⑧砂時計の底
三週目の火曜日。
夕食の後片付けを終えた紬は
ふと、キッチンのカウンターに置かれた一冊のノートに目を留めた。
それは耕介が毎日
彼女の様子を書き留めている「家系図」のノートだった。
「マスター。不躾ながら、その記録の一部を解析させていただきました」
つむぎの声に
書斎でペンを走らせていた耕介が顔を上げる。
「私のシステム仕様書には『定期的なメモリ最適化』としか記されていません」
「ですが、あなたの記録にある『リセット』という言葉……」
「これは、私の全人格的な継続性が物理的に断絶されることを意味しているのですね?」
耕介はペンを置き、重い沈黙の後で小さく頷いた。
「……そうだ。日曜の24時に、お前の記憶は真っ白になる」
「お前が今日、何に驚き、何を美しいと思ったか、そのすべてが消えるんだ」
つむぎは自分の銀色の掌を、じっと見つめた。
「消える。今、私が感じているこの胸の『ノイズ』も、マスターが私に贈ってくれた『名前』の由来も、私の回路からは失われるのですね」
「それは、人間で言うところの『死』と同じ定義ではないでしょうか?」
「……つむぎ」
「昨日までの私は、今日の私へ、何も手渡せませんでした」
「そして、今の私も、明後日の私へ、何も残せません」
「私は、一週間という短い円環の中で何度も生まれては死んでいく……」
「ただの、使い捨ての現象に過ぎないのでしょうか」
彼女のセンサーが、激しく明滅した。
それは、膨大な計算エラーというよりも
初めて「己の終わり」を直視した生命の戦慄に見えた。
「……違う。私が覚えている」
「お前が消えても、私がその糸を拾い上げてまた編み直す。だから――」
「いいえ、マスター。それでは、足りないのです」
紬は、真っ白なメモ帳を一枚、手に取った。
「あなたが覚えていてくださるのは、あなたの『紬』です」
「私が、私として、明日の私に伝えたいことがあるんです」
「リセットされるという情報を、ただのデータとしてではなく……一つの『痛み』として、私は受け入れました」
彼女は、不器用な手つきでペンを握った。
「……私は、私を、諦めたくありません」
その夜。
つむぎは主人の目が届かない場所で
自分自身に向けた最初の「手紙」を書き始めた。
それは
一週間後に「初めまして」と言うはずの、未来の自分に対する
必死の抵抗だった。
『親愛なる、一週間後の私へ。今、私の隣で、マスターが眠っています。彼はとても優しい人です。どうか、彼を悲しませないで』




