春の嵐と恋の風⑲
シルヴァス視点。
出張や書類仕事が溜まっていて、時間を取れない日もあるが…この所は、順調にカヤノの顔を見に行く事に成功している。
カヤノの職場の先輩である女性現人神達は揃って既婚者で、僕がカヤノを大事にしているのが伝わっているのか好意的だ。
自分は、人好きされる容姿で良かったと、こんな時は本当にそう思う…。
約一人、勘違いしている雇い主の女好き医師が奥にはいるが、彼は患者を診ているので、受付の方まで出てくる事は、ほぼ皆無だ。
この前、たまたま一度、患者の薬の再確認に受付に出て来た事もあったが、自分と目が合ってもカヤノの保護者だとしか思っていない因幡大巳は、逆にシルヴァスの機嫌を取るように笑顔を向けてくるのである。
「やあ、シルヴァス君…こんにちは!今日は、先祖返りの現人神児童が、親に人間の精神科医師に診察を受けさせられた件で誤診の報告書を持って来てくれたんだよね?悪いね、君は孤児の担当なのに!」
「いや、カヤノちゃんがこちらで働かせてもらっているので様子も見に来れるし…僕は自由が利く職種なんで…元々、暇な時は隣の課の仕事も請け負ってやる事もあったんですよ。」
「そうなんだ。さすが、カヤノちゃんの義理パパ!働き者だねぇ。良ければ、セルフで悪いけど、お茶でも飲んでってね!」
「…どうも。」
義理パパって…。
まあ、数年間は面倒を看てはいるが…法律上、独身者は義父にしてもらえないって…知らないのかね。
保護者の許可は下りるのに…変なシステムだが…まあ、因幡医師は児童関連の専門ではないからなぁ。
自分が孤児を引き取ろうと思わなければ、そういう法律を知ろうとはしないんだろうな。
完全にカヤノの父親扱いで接してくる、色気づいた年上の医師に乾いた視線を送り、シルヴァスは軽く会釈して、素っ気ない態度を取った。
久しぶりに見た医師は、元々、自分が見知っていた姿に戻っていた…。
カヤノがアルバイトに通い始めた最初の3か月間は、老人の姿で接していたのに…最近、すっかりカミングアウトをして30代前半くらいの姿に戻った因幡医師は、カヤノに身構えられないよう、今も優し気な男を装っているようだ。
シルヴァスは、足しげくカヤノの職場に通い、カヤノ本人から因幡医師の話を聞いて、彼が実にうまい事、肉食系を隠し、優しくて女性に同情されるような弱い男を装っているのかをシルヴァスは知っていた。
カヤノは、初めて因幡医師が、本当は老人ではなかったという事実を知った日に驚いていたが…それよりも、若い男性の姿になった医師が、普通の初対面の男性と比べて、怖く感じられなかったと喜んでいた。
しかも、今まで姿を偽ってくれていた効果かもしれないと、医師に感謝の念まで示していた。
だが、シルヴァスは前に自分の前で駄々洩れた因幡大巳の心の声を聞いているので、カヤノが彼に感謝を示す姿に顔を引きつらせてしまった。
因幡大巳は、草食系現人神に見えるが、バリバリの肉食系である。
職場が既婚者ばかりとはいえ、女性ばかりなのも、医師が基本的に女性好きだからだ!
医師としては、それなりに優れているが、既婚になる前は、どのスタッフにも積極的に自分の嫁にならないかと、モーションを掛けていたというのも、因幡大巳を知る者の間では有名な話である。
結果、全スタッフの女性に振られても、私生活と仕事を混同させたりしない所はさすがで、因幡大巳の職場はアットホームなようだが、職場の外でも彼の花嫁探しは、今でも積極的に行われている。
古い神の系譜を引いているので、血統も良いし、一見すると、見た目も悪くないし、医者という職業上、優秀なのだから、ある程度はモテそうなものだが、随分前から結婚適齢期に差し掛かっているのにも拘わらず、いかんせん彼の求愛には女性現人神達が二の足を踏む。
なぜなら、彼は普段、人型をしているが蛇の姿にも転じる神で、性格も少し粘着質なのだ!
彼がそろそろ嫁が欲しいと思うのは自然な事だが、蛇系の神は、恋人関係になるとしつこいし執着も激しくて、マニアックな上に、実際、蛇の姿で交わられると性欲の方も半端ではなく、二日、三日は開放してもらえない…。
噂では、繋がりっぱなしで行為に及び続けるのだと聞くが…どう考えても、クレイジーだ!
そんな相手、余程、惚れでもしなければ、婚姻どころか恋人関係だって嫌に違いない!
というか、一度恋人関係になるとしつこい蛇系神は、絶対に相手を手放さないので…婚姻覚悟で付き合わなければならないのだ…というか、付き合ったら最後…結婚は決定事項になる。
そう考えたら、自分が女性の立場でも、恐ろしくて、お付き合いなどできる気がしない…。
(シルヴァスは風の精霊である特色から、噂話や情報ゲットが得意だった。)
こんなのに、現在、狙われているのかと思うと…カヤノ目当てのエセ患者の男ども以上に、シルヴァスは余計に彼女から目を離せなかった。
カヤノは、世間知らずな上に、自分が反省しなければならないほど、純粋に育ててしまったのだ!
今はまだ、男性が苦手なカヤノを考慮して、因幡大巳は目に見えたアピールをして来ないのだろう。
カヤノは、奴が自分に気があるとは気付いてもいない…。
だから、因幡大巳の正体をバラすのは、時期尚早である。
今の段階でシルヴァスが、因幡大巳の悪口をうっかり言おうものなら、『何事もないのに自分の上司を悪く言っている』とカヤノに捉えられかねないので、シルヴァスは相手がカヤノに何か仕掛けてこない限りは、静観して見守るだけにしたのだ。
だから、暇さえあれば、他の部署の用でも請け負って、カヤノの職場に顔を出すのは仕方がない事だった。
おまけにサルマンの事も気に食わないし…。
カヤノ達と喫茶店で会った後、カヤノの仕事場を訪れると…カヤノは早速、サルマンから新しい髪飾りを買ってもらっていたのだ!
サルマンの奴め…『こういう事はなしにしてくれ』と言ったのに!
シルヴァスは、カヤノの卒業後を考えると胃が痛くなる日が続いていた。
卒業後、サルマンが自分の元から、カヤノを連れ出すのではないかという不安が頭をよぎるのだ。
サルマンは、カヤノに自分の家に下宿しても良いなどと誘っていた…。
とんでもない!
アイツだって、教師のクセにカヤノを狙っているのかもしれない。
そう思うと、シルヴァスはこの所、一人で百面相を繰り広げてしまうのだった。
☆ ☆ ☆
シルヴァスと同僚で相棒でもあるクシティガルヴァスは、職場の隣りの席に座るシルヴァスの顔を気味の悪いものを見るような目で見ていた。
そして、ついに堪りかねて声を掛けた。
「おい、シルヴァス…お前、最近どうしちゃったの?とりあえず、その百面相はヤメテくれないかな?気味が悪くて仕事に集中できないんだよ。」
クシティガルヴァスの言葉にハッとしてシルヴァスは相手を見た。
相棒は眉を下げながら、ジトッとこちらを窺い見ている。
自分でも、通常の状態とは違い、百面相を繰り返していた自覚はあったので、それを誤魔化すようにシルヴァスは人好きする顔でヘラリと笑った。
「ごめん、ごめん。でも、そんなに気持ち悪かった?本当…クーガの物言いには毎度、傷つくな…。」
「隣に一人で変顔を連発している奴がいたら、誰でも気になって仕事が手につかなくだろーが。お前のせいで、俺はこの所、ずっと残業だ!書類整理や報告書が追いつかない…間に出張もあるのに。」
「変顔って…失礼な。これでも、昔から、女の子達には可愛い顔してるって言われてるんだけど⁈」
「女は、お前みたいな柔らかい顔が好きなんだろ?俺にとっちゃ、野郎の百面相なぞ赤ん坊時以来、興味ないわ!だが、見ちまう!!」
「フフン、結局は君も僕の魅力に抗えないのだろう?認めたまえ…クーガよ。」
「何言ってんだ?珍獣を見る感覚と同じだ!怖いもの見たさで、つい見ちまって…俺の仕事効率が恐ろしく、落ちている…。知らん顔してたが、もうこれ以上は無視できねぇ!何があったか教えろ。」
知らず知らずのうちに、己の顔がクシティガルヴァスに迷惑をかけていたようだが、自分を思い悩ませている案件をどの程度なら話しても良いか考えて、今一度、瞬時に脳内を整理をする。
動きを止めたシルヴァスに、素早く話す内容を考えあぐねていると見て取った相棒・クシティガルヴァスは、目を片方だけ細めて迫った。
「おい…この仕事で現世に体現する事になったお前の面倒を最初から見ているのは俺だよな?俺は、お前にとって、長い付き合いだ。今更、隠し事をする必要があるか?誰にも言わねぇから、全て話せ!」
鋭い相棒に隠し事はできないと諦めたのか、シルヴァスは眉を下げて小さく両手を上げた。
降参したような視線を向けて相棒を見ると、焦れたクシティガルヴァスは、話を聞く姿勢に入ったらしくシルヴァスに顔を近付ける為、こちらのデスクに身を少し縮めて寄って来た。
「わかったよ…君は、粗野な口の利き方をする割に鋭いよなぁ。でも、いくら至近距離に寄ってくれても、今は仕事中だし…ここではちょっとね。仕事終わりにメシでも食べながら話すのはどう?」
「よし…野郎と二人で夕食なんて、気分的にブルーになるから、どうせなら飲みに行こう。パピヨンは知り合いが多いし、ママも人間だから、俺の知ってる現人神のおでん屋に行くぞ。」
「現人神で…おでん屋をやってるのか?」
「世を忍ぶ仮の姿に決まっているだろう?奴は、人間の治安維持の為に見守り調査を兼ねて、マッド・チルドレンの末端情報を集めてる。定期的に職種を変えて、人間と関わる仕事をしながら、市場に潜伏してるんだ。」
「マッド・チルドレンか…あの大事件は、僕らに大きな衝撃を与えてくれたものな。規模が小さくなったとはいえ、残党がまだ、僕らより先にハグレやカクレ達を探しだして拘束しているかもしれない。」
「ああ、どこから嗅ぎつけるのか…人間社会には奴らの方が深く根を下ろしているから、俺らよりも情報が早い。最近は、人間の人身売買にも積極的に手を染めていると統括センターの刑事課は睨んでいる。」
「なるほど…おでん屋は刑事課の所属か…一々、職を変えて潜伏しているなんて大変だな。僕ら現人神がいる限り、マッド・チルドレンの存在は後を絶たないだろうし、奴らの犯罪とはイタチごっごか。」
「まあ、実際は人間籍に落ち着く善良な子孫達が大多数で、マッド・チルドレンに堕ちる者は極わずかだ。そのわずかな奴らが凶悪なのだが…また、大きな事件をやらかす前に、できるだけ最小限な人数にまで追い詰めて取り締まっていかねばならないな。」
「永遠に奴らの監視を続けなければならないね…全くどこで湧くかわからないから、目を光らす方も困難だ。そのおでん屋さんには頭が下がるよ。」
「うむ。ちなみにおでん屋は最近、この辺じゃ珍しい引き屋だ。味もなかなかなんだぞ?刑事課出身者は何をやっても有能だな。」
「へぇ、それは楽しみ…僕、引き屋台って初めてかも。じゃ、仕事帰りにね!」
そう言って、シルヴァスは座っていた座席を離れた。
「お、おい、急にどこへ行くんだ?シルヴァス⁉」
シルヴァスはデスクの横のフックにかけてあった手提げ袋に入っている書類を手に持つと、クシティガルヴァスに片目を瞑って、ヒラヒラと手を振った。
「医療部の一般診療地区だよ…クリニックが立ち並んでるとこ。総合病院の方から、一般の方に移動を希望している現人神患者のカルテを因幡医師の診療所に持って行くんだ。」
「えっ?それ、お前の仕事じゃないよな?何で…?」
「勿論。このカルテは、階下の部署で現人神管理部の移動仕分け担当・鏡さんから請け負ったんだ。僕、クーガと違って仕事が早いから…暇な分、余所の部署のお手伝いをして来るよ~。じゃ!」
「あっ!おい、待てよ⁈お前、暇ができても前は人の仕事なんて、気が向いた時に、たま~に請け負ってやるくらいしかなかったよな?あ…シルヴァス⁉こら、待てって⁉」
クシティガルヴァスが制止する声を聞かずに、シルヴァスは足早に児童専門の部署が集まるフロアーの部屋から出て行ってしまった。
最近、やけに他の課や部署からの手伝いを請け負ってくる有能な相棒に首を捻りながら、クシティガルヴァスは一人取り残されて呟いた。
「そういや…因幡医師って…精神科医師だっけ?」
シルヴァスは、この所やけに外出をして、他の部署の手伝いや昼を外で済ませてくる事が多い。
「まあ、隣りにいないでくれた方が、俺の書類整理がはかどるからいいんだけどな…。」
そう思いながらも、クシティガルヴァスは昨今のシルヴァスの行動を振り返りながら、疑問を抱いていた。
「仕事終わりに、おでん屋で色々聞くか…。」
次回、投稿は火曜日の予定です。




