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また、君の名前を呼ぶ  作者: 天城 真空
第Ⅰ部《消えた少女》

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第一話 昨日まで、君はここにいた

挿絵(By みてみん)

夕暮れの街を、俺とルナは歩いていた。

幼馴染というのは妙なもので、特に用事がなくても気づけば一緒にいる。今日もそうだった。


西門から中央広場へ続く坂道は、沈みかけた夕日に赤く染まり、家路を急ぐ人や荷馬車が行き交っている。その中を歩く俺の半歩後ろで、銀色の髪が揺れた。


「カイ」

「ん?」


振り返ると、ルナが足を止めていた。相変わらず、何を考えているのか分かりにくい顔をしている。


「……明日もいる?」

「何が?」

「カイ」

「俺? いるだろ、普通に」

「そう」


それだけ言うと、ルナはまた歩き出した。俺も歩けば、当然のように半歩後ろから足音がついてくる。


「なあ。前から気になってたんだけど、なんでいつも半歩後ろなんだよ」

「一歩だと遠いから」

「じゃあ隣歩けよ」

「それは近い」

「面倒くさいな、お前」

「カイにだけは言われたくない」

「俺のどこが面倒なんだよ」

「全部」

「ひどくない?」

「聞いたのはカイ」

「そこまで聞いてねえよ」


ルナの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。笑った。たぶん。こいつは普通に笑えばいいのに、なぜかいつも少しだけ笑う。


俺が前を向くと、袖を引かれた。ルナが二本の指で俺の服をつまんでいる。


「近いの嫌なんじゃなかったのか?」

「これは別」

「何が違うんだよ」

「説明するの面倒」

「やっぱお前の方が面倒くさいじゃねえか」

「そうかも」


認めるのかよ。

昔からこんな感じだった。ルナは言葉が少なく、自分から話すことも多くない。それでも俺がくだらないことを言えば返事はするし、人混みではいつの間にか袖をつかんでいる。


こうして二人で歩くことも、俺にとっては何年も前から続く日常だった。


「で、お前は? 明日もいるんだろ?」

「……いるよ」

「じゃあ変なこと聞くなよ」

「確認したかっただけ」

「何を?」

「カイが明日もいること」

「だから、いるって」

「うん」


ルナは前を向き、少し間を空けて言った。


「明日、中央広場」

「いつもの時間?」

「うん」

「分かった」


数歩進んだところで、ルナが振り返る。


「カイ」

「ん?」

「……明日も私の名前を呼んで」


思わず眉を寄せた。


「なんだそれ」

「嫌?」

「嫌じゃないけど」

「ならいい」

「よく分からん」

「分からなくていい」


ルナはそれ以上答えず、俺の袖をつまむ指に少しだけ力を込めた。


「……大事だから」

「何が?」

「約束」


またよく分からないことを言う。けれど、断る理由もなかった。


「分かったよ」

「ちゃんと言って」

「細かいなあ」


俺が立ち止まると、ルナも止まった。


「また明日な、ルナ」


名前を呼ぶと、その顔にほんの少しだけ笑みが浮かぶ。


「……また明日、カイ」


西門近くの分かれ道で別れたルナは、何度かこちらを振り返りながら歩いていった。

俺も手を上げて、それから家へ帰った。


それだけだった。

いつもと何も変わらない一日だった。



翌朝、ルナは来なかった。


いつもの時間を過ぎても、中央広場の噴水の前に銀色の髪は見えない。


十五分なら珍しいと思うくらいだった。二十分を過ぎた頃には、寝坊でもしたのかと思った。

でも三十分を過ぎると、さすがにおかしい。


ルナは俺より時間に細かい。俺が五分遅れただけでも何も言わずにこっちを見て、謝れば『別に怒ってない』と言う。

あいつがそう言う時は、大体怒っている。


四十分が過ぎたところで、俺は立ち上がった。


「……迎えに行くか」


ルナの家までは歩いて十分もかからない。中央広場から東へ二本、朝になると焼きたてのパンの匂いが漂う店の角を曲がれば、青い屋根の家が見えてくる。


何百回も通った道だ。


玄関の扉を叩くと、しばらくして見慣れた女性が顔を出した。


「あら、おはよう。カイ君」

「おはようございます。ルナ、まだ寝てます?」

「……え?」

「今日、中央広場で会う約束してたんですけど、来なくて」


ルナの母親が、不思議そうに俺を見る。


「ごめんなさい。誰?」

「え?」

「今、誰って言ったの?」


一瞬、質問の意味が分からなかった。


「ルナです」

「ルナ……?」

「はい」


女性は少し考えてから、申し訳なさそうに笑った。


「カイ君のお友達?」

「……何言ってるんですか」


冗談だと思って、思わず笑ってしまった。

でも、女性は笑っていない。


「娘さんですよ。ルナです。銀色の髪で、俺と同い年で」

「カイ君。うちに娘はいないわよ」


言葉が、すぐには頭に入ってこなかった。


「……え?」

「息子ならいるけど」

「いや、昨日も一緒に歩いてますよ。俺、何回もここ来てるし」

「それは知ってるけど……本当に、誰のこと?」


胸の奥が冷たくなる。


「……ルナですよ」


もう一度名前を言えば思い出す。そんな気がした。

けれど、返ってきたのは同じ答えだった。


「ごめんなさい。分からないわ」


玄関の向こうに並んだ靴が目に入った。男物が二足と、女物が一足。

ルナの靴がない。


さらに奥を見ると、壁に家族の肖像画が掛かっていた。


父親、母親、兄。

三人だけだった。


「……この絵、三人でしたっけ」

「そうよ?」

「いや……違う」


ここにはルナがいた。

家族四人で描かれた肖像画の端に、銀髪の少女が座っていた。


『肖像画くらい笑えばいいのに』

『カイに見せるものじゃないから』

『じゃあ誰に見せるんだよ』

『家族』

『俺は?』

『……カイ』

『それ答えになってねえよ』


覚えている。はっきりと。


「ここに、ルナが……」

「カイ君?」


女性が俺の肩に手を置いた。


「顔色が悪いわ。少し休んでいく?」


その優しい声が、逆に怖かった。

本気で俺を心配している。そして本気で、ルナなんて知らない。


「……いえ。すみません。また来ます」

「カイ君?」


俺は逃げるように家を出た。



最初は何かの冗談だと思った。

次に、母親が混乱しているだけだと思った。

別の人間に聞けば終わる。そう思っていた。


「ルナ・アステリア?」


パン屋の親父が首を傾げる。


「知らんな」

「いつも蜂蜜パン買ってるだろ。銀髪の女の子」

「この辺じゃ珍しいな。いたら覚えてそうだけど」

「何度も来てるだろ」

「悪いが、分からんな」


道具屋も、近所の人間も同じだった。


俺は以前二人で通っていた学院へ向かい、過去の在籍記録まで調べてもらった。


「ルナ・アステリア……その名前の生徒はいないな」

「今じゃなくて、前の記録です」

「分かっている。入学記録にも在籍記録にもない」

「……そんな」


同じ教室にいた。

退屈な授業ではよく窓の外を見て、本を読み始めると鐘が鳴っても気づかなかった。


俺は覚えている。

なのに、ルナ・アステリアという生徒は最初から学院に存在していなかったことになっていた。


町の出生記録や居住記録にも名前はない。

どこにもなかった。


「……嘘だろ」


最後に、通りの向こうから歩いてくる友人のアベルを見つけた。


「アベル!」

「うお、なんだよ。朝から怖え顔して」

「昨日、西門の辺りで俺と会ったよな」

「ああ」

「俺、一人だった?」

「は?」

「もう一人いただろ。ルナだよ。銀髪で、俺と一緒にいた女」

「……誰?」


まただ。


「お前、話しただろ。馴れ馴れしく話しかけたから、あいつ『感じ悪い人』って」

「会ったことねえ女に嫌われてんのか、俺」

「会っただろ!」


声が通りに響き、周囲の人間が振り返った。

アベルの笑みが消える。


「……カイ。お前、本当に大丈夫か?」


その一言で、初めて自分の足元が崩れたような気がした。


ずっと、みんながおかしいと思っていた。

でも、もし違うなら?


おかしいのが俺だったら。


存在しない女の子を、俺だけがいたと思い込んでいる。子供の頃から一緒で、昨日も隣を歩いていたと信じている。


顔も声も仕草も、全部俺の頭が作ったものだったら。


「……そんなわけ」


言い切れなかった。



家に戻ると鍵を掛け、すぐに机へ向かった。


「証拠……」


何かある。絶対にある。

ルナから借りた本。

誕生日にもらった革紐。

昔、二人で買った小さな置物。


棚にも引き出しにも、ベッドの下にもない。

何度探しても見つからなかった。


まるで最初から、この部屋にルナのものなんて一つもなかったみたいに。


「違う」


ルナはいた。

甘い紅茶が好きだった。

本を読み始めると周りが見えなくなって、考え事をすると髪の先を指で弄る。

怒れば怒るほど声が小さくなり、人混みでは俺の袖をつかんだ。


そして、別れ際には「さようなら」と言わない。


また明日。また今度。じゃあね。

いつも、次がある言い方をした。

昨日だって。


『また明日、カイ』


覚えている。


「ルナ」


名前を呼んでも、何も起きない。

銀色の髪を思い浮かべる。

夕暮れの光を受け、風に揺れていた。


腰くらいまで。


……腰?


胸が跳ねた。


どこまでだった?

腰より下だった気もする。

でも、本当に?


「違う……忘れるな」


自分に言い聞かせるように呟き、机の引き出しを片っ端から開ける。


一番下の奥に、黒いものを見つけた。


「……?」


取り出したのは、黒を基調とした小さな髪飾りだった。

見た瞬間に分かった。


「ルナの……」


以前、俺の部屋に忘れていったものだ。


『これ忘れてるぞ』

『置いといて』

『取りに来いよ』

『今度』

『いつだよ』

『今度は今度』


そんな会話まで覚えている。


なのに、いつの出来事だったのか思い出せない。

ルナが部屋のどこに座っていたのか、その前にどこへ行ったのかも、そこだけ霧がかかったようにぼやけていた。


怖い。


「……いた」


髪飾りを握る。

俺の記憶以外に、初めて証拠が残っていた。

そして昨日の言葉が蘇る。


『明日も私の名前を呼んで』


どうして、あんなことを言った?

偶然じゃないとしたら、ルナは今日こうなることを知っていた?


気づけば俺は家を飛び出していた。向かう場所は一つしかない。


昨日、最後にルナと別れた場所だ。



夕方。


西門へ続く坂道は、昨日と同じ色に染まっていた。

人が歩き、荷馬車が通り、子供が笑っている。いつもの街だ。


俺は昨日ルナが立っていた場所で、名前を呼んだ。


「ルナ」


何も起きない。


「……ルナ」


通りすがりの男がこちらを見る。

道の真ん中で、誰も知らない女の名前を呼んでいるのだから当然だ。

それでも、やめられなかった。


さっき、髪の長さすら一瞬分からなくなった。

このまま少しずつ消えていくなら、今日のことも昨日のことも、声も顔も、笑った時の口元も。


いつか俺まで『そんな奴はいなかった』と思うようになるのか。


「……嫌だ」


それだけは絶対に嫌だった。

黒い髪飾りを握り、昨日の約束を思い出す。


『明日も私の名前を呼んで』


「ルナ・アステリア」


フルネームを呼んだ瞬間、目の前を歩いていた男が消えた。


「……え?」


いや、いる。

数歩先を普通に歩いている。

一瞬だけ景色がずれた。


――パキ。


小さな音がして、足元に黒い線が見えた。

石畳のひびじゃない。何もない空中に浮かんでいる。


周りの人間は気づかず、その前を普通に通り過ぎていく。


「なんだよ……これ」


もう一度、名前を呼ぶ。


「ルナ」


――パキ。


黒い線が縦に伸び、空間が裂けていく。


「……カイ?」


息が止まった。

聞き間違えるはずがない。


「ルナ?」

「……カイなの?」

「ルナ!」


裂け目が一気に広がった。

その向こうには、ただ白い空間が広がっていた。

空も地面も、距離さえ分からない。

その中に、銀色の髪が見えた。


「ルナ!」


いた。

ルナが振り返り、目を見開く。

一瞬だけ嬉しそうに見えた。

でも、すぐにその表情が消えた。


「駄目!」

「何が?」

「来ないで!」

「なんでだよ」

「来ちゃ駄目、カイ!」


俺は裂け目へ近づく。


「やっと見つけたんだぞ。帰るぞ」

「帰れない!」

「だったら俺が――」


ルナが叫んだ。


「私のことを忘れて!」


足が止まる。


「……は?」

「お願い」

「何言ってんだよ」

「もういいの」

「よくない」

「いいの」

「俺はよくない!」


ルナの目から涙が落ちた。


「お前の母親もお前を知らない。学院にも町にも記録がない。アベルも知らない。誰もお前を覚えてない」

「……そう」

「そう、じゃねえよ!」

「それでいいの」

「良くねえだろ!」


ルナは黙り、震える声で言った。


「じゃあ……どうしてカイは覚えてるの?」

「……え?」

「みんな忘れるのに」

「ルナ?」

「いつも、そうなのに」


いつも?


「何言ってんだ」


ルナが自分の胸元を握る。


「お願い、カイ。今度こそ、私のことを忘れて」

ルナの顔が強張った。


「今度こそ……? 今度って何だよ。前にも何かあったのか? 俺たち前にも――」


街の鐘が鳴った。

一度、二度、三度。

いつもの夕刻の鐘のはずなのに、それでも止まらない。


四度、五度。

さらに鳴り続ける。


「……?」


通りを歩く人も、荷馬車を引く男も、笑っていた子供も誰一人気にしていない。

まるで鐘など鳴っていないように、それぞれの日常を続けている。

鐘の音だけが、壊れたように鳴り続けていた。


「なんだよ……これ」


ルナの顔色が変わる。


「カイ、逃げて」

「お前を置いて?」

「私はいいから!」

「よくない!」

「カイ!」


名前を呼ばれた瞬間、頭の奥で何かが弾けた。


――水の音。


知らない場所で、小さな銀髪の女の子が泣いている。

その手を、幼い俺が握っていた。


『みんな忘れた』

『私も忘れたらどうしよう』

『じゃあ俺が覚えとく』

『カイも忘れるかもしれない』


幼い俺が少し考える。


『じゃあ、忘れたら――』

『――もう一回教えて』


「……っ!」


頭を押さえる。何だ、今の。

ルナが青ざめた顔で俺を見ていた。


「思い出したの……?」

「何を?」

「そんなはず……」

「ルナ。俺たち、昔――」


白い空間の上部が裂けた。


光。巨大な何か。

目でも、生き物でもない。

それなのに、見られていると分かった。

背中を冷たいものが走る。


――見つかった。

理由もなく、そう思った。


「カイ……」


ルナが怯えている。

そして、耳ではなく頭の中に意味だけが流れ込んできた。


《照合》


「……何だ?」


《未登録接続個体を確認》

《存在情報を照合》


ルナが叫ぶ。


「逃げて、カイ!」

「何から――」


《不整合》


世界が白く染まる。

最後に見えたのは、泣きながら俺へ手を伸ばすルナだった。



「……っ!」


息を吸う。

目に入ったのは石畳と夕暮れの街だった。

人の声も馬車の音も聞こえる。


俺は坂道に倒れていた。


「……ルナ?」


黒い裂け目はない。

白い世界も消えている。

周りの誰も俺を気にしていない。

いつもの街だった。


夢だった。そう考えれば説明できる。


存在しない幼馴染も、白い世界も、頭の中に響いた声も、全部俺がおかしくなっただけだと。


それなら――。


右手を見る。指が痛い。

開くと、黒い髪飾りをまだ握っていた。


「……いた」


小さく呟く。


「やっぱり、いた」


世界中が知らなくても、記録がなくても、俺は覚えている。それに、この髪飾りが残っている。


昨日、俺の半歩後ろを歩いていた女の子。

一歩では遠い。隣では近い。


そう言って、俺の袖をつまんでいた。


『私のことを忘れて』


「……無理だろ」

声が震えた。


「そんな顔で言われて、忘れられるかよ」


何が起きているのかは分からない。

ルナがどこにいるのか、白い場所は何なのか、なぜ俺だけが覚えているのか。

さっき見えた幼い記憶についても、何一つ分からない。

それでも、一つだけ決めた。


黒い髪飾りを握る。


「待ってろ、ルナ。絶対、見つけるから」



誰にも見えない場所に、文字が浮かぶ。


《未登録接続個体》

《存在情報――不整合》

《照合継続》


一拍置いて、新しい一行が追加された。


《対象――カイ》

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― 新着の感想 ―
Xでのフォローありがとうございます。まくおです。 すごく切ない物語の始まりを感じさせる第一話でした。 これからよろしくお願いします。
Xから来ました。 とてもとてもとても切ないです!!!! ルナが本当にカイの事を大好きだった事も、ルナがいなくなって必死に探して、唯一の手がかりの髪がさりを見つけて、少しほっとするけど、じゃあどこにいる…
あらすじを読んで、いいね~と呟きながら一話目を拝読したのですが、とても面白いですね! 臨場感と緊迫感があり、ルナはどうなったのか興味をかきたてられます。 ☆をつけさせていただきました。続きも楽しみです…
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