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余話 或る男はおっとり刀で駆けつける

頭上には水色を薄めたように淡い青空が広がっている。


天気の良い日が続くが、まだ風の冷たい早春のその日、いつものように庭先に出ていた男は、ふと、

(そうだ、今年は不在だから、墓参に来ないんだった)

と思い出した。


どれ、代わりというわけではないが、ちょっと掃除に行ってやろうか。

そう思って、箒を手に柵の戸を開け、外へ出て、川辺の小道へ行く。


この時間は川向うの高いトウヒの木蔭になっている、野蒜のパッチの隣に、

『滅びしマハリク村の民に安らかなる眠りを』

と拙い彫りで刻まれた石の墓標が立っている。


石碑の周りには、枯葉が積もっていた。

それを箒で、野蒜を傷つけないように、丹念に掃き清める。


一頻り掃いて仕事を終えると、碑の前に蹲踞(しゃが)み、手を合わせて、犠牲者の冥福を祈った。


小川の向うの林は閑寂で、高い梢の先からの樹洩れ陽に斑に照らされている。

人の気配はない。

獣の気配も薄い。


男は突っかけ草履で箒を手に提げ、すたすたと自宅へ戻った。


--


午を過ぎた頃、家の中でうつらうつらとしていた男だったが、ふと、何かが聴こえた気がした。


男の目が開き、身を起すと、耳を澄ます。

何か聴こえた気がしたが、今は音がしない。


「マキさん」

「はい?」

「今、何か音がしたね?」

「ええ、何か、音がしましたね」


最近、齢の所為だろう、幻聴がたまに聞こえることがあるから、あまり自分の感覚を過信しないようにしているが、マキさんにも聞こえたのなら話は別だ。


「何だと思うね?」

「木が倒れたのかしら?」

「そうかな……」


木が倒れただけなら、普通は別に関わりもないので、放っておくことだ。

だが、今はなにか……なにか、放っておけない感じがする。

これは感覚ではなく、勘だ。


単なる気のせい、心配性という可能性もあるが、動く事にした。

何もなければ、それに越したことは無い。

まさしく念の為というやつだ。


「マキさん、ちょっと見て来るから、一応皆にも声だけは掛ける用意をしておいてくれ」

「なら、隣の奥さんに話しておきますよ」

「うん、それでいいよ」


寛いでいたので緩い着方をしていたが、作業可能な服装に着替えた。

もしかすると確りした足元が必要になるかもしれないので、突っかけ草履は止める。

草鞋を履いて、速足で戸口へ昇り、戸を開ける。


庭へ出ると、何か、細く悲鳴っぽい声が聴こえた気がした。

ちょっと足を止めたが、不明瞭なので、柵の戸を開けて、外の少し高いところへ行く。

あの若者たちが、最近はあまり使ってないがまだ縄を張っている『荷物置き場』、その上の木の処まで上った。


そこであらためて耳を澄ませば、もっとはっきりと女の悲鳴らしきものが聴こえてきた。

胸騒ぎは正しかったようだ。

場所が高くて音の通りが良いからというだけでなく、距離的に近づいたからこれだけ明瞭に聞き取れるのだろう。


声の主は、ここ数年見かけるようになって、何度か挨拶を交したことのある上村のお嬢さん、あの若者たちのうちの一人と逢引していた娘、と見当がついた。

ここ暫くは見かけなくなっていたが、声は忘れない。


そうなれば、思い当たるのは彼らの棲家と、その建設の為に使っていた仮の拠点だ。

だが、声は近い。

手近にあるのは塹壕小屋。


そうアタリをつけて、急行してみれば、塹壕の天井が崩れ落ちて、上に乗っていた土が溝へ崩落していた。


「これは酷い」


思わず声が洩れる。

特に手前の部分は完全に崩落している。

この土の下に居たら、こんな悲鳴は聞こえてこない筈だ。


奥の方はまだ崩れ落ちてはいない。

崩落していない空間に居るのだろう。


すぐに凸地形に昇り、奥の煙突の上から、中に声を掛ける。


「おいっ! 火を消せ!」


娘はパニックを起こして悲鳴をあげ続けていたが、塹壕最奥部の炉の火のお蔭で、閉じ込められた空間内は明るさがあり、まだ完全に狂乱してはいなかった。

しかし、上向き煙突一つしかなく、空気が他から入ってこなくなった状況で火を燃やし続ければ、息が出来なくなってしまう。


「おーい、娘さーん! 助けに来たから、まずは火を消せー!」


意図的に、少し間延びしたゆっくりな声で、熱い煙が立ち上って来る煙突の中へ向けて、上から低い声で話しかける。


焦らずに五回、六回と繰り返して声を掛け続けていると、やっと気付いてもらえたようで、返事が聴こえて、火を消したら暗くなると怖がっていたが、


「今は真昼間だから安心しなさい。それよりも、火をすぐに消さないと、あんた、窒息して死んじまうぞ? いいから、まずは火を消しなさい」

「でも、火を消すって、どうやって……」


いつも自然に燃え尽きるまで放っていて、消し方を考えてなかったようだ。


「土を……」


言いかけて気づいた。

土の中に掘った塹壕小屋だから、土は周囲に幾らでもあるが、掘る道具が娘さんの手許には無い。

崩落した部分から土を取って来られるだろうが、近寄らせるのは危ない。

それに土で埋めるようにすれば、声も通りづらくなる。


それよりも、自分が上から水を掛ければ済むことだ。

なんで気づかなかったのだろう。

どうやら、自分も少し動顛していたようだ。

やれやれ。


「少し待ってなさい、すぐに戻る!」


叫んで、小走りに戻り、マキさんに事態を簡単に説明し、人手を集めさせておいて、男自身は水を手桶にざんぶと汲んで、小走りに駆け戻り、塚状の地形へ駆け上り、声を掛けて、


「戻ってきたぞ。それじゃ今から、火に水を掛けて、消すよ。煙を吸い込まないように、鼻と口を塞いでおくように。わかったかい?」

「はい」


と返事がするのを確かめてから、それじゃ掛けるよ、と上から慎重に水を掛けた。


イイ感じにじゅわっと音がして、煙が出て来た。

これは、中は煙たいだろう……すぐに助け出してあげたいが、暫くは燻された苦しさを我慢してもらわねばならない。


暗闇の中の娘はまだ大丈夫なようだが、救助は一刻を争う。

しかも慎重に土砂を退かさないといけない。


--


その後、集まった小部落の者総出で、入口の土砂を大急ぎで掻き出し、娘を救出した。

幸いにも怪我はなくて済んだが、少し体調を損ねていた為、一晩は男の家で預かって休ませることにして、部落の若い衆の一人に上村の母親の処まで知らせに走らせた。



娘は久しぶりにジンメ川のこちら側に来ていたらしい。

また親切心から、留守中の放置された塹壕の炉に火を入れて、虫干ししておいてやったものらしいが、それが運悪く、老朽化していた天井のブリッヂ材が折れてしまい、土屋根が落ちて来たものと推測された。


「はい、これ舐めてて」


マキさんが薬草の飴を差し出すと、竈の傍のクッションに上体を凭せ掛けている娘は、まだ喉や胸の調子が悪いのでよく声も出せないので、黙ってしゃぶっている。


土間中央の小さな竈では、土鍋で夕食のおじやを煮ていて、湯気がほかほかと上がっている。

壁近くの別の竈では湯を沸かしていて、そちらからも湯気が濛々と立っている。

胸を悪くした娘さんの為に、明日迄は、家の中に少し湿り気が必要だ。

湿ればカビが生えるが、今は割と乾燥している季節なので、あとで風通しを良くして乾かせば良い。


「兎も角も、死なずに済んで、運が良い」


と足先から腹まで毛布を掛けてやる。


孫のケイコが土間に足を下ろして、泥の付いてしまった娘の持ち物を一つ一つ、刷毛できれいにしてやっている。


「寂しかったのよ、ね?」


とマキさんが土で汚れた娘の髪を梳いてやると、娘はこっくりと頷いた。


壁の竈で赤々と燃える火で、娘の横顔も赤く照り映えていた。



 ~ 第四章 完 ~




拙作をお読み頂き、(まこと)に有難うございます。


本章(第四章)はもう少し前に区切って次章にしてしまっても良かった気もしますが、主人公達がはっきりと自分たちの拠点が今やあのサカヌキ村の本拠だけではなくなったと認識した時点で分けるというのは従来の区切り方に準じたもので、それを採りました。

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