第四章 隠し蔵に裏荷物 4
陽もとっぷりと暮れた夜五つ、星明りを頼りに川を下る一隻の小舟があった。縁には、島原の太夫と見まがうばかりの絶世の美女が侍り、水面に掌を翳しながら、優雅に唄を口ずさんでいる。これが陽の燦々と降り注ぐ昼間ならば……否、川面を照らす松明の一つでもあったならば、どこの姫君の戯れかと噂になったやも知れぬが、あいにくと現実はさにあらず。
「何で、いっぱしの侍がや。夜中に竿を手繰って、船頭の真似事をせにゃあかんねん!」
雰囲気ぶち壊しの愚痴を吐きながら、迅三郎が竿を手繰りながら川底をぶすぶすと突き刺していた。
「そりゃ、迅が、いんじゃんに負けたからやろう」
胡坐を掻いたままの状態で、十郎太が器用に振り返って、したり顔で頷く。
状況は確かにその通りで、舟に乗り込む前のじゃんけんで迅三郎は十郎太に負けてしまい、漕ぎ手の役を押し付けられたのだが。
「俺が言いたいのは、そうやなくて」
「何でいつも負けるか。か?」
「それも、気になるんやけど……」
「迅は、いんじゃんの時、いっつも同じ手を出すんやから。受けて立つほうにしたら、こんな楽な相手はないわな」
連敗の絡繰を暴露されて「ちくしょう! そうやったんか」と歯噛みしたが、言うべき事柄がそこではないこと思い出し、慌てて「そうやのうて」と首を横に振る。
「ホンマに言いたいのは、船頭の真似事をせなあかん理由や!」
肩でぜいぜいと息を吐きながら「ここは間違えるな」と怒鳴るが、十郎太は「何や、そんなこと」と軽くあしらい「仕事やろ」の一言で済ます。
「文句があるんやったら、奉行に直接、言えや。奉行に」
諫めるように説く。だが、明らかに上からの物言いに、迅三郎の機嫌はますます悪くなる。
「言えるんやったら、こんなところで愚痴なんか、垂れるか」
半ば逆切れのように言い返し、歯切りをしながら竿を手繰る。
稲垣の策にまんまと嵌り、四方を絡められた末に「調べて参ります」と吐かされた結果が今の姿なのである。
嵌められただけでも業腹ものなのに、相棒格であるはずの十朗太が、何故櫂も漕がずにふんぞり返っているのか。そこんところの理不尽が、いまいち理解というか納得できない。
「何で俺だけが、こんな苦労せなアカンねん?」
癇癪をおこして竿を乱暴に突き立てる。
苛立ちが伝わったのか、鏡のように穏やかな川面の上なのに、引っかかった竿に煽られ舟が右に左に大きく揺れた。
「ちょっと!」
突然の横揺れに驚いたのだろう。月世が座ったまま船縁をひっしと掴むと、優雅さからほど遠い格好のままキッと睨みつけるように振り返った。
船縁の一番前に腰掛けていたので飛沫まで降りかかったのか、縁を掴んだ手首からは冷や汗のように川の水が滴り落ちている。
「愚痴を吐くのは勝手やけど、舟まで引っくり返さんとってや」
最後に「ええ加減にしいや」と、容赦なく冷たい言葉を浴びせかけ、月世は「フン」と鼻を鳴らす。
「俺等まで土左衛門にしてくれるなや」
十郎太も慰めどころか、月世の言葉尻に乗っかり、相棒とは思えないくらいの薄情さで傷口に塩を、これでもかというくらいに塗りたくる。
これくらい揺らしたところで、引っくり返るか!
啖呵をきって文句を言ってやりたいのだが、月世のような美女に睨まれると、どうにも勝手が悪く、声も小さく押し黙ってしまう。原因が自分なだけに尚更か。皮肉の一つも口にできず、迅三郎は、ただただ不貞腐るだけだった。
それもこれも、奉行がつまらんことを思いつくからや。
傍から見たら完全なる八つ当たりを、迅三郎はここにいない稲垣に向かってぶつけていた。
「抜け荷の裏を調べさせるんやったら、こんな回りくどいことなんかせんと「命令や」と言えばいいものを、都合の悪いことは押し黙って、こっちが自発的に調べているという体裁を採り続けるんやからな」
蔵詰め武士が口にしたとはいえ、身分の低い下士が口にしただけ。本気で調べて、万が一にも言質に偽りがあったとき、奉行所に責めが来るのは、稲垣にとって非常に具合の悪い事象になる。薩摩の怒りを直接には被らないよう、一個人の思惑で調べたという立場を貫こうという構えなのだ。
グチグチと文句を言おうが言うまいが、三人の乗った小舟は流れに抗らうことなく、下へ下へと流れていった。
いくつかあった分岐を南のほうに手繰り寄せるうちに、青臭い水の匂いが影を潜めて、鼻腔に磯の匂いが纏わりつくようになってきた。
鏡のように穏やかだった川面に白く泡立つ無数の小さな波が立ち始め、回遊魚の跳ねる水飛沫が鈍く光るようになった頃、正面の岸に、星明かりでぼんやりと浮かぶ龍神組の蔵が見えてきた。
「何? このバカみたいに、でっかい蔵は」
裏世界の住人とはいえ、ヤクザの凌ぎには疎いのだろう。威圧するような建物の大きさに、月世が驚きの声を上げてたじろいだ。
「その、バカみたいにでっかい建物が、俺たちが家捜しをする目的地」
竿で舟を岸に寄せながら、案内よろしく迅三郎が短く一言「そうや」と答える。
遠近感が乏しくなる闇夜なうえに、目線の低い川面から見上げる形になるから、余計に大きく感じるのだろうが、威圧感のある建物は、ちょっとした砦か出城にすら見える。
「強請りに凌ぎに、止めは抜け荷の片棒と。お天道様に逆らって成り上がった末の代物かね」
評するように十郎太が〆の言葉を口にすると、同じ日陰の身でありながら月世が「そうそう」と大きく頷き、賛同の意を示した。
「何かしら後ろめたい稼ぎでもないと、こーんな大きな蔵なんて、おっ建てることは絶対できないわよ」
自身の存在を真っ向から否定するような言い草だが、月世の中では筋道立てた倫理観が別にあるのだろう。発言に揺るぎが一切なく、心底、蔑むような口調だった。
女ってのは、他人のことだと、何でここまで厳しく図太くなるのかね。
口に出すのは憚ると、心の中で反芻しながら、迅三郎は竿を手繰り、舟を岸に寄せていく。
が……
「言っとくけど、あたいは堅気を相手に、悪さなんかせえへんで」
隠していた表情をいとも簡単に見透かされ、頭から冷水をぶっ掛けられたかのように、背中から悪寒が走る。
「なっ……何で、言ってもないことが分かるねん?」
吃りながら訊き返すと「そんなもん」と、知っていてさも当然とばかりに、鼻でせせら笑われた。
どういうことか? と、訊くよりも早く「つまりや」と月世を押しのけるように十郎太がしゃしゃり出る。
「迅は、お頭の動かし方が単純過ぎるねん。もうちょっとじっくり考えて、思慮深く動かんと、あかんて」
蟀谷を指で突きながら、さもありなんと、したり顔を作る。
「余計なお世話や」
他の誰に言われるよりも、十郎太に言われるのが一番むかつく。しかも、あげつらいを言うだけ言うと、「それよりも」と、さっさと話題を切りかえるところが余計に憎たらしい。
おかげで振り上げた拳を下ろすところが、ものの見事になくなってしまった。
「少し離れたところに舟を着けんとな。大丈夫やとは思うけど、念には念を入れとかんと」
迅三郎の苛立ちが収まらぬ中、声を低くし思慮したような声色で十郎太が呟く。
わざわざ口に出して言うまでもない基本中の基本事項なのだが、言い回しがそれっぽいのか、横で聞いていた月世が感心するように「ほーっ」と合いの手を入れてきた。
「トウシロの割には、基本をちゃんと押さえてるやん」
「だてに同心は、やってないで」
胸を張って十郎太が答えるが、自慢するような内容ではない。
そもそも同心役は、泥棒の類を取り締まる側の立場なのだ、手口を知らないでどうしろというのか。
「天狗になる前に、やることをやろうで」
調子に乗って増長しそうな十郎太の後頭部をブッ叩くと、迅三郎は注文通りに、蔵から離れた、直接には見えない死角に舟を着ける。
後はもう、勝手知ったる何とやら。岸に上った三人は、周囲に人影がないのを確認しつつ小走りに駆けていくと、目配せだけで蔵の前に張り付いた。
暗殺者と同心という、盗みの素人としてはまず及第点をあげられるような段取りの良さだった。
「周りに人気はないけど、隙も何もないな」
定石通り、蔵の周りを一周見て回ったのち、十郎太が渋い顔をしながら愚痴った。
脛に傷を持つからかは定かではないが、蔵の壁は厚く頑丈で、明り取りの窓も遙か上のほうにしか開いておらず、鋼鉄の格子まで入った念の入りよう。
構造からしても、窓から忍び込むのはまず不可能で、大きさだけでなく、堅牢さでも城に匹敵していた。
「ま、それは、予想のうちやろ」
対する迅三郎のほうは、というと、さも当然だとばかりに、したり顔で言ってのける。
「そもそも、俺等は盗人とちゃうねんで。裏からこそこそと入っていくような理由が、どこにある?」
それどころか、自ら胸を張り堂々と素人だと吹聴するほど。意味のない自信がいったいどこから出てくるのか。
これには裏社会の住人である月世が「あのな……」と絶句し、呆れ果てた。
「ほな、どうするん? 正面から堂々と入るとか?」
無謀な侵入方法をからかうつもりで言ったのだろう。半ば挑発気味に「そんなことが、できるのか」とばかりに尋ねてきた。
だが、月世の意に反するように迅三郎は「そうや」と大真面目に頷いた。
そもそも周囲には、龍神組の連中どころか、見咎めそうな人気すら一切ないのだ。
ならば、わざわざ苦労して、窓や軒下のようなところから、こそこそと忍び込む必要もあるまい。
「せっかく、これだけ大きい入口があるんや。使わせてもらおうやないか」
迅三郎の頭の中では、至極当然の発想として成り立っていた。
もっとも、裏稼業の常識では、迅三郎の発想は凡そ考えられなかったようだ。
「そうや。って、鍵が掛かってるねんで! 正面には」
言ったそばから月世がムッとした表情を見せ、正面の鍵をこれ見よがしに指で示した。
当然のごとく鎮座した錠前は、入口に比例するようにことさら大きく、雰囲気だけでも盗人を追い返すほどの威圧感を漂わせていた。
しかし無知は最強というべきか、月世の脅しに素人である迅三郎が不安になる気配は、まるでなかった。
「鍵くらい、掛ってるやろな。蔵やねんから」
そんなことは常識と言い切るような答を返し、
「閉まっとるんやったら、開けりゃええねん」
と、錠前など問題ではないとばかりに、きっぱりと言い切った。
「ほぅ……」
途端、月世の表情が変わった。
今の今までは「素人が何、無知なことを言いさらしている」という、上段目線のちょっと小馬鹿にした物言いだった。
だが、たび重なる大口が、月世の我慢の限度を超えたのだろう。
「それやったら、やって見せてや」
射すような視線で、氷のように冷たい言葉を吐く。
心配しているというより、完全なる喧嘩口調。やれるものならやってみろ、と言わんばかりの迫力は、掛っている錠前が只者ではない証左でもあったが、そこはもちろん、言い出しっぺ。
「よっしゃ」
気合いというにはやや間の抜けた返事をよこし、一歩前にすっと出て件の錠前を掴んで目元に寄せる。
鍵穴を正面と言わず横や縦から微に入り細にわたって観察すると、誰に言うでもなく「いけるやろ」と、小さく呟いた。
「おぃおぃ、アレをやるんか?」
呟きを拾うように十郎太が渋い顔を作り、人差し指をくるくると回しながら、訊いてきた。
迅三郎はためらうことなく「そのつもりや」と答える。
「こういうことは、正攻法でいかんとな」
とってつけたように繕うが、訝る十郎太には、迅三郎の軽口が通用しなかった。
「鍵を抉じ開けて押し入るとこの、どこが正攻法やねん!」
呆れたというより、寧ろ憤りに近い言い回しで「この、アホ迅が」と、歯を剥いて噛みつくように突っ込んでくる。
「蔵に忍び込むんやぞ、俺たちは。分かってるのか?」
忍び込むところに、ことさら力を入れて、出来の悪い子を諭すように十郎太が注釈を入れる。
「闇を突いて、こっそり窺って、鉄砲の抜け荷の動かぬ証拠を突き止めようとしているんやぞ。俺たちは」
分かってるのか? と言った後にまで十郎太は念を押す。
「闇夜に乗じて探索をするのだから、目立つことは絶対に避けろ」と、付け加えることも忘れない。
「いや、それ。おかしいやろ」
微妙に噛み違いのある了見に迅三郎が空いた左手を激しく振るが、軌を合わせるように月世もまた「おかしいって」と、手を横に振っていた。
「何か妙に美意識を気にしてるみたいやけど、どこから入ろうと忍び込むんは同じやで。ホンマにできるんやったら、鍵ぃ開けて入口から入るほうが、エエに決まってるやん」
玄人として当然の意見を口にすると、十郎太の目が一瞬ぐらっと泳いだ。
「え、そうなのか?」
「出来るんやったら、当然でしょ」
なおも忍び込みの様式に拘る十郎太を、ぴしゃりとねじ伏せる。
だが、同時に懐疑的な視線を、迅三郎に投げかける。出来るものならやってみろという姿勢は崩しておらず、挑発の手も緩めていなかった。
尤も、言われた迅三郎に応える様子などまるでない。
「百聞は一見にしかずや」と軽口を叩きながら「ちょっと借りるで」と、おもむろに月世の頭に手を伸ばすと、髪を結っていた簪を引っこ抜く。
「ちょっと、なにするの!」
簪を奪われて、押さえるものが突然なくなり、頭の上で巻いていた髪が、雪崩のようにはらりと乱れた。月世が慌てて両手で押さえる。
一見の観賞価値があるほどの美女のうろたえる姿を無視して、原因を作った迅三郎は手にした簪を錠前の鍵穴に差し込むと、当たりを窺いながら差した簪の柄を右に左に小さく動かした。
やがて……カチャリという鈍い音が聞こえると、掌ほどある錠前から扉を固定するための閂が、あっさりと外れた。
「うそっ……」
ほいと無造作に投げられた閂を両手で受け取りながら、月世が信じられないという声を出した。
「あたいは盗みなんてやらへんし、それほど専門家って訳やないけど、この錠前は、そんじょそこらのヤツとはモノが違うで」
扉から外され、用途を剥奪された錠前を指さしながら、月世が興奮冷めやらぬといった面持ちで捲し立てる。
「この鍵を外すのが、そんなにスゴイんか? この手合いのやったら、奉行所の蔵にも掛っとるぞ」
日ごろ見慣れている錠前だけに、どういうことなのか、いまいち実感が湧かないのだろう。月世の異常な興奮ぶりを、傍にいた十郎太のほうが驚いて「何ごとか」と尋ねる。
「スゴイなんてもんやないわ。よう見てみ」
言葉だけでは伝わらぬと思ったのか、手にした閂を十郎太に向かって「ホレ」と突き出した。
「よう見てみ」
錠前自体が男の掌でも持て余す大きさだけに、閂だけでもズシリと重量感があり、柄の部分には凹凸が精緻に細工されている。月世は凹凸を指さし「ここの細工がハンパやない」と言い切った。
「市中に名の通った蔵持の大店かて、こんな大層な錠前なんか付けてない。どこもそこも、この鍵を付けられたら、盗人商売あがったりやな」
「そうなんか?」
苦労していないだけに実感が湧かず、開けた迅三郎自身が月世に向かって訊き返すと、「何を余裕ぶっこいてるねん」と皮肉られた。
「あたいが幾つ数えている間に、この鍵を外したんや、こやつは。しかも早いときてる。玄人の錠前破りでも、こんだけ手際のええヤツなんて、そうはおらんで」
月世としては最大限の賞賛だろう、皮肉も交えずに素直に驚きの言葉を口にする。
「褒められても、嬉しくないんやけどなあ」
同心が錠前破りの腕前を称えられても、反応に困る。ましてや相手は裏稼業の暗殺者。苦笑いで誤魔化すのも体裁が悪く、困ったような表情で迅三郎は肩を竦めた。
それを謙遜と受け止めたのだろう。月世は「えーっ」と声を上げると「冗談でしょ?」と両手を左右に大げさに振った。
「あれだけの腕前を持ってて?」
惜しい、勿体ないを連呼する。
「同心が蔵破りなんか、するか。のっぴきならん事情で、仕方なしに身についたんや」
「はぁ?」
いきなり出てきた蔵破り修得の切っ掛けに、月世の目が真四角になる。
直後に好奇心が湧いてきたのだろう。「のっぴきならん事情って、どういうこと?」と訊いてくる。
子供のような月世のオウム返しに、一番触れられたくないところを抉られ、迅三郎としても気分が悪い。
「せやから、のっぴきならん事情や。察しろ」
これ以上は訊くなとばかりにぴしゃりと言い放ったが、もう一つ閉めるべき口があっことを、迅三郎は失念していた。
「迅の鍵開けは、蔵に仕舞いこんだ書物をこっそり引っ張り出すために体得したものやさかいな」
迅三郎が「ようポカしよるねん」と言いながら、十郎太が月世相手に鍵開けを体得したの経緯を面白おかしく説明した。
「あそこの鍵は難儀やからなぁ……おかげで、要らん特技が身についてしもうた」
「なるほど。切迫した状況が、人を育てるんやな」
納得したように月世が頷く。
「それを世間では、帳尻合わせって言うんやけどな」
「やかまし」
余計なひと言を口にした十郎太の後頭部を叩くと、迅三郎は中に入るべく、蔵の扉に手を掛けた。




