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002 過保護    /幼馴染、小さな暴君

 小さな暴君は、兎みたいに真っ赤な眼をして鼻を啜り上げた。

 彼は公園のブランコに腰を下ろしていた。その前に立った僕は驚き、困惑していた。

「……お前、絶対人に言うんじゃないぞ」

 その一言の合間にも、何回かしゃっくり上げた。僕はなんとか動揺を顔に出さないよう、必死で気を付けた。

「誰にも言わないよ。ヒロ君が泣いてたなんて……」

「泣いてねえよ!」

 ヒロ君はむきになったように怒鳴った。また目がじわりと潤んだ。

「紙、よこせ」

 ポケットティッシュを袋ごと手渡した。ヒロ君が繰り返し鼻をかむので、いい加減なくなりそうだった。

 トナカイみたいに赤くなった鼻は、滑稽で切ない。

「でも、ヒロ君がそんなにショック受けるなんて思わなかった」

 恐る恐る口に出した僕の言葉に、ヒロ君は俯いたまま悔しそうな表情を浮かべた。

「……そんなんじゃねえし」

 言わないほうがいい、そう思った。でも一度滑り出した口を僕はうまく止められない。

「随分好きだったんだね? あの人のこと……」

 そう言った僕の胸を、今まで感じたことのないちりっとした焦燥が駆け抜ける。


 僕の幼馴染であるヒロ君、寛司は小さな暴君だった。きっとこの世に生を受けた瞬間から。

 いつだって身長は前から数えた方が早かった。でも、もし彼を馬鹿にした態度をとる奴がいれば、問答無用で暴力に訴えた。そして僕の知っている限り、相手に負けたことは一度もない。

 皆、痛い目を見てから理解するのだ。この可憐な少女めいた外見の中身は、可愛らしさの欠片もないのだと。

 僕だって彼の気分次第でどれだけ殴られたか。今となってはもう覚えていないけれど。


 でも、寛司はただの暴君ではなかった。勉強もスポーツも、いつだってクラスで一番だった。「適当にやっていたら出来てしまった」というポーズをとってはいたが、僕は知っていた。その結果が血の滲むような努力に裏付けられていることを。ずっと側で見てきたから、僕だけが知っていた。

 そう。彼はプライドが高い。誰よりも誇り高き彼に、僕は憧れずにはいられなかった。寧ろ惹かれていたと言ったほうがいいかもしれない。だから、離れようと思えばいつだって離れられたのに、我が儘で傲慢な暴君にずっと従ってきた。

 でも今日、青天の霹靂が起こった。僕の目の前で彼は泣いていた。


 さっき僕は一つ嘘をついた。寛司の真の姿を知っていたのは僕だけではない。それが彼の泣いている原因だった。

 一年前、僕等の担任の先生が産休に入った。代打で来たのは、大学を出たばかりという感じの若い男の先生だった。

 見た目はそれなりにかっこいいのに、正直いって変な先生だった。社会の先生なのに天気がいいとみんなを外に連れ出して鬼ごっこをしたり、好きな映画の話を始めたら止まらなくなって一時間話し続けたり。

 でもいい先生だった。優等生の癖に生意気な態度を隠そうとしない寛司を、大抵の教師は扱いに困り、避けた。でも先生は違った。

 寛司が珍しくテストで失敗した日。寛司は強がっていた。ひどい点数を見せびらかしてへらへら笑う寛司に先生は一言言った。

「よく頑張ったな」

と。寛司は一瞬泣きそうに顔を歪めた。

「……頑張ってねえよ。俺、全然勉強してないし」

 往生際悪く、まだ虚勢を張る寛司に先生は少し笑って言った。

「なら次は大丈夫だな。……お前なら」

 言い返せずにぽかんと口を開けて先生を見る寛司に、なぜだか僕の胸は騒いだ。

 

 それ以来、寛司はずっと先生を見ていた。目が合うと、ぱっと逸らしてしまう恋愛スキルゼロの寛司。馬鹿だなあと思った。このまま、寛司の気持ちがずっと通じなければいいと思った。どうしてそう思うのか、理由は考えなかった。それは僕にとって、開けてはいけないパンドラの箱だった。

 もう先生が来てから、一年も経った。

「……来月からは、前の先生が戻ってくる予定です。一年間本当に楽しかった。ありがとう」

 朝の会で先生の言葉を聞いて以来、ずっと上の空だった寛司は帰り道で僕が「先生、やめちゃうんだね」と言った途端、にわかに涙目になった。


「は? 馬鹿じゃねえの? 俺があんな奴のこと、好きな訳ないだろう?」

 僕はヒロ君の言葉を聞き流し、歩き出した。

「ちょっとお前、どこ行くんだよ! 怒ったのか!?」

 後ろからヒロ君の動揺した声が聞こえてくる。ちょっと気分いい。

 僕はそのままヒロ君を置いて、コンビニに行った。いくつか買い物をして、また公園に戻った。ヒロ君はさっきと同じ姿勢で、一人ぽつんとブランコを揺らしていた。

「……戻ってきたのか」

 ヒロ君はもう泣いてはいなかった。買ってきた箱ティッシュを差し出す。ヒロ君は遠慮の欠片もなくばりばりと包装を破き、ちーんと鼻をかんだ。

 目蓋が赤く腫れ上がっていた。冷たいペットボトルの飲料水をあててあげた。ヒロ君は、

「……気持ちいい」

と小さなため息をついた。それからくいっと蓋を開け、一気にごくごくと半分ほど飲み干した。きっとたくさん水分を出して、喉が渇いたのだろう。

 ヒロ君は閉じていた目蓋を開けて、僕を見た。焦げ茶にくすんだ綺麗な瞳の色。

「……お前、優しいな」

「そんなことない」

 そんなことないんだよ、ヒロ君。僕には下心があるんだ。

 こうやって甘やかして、過保護にして、君が僕から離れられなくなったらいいと思っている。そのためなら、何でもするんだよ。君はそんな僕の狡さを、知らないだろう?

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