第106話 もうここには戻ってくることはないから……
朝起きると、隣のベッドには白銅色の髪を持った男が眠っていた。セヴェリのベッドであったそこは、現在デニスが陣取っている。
サビーナが体を起こすと、それに気付いたようだ。彼もまた、同じように身を起こしていた。
「はよ、サビーナ」
「おはよう、デニスさん……」
サビーナは腫れぼったい目をしたまま、微笑んでみせた。それが上手く笑えていたかどうかは、自分ではわからなかったが。
今日からはセヴェリとではなく、このデニスと過ごしていくことになる。初日の朝は違和感だらけだが、早く生活に慣れていかなくてはならない。
ちょうどこの日、仕事が休みだったのは幸運だった。朝食を終えると、保育の時間が始まるのだ。デニスに事情を説明すると、「子どもの相手なら任せとけ!」と胸を叩いて言ってくれた。
「おはよう、サビーナ。……セヴェリ先生は?」
保育の時間が始まると、子どもと一緒に保護者がやってくる。その保護者が、セヴェリの姿をキョロキョロと探し、デニスの姿を見ては訝しんだ。
「すみません、今日は……今日からは、セヴェリではなく、彼が……デニスさんというんですが、保育を担当することになると思います」
「あら、そうなの? セヴェリ先生は今色々と忙しいものね。わかったわ、うちの子をよろしくお願いしますね」
どうやら保護者達は、デニスを新しく雇った保育士だと思ったようだった。結局それは否定できずに、子ども達の相手をすることとなる。
さすがにデニスは妹や弟達がいるだけあって、子どもの扱いに慣れていた。デニス本人が子どもっぽいところもあって、仲良く遊べているようだ。これなら保育の方は問題なさそうである。が、問題はこの後だった。
小さな子ども達を帰らせると、次は十六歳以上の授業が始まる。これはサビーナや、ましてやデニスにどうにかできるわけもない。誠心誠意、お断りをするしかないと、生徒が揃うのを待った。
席に着いた生徒達は、見慣れない男が立っているのを見て、やはり訝しんでいるようだ。全員が揃ったところで教卓に立つと、誠意を見せるために真っ直ぐにみんなを見渡す。
「ごめんなさい、皆さん……セヴェリの授業は、今後一切行われなくなりました……」
そう言って頭を下げると、ざわっとした声が高まった。
「どういうことだい? セヴェリ先生は、どうしたんだ?」
「その後ろのお兄さんがセヴェリ先生の代わりに授業をしてくれるってこと?」
「あ、いえ……! 彼は、教師じゃないんです。代わりの教師は、いません……」
そう告げると、より一層ざわめきが立つ。中でもケーウィンは、顔色を変えて席から立ち上がって叫び始めた。
「セヴェリ先生は、どこにいるんだよ! 俺らになんの説明もなしに、どこに行ったんだ!?」
「それは……言えないけど、もうここには戻ってくることはないから……」
「なんだよ、それ! なんでいきなり……それにその男は何なんだよ?! なんでセヴェリ先生が消えて、そんな男がいるんだよ!」
どう説明したものかと、サビーナは頭を悩ませる。デニスには隠れてもらっていた方が良かったのかもしれない。そう思ったが、もう後の祭りだ。
頭を抱えるサビーナの代わりに、デニスが一歩踏み出して口を開いた。
「すまねぇ。俺が代わりに教師を務められたら良かったんだが……サビーナを責めないでやってくれ。みんなが慕っている先生は、自分の意思でここから出ていったんだ。止められなかった……悪ぃ」
「セヴェリ先生が、自分から出ていった……? 嘘だろ……」
その事実にケーウィンのみならず、生徒のほとんどが耳を疑っている。
「俺の夢……どうしてくれるんだよ……セヴェリ先生なしで、どうやって勉強しろっていうんだよ……っ」
「ごめん、ケーウィン……」
「なんだよ、なんでサビーナさんは平然としてられるんだ?! 旦那がいなくなったんだろ?! 普通、取り乱したりするだろ!」
「落ち着け、ケーウィン」
ケーウィンの隣でずっと足を組んだまま聞いていたシェルトが、ヒートアップする彼を抑えてくれた。ケーウィンは制されるも、悔しそうに顔を歪めたまま、こちらを睨んでいる。
「あのさ、サビーナ。ちゃんと説明した方がいいぜ。このままじゃ、ここにいる全員が納得できねぇ。なんでセヴェリはここにいねぇのか、その男はなんなのか。変に隠すと、お前らのためにならねぇよ」
シェルトは大体の事情を察知しているのか、諭すようにそう言った。
確かに、ずっと隠したままでデニスと再出発はできないだろう。批難されることも承知で、村人に伝えなければ始まらない。
サビーナは意を決して、すっと息を吸い込んだ。
「ここにいる人は、デニスさんと言います。故郷で私達はお互いに好き合っていて……再会したことで、運命の歯車が動き始めたんです。セヴェリは身を引いてくれて……昨夜、この村から出ていきました」
サビーナが真実を告げると、今度は誰もがシンと静まり返る。その静寂を破ったのは、やはりケーウィンであった。
「なん、だよ……サビーナさん、そいつと浮気してたってことか……? そんで、セヴェリ先生を追い出しちゃったのかよ!」
「やめろ、ケーウィン! サビーナにも事情があったと思うぜっ」
「浮気に事情もなにもないだろ!!」
アンゼルード帝国でのいざこざを知らない人間の目に、サビーナの行動は不徳としてしか映るまい。
今にもサビーナに詰め寄ろうとするケーウィンを、シェルトが羽交い締めするように止めてくれている。そんな彼の前に、デニスは近付いていた。
「デニスさん……!?」
「すまねぇ。みんなの大事な先生を追い出しちまって……」
「てめぇ……」
デニスに殴りかかろうとするケーウィンを、シェルトはなんとか止めている。体格はケーウィンの方が良いため、シェルトはかなり必死のようだ。
「ふざけるなよ!! 出ていくのはお前らの方のはずだろ!? なんで、どうしてセヴェリ先生が……っ」
「やめろっ、ケーウィン! それを言ってももうどうしようもねぇだろっ」
「シェルト、お前は悔しくないのかよ!? この男のせいで、セヴェリ先生が……」
「サビーナやセヴェリの決めたことだろ! 俺らが口挟める問題じゃねーし!」
シェルトの答えに、ケーウィンはピタリと暴れるのをやめた。それを確認したシェルトは、ゆっくりと羽交い締めを外してフーッと息を吐いた。
「サビーナだって言いにくいだろうのに、ちゃんと説明してくれたんだ。こっちも冷静になろうぜ」
「……わかったよ」
ケーウィンがようやくヒートダウンすると、それを待っていたかのようにデニスが話し始める。
「……俺は、新参者でこの村の状況はよくわかんねぇ。けど、できる限りの協力はしていくつもりだ。サビーナとのこともちゃんと考えて、いつかは娶りてぇって思ってる」
ケーウィンを前に、みんなに宣言するように自分の考えを示すデニス。
娶りたいというその言葉に、胸は少し熱を持つ。
「今はまだその時じゃねぇけど……俺は、サビーナにも、この村のみんなにも認められるように、努力する。今すぐ俺の存在を受け入れろとは言わねぇ。ただ、俺がこの村に住むことを許してくれ。頼む」
深く頭を下げて懇願するデニスを見て、慌ててサビーナも頭を下げる。
しばらくなんの反応もなかったが、一人、また一人とその場から去っていく足音が聞こえる。そしてサビーナとデニスが頭を上げたその先には、シェルト一人しかいなかった。
「みんなは……」
「帰ってったぜ。まぁ、そう簡単には受け入れられないだろうな……セヴェリの存在が、大き過ぎた」
「……うん……」
「特に、ケーウィンの奴はな……あいつが一番セヴェリを慕ってたし」
「……うん」
ケーウィンが夢を語ったあの日、彼とセヴェリを応援しようと決めていたというのに。結局ケーウィンの夢を奪うような仕打ちをしてしまった。
諦めずにどうにか夢を実現してほしいが、このままではどうなるかはわからない。
「シェルトも……ごめんね。受験まで、あと三ヶ月もないのに……」
「俺はプリシラ先生に頼めば、街の学校に行かせてもらえるしな。なるべくこの村にいたかったってのはあるけど……まぁ仕方ねぇよ。それより、セヴェリの奴は本当にどこに行っちまったんだ?」
サビーナは一瞬迷ったが、結局シェルトに伝えることにした。
アンゼルードでのことも、セヴェリとサビーナは本当は夫婦ではなく主従だということも、すべて理解してくれているシェルトだ。隠す意味もない。
「セヴェリ様は、クリスタ・キクレー様と結婚することになったんだ……男爵令嬢なんだけど」
「ふーん、なるほどね。セヴェリを貴族に戻せば、アンゼルード帝国は手出しできないってことか」
「うん」
「それ、セヴェリが望んで結婚するのか?」
シェルトの問いに、サビーナはそっと頷く。昨夜の遣り取りで、セヴェリの意思は確認済みだ。
そんなサビーナの様子を見たシェルトは、つまらなそうに息を吐いた。
「っそ……。なら別になんも言うことはねぇけど」
そしてちらりとデニスの方を見た。シェルトはデニスの顔をしばらく観察するように見ていたが、やがて「良かったな」と一言だけ言った。
「え?」
「収まるところに収まったってとこだろ。まぁ悪い奴じゃなさそうだし、俺がお前にセヴェリと本当に一緒になれって言った時に断ったのは、こいつのことが頭にあったからだろ? 良かったな、迎えに来てくれて」
その言葉には、少し遅れてコクリと頷く。どこか悲しげなデニスの視線が、サビーナに突き刺さる。
「村人の理解を得るのは、まぁ難しいだろうけどな……セヴェリが街で貴族と結婚したら、その話もいつか村に伝わってくるだろうけど、確かに今は黙っておいた方が良い。セヴェリまで批難される必要はないからな」
「うん……」
「んじゃあ、俺も帰るわ。まぁ色々大変だとは思うけど、頑張れよ」
「ありがと、シェルト……」
礼を言うと、シェルトは右手をヒラヒラさせながら去っていく。
おそらく、この話は一瞬で村中に広がることだろう。サビーナは陰鬱な気持ちでシェルトを見送った。




