1.魔族と獣人
レナーにエドリムと名乗る……言葉は丁寧なくせに態度はまったくそうじゃないふたり連れは、なんだか変な組み合わせだった。
やたらと物腰が柔らかくて丁寧で、微笑みを絶やさないくせに、本当はちっとも笑ってない魔族の魔法使いレナーと、あまり喋らず表情も変えずで、何を考えてるのかちっとも伺えない猫系の獣人のエドリム。
彼らが“あの方”と呼ぶのは、間違いなくシェンのことだ。シェンがここを出て数日が経つが、このふたりはシェンと話がしたくてこの家を探し当てたのだと言う。
「で、聞きたいことって、何」
床の敷物に座ってくれと言ってから、本題に入ろうとすると、レナーは俺の腰の剣をじっと見ながら首を傾げた。
「その剣は、あの方のものですか? 見たことのない魔法ですが、あの方の纏っていた魔力とよく似た気配がします」
「……貰ったんだ。そろそろ俺も本物の剣を使ってもいいころだろうって」
「あなたはあの方の弟子なのですか?」
「弟子とは少し違うと思う」
「違うとは?」
「生きるために役に立つ技術を教えてくれるっていうから、剣を教えて貰ったんだ」
「それは……やっぱり弟子というのではないですか?」
「うまく言えないけど、弟子とは違うと思うんだ」
レナーはそうですかと呟きながら、やっぱり納得がいかなかったようで、まだ首を傾げていた。
「で、聞きたいことって何なんだよ」
このままだとまた余計なことに話がいって、いつまでも本題に入れないんじゃないだろうか。改めてもう一度そう尋ねると、レナーは、すっと目を細めて真顔になった。
「……何故、あの方はわたしたちを助けたのでしょうか」
「そいつは、俺も聞きたい。アレは、俺たちに何の義理もなかったはずだ」
は? と返す間も無く、それまでじっと黙っていたエドリムまでが、急に口を挟んできた。
「何やらよくわからないものまで使役してたが、アレは単身だったろう。こっちの軍勢は、少なく見積もっても5000はいた。その4割は魔族に妖精の魔法使いと獣人だったから、実際の戦力はそれ以上だろう。俺たちを解放できれば、たしかに五分以上の条件になるったって、ひとりで乗り込むなんてのははっきり言って馬鹿のやることだ。
アレは、そこまで危険だとわかっていて、なんで俺たちを助けたんだ? お前は知ってるのか?」
多分、ずっと抱えてた疑問だったんだろう。獣人もひどく真剣な顔をしている。
「……詳しくは知らない。彼女は、シェンは、あんまり自分のことは語らなかったから」
俺がそう言って溜息を吐くと、シェンという名なのですか、とレナーが小さく呟いた。
「けれど、あんたたちみたいなのを助けることが自分がここにいる理由で、自分の使命なんだと言ってた。理不尽な支配を受けているものを解放することが、シェンの義務なんだって」
「義務、ですか?」
予想もしなかった答えだったのか、レナーは眉を顰める。エドリムも、ますますわからないというように頭を振った。
「義務……義務ねえ……」
「だって、シェンがそう言ったんだよ」
「わかりました。では質問を変えます」
ふう、と息を吐いてレナーは少し緊張しているかのように、俺に向き直った。
「──あの方は、“来訪者”ですか?」
「来訪者?」
「異界から呼び出されたものなのか、という質問です」
「異界?」
「わたしたちがいるこの世界とは別に存在する、違う世界です」
「そんなの……わからないよ」
少なくともあなたが呼んだわけではなさそうですね、とレナーは呟く。
「あの方と出会った時の状況は、どのようなものでしたか?」
「ええと……森に、薪集めに行ってるときに、急に変な魔物に襲われたところを助けてもらったんだ」
「変な魔物?」
「……半分腐りおちてるみたいな、首の長い、でかい、大人の倍以上あるトカゲみたいな魔物だよ。シェンは腐竜って呼んでた」
「腐竜……聞いたことがありません。腐った姿とは、通常の生き物とも考えにくいですね。エドリム、あなたは知っていますか?」
「そんなの、見たことも聞いたこともない」
「……シェンが、一緒に連れてきてしまったのかもしれないと言ってた」
「一緒に連れてきた? ……やはり、あの方は“来訪者”ということでしょうか。召喚されたのではなさそうですが……」
それから、俺の持っている剣を指差す。
「その剣をよく見せてください」
「え?」
「その剣の魔法は、明らかにこの世界の魔法ではないように感じます。
……あの方がわたしたちに伝授した“陣”、あれもこの世界のものではないのですよ。わたしの知る限り、あのような魔法はこの世界に存在しません」
「そう、なんだ?」
「はい。それにあの方の姿です。
……そうですね、一番近いかもしれないのは、魔族と獣人の混血……というところでしょうか」
「……魔族と獣人の混血なんて、いるの?」
「いません」
驚く俺ににっこり笑い、今の言葉をあっさりと否定する。
「他の種族と混血が可能なのは人間だけですから、魔族と獣人があのように血が混じることはありえませんよ」
「じゃあ……」
「わたしも長く生きていますが、あんな姿の種族は初めて見ました。ですから、この世界のものでなく、“来訪者”なのではないかと考えたのです」
ほう、とレナーは息を吐いて、肩を竦める。
「そうは言っても、ご本人がいないのでは、確認のしようがありません。
……なので、あなたの剣を見せてください。せめて、あの方の使う魔法を調べたいのですよ。この家の裏手にも何かがありますよね? 設置型の魔道具でしょうか、結構な魔力を感じます」
「裏には、魔法炉が置いてある。この剣もそうだけど、シェンの武具の手入れに必要だからって作ったんだ」
「魔法炉?」
俺は頷いて、裏口へと向かった。その後を、レナーとエドリムがついてくる。
「あれだよ。青白い炎が燃えてて、あそこにこの剣を入れて、刃を研ぐんだ」
レナーは目を見張り、魔力が燃えるなんて初めて知りました、と呟いた。
「それにしても、よくわかりませんね」
シェンから貰った剣を矯めつ眇めつして眺めながら、レナーが呟く。
レナーは長生きをしているし、魔法使いとしてもかなり長いけれど、この剣に掛かっている魔法は今ひとつ掴めないと言う。裏庭にシェンが置いていった魔法炉も、周囲の魔力を集めて炎の形に変えていることはわかるけど、それ以上の仕組みとかさっぱりなのだとも。
「あの方が授けてくれた支配解除の“陣”というものも、実のところよくわからないまま、使い方だけを教えていただいたという状態なのですよ」
へえ、と感心しながらレナーが話すのを聞く。
「もちろん、できる限りの質問はしましたし、魔法使いはひとりではなかったのですから、どうにか協力して仕組みを理解しようとしました。
ですが……どうも、あの方の魔法は根本から魔法に対する考え方が異なっているようでして、まずそこを理解しなければ先に進むことも難しいようなのです」
なんだかよくわかったようなよくわからないような説明をされて、形だけ頷いておく。
「それで、ほんとうは、こちらにあの方がいらっしゃるなら教えを乞おうと考えていたのですが……」
やれやれと、レナーは首を振って溜息を吐く。
「とは言ってもですね」
レナーが俺を見て、またにっこりと笑った。
「ここにはあの方の残した魔道具がいくつかありますから、それを手掛かりになんとか理解しようと思います。ですから、しばらくこちらにご厄介になりたいのですが」
「はあ?」
「ただとは言いませんから安心してください。幸い手持ちが少しありますし、生活の面倒くらいは見られます。
……そうですね、家賃代わりに魔法もお教えしましょうか。大丈夫です、あまり素養のない人間でも、低級魔法ならいくつかは使えるようになるものですから」
「じゃあ、俺は剣の稽古でもつけてやるか。ひとりで振り回しててもつまらんだろうしな」
「な、なに勝手に決めてるんだよ!」
「だめと仰るなら、しかたありません。許可が頂けるまで外で待たせてもらいますよ、何日でも。イーラが頷いてくれるまで、ね」
結局、レナーとエドリムは、俺の家に滞在することになった。