承前
読みやすく?リニューアルしました。よかったら見ていってください。
リーユエンの前足が、デミトリーの側頭を直撃し、彼は一丈も吹っ飛んだ。
気絶し、転身が解けてしまった彼の側へ、人形に戻ったリーユエンは近寄った。しばらくじっと見下ろしたが、デミトリーはピクリとも動かない。まさか、急所に当たって死んでしまったのだろうかと、段々怖くなってきた。
小枝を拾い、デミトリーの側にしゃがむと、小枝の先で頬をツンツンと突ついてみた。それでも反応がないので、「デミトリー」と、そっと呼びかけてみた。
(まずい、ちょっと強く殴りすぎたのかもしれない)
デミトリーに、圧倒的な力の差があるのだと、はっきり分からせるために、冷静な気持ちで張り倒したつもりだった。けれど、ちょっと力が入りすぎたのかもしれない。
このまま、ここに放置したまま行ってしまおうかとも思ったが、王太子である彼を放置して、万が一にも何かあったら、陛下と王后、それにサンロージアにも申し訳がない。リーユエンはため息を漏らし、デミトリーの頭を自分の肩に引っ掛け、引き摺るようにして歩き出した。
後宮が一番近いのだが、この状態で運び込んだら大騒ぎになるのは必定だ。それは避けたいので、外苑を目指した。
(デミトリー、どうしてこんなに重いんだ?この男、何を食ったらこんなに重くなるのよ。私と身長は変わらないのに、重すぎるっ)
デミトリーの重い体を恨めしく思いながら、森番の老人の小屋まで運ぶと、扉を遠慮なくバンバン叩いた。
しばらく待つと、中から足音が聞こえ、扉が開けられた。鉄灰色に顔半分が覆われた老人は、琥珀色の目を見開いた。
「陰護衛かと思ったらリーユエンではないか、どうした・・・」
肩にデミトリーの頭が乗っていることに気がつき、老人は目を見開き呆気に取られた。
リーユエンはフードを跳ね除けると、
「王太子殿下が怪我をされたので、手当をお願いします」と言い、驚いて棒立ちの老人の横をすり抜け、中へ担ぎ込んだ。
長椅子へ寝かせたら、あとは老人に任せてさっさと出て行ってしまおうと思ったが、側頭部は腫れ上がっていた。ちょっと可哀想になってしまい、盥に井戸水を汲んできて、手巾を濡らして、腫れた箇所を冷やしてやった。
暖炉の火を起こしながら老人は、それを横目に見ながら声をかけた。
「どうしてここへ連れてきたのだ?それに、その怪我は一体何があった?」
リーユエンはどう答えたものかと、老人を見上げた。
老人は、髪を短く刈り込んでしまった彼女は、迷子になった子供みたいだなと思った。
嘘を言ってもしょうがないと思い、本当のことを言うことにした。
「ここを出ていくことにしたのです。途中で王太子に出会してしまって、引き止められたのを拒絶したら戦いになってしまって…こんな怪我をさせてしまい申し訳ありません。後宮へ戻ると面倒なので、ご迷惑を承知でこちらへお連れしました」
老人はお茶を淹れて、リーユエンへ勧めた。そして、自分もお茶を飲みながら言った。
「陛下も王后も、あなたのことを気に入っておられるのだから、遠慮せずに滞在すればよかろう。デミトリーはまだ子供っぽいところがあって、あなたには物足りないかもしれないが、そのうちもう少し落ち着いて貫禄も出てくるだろう」
リーユエンは、その言葉を聞きながらも、老人の本心がそこにないことはわかっていた。
デミトリーの寝顔をじっと見ながら、「でも、先代さまは、私がここに留まるべきではないとお考えなのでしょう」と、応えた。
老人は、聡い女だと思いながら、左眉を吊り上げた。
「わしの意見など気にすることはない」
リーユエンは、老人へ視線を移した。今は外苑に隠遁し、実権を持たないとはいえ、前金杖国王であった老人の意見を無視などできようはずがなかった。それに、リーユエン自身も思うところは同じなのだ。
「私自身、ここに留まるべきではないと思っております。結果として不義理を働くことになっても、私は王太子と縁を結ぶことはできません。陛下にも、王后陛下にも、他の皆様方にもご親切にしていただきましたが、これ以上の滞在は禍根となるなだけでございます」」
「しかし、あなた自身の気持ちはどうなのだ?王太子のことが好きなのだろう?どうして、戦ってまで、縁を切ろうとするのだ?」
リーユエンは、今だってデミトリーのことは好きだった。けれど、それ以上に、大切なものがあり、その事の優先順位は不動で揺らぐことがなかった。それでひっそりと告げた。
「私は、猊下のものなのです。私は自分の前世を知りました。その事を知らなければ、王太子殿下とのご縁を真剣に考えたかもしれません。けれど、前世の縁は断ち切り難いのです。
もう、今生において、王太子殿下とご縁を結ぶ見込みはございません。それならば、もう一層の事、憎まれた方がよろしいのです。
私は、諦めの悪い凡人ですから、このお方から綺麗さっぱり忘れ去られるぐらいなら、憎んで欲しいのです。自分の事をぶちのめした私のことなんて、決して許さないでしょうから、これでよろしいのです」
目が霞み、涙がこぼれ落ちた。老人は無言となり、もう引き止めようとはしなかった。
リーユエンは、デミトリーの頬へ最後にそっと口付けすると、立ち上がり、小屋から出て行った。




