第1話
夜
人通りの少ない路地裏。
「やめろぉ……!! あ、……あぁ……」
男の叫び声が響いた直後、辺りは不自然なほど静かになった。
「……?」
青年は足を止め、叫び声のした方へ自然と向かう。
少し開けた空き地。
そこには血まみれで倒れる男と、その上に立つ一人の少女がいた。
「あれ、見られちゃいましたね。」
少女は倒れた男の身体に靴を乗せたまま、青年を見る。
青年は目を見開き、耳にかけていたヘッドホンを外した。
「……何、してるんですか。」
問いかける青年の額には、うっすらと汗が滲んでいる。
「ご覧のとおりです。人を殺めています。」
「……それは、見ればわかります。」
青年はポケットからタバコを取り出し、火をつけた。
「……なんで、そうなったんですか。」
煙を吐き出しながら問う。
「“これ”は、真っ黒だったからです。」
「……僕には、君の方が黒く見えますけど……」
自分を落ち着かせるように、青年はゆっくりと煙を吐く。
「……あなた、随分と落ち着いてますね。」
少女はそう言ってから続けた。
「さっきの話の続きですが、これは真っ黒だったんです。」
“これ”と言い、少女は足元の男を指す。
「……真っ黒……」
意味を待つように、青年はわずかに首を傾けた。
「……大前提として、ぼくは人間ではありません。」
「……は?」
予想外の言葉に、青年は言葉を失う。
少女は気にした様子もなく話を続けた。
「ぼくは、これを消せます。残すも消すも、自由自在です。」
青年を真っ直ぐに見据える。
「あなたは少し面白いので、試しに見せてあげます。」
少女が男に触れ、指先だけで身体を貫いた瞬間、男の姿は跡形もなく消え去った。
「なっ……!?」
青年は目を見開く。
タバコの灰は落ちきらず、長く伸びていたが、気づく余裕はなかった。
「はい、消しました。あなたには“これ”の存在が残っていますが、覚えているのは、あなたとぼくだけです。他の人間は、もう忘れています。」
「……い、意味がわからない……」
青年は視線をさまよわせる。
目の前の光景も、少女の言葉も、どれも現実味がなかった。
「ぼく、それ、好きです。」
少女は唐突に青年のタバコを指差した。
「人間が考えたもので、一番好きです。」
視線を青年に戻し、ゆっくりと言葉を続ける。
「……あなたも、随分と黒いですね。」
値踏みするように青年を見る。
「でも、まだ真っ黒じゃないです。」
「君は……何なんだ……」
「人間の負の遺産。まぁ、ゴミです。ゴミがゴミを消してます。」
淡々と答える少女。
「…ゴミ…?」
青年は眉をひそめる。
「人間の負の感情の掃き溜めから生まれたのが、ぼくです。
自分自身や、他人が向ける感情ですね。物にも負の感情はありますが、それはぼくの仕事じゃないです。」
「……さっき、君に消された人間は、どうなるんだ……」
一つずつ、確認するように問う。
「先程も言いましたが、消えます。この世から。ぼくが消した人間に関する記憶、存在、すべて。」
その言葉に、青年は口の端をわずかに上げた。
「…ゴミ? 死神の間違いじゃないか……?」
「おぉ、それはありがとうございます。でも死神とは恐れ多い。ゴミで結構です。」
少女は真っ直ぐに青年を見て続ける。
「ここまで説明した人間は、初めてです。……信じるんですか。」
「存在が消える、っていうのは……まだよくわからない……でも、あれを見てしまったら……信じるしかないと思う……」
青年は考えるように、ゆっくり口を開く。
「……他の人間も、消せるのか?」
その問いに、少女は初めて、にっこりと笑った。
「消せます。真っ黒なら。黒いだけじゃ足りません。真っ黒じゃないと、手は出しません。」
「……その、真っ黒っていうのは……」
「真っ黒なんです。人間が。ぼくには、そう見えるんです。」
青年は記憶を辿るように視線を動かし、少女を見る。
「……僕は…黒なんだよね……真っ黒になったら、僕は君に消されるのか……?」
「はい。消します。」
短い沈黙の後、青年は口を開いた。
「…面白い…」
「!」
予想外の言葉に、少女は少しだけ目を見開く。
「……へぇ…“面白い”、ですか。」
「消したい人間が、いるんですか?」
青年は、頭の奥にある記憶を思い出すように答えた。
「……いるよ……」
「手伝ってあげましょうか。」
まるで家事を申し出るような軽い口調に、青年は肩を揺らす。
少女は青年を見据えて言った。
「あなたは、面白い人間です。少し、気になります。」




