第三章 隠し荷 7
「龍神組のきな臭い噂。耳に挟んだことはあらへん?」
艶やかな唇を艶かしく動かしながら、月世が物騒な事柄を口にした。
「そら、相手はヤクザやねんから、物騒なんは当然とちゃうんか?」
戸口から茶々を入れるように徹生が絡むが、月世は視線すら向けようとはしなかった。まるで台所に躍り出た溝鼠でも相手にするかのごとく「うざいから出ておいき」と醒めた口調で言い放つ。
うわっ、辛辣。
手下に対するあんまりな扱いに同情するように、迅三郎は眉をしかめたが、それよりも月世の言うきな臭い噂のほうが気にかかる。
「是非聞いてみたい」
格好よく決めて迅三郎が促すが、耳をつままれた状態では、傍目から見て滑稽なことおびただしい。徹生から「間抜けでっせ」と誹られるのも無理からぬ。「ええか、よう聞きや」という月世の声もまた、笑いを抑えようと篭もりがちであった。
「噂の出処は訊きなや」
「そこは仁義やと言うんやろ。俺らも、そのくらいはわきまえとる」
なら、話は早いとひとこと言うと、月世は一足飛びに本題のほうへと話を進めた。
「龍神組が黒獅子一家と縄張りやシノギで張り合っているのは、今さら言うまでもないわな」
「ああ」
迅三郎が頷き、同調するように十郎太が「そりゃな」と答える。
話をする上での前提とはいえ本当に今さらな枕、ここから延々と件を聞かされるのかと思うとぞっとする。が、月世の反応は拍子抜け。知っていると答えたのだからと、一足飛びに本題へと話を持ってきた。
「お互いに強み弱みの分野はあるけど、全体の力はだいたい拮抗している。それやから小競り合いが延々と続いてるんやけど、当事者としたら、目の上のたんこぶどころか喉元に匕首を突きつけられた状態やわね」
ずいぶん物騒な例えだが、言わんとすることは理解できる。
「ぶった斬ってすっきりしたいんやろうけど、それをやったら、こっちもただでは済まへん。せやから迂闊に手出しもできん」
迅三郎に代わってもどかしい状況を十郎太が口にする。と、
「分かってるやん、アンタ」
感心するように月世が「うん、うん」と頷く。
「それが今の状態。アンタ達にしたら、お互いに無茶せんからそれほど悪くはないんやろうけど、当事者は堪らんやろうね」
「それは」
「よーく、解る」
実感なのか、互いの頬に拳をめり込ませながら迅三郎と十郎太が同時に答える。あほらしくて呆れたのか、月世はため息をついて付き合いきれんという表情を作ると「だから」と続きを口にする。
「こっから先はガキの喧嘩と一緒やけど、力が同じくらいの相手に勝とう思うたら相応の道具を容易せなあかんわな」
意味深に言ってニヤリと笑う。
何やら抽象的な物言いに迅三郎はいまいちピンとこなかなかったが、十郎太のほうは何かに気付いたらしく、膝をぽんと叩くと「そういうことか」と独り得心した。
「あら、もう分かったん?」
皆まで言う前に理解した十郎太に向かって、月世が恐れ入ったとばかりに感嘆の声をあげる。
「そりゃ、もう。そこのただ刀を差しただけの奴とは、ここの出来がちゃうからな」
先に分かった優越感をひけらかすように、十郎太が頭の周りで輪を描く。迅三郎は臍を噛むが反論ができない。ここで何か言えば認めたも同然になってしまう、そんなことをしてしまえば十郎太が増長するのは火を見るよりも明らか。絶対に認められない。
「ふ~ん、そうなんや」
迅三郎の心情を知ってか知らずか、月世がさらに頷く。正体が分かったとはいえ、目の前で絶世の美女が十郎太を持ち上げるのは見ていて不愉快。しかも比較されている相手が自分となると、その感は尚更である。
「思わせぶりなことを言わんと、さっさと核心を言えや」
「もう一人おったね、刀だけを差してる奴が」
底意地の悪い笑みを浮かべながら、月世が嫌味たらしく、ちくりと言う。先の一件を根に持っているのは明らかで、迅三郎がピンと来ないのをいいことに、ここぞとばかりに痛いところを衝いてきているのだ。
見事なまでの嫌味ッぷりに「うるさい」と迅三郎が小さく管を巻くと、十郎太が優越感からこれ見よがしに鼻を鳴らす。
面白がっているのは明らかで、迅三郎としては、ますます気分がよろしくない。
「まぁ、あんまり苛めると本気で拗ねちまうだろうから、この辺りにしとこうとは思うけど」
ここらが潮時だろうと月世が引いたが、口調は相変わらずの、上段目線。
「連中は、南蛮から鉄砲を買い付けようとしているんでさぁ」
勿体ぶって、いつまで経っても真相を言わない月世に代わって、助け舟を出すように徹生がそっと耳打ちをする。
「鉄砲だぁ?」
思わず声を出した迅三郎に向かって「それ以外に何があるって言うの」と素っ気無く月世が答える。
「人も金も拮抗してるから、どっちも手が出されへんねん。けど、鉄砲があったら、趨勢は、いっぺんに傾くやろうが」
「やろ。そこに俺も気付いたんや」
尻馬に乗るように十郎太が言葉を重ねる。言外に「洞察力は俺のほうが上だ」と言いたいのだろう。
「俺も」の部分をことさら強調するところは、もはやお約束である。言えば調子に乗るので、放っておく。
認めるのは些か癪だが、月世の言わんとすることは道理だ。
大坂で二つの巨大なヤクザ組織が存在する理由は、お互いの力が拮抗しているからに他ならない。争えば規模が大きいだけに共倒れになることは必至、ゆえにどちらも手が出せないのである。
「鉄砲があれば、拮抗が崩れて、勝負に出れると?」
「もちろん、一挺や二挺くらいじゃ、どうにもならんけどね。連中は金にものを言わせて大々的に買い付ける気や」
徹生に美味しいところを持っていかれるのは気にいらないのだろう、今度は出し惜しみすることなく、一気に喋る。
「少なく見積もっても、あいつら三十挺は買い入れるはずや」
きっぱりと言い切った月世に向かって、聞いた十郎太は驚くように口笛を吹き、迅三郎は両の腕を組みつつ「むぅ」と唸った。
三十挺とはまた、穏やかならざる数である。言ったことが事実なら、両者の間に圧倒的な戦力差がつく。
ドスを高々と突き上げて斬り込む黒獅子一家に向けて、横一列に並んだ龍神組の鉄砲隊が一斉射撃をする。迅三郎の脳裏には昔話に聞いた大戦、長篠設楽原合戦の惨状が浮かび上がった。
「しかし。何でわざわざ海の向こうの南蛮から、買い付けをしよるんでっしゃろか?」
迅三郎と十郎太が唸っている中、自身で情報を掴みながらも、今いち腑に落ちぬと、徹生が首を傾げる。
「堺辺りの職人脅してこさえるほうが、よっぽど簡単で安上がりやのに」
南蛮から鉄砲を買い付けるということは、とりもなおさず抜け荷である。それでなくても、お上の目を盗んでの商いなのに、それに輪を掛けて危険も金も余分に掛ける理由が思い当たらないのだろう。
徹生の言わんとすることは解らなくもないが、口にした途端、月世に鼻で笑われた。
「だからオマエさんは、トーシロなんや。連中が手に入れようとしてるのは、そんじょそこいらにあるような鉄砲やない、火縄の要らん最新式の鉄砲なんや。連中はとんでもない代物を買い付けてるんやで」
「火縄が要らん?」
一気に捲し立てる月世の横で、またもや迅三郎と十郎太は顔をつき合わせて驚いた。
「おいおい、冗談やないで」
「下手すりゃ……いや、下手せんでも、そんなん持たれたら、俺らでも勝たれへんぞ」
ずらりと並んだ三十挺もの鉄砲相手に町奉行の面々が立ち向かうなど、無理を通り越して、無謀もいいところだ。
「だから、あたいらも困ってるんや」
すると。途方もない話に青くなった二人に乗りかかるように、当の月世までもが困惑の表情を見せて項垂れてみせる。
「龍神に黒獅子。どっちにも与してないオマエが、何で困るねん?」
食って懸かるように問い詰めると、「裏社会にやって仁義はあるわね」と、つつっと指を横に振り裏社会のしがらみを口にした。
「なんぼ力が正義や言うたかって、裏の社会やって何をしてもええって訳やない。当たり前のことやけど、守るべき筋もあれば、仕来りやってあるんやで」
「そら、そやろな」
月世の大仰な物言いに、あっさりと十郎太が納得する。
「どんな稼業にやって、筋や仕来りはある。それこそ、童の遊びにやって、守らなあかん事柄はあるもんな」
したり顔で、うんうんと頷く。だが、そんなことは、わざわざ言われるまでもない。
「しょうもないこと言わんと、早よ先に進め」
十郎太の口を手で塞ぎながら迅三郎が文句を垂れると、月世は「うわー」と言いながら両手で顔を覆う。
「せっかちやなぁ。んなことばっか言うとったら、女子に嫌われるで」
覆った手をゆっくりと下ろしながら嫌味ったらしく言うと、ここぞとばかりに十郎太が塞いでいた手を振り払い、すかさず月世の尻馬に乗った。
「だから、よく振られる」
言うと意味深にニヤリと笑う。
コイツは一体全体、何が言いたいのだ?
「俺が振られるのと、裏世界の仕来りとは、何も関係ないやろ!」
しょうもないことを抜かすなと、速攻で言い返す。だが、話の流れ的に叫んだ台詞は、負け惜しみにしか聞こえない。しかも女に振られたことを自身の口から公言までしてしまったのだ。
謀られたと迅三郎が気付いた時には、もう遅い。見ると十郎太がしてやったりと目尻を下げながら、拳を固める仕草をし「ええやん。ついでやから」と面白いものを聴けたとばかりに、月世までもがニヤニヤと笑う。
「うるさい!」と一喝すると、「それでやな」と前後の脈絡を無視して話を元に戻してきた。
迅三郎としてみれば、遊ばれているのが見え見えなのに、乗ってしまった自分が悔しい。
「有り体に言ってまえば、鉄砲なんて過ぎた玩具を持ってもらったら、あたい等が困るんやわ」
さっきまでのニヤニヤ笑いは何処へやら。両手で銃を撃つ仕草をしながら、月世が困った顔をする。
しかし……
「ちょい、待ちや」
話の腰を折るように、十郎太が右手を挙げて質問を求めた。
「龍神の連中に鉄砲を持たれて、俺ら奉行側や黒獅子のところが困るのは当然やけど、何でオマエらが困るねん?」
「そこんとこは、俺も気になる」
追随して、迅三郎も月世に尋ねる。利害関係が不明なだけに、どこでどう繋がるのか、さっぱり分からないのだ。
「これだけ言うても解らへんの?」
ええっ! とばかりに目を剥いて、小ばかにするように月世が驚く。
「悪かったな」
半ば開き直りの態で迅三郎が愚痴ると、「もうちょっと、想像力を使ってーな」とキツイ口調で追い討ちを懸けてくる。
同じく不明だった十郎太には「しょうがないわね」と軽く肩をすぼめた程度なだけに、扱いの違いがあからさまだ。
「お天道さんの光が当たるところが堅気の世界やとしたら、あたしら裏社会は、黒い影。文字通り、闇の部分を背負うとるんや」
「それは、さっきも聞いた」
その先の肝心なことを迅三郎は訊きたいのに、月世は勿体ぶるばかりで、一向に先に進もうとしない。業を煮やして詰め寄れば逃げるし、突き放そうとするとそれで良いのかと誘惑してくる。
これではまるで、色恋沙汰の駆け引きではないか。いいように翻弄しやがって、この悪女め――と、思ったところで、ふと迅三郎は思い立った。
月世は俺たち相手に駆け引きをしているのではないか? 隠し事をひけらかす代わりに何かを引っ張り出そうとしているのでは。
なら、話は早い。
「ここだけ話ってことやねんから、つまらん駆け引きは、なしにせんか? できることやったら、俺らも手を貸したる」
迅三郎は先手を切ると、自分の手の内をさらけ出した。
「はっきりとした確証はないんやけど、俺らは龍神組が言うとる鉄砲を手に入れる伝手らしきものを掴んでる」
「何やて?」
いきなりの核心事項だからだろうか、迅三郎の言葉に一も二もなく、月世が食らいついてきた。
「どこの伝手から、そんなネタを仕入れたんや? 自慢やないけど、あたいら裏稼業の地獄耳は、優秀なんやで。それでも、どこの伝手から手に入れるかは、掴めんかったのに」
裏の情報網に絶対の自信を持っていたのだろう。冷静さを装ってはいるが、言葉の端々から口惜しさが滲み出ている。
もし、月世に裏世界で第一人者だという自負がなければ、飛びかかって迅三郎たちの襟を掴んで詰寄っていたかも知れない。
つい先刻までの優劣が完全に逆転したと感じた迅三郎は、ここが勝機とばかりに一気に捲し立てた。
「どこからって? 言われへんのは仁義なことくらい、裏の人間やったら分かるやろ?」
出元を詮索させぬように、すかさず釘を刺すと、月世を力ずくで頷かせる。
「分かってくれたんや。良い子ちゃんやね」
茶々を入れてきた十郎太を黙れと睨みつけて大人しくさせると、「実はな」と勿体ぶりながら、稲垣から聞き囓った情報を語り始めた。




