春の嵐と恋の風㉑
「ヒロミ先生が本当はお爺ちゃんじゃないって知って、私、最初はすっごく驚きました!」
「学校で変化の術を習ったりもしたでしょう?」
休み明けの次の日。
カヤノの言葉を聞きながら、クスクスと笑いながら答えてくれたのは、職場で同じ受付と時に書類整理や会計の計算をヘルプしている先輩現人神の女性だ。
彼女は既婚者でカヤノより30年程年上だったが、見た目には20代前半くらいにしか見えず、優しいお姉さんだった。
統括センター内では、元来の姿で過ごしている者がほとんどで、人間さながらに制服などを着用してはいるが、様々な髪や目の色をした者が多い。
しかし、彼女は元の色も黒髪黒目らしく、現人神にしては、この国の人間らしい容姿をしていた。
奇抜な髪の色合いの者が多い現人神社会だが、こうした大和皇国伝来の色の髪も多く、そうした現人神は外国籍からこの国に移籍した神ではなく、元からこの国にいた古い神の血筋や化身が多かった。
カヤノもこの国伝来の神の遺伝子が、先祖返りで現れたタイプなのだが、髪色は黒くなかった…。
農耕系の神の血は、黒髪が少ないのかもしれないが、枯れた植物のような白っぽい黄土色は、自分では好きではなく、どうせなら彼女のような黒髪黒目に憧れていた。
現人神の黒髪は艶やかで、それはそれは美しいし、黒曜石のような瞳はキラキラと神秘的で、シルヴァスとは違った意味で優し気だ。
しっとりとした雰囲気に清楚で磨かき抜かれたような鋭さがあるのに、大人しく主張しない美は、妙に迫力があって神々しさを感じる。
黒とはそういう色なのだ…。
カヤノは己の茶色の瞳も好きではなかった。
他の神々と比べて地味に見えるその瞳は、両親の仕事の都合で、海外で生まれたカヤノが、そのまま海外の小学校に人間として通っていた頃、少年達に
『何だ?お前…大和皇国出身のクセしてウ〇コ色の目をしてるんだな!』
とからかわれたのだ…。
外国では、人間でも金髪や赤毛のような毛色や青やグレーの瞳をした者も多い為、カヤノの両親も特にカヤノの容姿を大和皇国仕様に変える必要はないと考え、本来持って生まれた姿のまま、生活させていたのだ。
しかし、向こうの子供は大和皇国出身のカヤノに対して、この国の子供達以上に個人の持つ色に敏感に反応を示した。
両親と外国暮らしをしている間、カヤノは両親にその事を打ち明けることができず…大人しかった事もあり、最後まで向こうの男子達から『ウ〇コ色の目に枯れた麦色の頭』『汚ねぇ!』とからかわれ、すっかり自分の持つ色に自信を失くしてしまっていたのである。
…考えて見れば、自分は、こう言った経緯もあり、その当時から男性が苦手だったのだと思う。
異国の男子生徒から囃したてられるのが嫌で、大和皇国に帰国できる日は、もしかしたら、学校が変われば囃したてられる事もなくなると思い、嬉しくて眠れなかったものだ。
しかし、悲しい事に、その嬉しい筈の帰国の途中で、両親はマッド・チルドレンが起こした船の事故により、人間達を救う為に命を落としてしまった。
カヤノは海外で生まれた為、大和皇国の現人神社会にまだ認知されておらず、帰国後、現人神統括センターで戸籍登録をする予定だった。
戸籍登録は統括センターまで行かねばならず、海外赴任の長かった両親ような夫婦から生まれた子供は、生まれてすぐではなく、帰国後にセンターで現人神社会の戸籍をもらう場合が多かった。
マッド・チルドレンはその事を知っていたようで、現人神社会に認知されていない為、足がつかないのを良い事に、カヤノを船の事故のどさくさに紛れて攫ったのである。
その後は、トラウマになるような出来事の数々を経験させられ…今に至る。
カヤノは思った。
トラウマ克服が進んだ所で、自分は結婚や恋愛などに、積極的に活動できないかもしれない。
それならば、無理に恋愛をするよりも早めに統括センターに申し出て、強制婚姻の相手を用意してもらった方がいいのかもしれない。
孤児院施設に引きとられたばかりの時は、そんなのは嫌だと思い、シルヴァスが自分を引き取ってくれると知って、心の底から歓喜したが…今はそのシルヴァスにさえ、拒否されるほど自分に魅力がない事を知ってしまった。
現人神の社会では女性が不足しており、いつまでも若い保護者が養い子を娶るというのは、少しもおかしくない話だ。
シルヴァスが引き取ってくれた段階で、少しは自分の事を気に入ってくれているかもしれないと、淡い期待を抱いていたが、そんなのは自分の告白をうやむやにされた事で思い上がりだったのだと気付く。
シルヴァスは、純粋に可哀想な孤児に同情をして引き取ってくれただけなのだ…。
そんな優しいシルヴァスにさえ、振られてしまったカヤノは、自分から恋愛相手を探すような気持ちにはなれなかったし、勇気ももう残ってはいない。
少しずつ癒え始めていたカヤノの心は、最近、頻繁に思い出す度重なる不運の記憶とシルヴァスへの失恋で疲弊していた。
できるだけトラウマを克服したら、卒業後、すぐにでも現人神社会で自立して、誰か万が一、自分をもらってくれるという相手がいれば、喜んでその手を取ろう。
アブラゼミのような平凡な自分を求めてくれる優しい現人神がいれば、きっとその人が自分の運命の相手なのだと思わなければならない。
ワガママは言ってはいけないのだ。
きっとそれが、私にとっての幸せだ。
カヤノは唇を噛みしめた…。
その瞬間、自分を呼ぶ声が薄っすらと聞こえてきて、カヤノは目を覚ましたようにハッとした。
「…ちゃん、カヤノちゃん、どうしたの?」
カヤノはすっかり自分の世界に入ってしまっていた事に気付き、ふと顔を上げると、一緒にお昼の休憩に入っていた先輩現人神が、心配そうにカヤノの顔を覗き込んで話し掛けていた。
「ス、スミマセン、先輩!ボサッとしてしまって…。あっ、変身術でしたっけ?学校でもやりましたよ。でも、普段は人間の前に出る時に黒髪黒目に変えるくらいしか使っていなかったので…。」
慌てて先程話していた会話の続きを思い出し、カヤノは先輩に返答をする。
今日の昼は、彼女と二人で統括センター内のイタリアンの店を利用していた。
イタリアン料理というのは、地球が半壊するほどの太古の昔…海の下に沈んでしまった当時、西洋だった国の料理の一つで、その後、地殻変動でできた…今は東洋の国にあるイッツァリの国に似ている事がわかっており、その国の料理を現在ではイツァリアン料理と呼んでいる。
ちなみにイツァリアンには、パスタやピザなどと言った料理があり、チーズをふんだんに使っているのが特徴だ。
カヤノは、先輩に声を掛けられた事で、取り乱しているのを落ち着かせようと、テーブルの上の水を飲んで、二人で一緒に食べようとオーダーしたシーフードピザにかぶりついた。
ピザを咀嚼し始めると、少し冷静さが取り戻されて、カヤノはモグモグと口を動かしながらも、再び先輩現人神に話し掛ける。
「ヒロミ先生みたいに、姿をまるっきり老人に変えちゃうような変化は、学校の授業で練習の為に同級生になって以来、一度もやった事もなかったし、身近でも見た事がなかったから驚いたんです。」
カヤノの言葉に、先輩現人神は、自身もピザをつまんで頷いた。
「まあ、そうよね。普段は任務でもない限り、あまり姿を変えたりはしないもの。特に職場が統括センターだと人間とは近所付き合いと買い物時くらいしか触れ合わないから、髪の色を変えるのだって、目立ちすぎる色でなければ、外国とのハーフで通しちゃう人が多いみたいよ?」
「そうなんですか。そう考えると、先輩は色を変えないで済むし、ハーフだって偽る必要もないし、羨ましいです。私、黒髪黒目に憧れていたんですよ。」
「あら…そうなの?私は、あなたの茶色い目やサラサラで糸のような穏やかな色の髪も素敵だと思うけど?」
「そんな、先輩…気を使って下さなくてもいいんですよ?私の色なんて…地味で…汚い色合いなんですから。」
「まあ…そんな事を言ってはダメよ!私は気を使っていないし、本当にそう思ったから言ったのよ?それに、そんな事を言ったらあなたのご両親が可哀想よ…。」
「先輩…私の両親は二人とも黒髪黒目だったんです…。」
カヤノは少し視線を視線を下に向けて言った。
先輩現人神は少し驚いて、カヤノに問い返す。
「あら…では、あなたはどなたか別の親族に似たのね?」
「はい、私…先祖返りみたいで。両親は戦闘系現人神だったのに…私は農耕系の神力しか持っていなくて。力が現れたのは両親の死後だったけど…もし、私の神力を知ったら親はガッカリしたかもしれません。」
「そんな事あるわけないじゃない。先祖返りなら、むしろ喜ばれるかもしれないわよ?農耕系って、豊穣の神の系統よね。大和皇国は農耕民族の国だもの…とても重要な神の血統だわ。もしくは癒し系ね。」
「でも、私、人間の血が濃いのか…能力の目覚めるのも遅くて…人間の中でも鈍くさかったんです。一生懸命、頑張って何をやっても遅くて…人並みにやるのが精一杯で…両親は何事もそつなく熟す人達だったのに。」
「自分を悪く言いすぎよ。ご両親は、あなたにその事で辛く当たったりしたの?」
カヤノは少し荒げた声を出す先輩現人神に首を振って見せた。
受付業務の先輩は、その事で少しホッとしたような顔をした。
カヤノは、両親の事で誤解がないように付け加えて言う。
「いいえ、両親は私を可愛がってくれました。」
目を閉じると、今でも両親の懐かしい姿が思い出され、自分にかけてくれた言葉が聞こえてくるようだ。
『カヤノは大人しいけれど優しい子だね…本当の強さというのは、相手の事を思いやれる優しさに比例するんだよ。』という父の声。
『成長がゆっくりでも当然よ。カヤノは小さなお花のような神様の血を引いたんだもの。植物はね…時間をかけて花を咲かせて実を付けるの。でも、その過程は野菜のようにお腹を満たしてくれるだけではなくて、見る者の心も癒してくれる。』という母の声。
そして、両親は揃って言った。
『だから、慌てずにゆっくりと成長して、いつまでも私達の心を癒しておくれ。ゆっくりでいい。カヤノは、いつだって私達の最愛の娘だよ!』
カヤノは、両親にそう言ってもらっていた事を先輩現人神に告げた。
すると彼女は嬉しそうにカヤノに言う。
「それなら、ご両親が言った通り、あなたは人を癒す能力があるんだわ!事実、私もあなたといるとホッとするのよ。自分達と違う能力が開花したのを見たら、きっとご両親は喜んでいた筈よ!」
彼女の言葉にカヤノは、小さな笑顔を見せた。
ほんの少しだけ、彼女の言葉に昔の両親の姿が思い出され、心の中が満たされたような気がしたのだ。
自分は過去、愛されていたのだと…。
同時にその事は今の自分を思い出させた。
シルヴァスに拒絶された自分だ。
「きっと、両親ほど私の事を愛してくれる人は、この先、一生、現れないと思います…。」
カヤノがボソリと口から出した言葉に、先輩現人神の女性は冗談だと思ったようで、少し吹き出した。
「プッ!それは大丈夫よ。ほぼ毎日、必要以上にあなたの事を大好きな人が現れているじゃない…。」
カヤノは彼女の言葉に首を傾げた。
誰の事を言っているのか、わからないといったようなカヤノの様子に一層、おかしそうにする先輩をカヤノは不思議に思う。
「ええと…それは誰でしょう?」
「わからないの⁉あなた、結構、隙が多いから、色んな男神から狙われていると思うわよ?」
「まさか…。私のような地味で平凡な子は、もらってくれる人がいれば、ありがたいと思っているんです。そうであれば、感謝をしなければなりません。」
「本気で言ってるの?カヤノちゃん…それは自分を過小評価しすぎているわねぇ。あなたは派手過ぎない所が良いのよ?可愛い顔もしてるし、大人しい子が好きな現人神の男には堪らないと思うわ…。」
『主にうちのヒロミ先生とかね…』と受付の先輩現人神は心中、思う。
上司の趣味は、長年一緒にいる職場の者達には暗黙の了解である。
因幡大巳は、キャピキャピしてる女子よりも、カヤノくらい大人しい子が好きなのだ。
何でも、高くて大きな女性の声を聞くと…頭が痛くなるらしい。
あえて言うならば、しっとりした美人なら確実に好みのど真ん中だろう。
カヤノは、どちらかというと美人というよりも可愛いタイプだが、それでも十分、上司の好みのゾーンに入っているのは、傍から見ていて丸わかりだ。
「とにかく…あなたは充分、魅力があるんだから、気を付けなきゃダメよ?できるだけ、男性と二人きりになっちゃダメ!!」
「心配してくれるのは嬉しいですけど、現人神の女性なら私より可愛いくて綺麗な人の方が多いですよね?先輩も含めて…。」
カヤノの納得しきれていないような視線に、一抹の不安を抱きながら、先輩と呼ばれる女性現人神はもう一言だけ、カヤノに注意を促した。
「いい?カヤノちゃん…上司だからってヒロミ先生の事、特に信頼しすぎちゃダメだからね?彼は独身現人神で花嫁募集中なの…何かあったら、すぐに私達に相談してちょうだい。」
「ヒロミ先生ですか?ハイ…ありがとうございます?」
理由はよく理解できないが、先輩の真面目な表情と溢れる親切心のオーラを感じて、カヤノは首を縦に振る。
それから、二人は他愛もない世間話をして、食事を終えると仕事場に戻って行った。
☆ ☆ ☆
そんな事があった数日後。
どういうわけか、頻繁にやって来ていたシルヴァスが、先々週辺りから、ぱったりと姿を見せなくなった…。
『きっと仕事が忙しいんだろう』
と、カヤノは思っていたが、そんな日が続くと『ヒロミ先生』のカヤノへの声掛けが、なぜか以前より増してきているのに気付く。
ちょっとした受付への確認も、全てカヤノを名指しで指名してくるし、仕事終了後も妙に絡んできて、誘われる事が多いのだ。
幸い、サルマンの家で世話になっていて、夕食の時間があるからと断ってはいるが、卒業後もこのまま、ここに就職しないかと執拗に迫られてもいる。
正式な就職先は、担任や就職課のカムイに相談してから決めたいと思っていたので、カヤノはその都度、そう伝えていたが、上司である因幡大巳は…とても、しつこかった。
昼も当然のように、因幡大巳がカヤノと一緒に食事に出ようとするが、受付の現人神女性を初めとする先輩の誰かが必ず一緒に付き添ってくれて、カヤノと上司を二人きりにはしないように計らってくれていた。
カヤノは男性が苦手だから、先輩達が気遣ってくれているのだと思い、素直に感謝していたが因幡大巳の方は誘っておいて、あまり機嫌が良くなかった…。
そんな昼食の最中に医師である上司が、カヤノにまた誘いをかける。
「センターからの依頼で、今度の休みに冥界に行って、忘れ草と腐草を採取しなければならないんだけど手伝ってくれませんか?薬の原料なんです。一人だと、たくさん摘めないし、持ち帰るのも大変なんですよ。」
カヤノは先輩女性現人神の顔をチラリと窺った。
こういう場合、どういった返事をするべきかわからず、先輩に無言の助けを求めたのだ。
すると女性は、心得たように、カヤノの代わりに口を開く。
「それでは、カヤノさんだけではなく、私も一緒に行きますよ。彼女は、先生のような男性が苦手だし…手伝いの人数は、多い方が早く終わるでしょう?」
「そう?そうしてくれると助かります…全く、君は気が利くよね。それでカヤノちゃんの方はどうでしょうか?」
カヤノは、職場で食べていたサンドウィッチを片手に、しばし考えた。
冥界なら、ハルリンドが住んでいる。
シルヴァスの片思いの相手だが、彼女はカヤノをマッド・チルドレン達から助け出してくれた恩人の一人でもあり、その後も姉のように自分を気に掛けてくれた。
これを機に会いに行けば、一石二鳥なのではないか…と、カヤノは頭を働かせる。
カヤノはこの数年、彼女に会えていなかった事を少し気にしていたのだ。
シルヴァスに引き取られてから、ハルリンドが彼の思い人だったいう事を知り、あまり自分の方から彼女に会いに行きたいとは、気兼ねで言えなかった。
シルヴァス自身も用がなければ、極力、冥界には行かないようにしていたのを、カヤノは薄々、感じていた。
…なので、数年ぶりにハルリンドに会える機会ができるのなら、『正直、嬉しい!』
そう思い至ると、カヤノは因幡大巳に目を合わせて頷いて見せる。
「わかりました。先輩もついて来て下さるのなら、大丈夫だと思います。あの…その代わり、冥界の知り合いの家に、少しだけ寄っても良いでしょうか?」
「勿論、構いませんよ!!」
カヤノの言葉に因幡大巳は、満面の笑みを浮かべた。
その横で先輩現人神が何となく腑に落ちないような…医師を怪しむような目を向けていた。
カヤノはその事には気付かず、久しぶりの冥界入りで、ほんの少しでもハルリンドに会えればいいなと、ワクワクした気持ちでいた。
さあ、そんな折…シルヴァスは、一体、どうしているのだろうか?
アクセスありがとうございます!
次回の投稿は、明日…できれば0時を目指して頑張ります。




