に何人もの童子の魂を食ってきた。
「見ての通り、俺は俺だ。牛飼いのコスプレに見えるか?それより、そいつを見せてくれ」
咲愛が大事そうに胸に抱えているのは、本物の笹を植え付け、切り花で彩ったフラワーアレンジメントだった。笹には、色とりどりの小さな短冊が吊るされている。
要するに、手の込んだ七夕の笹のミニチュアだ。
「友達にもらったのよ。変なものじゃないわ」咲愛は俺の目の前にフラワーアレンジメントの鉢を置くと、鏡台に向かい、アクセサリーを外した。
さっきまで2階に聞こえた華やいだ声と物音で大体把握済みだ。
女友達が十人弱。今年も七夕パーティーで咲愛の屋敷に集まった。
殆どは中学校の同級生だ。咲愛は私立の女子中学校から、都立の進学校に進んだ。
高校でも人気者だが、中学校当時のグループとも引き続きつるんでいる。
生活レベルの違いに気を使わなくていいからだろう。
「一番仲良しの短冊を一つだけ外してくれ。大事だと思う一つだけを選べ」と俺は指示した。
咲愛は俺の表情を読み取ると、言われたとおりにした。
残った短冊の中から、目についた一つを指先で摘んだ。
ピンクの短冊に“いつまでもずっと親友!”と書いてある。
「その子も仲良しよ」
「そうか」俺は短冊に息を吹きかけ、偽装を祓った。
びっしり細かく書かれた大量の文字が現れた。
“許せない許せない裕也がまだ咲愛のこと好きなんて許せない咲愛は裕也とLINEで連絡してるもうやめてやめてクソ許せない咲愛を許せない許さない顔に傷がつきますように火傷しますように病気になりますように事故にあいますように死にますようにクソ咲愛死ね死ね死ね死ね死…”
俺は鉢全体の偽装を祓った。
風も吹かない中、笹がザワザワと揺れ動いた。
嫉妬と悪意が沸き立ち、呪詛と呪詛が絡み合う。
「ははっ!こりゃひでーな。邪鬼が嗅ぎつけるはずだ」と俺は感心した。「七夕のお願いってのは、こんなものかね?」
咲愛は静かに座った。
“一番の親友”の短冊を握りしめている。
「これ、何て書いてる?」語尾が震えた。
「そいつは自分で直接聞いてくれ。親友なんだろ?」と俺は答える。「ケーキ食ってお茶をすすって、世間話もいいが、たまにはぶつかれよ」
俺は咲愛に顔を近づけせせら笑った。
拳が飛んできた。俺は頬で受けた。
このストレートが打てるなら大丈夫だろう。俺は「うん」と頷いた。上気した咲愛の顔が少し眩しい。
地の底をかきまわすような咆哮が聞こえてきた。これは、俺と咲愛にしか聞こえない。
牛鬼を召喚したのだ。
「行くの?」
「ああ。こいつはもらっていく。邪鬼がすぐそこまで来てるから、こいつでおびき寄せる。いいな?」
俺は鉢を抱えて窓から飛び出した。咲愛が窓に飛びつき何か叫んでいるが、地鳴りがうるさくて聞こえない。
牛鬼の背中に飛びつき駆け上がった。
邪鬼との闘いが迫り、俺も俺の牛鬼も荒ぶっている。