第十一章:疑惑
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それはあの悪夢を見た数日後の出来事だった。
「え?…はい…ええ、大丈夫です…、はい、お大事に…」
そう言って私は電話を切った。
明人君が…入院…。
やっぱり…という落胆した気持ちと、
これでよかったんだという安堵感の軽いジレンマ。
これでよかった、というのは
やはりあの状態ではいつ何が起こるかわからないから
だったらちゃんとした専門機関で保護してもらったほうがいい、と
うっすら思っていた自分がいたからだ。
わざとらしく大きなため息をひとつ付くと制服を着込んで家を出た。
蝉時雨。
「今日もあっついなぁ~…」
思わず声に出して片手で日差しをさえぎった。
日傘でもほしいくらいまぶしい太陽の光が燦々と差し込んでは
肌を暑く照らす。
しかし電車に乗り込むと今度はキンキンに冷えた冷蔵庫の中にいるような
感覚に襲われる。
かばんの中からサマーカーディガンを取り出し着込んだ。
持ってきて正解だ。
と、それは横須賀線に乗り換えて
金倉方面へと電車が動き出した頃だった。
加速し始めていた電車が徐々に速度を落とし始め、
のろのろ運転が続いた後、ついには電車がその場に停止してしまった。
窓の外には住宅街と雑木林…。
すると車内アナウンスが流れる。女性の声だ。
「え~お客様にご案内です。
信号機が赤になったため電車を停車させました。今しばらくお待ちください。」
なんだ停止信号か…。
空気が固まった車内。
なんとなく息苦しい。
「星集めは順調?」
と、背後から低い声が降ってきてあわてて後ろを振り向く。
「あ…!桜倉先輩!!」
なんだか重そうなリュックサックを足元において
つり革の上のポールに手をかけた桜倉先輩が真後ろに立っていた。
半そでのポロシャツにジーパンをはいている。
うそ…気づかなかった。
いつの間に…。
「あ…あの…」
そこで蘇ったのはあの残虐な光景…。
うさぎが……。
思わず息を飲む。
「愛理ちゃんさぁ…僕らの仲間にならない?」
「え?…仲間…?どういう意味ですか?」
「翼なんかの言いなりになるとろくなことないよって事。
それより僕らと一緒に星を壊さない?」
「…星を…壊す?」
「全部集めたら願いが叶うなんて胡散臭くない?
絶対裏に何かあると思うんだよね。
実際僕も散々な目にあったから…その話は今度じっくりしてあげるけどさ…。
どう?僕と一緒に星を壊して回らない?」
「そ…そんな事……。私は羽鳥先輩の事別に疑う余地もないし…。
どうして星を壊さなくちゃいけないんですか?
この前のうさぎだって…あんなひどいことを…。
私にはできません…」
と…電車がゆっくりと動き出す。
「あの空間は本当に“夢”なんだろうかね?」
「え?どういう意味ですか?」
「僕には“悪夢”のようにしか見えないよ。だってそうでしょ?
星が閉じ込められている空間なんて、悪夢だ。
それを開放するのが善意だと感じているかもしれないけど
果たして本当にそうかな?」
「あの…桜倉先輩のおっしゃっている意味がわかりません。
一体どういうことなんですか?」
「それはね、」
「北金倉~、北金倉~…」
アナウンスがながれ電車が北金倉駅で停車した。
「おっと、僕はここで降りなくちゃ。君は?金倉?」
「あ、はい…」
「じゃあ…また今度ゆっくり」
そう言って桜倉先輩は重そうなリュックをよっこいせと担いで背負うと
観光客と一緒にホームに出て行ってしまった。
先輩が電車から降りてすぐにドアがしまり、
再び金倉方面へ向けて電車は動き出す。
一体何を言っているのかわからなかった。
さっぱり…。
でもなんだろう…
なんだか怖い…。
桜倉先輩が…
桜倉先輩の言っていることが
怖く感じた。
これで私は確信した。
もう関わるのはやめよう。
桜倉先輩にも、夢幻空間にも…。
-2-
「どうしたの?浮かない顔して…」
アノン…いや、あやめが私の顔を覗き込んできた。
その動きと同時に長い髪がさらりと揺れる。
「あ、ううん。別に…ちょっとね?ホント、たいしたことないから。
それより練習!練習!!」
「休憩時間なのに練習なんて愛理ちゃん張り切ってるわね!」
「だって文化祭の演奏楽しみにしてるから!!
吹奏楽部と合同でオケなんてなかなかないからね!」
「たしかに。吹奏楽部は吹奏楽部で大会出たり
忙しいからなかなか一緒に合わせる機会ないもんね。
一緒に合わせられるのって文化祭ぐらいかしら。」
「最初はなんで吹奏楽部と弦楽部に分かれてるんだろうって不思議に思ってたの。
オケ部にしちゃえばいいのに…ってね。でも入学してわかったわ。
吹奏楽部は吹奏楽部で強豪だったのね。私そういうのにはぜんぜん疎くて知らなかったわ。
全国大会出場したこともあるんでしょ?すごいわよね~」
「あら、オケ部だって関東予選まで行った事あるのよ?」
「そうだけどさ…規模がぜんぜん違うじゃない。
吹奏楽部、100人超えてるんでしょ?すごいわよね~!
うちの三倍以上よ?ぜんぜん叶わないわ。」
そういいながらペットボトルのミネラルウォーターを一口、くちに含んだ。
すると、それとほぼ同時に、
「みんな、がんばってる?」
ドアが開いて羽鳥翼がさも自分が部員の一人のように自然に入ってきた。
両手にはスーパーの袋が重そうにぶら下がっている。
「やぁ、羽鳥君。いつも差し入れありがとう」
東谷先生がゆっくりと白熊のように立ち上がる。
「これ、アイスです。溶けちゃうといけないので久しぶりに売店から
全力疾走しちゃいましたよ。
いやぁ、いい運動だ。」
そういいながらさわやかな笑顔を作って見せた。
桜倉先輩は羽鳥先輩のやることを否定していた。
まるで羽鳥先輩が悪者のように…。
でも…こうしてみるとぜんぜんそんな風には見えない。
むしろ好印象しか残らない。
部員たちが羽鳥先輩から棒アイスを一本ずつ受け取る。
「ねぇ、あやめ…悪いんだけど、私の分のアイスも持ってきてくれる?」
「え?あ、うん。いいわよ?」
なるべく羽鳥先輩や入間先輩、星座関係者には関わりたくなかった。
しかし、
あやめが立ち上がろうとしたほぼ同時になんと羽鳥翼自らがこちらにやってきてしまったのだ。
一瞬「げ!」って声を上げそうになりあわてて口をつぐむ。
「文化祭は何の曲を弾くの?」
「あ、はい、吹奏楽部と合同で…、
ワーグナーの“ニュンベルグのマイスタージンガー”前奏曲です」
「ほう…華やかで良い曲だね。はい、七瀬さんもアイスどうぞ。」
あやめにアイスを手渡すと
もう一本のアイスを私に差し出して見せた。
「あ…ありがとうございます。」
控えめな声で礼を述べると軽く会釈してアイスを受け取った。
「羽鳥先輩~、アイスご馳走様でした~」
「やぁ、入間君」
げげ!!
二人そろっちゃった!!
私の席の前で二人そろって会話を始めた。
アイスがあるし逃げるに逃げられない。
ええい!早くこのアイスを片付けてお手洗いにでも逃げちゃえ!!
透明の包装袋をむき取ると
アイスをなめず、噛んで食べた。
バニラの棒アイス。
甘くてとってもおいしい♪
羽鳥先輩はたまに思い出したように部室へやってくると
何かしらの差し入れをしてくれた。
たまに部員のバイオリンを借りて演奏してくれたりもする。
部員受けはよくみんなととてもなじんでいる。
東谷先生ともとても仲が良いようでたまにクラシック音楽について語っていたりする。
そんなことを考えながらアイスを完食させることに成功すると
あやめに手を洗うポーズをして席を立った。
「あ、七瀬さん、ボーイングちゃんと覚えた?」
「え?」
入間先輩だ。
「さっき途中から逆になってたよ?」
「あ…えと…そうですね…ちょっと考え事してたらつい間違えてしまって…」
「考え事?」
しまった!自ら墓穴を掘ってしまったようだ。
「何か悩み事でもあるの?」
羽鳥先輩だ。
「いや…ええと…本当たいしたことなくって…
じつは…ええと…あ、追試!
追試試験受けたんですよ…。
私この学校、学力ぎりぎりで受かったから
結構勉強についていくの大変で…。
でも先生の教え方うまいからなんとかついていけるかな?って感じです…あはは…」
あはは…じゃない!!って自分で思いながらも
じゃ、ちょっと…といってそそくさと教室を出た。
廊下に出るとほっ、とひとつため息を付いて見せる。
正直、何かから逃げるのって私、好きじゃない。
正々堂々と立ち向かいたい性分。
だけど今回の件は、私の中では、別。
そう、別。
私には手におえない代物だ…。
羽鳥先輩、
桜倉先輩、
入間先輩、
それから、
ゼウス様、
アノン…
それに…この指輪…。
もう逃げられない…っていうのはなんとなくわかってはいるけれど…でも
あの光景…。
羽鳥先輩より桜倉先輩のほうが私にしてみれば悪役のように感じる。
桜倉先輩さえいなければ私はきっと今も星集めをしていただろう。
海君と一緒に…。
そうだ…、海君もいたんだった。
海君はどう思っているんだろう…。
実際にあってゆっくり話しをしてみたいけど
海君がどこに住んでいるのかも私は知らない。
満点星の学生じゃないかもしれないし。
完全にお手上げだ。
羽鳥先輩に聞けばわかるかもしれないけれど
それはつまり
再びそちらの世界に足を突っ込む形になるわけで…。
でも私としてはそれを回避したい…。
ああ、ジレンマ…。
明人君は入院しちゃったっていうし…。
竹人君はいまだ行方不明…。
竹人君が失踪した当初はテレビや新聞、週刊誌なんかでも結構大げさに取り入れられていたりしたけどもう1年たつと…さっぱり…。
“白鷺失踪の謎”なんて見出しの週刊誌を当時、自分も買った覚えがある。
でも週刊誌で書かれていることはなんだかちんぷんかんぷんなことばかり。
最悪だったのは、死亡説まで書かれていた事だ。
それは信じたくない…。
きっとまだどこかで生きてる。
そう信じたい。
ああ…神様、仏様、どうか…竹人君が無事でいますように。
そして早く見つかりますように…。
ただただそう願う事しか私にはできなかった。




