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たとえ貴方が地に落ちようと  作者: 長岡更紗


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110/117

第110話 ヤバイと思ってて、なんで入るんですかーっ

 セヴェリとクリスタの結婚式から、二ヶ月が過ぎた。

 結局クスタビ村の冬祭りは、特にイベントをすることもなく終わった。咲き誇るビオラを愛でに来る人はいたものの、それだけだ。そのため観光客の数はぐっと減ってしまっていたが、それも仕方のないことだった。

 シェルトの受験はすでに終わり、無事に大学に合格したようである。この春から、彼はブロッカの街で医学生となる予定だ。


 デニスとサビーナは、今も一緒に暮らしている。村人からの風当たりはまだ強く、耐えるように過ごしているのだが。

 サビーナのお腹はポッコリとしてきたものの、最後の三ヶ月でドンと大きくなるらしく、ゆったりとした服を着ているとまだ気付かれないこともある。


「最近どう? ちゃんとご飯は食べてる?」

「はい。なんか吐きづわりから食べづわりになっちゃったみたいで……最近、食べてばっかりいます」

「うふふ。食べなきゃいけないけど、食べ過ぎに要注意よ?」

「気を付けます」


 クスタビ村唯一の診療所に来ていたサビーナは、プリシラにそんな注意を受けた。

 この村で、今までと変わらず接してくれる人のいる、唯一の場所だ。


「今日はデニス君は一緒じゃないのね」

「はい、最近は魔物狩りの方をメインにしているみたいで……近くには大した魔物はいないからって、遠出することが多いんです」

「あら……じゃあ何日も帰ってこなかったりするの?」

「そうですね」


 最初の頃は一日二日といった単位だったが、今では長いと五日間ほど家を空けることもある。生活のためというのはわかっているが、やはりデニスがいない家はどこか虚しい。


「そう……寂しいわね」

「まぁ、仕方ないですから。他にデニスさんができる仕事もありませんし」

「そんな風に言い切っちゃうと、ちょっと可哀想ね」


 クスクス笑うプリシラに、サビーナもまた笑みを漏らす。


「でも、これからはプリシラ先生も寂しくなっちゃいますね。春からはシェルトが街に行っちゃいますし」

「そうねぇ……」

「土日には帰って来るし。先生に寂しい思いなんかさせねぇから」


 後ろで聞いていたシェルトがすかさずそう言い、プリシラは「大丈夫よ」と苦笑している。医学生にそんな暇なんかなさそうだが、シェルトは意地でも帰ってきそうだ。

 どこか冷めた感じのするシェルトだが、プリシラに関することだけは熱く燃え滾っていて笑えてくる。


「なんだよ、サビーナ。ニヤニヤして」

「なんでもなーい」

「……腹立つな」


 ボソッと捨て台詞を残して、彼は部屋を出ていった。大学に行くことになって寂しいのは、どうやらプリシラよりもシェルトの方のようだ。

 それを知ってか知らずか……いや、かなりの確率でなにも気付いていないプリシラは、出て行ったシェルトを尻目にサビーナに問い掛けてくる。


「お産や産後の準備は進んでる?」

「いえ、まだ全然」

「少しずつでも取り掛かった方がいいわ。ベビーベッドなんかは使わなくなった人もいるだろうし、声を掛ければ誰かがくれると思うけれど」

「はい……でも、私なんかにくれるのかな……」

「サビーナさん……」


 サビーナは肩を落とした。しかしプリシラはそれに気付かぬように、「私から頼んでみるわ」と言ってくれた。

 その後も出産に関して色々な話を聞いていた、その時だった。診療所の入り口の方が急に騒がしくなったのは。


「先生、急患が来る!」


 そのシェルトの声に素早く反応したプリシラは、「ちょっとごめんなさい」と身を翻して診察室を出ていく。


「シェルト、患者はどこ!?」

「今、運んでもらってる」

「症状は?」

「腹部と頭部に魔物に襲われたと思われる損傷、血まみれになって村の入り口に倒れてたのを、ガロクが見つけたらしい」

「意識は?」

「あるみたいだ」

「どこの誰だかわかるの? 性別、年齢は」

「デニス、男、確か二十六歳のはずだな」


 開け放たれた扉の向こうからそんな声が聞こえてきて、サビーナはグラリと倒れそうになった。

 デニスが、怪我をした。

 一瞬で頭が真っ白になり、手がカタカタと震え始める。


「すぐに施術の準備! 到着次第、患者の救命に全神経を注ぐわよ!」

「わかった!」


 二人は慌ただしくバタバタと準備を始める。サビーナはフラフラとプリシラのいる場所に足を進めた。


「プリシラ先生……デニスさんが、怪我を……?」

「落ち着いて、サビーナさん。まだこの目で見てないから、なんとも言えないわ。今は万全の態勢で迎えたいの。座って待っていてもらえる?」


 そう言われても、体は固まったまま動いてはくれなかった。プリシラとシェルトはもうサビーナには見向きもせず、着々と準備を整えている。


「先生、来たようだぜ」

「扉を開けて、中まで運んでもらって」


 シェルトが扉を開けて迎えると、ガロクとケーウィンに抱えられたデニスが中に連れられてきた。


「デニスさんっ!!」

「……サビーナ」


 デニスは項垂れるような格好のまま、顔も上げずにそう呟いた。

 頭には包帯らしきものが巻かれていたが、すでに血染めとなって役目を果たしていない。腹部も周辺の服は破れていて、大きな三本の爪痕のようなものが痛々しそうに顔を覗かせている。


「デニスさ……っ」

「落ち着け、サビーナ。先生に任せとけば大丈夫だから。そこで静かに座って待ってろ」

「ガロクさん、ケーウィン君、中に運んで下さい!」


 プリシラの指示を受けた二人は、デニスを中に運んでいく。サビーナも入ろうとしたが、シェルトに拒まれて入ることは叶わなかった。

 デニスを運び終えた二人が出てくると、その扉はパタンと閉められる。狭い待合室にはサビーナとガロク、それにケーウィンだけが残った。


「あの、デニスさんは、どうしてあんな怪我を……っ」


 デニスを運んでくれた礼を言うのも忘れて、食ってかかるように問い掛ける。しかしガロクは首を左右に振りながら答えた。


「さぁなぁ、俺達は血まみれで倒れてる彼を見つけただけだ。どうして怪我をしたのかなんて、知らんよ」

「あ……すみません……」


 サビーナは責めるように言ってしまったことを恥じて、一歩後退しながら謝った。と同時に、ふと疑問が湧いてくる。


「どうして……デニスさんを助けてくれたんですか? 私達は、この村で嫌われているのに……」


 その問いには、ケーウィンが呆れたように答えてくれる。


「嫌いだからって、死にそうな人間を見殺しにはできないよ。プリシラ先生がこの村にいて良かったな。サビーナさんにとっては大事な人なんだろ? あの人、無事だといいな」


 抑揚のない声でそれだけを言うと、ケーウィンはガロクと診療所から出ていった。サビーナは慌てて頭を下げるも、すでに彼らの姿はなく、サビーナは待合室で一人ポツンと立ち尽くす。

 診察室の中からは、プリシラとシェルトのやり取りの声、それにデニスの苦しそうな呻き声が聞こえてきた。

 大丈夫なのだろうかと、サビーナの手は震える。


 もしも……もしもデニスさんが死んじゃったら……っ


 そう考えると、頭は泥を掻き混ぜられたかのようにぐちゃぐちゃになる。

 怖い。彼を失うことも、その後一人で生きていかなければならないことも。

 サビーナが扉の前でデニスの無事を祈りながら待っていると、不意にその扉が開いた。中からはシェルトが顔を出す。


「入っていいぜ」

「え……もう、いいの?」

「でかい声は出すなよ」


 注意を受けて、恐る恐る中に入る。そこには綺麗な包帯に巻かれたデニスが、ベッドの上に寝ていた。


「デニス、さん……?」

「サビーナ……悪ぃ。心配、掛けちまったな……」

「大丈夫、なんですか……?」

「ああ、ちょっとミスっちまっただけだ……」


 そう言う顔に元気はなかったが、口端は少しつり上がって笑っている。デニスの声を聞けて、サビーナはようやくホッと息を漏らした。


「派手に出血はしてたけど、思ったほど傷は深くなかったわ。しばらく安静にしてもらわなければいけないけど、命に別条はないから安心して」

「ありがとうございました。プリシラ先生、シェルト」


 デニスは念のため、その日は診療所に泊まることになった。サビーナも付き添うつもりだったが、ベッドが足らず妊婦ということもあって、家に帰されてしまった。

 翌朝すぐに診療所に向かうと、デニスはすでに自分で歩けるまでになっていた。驚異の回復力である。

 しかしプリシラに無理は禁物だときつく言われ、夕方まで診療所で様子を見てから、ようやく家に帰ってくることができた。

 体に痛みはあるようだが、そんなものは気にしないとばかりに動きたがるデニスを、無理矢理ベッドの上に座らせる。


「ったく、もう大丈夫だってのに」

「駄目です! 頭も怪我したんですから、二、三日は寝ていないと!」

「っつーか今さらだけど、今日サビーナは仕事休みだったのか?」

「違いますけど……明日も休みを取りました」

「ええ?! マジかよ。俺はもう大丈夫だから、明日は仕事に行ってくれよ」

「行きません! 放っておいたら、デニスさんはきっと動きまくっちゃうし!」


 デニスは「うっ」と声を詰まらせて黙り込んでいる。どうやら動く気満々だったらしい。

 そんなデニスを見て、サビーナは「もうっ」と息を吐き出した。


「それで……どうしてこんな怪我を負ったんですか? 今まで一度だってこんなことなかったのに……」

「つい魔物の巣窟に入っちまった。ヤベェかなとは思ったんだけどな」

「ヤバイと思ってて、なんで入るんですかーっ」

「悪ぃ、これからは気をつけるって!」


 サビーナの怒りの声に、デニスはバツが悪そうに苦笑いしている。サビーナが「信じられない」とブツブツ言っていると、デニスの表情が少し寂しげなものに変わった。


「なんつーかさ……俺、今まで甘えてたんだろうなって思った」

「え?」


 急に雰囲気が変わった彼の話に、なんのことかわからず首を傾げた。デニスはベッドに上に座ったまま、視線をサビーナには合わさず、斜め下に逸らしている。


「俺はさ、オーケルフェルトの騎士の中では斬り込み役だったからよ。まぁ一言で言えば、なにも考えずに突っ込んで剣を振るってりゃ良かったんだ」

「え……そんなことはないと思うけど……」


 オーケルフェルト騎士隊の班長を、そんな考えなしの人間に任せることはないはずだ。デニスは自分で気付いていないだけで、剣を振るう際の戦略が頭に入っていたのだろう。

 本能的なものと言い換えてもいいかもしれないが。


「魔物の巣窟に入ったすぐに後悔した。今はサポートしてくれるリカルドやキアリカがいねぇ。俺は今まで自分の力で魔物を倒した気になってたけど、あいつらがいてくれたからこそだったんだよな……」


 自嘲気味に笑うデニスが、痛々しくて仕方なかった。

 確かデニスは、リカルドやキアリカとは同期だったはずだ。特にリカルドとは親友のようだし、強い信頼関係が成り立っていたからこそ、デニスも無茶ができたのだろう。

 しかし今、ここにリカルドはいない。こんな怪我をしてしまったのは、無茶の度合いを計り切れなかったせいもあるのだろう。


 そう言えば、デニスさんの班とリカルドさんの班は、大体一緒に行動してたもんね……


 オーケルフェルトにいた頃の二人を思い出し、サビーナは眉を下げた。元気な様子を見せてはいるが、やはりデニスは深く落ち込んでいる。


「もう、無理はしないでね……」

「……あのさ、サビーナ」


 ずっと逸らされていた目が、サビーナの瞳と焦点を合わせる。どうしたのだろうと思っていると、デニスは意を決したように言葉を発した。


「この村を……出ていかねぇか?」


 唐突の提案に、サビーナは言葉を失った。

 この村を、出て行く。

 考えもしていなかったことだった。サビーナはセヴェリの結婚後もずっと、この村でひっそり暮らすつもりだったのだから。

 なにも言えずにいるサビーナに、デニスは厳しい眉のまま続ける。


「サビーナがこの村を出たくない気持ちもわかる。けど、正直俺は……ここで暮らしていくのがキツイんだ。単独(ソロ)での魔物狩りも限界があるってよくわかったし、俺はそれよりも騎士職の方が合ってる。どこか別の国へ行って、新しい場所で騎士として再出発してぇ」


 デニスの言うことはもっともだった。

 村人に嫌われた場所で生活するのは苦痛だろう。慣れない弓矢で獲物を取るのも大変だろう。魔物を遠くまで探しに行き、一人で狩るのは危険が付き纏う。

 デニスのためを思うなら、彼の言う通りに新しい土地で生活を始めた方がいい。


 そうだよね……

 ずっとここにいても、デニスさんのためにはならない……


 サビーナは、ギュッと唇を噛んだ。

 本来なら、デニスの言う通りにすべきなのだろう。

 しかしサビーナは、『うん』とは言うことはできなかった。デニスの事を大切に思っていると言い切れるはずなのに。どうしても承諾の言葉が出てこない。


「サビーナ……」

「ごめん、デニスさん……私は、ここにいたい。セヴェリ様と一緒に植えたアデラオレンジを、ここで育てていきたいから……だから……」


 自分の我儘のせいで、デニスの幸せを阻害してしまっている。そのことに申し訳なさが募るが、どうしてもこの村から出たくはなかった。

 アデラオレンジの木は、順調に育ってくれている。この木だけは、実のなるところを見届けたい。そして叶うなら、セヴェリにアデラオレンジを食べさせてあげたい。

 そんな切実な思いは、ただの自己満足でしかないかもしれない。

 けれどデニスは、笑ってサビーナの頭を撫でてくれた。


「悪ぃ、俺の言ったことは気にすんな! 惑わせちまったな。心配すんな、ここで上手いことやってみせっから。な?」

「デニスさん……」


 ごめんなさいという言葉が出てこず、深く頭を下げる。

 自分なんかを好きになっていなければ、彼はアンゼルードで幸せな人生を歩めていたかもしれないというのに。

 サビーナのそんな思いを搔き消してくれるかのように、デニスの手はいつまでもグリグリとサビーナの頭を撫で続けてくれた。

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