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013 光熱費    /大学生、夏休み

day1


 叩きつけるような夕立に混じり、玄関のドアがノックされた。夏野は立ち上がり、扉をそっと開いた。そこには、意外な人物がいた。

 いつも眺めているのに、目を離すとすぐ思い出せなくなる。顔立ちは綺麗なのに、印象が薄く覚えられない。宮村はそんな顔をしている。背の高い彼はびしょびしょに濡れた頭を犬のように二、三度振ると、夏野に向かってにっと笑いかけた。

「お前、そんなに濡れて……」

「いやー参った。電車降りて歩き出した途端にざあってきてさ。すぐお前んち着くからいいやって思ったら、パンツまで濡れたし」

「……何やってんだ、バーカ」

 酷い有り様の彼の言葉につい笑ってしまう。

 タオルを貸そうかと尋ねると、その前に大事な話があると宮村はいった。アポイントもなしに押しかけてきて、緊急の用事だろうか。つられてつい姿勢を正した夏野に投げかけられたのは、思いがけない頼みごとだった。

「俺を泊めてくれないか?」

「え……?」

 夏野は目を丸くする。


 水音が響いている。激しい夕立はもうやんでいた。今聞こえるのは宮村のシャワーの音。

 彼は実験グループの仲間だった。不真面目そうに見えるけど優秀で、やっかいな課題もすらすら解いてしまう。いい奴と組めたと夏野は思っていた。

 でも顔を合わすのは週に一度の実験のときだけで、そう親しいわけではない。もちろん彼が夏野の家に訪れるのも初めてだ。

 俺を泊めてくれないかと彼はいった。

 どうして俺なんだろう。宮村なら宿を貸してくれる友人なら幾らでもいそうだ。

 夏野は不思議だった。


 腹が減ってきた。宮村は食事をしただろうか。時間が早いから多分まだだろう。

 夏野は家にある食材を漁る。安いときに買いだめした素麺が大量に出てきた。暑いしこれでいいか。

 湯を沸かし、麺を多めに茹でた。冷蔵庫にあった残り物の野菜をざく切りする。ついでに胡麻と調味料を混ぜてタレを作った。

 茹で上がった素麺を流水にさらしていると宮村が風呂から出てきた。夏野が貸してやったシャツとジャージは、彼の長い手足には丈が足りない。

「うわ、めっちゃ旨そう」

 素麺の上にトマトや胡瓜を盛り付けていると、宮村は涎を垂らさんばかりの顔をした。

「完成。食っていいよ」

「いただきまーす!」

 まだ濡れたままの髪から雫を垂らしながら、宮村はがつがつと食べている。四人前くらい茹でたのが綺麗になくなって、普段あまり量を食べない夏野はあっけにとられた。

「ご馳走様」

 宮村はふうと満足げな溜め息をついた。

「……で」

「ん?」

「泊めてほしい理由は?」

 夏野が宮村をじっとみつめると、彼は居心地悪そうに目線を逸らした。

「……実は」

「ああ」

「光熱費を滞納して」

「え」

「電気とガス、とめられたんだ」

「……お前、アホか!」

 夏野が怒ると、宮村はしゅんと落ち込んだ。

「先月授業料払ったらギリギリになって、光熱費振り込めなかったの、うっかり忘れてさ」

「……何やってんの、もう」

 宮村の優等生なイメージがガラガラと崩壊していく。

 実験の手つきはあんなに緻密で美しいのに。日常生活は案外抜けているタイプなんだろうか。

「泊めてくれないか? 盆で友達も実家帰ってて、最後の頼みの綱が夏野なんだ」

「……いつまで」

「月末にバイトの給料入るから、それまで。明後日かな」

「……仕方ねえな」

「やった! 夏野、ありがとう!」

 子供のように彼は喜んだ。どさくさにまぎれて宮村に抱きつかれそうになり、夏野は慌ててよけた。

 夏場に男同士でくっつくなんて、遠慮願いたい。


day2


 ずっしりと重たい感触。目が覚めると、自分の体に自分じゃない腕が乗っかっていた。

「おも……」

 夏野はひょいと外す。宮村は全然気付かず、口を開けたまま爆睡している。

 カーテンの隙間から射しこむ夏の光。案の定というかセミダブルのベッドは、男二人で眠るには狭かった。でもたった三日間だし、我慢するしかないか。

 起き上がろうと上半身を起こした夏野は、腕を引っ張られバランスを崩した。

「え……!?」

 寝転んだ宮村の上に倒れこむ。彼の腕が夏野の背中に回る。ぐいぐいと胸に顔を押しつけるように、強く抱きすくめられた。

 ……この体勢やばくないか。一体誰と間違えてんだこいつ。

「おい宮村、寝ぼけんじゃねえ、起きろ!」

 声を張り上げるが、彼は目を覚まそうとしない。

 夏野は拘束を解こうと手足をじたばたさせるが、体格差もあって逃げられない。寧ろ抵抗すればするほど、ホールドする力は増すようだ。

「ああもう……」

 眠っている相手じゃ、さっぱり埒が明かない。

 だんだん疲れてきた夏野はふっと手足の力を抜いた。自分が抵抗しないことがわかると、束縛する力も弱まった。強引に押しつけられた胸から、ふと懐かしいような宮村の匂いがする。眠くなるような、落ち着く感じ。

 こんなにぴったりと誰かとくっつくの、いつ以来だろう。だんだん密着する体温が心地良くなってきて、つい夏野はうとうとしかけた。

 不意に額になにかが触れた。

「ん……?」

 重いまぶたを上げると、それは宮村の唇だった。顔を上げたことで、ますます彼との距離が近付く。宮村の端正な顔が、ありえない距離の近さで目の前にある。つい見惚れてしまい、それからやっと夏野は我に返った。

(ななな何何何……!?)

 唇に触れられそうになり夏野は焦った。ファーストキスが男なんて、一生忘れられない思い出ができてしまう。

「止めろ!」

 悲鳴じみた声を上げ、宮村の顔を押しのけるように夏野は殴った。ガタガタッとすごい音がして、フッと彼が消えた。

「……え?」

 びっくりした夏野が探すと、彼は床に転がっていた。勢いあまってベッドから転がり落ちてしまったのだ。夏野が殴った部分が赤く腫れかけている。寝ぼけ眼をこすりながら、彼はいった。

「あれ、俺ベッドから落ちたの……?」

 こいつまさか、何も覚えていないのか?

 夏野は深いため息をついた。


 洗濯機のスイッチを入れ、洗剤を振りまきながら夏野は困ったなあと一人呟いた。宮村は荷物をとってくるといって、一度自宅に帰っている。

 朝キスされそうになったことは気まずすぎていえなかった。彼は覚えていないし、顔の怪我もベッドから落ちたせいだと思っているし……。 

 彼女とでも間違えたんだろうか。さっき見たばかりの宮村の顔を思い出す。実験のときのクールな横顔。仲間とふざけているときの笑顔。どれも違う。真剣だけど、甘い。思い出すと心臓がどきどきと高鳴った。恋人にはあんな顔をするんだろうか……?

 はっととんでもないことを考えている自分を自覚し、夏野は頬を染めた。男を、しかも寝ぼけていた奴を意識してどうするんだ。ますます困ってしまう。


 洗濯物を干していると、宮村が帰ってきた。

 着替えを入れたボストンバッグ。それから夏野が頼んだ過去問を持ってきてくれた。頼んでいないけど、お土産だといってアイスまでくれる。夏野は礼をいってから冷凍庫に放りこんだ。

 それからもう一つ。見覚えのあるレンタルDVDの手提げには、数本のホラーが入っていた。

「やっぱり夏はホラーだよね!」

といって宮村はにっこり微笑む。夏野は引きつった笑みを浮かべた。……正直、ホラーは苦手だった。


day3


 朝食を宮村が作ってくれた。夏野がもぐもぐと頬張っていると、

「それにしても、昨日は面白かったなー」

と、宮村にからかわれた。夏野は拗ねてそっぽを向いた。

 ホラーを苦手だという自覚はあったけれど、一晩でもう二度と見たくなくなった。

 一本目の洋画サスペンスは、ラストに豹変した犯人に追いかけられるのが物凄く怖かったけど、まだ見れた。話は面白かったし。

 二本目は和風ホラーで、じめっとしたいかにも出そうな雰囲気が怖くてしょうがなかった。でも主人公が助かるのかどうかが気になって、指の隙間からこっそり見た。ときどき叫び声を上げて宮村にしがみつく。最後はほとんど彼に抱きつくようにして見た記憶がある。

「夏野が怖がったんで、すごい盛り上がった! 絶対また見ような」

「……勘弁して」

 見た後、夏野は一人でトイレも風呂も行けなくなって、宮村に笑われたのだ。ああ、思い出したくない……。


「ごめんな」

 ふと宮村の真面目な声が響き、夏野は顔を上げた。

「別にいいよ。俺が怖がりすぎなんだし」

「いや、そのことじゃなくて。俺、夏野に嘘ついてたんだ」

「え?」

 夏野はびっくりして宮村の瞳をみつめた。

「光熱費を滞納したっていうのは嘘。電気を止められたってのも」

「はい!?」

 なら、どうして俺の家に来たんだ?

 夏野の頭は、疑問符で一杯になる。混乱している夏野を見て、宮村はかすかに笑った。

「ずっと一緒に実験してただろ?」

「あ、ああ」

 話の流れが読めない。どうしてここで実験の話が始まるんだろう。

「夏野って細かいところまで手抜かないっていうか、すごい丁寧でさ。ずっといいなあって思ってた」

「……単に、要領が悪いだけだよ」

「俺が行く所がないっていったら、仕方ねえなって泊めてくれるしさ」

「……」

「夏野はお人好しだから、すぐ信じちゃうよね」

 だんだん馬鹿にされているような気がしてきた。

「……そういうところが、好きなんだ」

 その言葉を理解するまで、軽く十秒はかかった。

「……はい!?」

「夏野は俺のことどう思ってる?」

「そりゃ、好きだけど……ってもちろん、友達として」

「恋愛対象としては、意識できない?」

 ニコッと爽やかに笑いかけた宮村の顔を、夏野はじっとみつめた。

「もしかしてお前……」

「ん?」

「……朝、起きてただろ」

「あ、ばれた?」

 かあっと頬が熱くなった。思わず肩を殴ろうとすると、難なく片手で掴まれてしまう。

「夏野、手が早すぎ。昨日も痛かったなー」

「あ、ごめん」

 つい謝ってしまった。悪いのは宮村だというのに。

 彼の切れた唇の端。手を伸ばし、触れてみる。かさついた感触。頭がぼうっとして、何も考えられなくなる。よくわからない感情のかたまりが、ぎゅうっと胸にこみ上げる。ああ、やばい。流されてしまいそう。

 不意に傷あとに触れていた手をとられ、口づけられた。小さな水音が聞こえて、心臓がどくりと音を立てた。慌てて手を引く。彼は夏野をじっとみつめている。

 長い沈黙のあと、夏野はいった。

「……お前、今日はどうすんの。暇なら、泊まってけば」

 宮村は驚いたように目を見開き、それから嬉しそうに微笑んだ。

「そうする」


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