後日談 好きだって伝えたの?
ブックマーク67件、最後まで外さずに読んでくださった方、本当に本当にありがとうございました!
「マイラ! 服を着なさいと、何回言わせれば気が済むのですかっ」
クスタビ村のキクレー邸に、そんな声が響き渡る。
娘であるマイラは現在十歳。そろそろ乳房が艶かしく育ってくる頃であるというのに、まったく気にした様子もなく平気で裸のまま屋敷を歩き回っている。
「えー、だって、お母さんも裸で歩いてるしー」
「なに言ってるの、 私はバスタオルを巻いてるよっ」
「いいから二人共、服を着なさいっ! 誰か来たらどうするんですか!」
「お父さんが出てくれてる間に、服着るもーん」
「そういう問題では……っ」
マイラはセヴェリの説教が始まると思ったのか、トテテテーッと走って逃げてしまった。
「ルーフェイに嫌われても知りませんよっ」
セヴェリは娘の背中にそう叫ぶが、マイラは少しギクッとしながらもそのまま自室に入っていく。その次に向けられた視線は、残念ながらサビーナだった。
「あなたもいつまでそんな格好でいるんです。おかげでマイラもすっかり裸族になってしまって……」
「え、私のせいですか!?」
「あなた以外の、誰のせいだというんですか」
「で、でも今日は少し暑いですし」
「恥じらいのあった結婚当初のあなたが懐かしいですよ、まったく……」
呆れ顔でそう言われ、サビーナは身を縮め込ませる。恥じらいは今でも一応あるつもりだ。それよりもさらに裸の欲求が強いだけで。
そんなサビーナの姿を見て、もう一人の子どもがサビーナの足元にやってきた。
「お母様、いつまでもそんな格好でいて、お父様に嫌われても知らないよ」
「ええ!! 私、セヴェリに嫌われちゃうの!?」
七歳になる息子アイルにそう言われて、サビーナは縋るような瞳でセヴェリを見上げる。するとやっぱり彼は呆れた顔をしたままこう言った。
「嫌いませんけどね……愛していますが、服は着なさい」
「うう」
「アイルはこんな風になってはいけませんよ」
「大丈夫だよ。僕はちゃんと服を着るもの」
そう言うアイルの深緑の髪を、セヴェリは優しく撫でる。息子の外見はサビーナに似ているが中身はセヴェリ似、対して娘の外見はセヴェリに似ているものの、性格はサビーナにそっくりである。
「今日はみんなで少し散歩をしますよ。服を着て、マイラも呼んできなさい」
「は、はい。わかりました」
そう言われてサビーナは仕方なく服を着る。
今日は日曜で、学校は休みの日。
セヴェリはまだ当主にはなっておらず、クスタビ村でずっと教師を続けている。
クスタビ村の人口は順調に増え続け、荒れた農地はなくなった。さらに政府と掛け合って村に学校を建設することができ、諸々の功績で国からクスタビ村が領地としてキクレーに与えられた。実質セヴェリが村を統治している状況である。
なんだかんだと忙しくしているが、教師を辞めるつもりはないようだ。
出掛ける準備が整うと、家族四人で小さな教会に向かった。これも新しく作られた建物で、セヴェリとサビーナはほぼ毎日この教会に通っている。
この手で殺してしまった者達のことを、一生忘れぬためだ。なんの償いにもなってはいない、ただの自己満足。それでも、愛する者達を手放してアンゼルードに罪を償いに行く覚悟ができない今、こうすることしかできなかった。
結婚後、自分は幸せになってもいいのかと悩み苦しみ、その答えは未だ出せないでいる。
恐らく、答えが出ることはないのだろう。一生この気持ちを抱えて生きていくことが、己に課せられた業なのだから。
「……行きましょうか」
長い祈りを捧げていたら、セヴェリに促された。サビーナはコクリと頷いて、子ども達と一緒に外に出る。
「お父様、今からどこに行くの?」
「昔住んでいた家の近くですよ」
そう言って着いた先は、一本のオレンジの木が植わっている場所だった。
オレンジとは言いながら、なっている実はセヴェリやマイラの髪のように、光るような薄い黄色だ。
「そろそろ、食べられそうですよ」
「わーい、食べるーっ」
「僕もーっ」
サビーナが喜ぶよりも子ども達が大喜びして、ピョンピョンとジャンプしている。
そんな子供達にセヴェリはひとつずつ、実を渡してあげていた。
「サビーナも、どうぞ」
そうして渡された、太陽を反射して光るアデラオレンジ。
久々に見るその実に、サビーナは思わず笑みがこぼれる。
「こうしてアデラオレンジを取ってくださるのは、二度目ですね」
「これからは、毎年あなたのために取ってあげられますよ」
セヴェリの微笑みを受け、サビーナはアデラオレンジを剥いて口にほおばった。
十三年ぶりのアデラオレンジは、当時の懐かしい味と香りを運んでくれて、口の中で広がる。
幸せというのはこの味のことなのかもしれないと、サビーナはふと思った。
「おいしーっ」
「お父さん、おかわりー!」
「ええ? もう食べたんですか?」
騒ぐ子ども達を前に、その幸せを噛み締める。
セヴェリがいて、マイラがいて、アイルがいて。
今まで幸せを感じるたびに罪悪感に襲われてきたが、こんな時くらいは浸ってもいいのかもしれない。
アデラオレンジを口にすると、不思議とそんな風に考えられた。
家族を思う気持ちを罪悪感に変換させていては、アデラが悲しむことだろう。彼の母親が、こんな時くらいは幸せに浸っていいのだと言ってくれている気がする。
そんな気持ちにさせてくれたアデラオレンジに、サビーナは笑みを向けた。
「ありがとうございます、アデラ様……」
オレンジにお礼を言う姿が可笑しかったのか、娘と息子に大きな声で笑われてしまった。
綺麗に実のなったアデラオレンジをいくつかもぎ取ると、今度は以前住んでいた家に向かう。
元のサーフィトの家だが、今そこにはケーウィン夫妻が住んでいる。扉をノックすると、ピンクブロンドの可愛らしい奥さんが顔を出した。
「こんにちは、ミアナ。ケーウィンはいますか?」
「あ、セヴェリ先生! いますよ、どうぞ入ってください」
「ありがとう、お邪魔しますよ」
全員でわらわらと家に入ると、ケーウィンは読んでいた新聞を下ろして顔を見せてくれた。
「ケーウィンせんせーい」
「ケーウィン先生!」
「おっとっ」
アイルとマイラが飛びつくようにケーウィンに駆け寄って体当たりする。それをケーウィンは嬉しそうにドシッと捕まえた。
「マイラ、アイル、いらっしゃい。今日はどうしたんだ? セヴェリ先生にサビーナさんまで」
「アデラオレンジがなったので、お裾分けに来ただけですよ」
「へぇ、珍しい色だな。ありがとう、いただきます」
ケーウィンは物珍しそうにオレンジを見て、にっこりと笑ってくれた。
彼はブロッカの大学を卒業後、この村に戻ってきて、教師となった。今は小学校の教師をしていて、マイラとアイルも彼のことが大好きだ。
セヴェリは高校の教師だが、学舎は同じ所を使っているので、二人は同僚という間柄である。
「先生、ナナちゃんは?」
「ナナなら、ルーフェイのところに遊びに行ったよ」
「え! ルーフェイのところに!? 私も行っていい? お父さん!」
ケーウィンの娘のナナがルーフェイのところに遊びに行っていると知って、マイラはセヴェリの腕を引っ張り始めた。
「ジェレイのところにも行くつもりでしたから、行きましょうか」
「やったー!」
飛び跳ねる娘を横目に、「騒がしくてごめんね」とミアナに告げ、「またいつでも来てください」と見送られる。こういう会話をしていると、母親になったということを改めて実感したりするから不思議だ。
「ルーフェイ!」
ジェレイ家の前に来ると、今年十三歳になるルーフェイが、七歳のナナを遊ばせている。
「あ、マイラ」
「マイラちゃんーっ」
「私も入れてー! ナナちゃん、一緒に遊ぼっ」
「うんっ! 一緒に遊ぼー!」
ルーフェイとナナに混じるマイラを、アイルはじっと見ている。それに気付いたルーフェイが、目を細めて手を差し出してくれた。
「アイルもおいで。一緒に遊ぼう」
「う、うん……でも……」
アイルは少し引っ込み思案だ。大人相手だとしっかりしているのに、子ども同士だと逆に引いてしまう。子どもなのに、子ども特有のあのテンションが苦手らしい。
「女の子ばかりに囲まれてちゃ、俺も恥ずかしいしさ。アイルが来てくれたら、嬉しいな」
そんな言い方をされて、アイルの表情はパッと明るくなる。
「じゃあ僕が行ってあげるよ」
「うん、ありがとう」
アイルは嬉しそうにトテテテーッとルーフェイのところに行き、一緒に遊び始めた。
ルーフェイに子ども達を任せて家の中に入ると、中にはドデンとラーシェが椅子に座っている。
「あら、いらっしゃい。セヴェリさんにサビーナ」
「おー、どうした? なんか美味そうなもん持ってるじゃねーか!」
ラーシェはだるそうに、ジェレイは嬉しそうに声をあげている。そして遠慮もなくセヴェリの持っているアデラオレンジを手に取り、「くれるんだろ?」と早速皮を剥き始めた。
「まったく、ジェレイさんにルーフェイくんの爪の垢を煎じて飲ませたい……どうやったらジェレイさんからあんないい子が生まれるんですか」
「おー、ルーフェイはいい子だろ? ってか俺もいい奴だっつーのッ」
笑いながら言っているところを見ると、本気で怒っているわけではないことはわかる。だからサビーナは今でもジェレイに軽口を叩けるのだが。
そのジェレイがオレンジを一房取ると、ラーシェの口の中に入れてあげていた。
「あら、美味しい……」
「どうだ、これなら食えそうか?」
「ええ、もう少しくれる?」
「ラーシェさん、食べれてないんですか?」
サビーナはラーシェの大きなお腹に目をやった。臨月はまだ先のはずなのに、お腹は驚くほど大きく膨れ上がっている。
「もう、胃が圧迫されちゃって、食べられなくって……吐き気もあるし、眠いし……もう早く生まれてきてほしいわ」
「ラーシェさん、確か出会った時も同じようなこと言ってましたよね」
当時を思い出してクスクスと笑うも、ラーシェはげっそりとしている。
「あの時はまだマシだったわ……おそらく、双子だろうってプリシラ先生が」
「え! 双子?! うわぁ、大変……」
はちきれんばかりのお腹は、見ているだけでしんどそうだ。一人でも大変なのだから、二人も身籠ればさらに倍……いや、それ以上なのかもしれない。
「なにか手伝えることがあれば、なんでも言ってくださいね!」
「まぁ大抵のことはジェレイやルーフェイがやってくれるし、保育施設も整ってるから生まれてからもやっていけるでしょ」
「保育は三歳児からですよ」
「ああ、そうだっけ……じゃあなにかあったら頼らせてもらうわ。お願いね、サビーナ」
「はい!」
ラーシェがずっと欲しがっていた保育施設は、学校よりずっと遅くにようやく実現した。今の受け入れは三歳児からだが、働く女性のために一歳児からの受け入れを検討しているところらしい。これも実現させるには色々と問題があるようで、まだまだ先の話になりそうではあったが。しかしセヴェリなら、なんだかんだ言いながら実現させてしまうのだろうとサビーナは思っている。
ジェレイ達と他愛ない話をした後、今度はプリシラのところへ向かった。子ども達はまだ遊びたいと言って聞かないので、ルーフェイにお願いすると快く引き受けてくれた。
セヴェリと二人で診療所に着くと、扉の向こう側から声が聞こえてくる。
「ほら、じーさん体弱ってんだからあんま無理すんなよ」
「じゃがのう」
「今回は傷浅くて済んだけど、次はどうなるかわかんないんだぜ。帰ったら寝てな。俺、送ってやろうか?」
「いやいや、そこまでさせるわけにはいかんよ。ほいだらありがとうなぁ、シェルト先生」
「ああ」
そんな声と同時に扉が開き、サビーナ達の隣を一人のお爺さんが通り過ぎて行く。それを見送るようにシェルトが中から顔を出した。
「お、来てたのか。どうしたんだよ、子どもの具合でも悪いのか?」
「違うよ。プリシラ先生にオレンジのお裾分け」
「って俺じゃねぇのかよ」
「もちろん、シェルトも食べていいよ」
そう言って一つ差し出すと、相変わらず気だるそうに息を吐いてからオレンジを受け取ってくれる。
出会った時はほとんど身長の変わらなかったシェルトだが、今や山を見上げるような背の高さだ。昔と変わらず痩せてはいるが、白衣を着こなしているせいか頼りない感じは受けない。
「プリシラ先生、サビーナとセヴェリが来てくれたぜー」
診療所に入ると、奥の部屋からプリシラが出てきた。
こちらも相変わらず眼鏡の似合う、素朴な顔立ちである。少し老けてはいるが、四十五歳になっているのだからそれも仕方のないことだろう。
ちなみにシェルトはサビーナと同い年なので、二十九歳だ。まだまだ男盛りと言った感じである。
「シェルトったら、ちゃんとセヴェリ様、サビーナ様って言わなきゃ駄目でしょう! この地域の領主様なのよ!」
「俺は関係ねーし」
「関係あるわよ! もう、申し訳ありません、セヴェリ様、サビーナ様」
そんな風に謝られて、サビーナは苦笑いを向ける。
「やめてください、プリシラ先生……私のこと『サビーナ様』なんて呼ぶの、プリシラ先生くらいですよ」
「貴族なんですから、この線引きはきちんとしておかないと。サビーナ様もキクレー家の方なんですからね」
プリシラも元メイドという立場だからか、その辺はきっちりしておかないと気が済まないらしい。
サビーナはセヴェリと結婚することでキクレーの名を名乗っているが、自分では貴族などとまったく思っていない。しかしサビーナも貴族の一員となったため、命を脅かされなくなったのは有難いことだ。
ふと見ると、セヴェリは苦笑いしながらオレンジを渡している。プリシラはとても喜んでくれて、四人は待合室の椅子に腰掛けた。今は他に患者もいないらしい。
「わざわざオレンジを届けてくださって、ありがとうございます」
「いえ、私達がプリシラに食べてもらいたかっただけなのですよ。それより、なんだかガランとしていますが、もしかして……」
セヴェリの言葉に、プリシラはコクリと首肯している。なんだろうと首を傾げていると、目の前のシェルトの顔が険しくなった。
「私、この村から出て行くことに決めたんです」
「……ああ、やはりそうだったんですか」
プリシラの発言にも、セヴェリの対応にも耳を疑う。ずっと色々と世話になっていたプリシラが村から出て行く。雷に打たれたかのような衝撃ニュースだ。
「っえ、プリシラ先生、出ていっちゃうんですか!? どうして……っ」
「今すぐじゃないわよ。ラーシェさんの出産まではいるつもり。でもその後は、やっぱり自分の夢を叶え続けたくて」
「夢……」
プリシラの夢というと、無医村を回ることだった。そしてそこで緊急時に対応できる人材の育成を行うのである。
ここではすでに何人かの育成は終わっている上に、ブロッカの街から別の医師が一人呼び寄せられていた。確かにプリシラがいつまでもここにいる意味はないかもしれない。
「シェルトの進学問題もあったし、ここではすっかり長居しちゃって。私自身、クスタビ村を離れるのは寂しいんですけど……それでも医師を必要としている村は、ごまんとありますから」
寂し気な笑顔ながらも、闘志を燃やすかのようなその姿勢。
誰が見ても、止めるのは不可能だと感じるだろう。サビーナも例外なくそう思った。
「シェルトは、どうするの?」
「俺も先生についてく」
「もう、あなたはまたそんなこと言って!」
飄々と言ってのけたシェルトに、プリシラは眉を寄せている。
「せっかく念願の医師になったんだから、私と一緒に来る意味はないでしょう? シェルトは優秀なんだから、ブロッカの街で最先端の医療に携わっていた方が、あなたのためなのよ!」
「嫌だね」
「我儘言わないで、そうしなさい」
「嫌だ」
子どものように駄々を捏ねるシェルトに、プリシラは大きな息を吐く。
「ずっとこの調子なんです。サビーナ様、なにか言ってやってください」
「えっ。んじゃあ……ちょっと来て、シェルト」
「なんだよ」
嫌がるシェルトをちょいちょいと呼び寄せ、家の外に出た。サビーナは中の二人が会話を始めたことを確認してから、山のようなシェルトを見上げる。
「シェルト、プリシラさんとはどうなってるの?」
「……なんもなってねーよ」
「今もまだ、プリシラさんが好きなの?」
「悪い?」
「いや、悪くはないけど……」
これだけ長く好きでいて、どうしてなにもなってないのだろうか。あまりに脈なしだったということなら、プリシラから離れるというこの機会は、利用した方がいいかもしれない。
「プリシラ先生、多分すごくシェルトのことを心配してるんだと思うよ。せっかく医師の資格があるんだから、なにもない村々を回るよりは、ブロッカで幸せになってほしいんだと思う」
「先生のいないとこで、幸せになれるわけねぇだろ」
「うん……まぁ、そうだろうけど……」
サビーナはハァッと溜息を吐く。他人が口を出して簡単に諦められる思いなら、とっくにこの村から出て行っていただろう。
「プリシラ先生、確か四十五歳だったよねぇ……」
「それがなんだよ」
「好きだって伝えたの?」
「……相手にしてくんねぇ」
十六歳差というのは、案外大きなものらしい。それでもずっと伝えられずにいた十代の頃よりは、シェルトも成長していたようだったが。
「私、二十九だからまだわかんないけど……多分、四十五歳になったら、二十代の男の子なんて受け入れられないんじゃないかなぁ。相手の人生を奪っちゃうような気がして」
「じゃあどうすりゃいいんだよっ」
「あの初めてのキャンプファイアーの日、無理やりにでも踊っとけば良かったんだって! そしたらなにか変わってたかもしれないのにっ」
「ああ、あん時な! めっちゃ後悔してるよっ! クソッ」
シェルトはギリギリと歯を軋ませ、悔しそうに視線を落としている。女性は若い時の方が落としやすかったということを、今さらながらに理解しているに違いない。
しかしその時はおそらく、シェルトの方が気持ち的に駄目だったのだろう。
もっと大人になってから。立派な医者になってから。
そんな気持ちがどこかにあったから、なにも言えずにいたのだろうと思う。
「で……やっぱりプリシラ先生について行くの?」
「まぁな。俺が九歳の頃から、二十年間一緒にいるんだ。プリシラ先生だって、本当は俺がいなくなったら寂しくなる……と、思う……」
「にじゅ……っ!? すごっ」
彼がいつからプリシラのことが好きだったのかは知らないが、その気持ちは生半可なものではないだろう。プリシラには申し訳ないが、この説得は無理そうだとサビーナは諦めた。
「そ……じゃ、まぁ……頑張って」
「お前、今投げただろ。まぁいいけど」
「いや、上手くいくことを願ってるよ、ホントに。でも、二人が行っちゃうと寂しくなるな。ケーウィンもシェルトが村から出ちゃったら、寂しがると思うよ」
「サビーナもケーウィンの奴も、パートナーや子どももいんだから寂しくねーだろ」
「それとこれとは別だしっ」
ムッと口を尖らせると、シェルトは少し困ったように……けれど少し嬉しそうに笑った。
「まぁたまには手紙でも書いてやるよ」
「うん。新しい土地でも頑張ってね、シェルト先生!」
「おう」
シェルトはいつもの気だるそうな表情を、少し明るい色に差し替えて白衣を着直していた。その顔は、少し誇らしそうだった。
そして部屋の中に戻ると、セヴェリはサビーナを見て席を立ち上がった。
「どうでした、サビーナ。説得はできましたか?」
「いえ、私には無理です」
「でしょうね。というわけでプリシラ、私たちはお暇しますよ。ちゃんと二人で話し合いなさい」
セヴェリの言葉に、プリシラはなんとも言えない奇妙な顔をしている。二人でなにを話していたのか気になったが、セヴェリに背中を押されるままその場を後にした。
ジェレイの家へ子どもを迎えに行く途中、サビーナはクックと笑っているセヴェリを見上げる。
「どうしたんですか?」
「いえ。あの二人、どうなったことかと思いまして」
「……プリシラ先生に、なにかなさったんです?」
怪しみながらセヴェリの瞳を覗くと、この男らしく意地悪そうに笑っている。
「プリシラは、シェルトに想われていることなど、露ほどにも考えていませんでしたので」
「本当ですか? さすがプリシラ先生、驚異の天然ですね……」
「このままでは埒があかないと思ったので、シェルトの気持ちを代弁してしまいました。これで少しは進展するんじゃないでしょうか」
「ええ?! 言っちゃったんですか?!」
「いけませんでしたか?」
「だって、そういうことを人から言われるのは……うーん、あの二人の場合、どうなんだろ……」
少なくとも十年は何の進展もなかった二人だ。鈍感な彼女と素直じゃない彼をくっつけるには、誰かがお節介をする必要があったかもしれない。
「……プリシラ先生とシェルト、上手くいくといいですね」
「まぁ心配しなくても、悪くて現状維持でしょう。二人からの結婚の報告を、気長に待つしかないですね」
二人はどんな結果になっても一緒に無医村に向かうのだろうし、そうなるともうサビーナ達にできることはなにもなくなる。そう考えると、サビーナももう少しお節介をしておいてもよかったかもしれないと少し後悔した。
「あ、お父様、お母様!」
「おかえりーっ」
アイルとマイラがこちらに気付いて手を振っている。サビーナとセヴェリも手を振り返すと、アイルが笑顔で突進してきた。セヴェリがアイルをギュッと抱き締めて立ち上がる。
「ただいま、アイル。ルーフェイ、子ども達の面倒を見てくれて、ありがとう」
「大丈夫ですよ。俺も楽しかったんで」
「マイラ、帰りますよ」
「えー、もうちょっとー」
「何時間もいては迷惑です。帰りますよ」
「ぶー」
ぶーたれるマイラにルーフェイが近寄り、その頭をそっと撫でてくれている。
「また遊びに来ればいいよ、マイラ。待ってるから」
「……わかった、帰る」
マイラはピョコンと立ち上がり、サビーナの手を繋いでくる。
「じゃあ、帰ろっか」
「うん! またね、ルーフェイ、ナナちゃん! ありがとうー」
ルーフェイが手を振って「またね」と言ってくれる。サビーナは家の中にいるジェレイとラーシェに礼を言うと、帰途についた。
帰り道には昔サビーナが働いていた食堂があり、その周りにもたくさんの建物が並んでいる。もちろん、十年前にはなにもなかった場所だ。
学校、教会、保育施設、土産物屋、宿屋……暮らして行くには十分な施設が整った。村の皆と一緒に頑張った結果である。セヴェリが貴族でこの地域の領主という立場になった事も大きい。
サビーナは、ずっと夢見ていた温かい家庭というものを手にできた。現在仕事はしていないが、村の子ども達に乗馬を教えたりして過ごしている。
柔らかな風が太陽の優しさを運んでいるようで、サビーナは胸いっぱいに息を吸い込んだ。
「あ、お母様笑ってるーっ」
「どしたの、お母さん。深呼吸なんかして」
「お肉の香りでも嗅ぎつけましたか?」
「ち、違いますよっ」
クスクスと意地悪に笑うセヴェリは相変わらずだ。それに便乗するようにマイラとアイルも楽しそうに笑っている。
「あー、僕お腹空いたー」
「私もーっ」
「サビーナ、今日の晩御飯は何ですか?」
その問いに、サビーナは少し考えてから。
「よしっ! 今日は『メルヘン山の頂から流れくる愛の川、鳥のさえずりと共に』で決定!」
「わーい、オムライスー!」
「僕大好きーっ」
喜び勇んで駆け出す子供達。そのピョコピョコ飛び跳ねる子ども達の背中を、サビーナはクスクスと笑いながら見つめた。
そんなサビーナの腰に、そっと手をまわす者がいる。
「セヴェリ?」
「ありがとう。あなたがいてくれて、私は幸せですよ」
いきなりの言葉にどうしたのだろうと思ったが、プリシラとシェルトを見てなにか感じることでもあったのかもしれない。サビーナも、無言はやめて伝えるということが、この十年で身についている。
「私も愛する人達がいてくれて、幸せです」
セヴェリの口元が、にっこりと音が聞こえてきそうなほど微笑んだかと思うと、そのまま唇を掠められる。
それは一瞬だったにも関わらず、周りにいた何名かと子ども達に見られてしまっていた。
「あー、お父さんとお母さんたら、チューしてるっ」
「チューしてるーーっっっ」
「あ、ちょ、シーーッ」
「はははっ」
耳を熱くして慌てるサビーナをよそに、セヴェリは楽しそうに笑っている。
「も、もうっ! こんなとこでしないでくださいーっ」
「裸族なのに、どうしてこの程度のことが恥ずかしいのですか」
「裸族は関係ありませんからっ」
「恥ずかしいことの次元がおかしいですよ、あなたは」
セヴェリは耐えられないというように肩をクックと揺らし、サビーナの頭を一撫でしてくれた。
「それでは帰って、みんなでご飯を食べましょうか!」
「私、オムライス作るの手伝うー」
「僕もー!」
「よおっし、お母さんも頑張って作るよ〜!」
クスタビ村にいる唯一の貴族は、少し庶民的な人達だと噂される中……家族四人は楽しそうにステップを踏みながら、屋敷に帰って行った。
イラスト/星影さき
サビーナとセヴェリのその後の様子が垣間見える小説はこちら♪
『エミリアーヌは、おばさんだけど恋したい。』
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