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012 約束     /身分差、耽美

 俺が家を追い出されたのは十五の歳。追い出されたというと語弊があるかもしれない。正確には食う口を減らすため、奉公に出されたのだ。俺の下には弟が四人、妹が一人いた。

 俺はその辺で一番大きなお屋敷に奉公に出た。大旦那様と奥様には、二人の息子と一人の娘がいた。長男は若旦那様と呼ばれ、誰もが彼が家を継ぐものだと思っている。長女はちょうどお嫁にいったばかりだと聞いた。次男は体が弱くずっと家にいる。そして俺と同い年だった。

 俺はいいつけられた庭の掃き掃除をしていた。美しいけれど膨大な面積を持つ日本庭園は、まだ来て数日の俺にはまるで迷路のように入り組んで見えた。ほうきを持ってふらふらしているうちに、俺は奥まった部分に迷い込んだ。

 ここはどこだ。俺はぼんやりと立ち尽くす。さわさわと木々が揺れている。鳥の鳴き声が空を横切った。どこからか視線を感じ、俺ははっと振り返った。離れの縁側に少年が立っていた。

(……誰だ)

 美しい顔立ちの少年は、淡い色の着物をしどけなく着崩し、ぼんやりと立ち尽くしていた。俺と視線が合うと、ふっと微笑んだ。それがあまりにも大人びた、妖艶さすら漂わせる笑みだったので俺は度肝を抜かれた。

(食われる)

 どうしてそう思ったのか根拠は何もないのだが、俺は空恐ろしくなった。彼に向かってぺこりと一礼すると、逃げ出した。はあはあ、と息を乱しながら駆ける。ふと気付くと、周りの景色は見覚えがあるものになっていた。

(……誰だったんだろう)

 高価そうな着物。優雅な仕草。きっと屋敷の誰かだ。

(もしかして)

 病弱だと話に聞いた坊ちゃんかな、と俺は思った。それなら俺と同い年のはずだけど。とてもそうは見えなかった。おそろしくきれいな顔立ち。まるで人間じゃないみたいだった。人の生気を吸い取って生きている、魔物みたいだ。

 彼のことで頭が一杯になっているうちに、辺りは薄暗くなっていた。俺は慌ててほうきを返しに行く。庭の掃除が全部終わらなかった、というとこっぴどく叱られた。


 次の日の朝、もう庭掃除はしなくていいといわれた。手際が悪すぎたためかと落ち込んでいたが、ほかにやって欲しいことがあるといわれ、どこかに連れていかれる。つるつるに磨き上げられた廊下をぺたぺたと歩き続けると、前の日に迷い込んだ場所に辿り着いた。

(離れだ)

 緑に囲まれた静かな所だ。

「坊ちゃん、連れてきましたよ」

 やや間があって、それからふすまの向こう側から涼やかな声が響いた。

「……いいよ。入って」

 俺を連れてきてくれた男は入れ、と手振りで示すと帰ってしまった。俺はこわごわ手をかけて、ふすまを開いた。

「あ……」

 あの美しい少年がいた。ぶしつけなくらいじっと顔を見てしまった俺を気にもとめず、彼は息を呑んでしまうくらい綺麗に笑った。

 

 顔かたちの美しさと心の綺麗さは比例しないのか、坊ちゃんは我が儘だった。庭でみかけた俺をなぜか気に入り世話係に任命したくせに、やることなすこと文句ばかりつけられる。酷く気分屋で、さっきやって欲しいといったことを、こちらができましたよと声をかける頃にはすっかり忘れているのだ。最初は苛々させられたがそのうちに俺は慣れてしまい、気にならなくなった。

 可哀想に生まれつき病弱な坊ちゃんは、三日に一度は体調を崩して寝込んだ。その度にかかりつけの医者を呼び、薬を飲ませる。額にあてる濡れた手ぬぐいはすぐにぬるくなった。それを替えながら、俺は苦しげな坊ちゃんの顔を眺めた。

 熱があるためか、息が浅い。日に当たらないため女より透き通る肌には、玉のような汗が浮いている。はあ、と俺は溜め息をついた。はやく治るといい。そう思った。

 俺の願いが届いたのか、あくる日には坊ちゃんの熱は下がった。でも急な発熱に体力を奪われてだるいようで、寝てばかりいる。

「喉が渇いた」

というので水差しに冷たい水を汲んで持っていくと、

「口移しで飲ませて欲しい」

などという。きっとからかっているんだろうと思って俺はむかっとした。坊ちゃんの顔を見ると、意外に真面目な表情をしている。

「みず……」

 薄い唇が言葉を吐き出し、赤い舌がちらりと覗くのを見たら、不意に頭がわあっとなった。理性が飛んだ。気が付くと、俺はひんやりとした水を口に含み、坊ちゃんに口づけていた。こぼさないように唇をしっかりとあわせ、注ぎこむ。欲しがるように坊ちゃんの舌がめまぐるしく動いた。俺は彼が満足するまで、口移しをつづけた。

 我に返ると、坊ちゃんの唇は俺が吸いすぎたせいで赤くいやらしく腫れていた。その唇が俺に向かって笑みのかたちを作った。それを見ていたら、また頭がぐらぐらしそうになった。俺は慌てて逃げ出した。


 俺は坊ちゃんが怖くなった。彼の熱に浮かされたほっぺたや、とろんとした目、俺を誘った赤い舌がひとときも頭から離れないくせに。意気地のない俺は、坊ちゃんを避けた。

 何かと用事を作り、離れにはできるだけ足を向けない。どうしても断れないときは彼の目を見ず、用件だけ聞いてすぐ部屋から出た。

 部屋の外にはちょうど満開の鮮やかな牡丹が咲いていた。幾重もの赤い花弁を見ていると、不意に風がびゅうと吹きぽたりと落ちた。重たい花は地面に着いてもまた上を向く。まるで生首のようだ。

 牡丹にすらあざ笑われている。風はごうごうといつまでも鳴り続けていた。


 夜中過ぎ、寝つきの悪い俺の部屋でかたりと音がした。重いまぶたをもちあげると、白い人影が見えた。

「誰……?」

 幽霊かと思ったが、足音を潜めてやってきたのは寝巻きを着た坊ちゃんだった。布団にくるまった俺の上に、当たり前のように腰かける。かすかなぬくもりと人一人分の重み。

「離れを出たのは二ヶ月ぶりだ」

 坊ちゃんは秘密を囁くようにひっそりと俺にいった。

「どうしてこんなところに……?」

 寝ぼけていた俺はそれほど驚きもせず、普段どおりに彼に話しかけた。

「お前に避けられているからな。……それに、昼間はできないことをしようかと思った」

 彼は美しく微笑んだ。条件反射のように目を奪われた俺は、次の瞬間には硬直した。俺の腹の上にまたがっていた彼が、大きく足を開いたのだ。薄い着物がはだけて白い太腿があらわになる。彼は下着をつけておらず、その奥まで見えそうになった。

「何をするんです!」

 俺は悲痛な叫びを上げた。心臓がどくんどくんと鳴り、顔がかあっと熱くなった。

「お前は、俺の言うとおりにするだけでいい」

 彼は歌うようにいうと、俺の寝巻きに手をかけた。

「……やめてください、坊ちゃん」

 俺が何をいっても聞かず、彼にするすると着物をはだけられていく。

「どうしても嫌というのなら……、お前に暇を出すしかないな」

 抵抗を諦めない俺に、彼はついに脅すような言葉を口にした。

 途端にぷちんと糸が切れる感じがした。俺は坊ちゃんの腕をぐいと掴んで布団に押し倒した。ひらりと体勢が逆転し、俺が彼を見下ろしていた。

 してやったりと薄笑いでも浮かべているかと思ったら、彼はふっと不安げな表情を見せた。胸がずきんと痛み、俺は取り返しのつかないことをしかけていると思った。でも彼の表情はすっと消え、伸び上がるように俺に口づけた。熱く柔らかい舌が絡んで、何も考えられなくなった。


 明け方に離れまで坊ちゃんを送った。後ろ姿の首筋に赤い痕が散らばっている。埋もれ火がちろちろと燃えた。離れの入り口に手をかけて、彼はいう。

「お前は俺のものだ。裏切って、女を抱いたりするなよ。……約束だ」

 俺は苛立った。俺が女だったらよかったのかもしれない。でも俺は男で、彼を抱く側だった。俺のちっぽけな自尊心は、じくじくと熱をもって膿んだ。

 彼が望まなければ、こんな関係を結ぶはずもなかったのに。


 彼は甘やかされいて傲慢で、小さなことで怒り出す。俺はそれを持て余し、離れから出られない彼を放置する。二、三日経って様子を見に行くと、彼は叱られた子供のようにしゅんとしていた。それに愛しさがつのり、どんどん後ろに引けなくなった。

 でも、彼との蜜月は長くは続かなかった。

 その年の冬は寒かった。幾日も吹雪が続き、屋敷全体が白い壁のなかに閉じ込められた。俺と坊ちゃんは食事を取りにいくとき以外、ずっと離れに閉じこもっていた。冷えきった手足を擦りつけ合い、言葉も交わさず降りしきる雪をじっと見ていた。坊ちゃんがこんこんと咳をした。

 長い冬もやっと終わりに近付いてきたのに、坊ちゃんの咳はますますひどくなるばかりだった。不安が募り、お医者様に頼み込んで根深い雪のなかをわざわざきてもらった。

 難しい顔でずっと坊ちゃんの心音を聞いていた初老の医師はこう口にした。

「……肺病ですね。どこか暖かいところにいって静養する必要があります」

 坊ちゃんはきょとんとしてまばたきを繰り返した。

 彼は入り婿である旦那様の実家に行くことになった。男手が勿体ないのか、俺は一緒に行けなかった。泣きたくなった俺とは正反対に、坊ちゃんはひどく冷静だった。

「きっと、一年で戻ってくる」

「ほんとうに?」

「約束する」

 小さな子供達のように俺たちは指きりをした。それくらいしか縋れるものはなかった。

 彼は俺の前から姿を消した。


 彼が帰ってきたのは冬のよく晴れた日だった。はらりはらりと雪が舞い落ちる。牡丹の木に積もった雪を払い落としていた俺の肩を誰かが叩く。振り返ると、夢にまで見た彼が微笑んでいた。すっかり元気そうだった。俺は声も出ずに、彼をみつめた。

「約束」

「守ったよ」

 どちらからとなく手を伸ばし、隙間なく触れ合った。月日の隔たりを少しでも埋めるように。懐かしい彼の香りが鼻腔をくすぐる。幸福に胸が痛んだ。

 もう離れない、俺たちはそう約束する。

 


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