2.新たな魔法
「文字も、でしたか」
約束通りレナーに魔法の基礎を教えてもらうことになって、最初に渡された魔道書を「読めない」と返したら、そう返された。
「どうしましょうかね……文字が終わってから魔法では、少々時間がかかり過ぎますし」
レナーが宙を見上げながら困ったように考えるそぶりをして……急にパチンと手を叩いた。すぐににっこりと微笑んで俺を見る。
「……わかりました、並行で行きましょう」
「並行?」
「はい。魔法のことはわたしが口頭で講義を行いますから、しっかり耳で覚えてください。文字の勉強はそれとは別で同時進行でやります。書き取りがある程度できるようになったら文字の練習も兼ねて、覚えたことを自分で書き起こしてみましょうか」
「えっ……俺、そんなに魔法とか使いたいわけじゃないし……」
「遠慮は無用ですよ。なに、初歩の初歩だけですから、それほど難しくはありません」
難しくなくても、文字と魔法を一緒に覚えるとか聞くだに大変なんじゃないだろうか。
「字だって、別に本とか読んだりしないし、読み書きできなくたって、困らないし……」
「いえ。字を読めるというのは確実にアドバンテージです。あなたが大人になったときに、字が読めることを感謝こそすれ、後悔することは決してありませんよ。わたしが保証しましょう」
レナーは「ですから、がんばりましょうね」と、またにっこりと笑った。
午後、エドリムと剣を合わせながら魔法炉を嬉々として調べているレナーをちらりと見やると、「レナーが気になるか?」と尋ねられた。俺が頷くと、エドリムは「ま、気になるのはわかるよ」と目を細めた。
「……エドリムは、レナーとずっと友人なのか?」
「いや。まあ、ずっとと言われればそうかもしれないが、名前を知ったのはこの前の戦いの後だし、友人……と言っていいのかはわからないな」
「え?」
「同じ部隊にはいたけど、話なんかできる状況じゃなかったからな」
「あ……」
そうか、とようやくそのことに思い至って、なんだか申し訳ない気持ちになる。
「そんな変な顔するな」
エドリムも、ふ、と笑って、ちらりとレナーのほうに目をやった。
「そうだな、俺はせいぜいが3年ってとこだが、あいつは相当長くいたようだ。俺が知ってる古参よりも、ずっと前からいるんだと聞いたよ。短くても数十年は、って話だ」
「そう、なんだ」
数十年。そんなに長くあそこに居続けるというのは、いったいどんなことなんだろうか。少し声を落として、エドリムが続ける。
「魔法使いは希少な分大事にされるほうだが……それでも、自分の意思に反して行動を強いられるのは、結構くるんだよ。心のほうに、それも長ければ長いほど、な。
──だから、あいつは、あんなところでよく平常を保ってられたもんだと思うよ」
「……」
思わず、もう一度レナーを見る。
彼が笑っているのに笑っていないのは、そのせいだろうか。戦いたくないのに戦わされたり、殺したくないのに殺したり……想像して、もし自分がそんなことになったら耐えられるだろうかと考える。
「だから、そんな変な顔するな。そうは言っても、俺とあいつにとっては、もう終わったことなんだから」
「……そう考えても、いいのか?」
レナーも同じように、もう終わったことだと考えているのだろうか。
「戦争自体はともかくとしても、実際、終わったからな。……あとは、抱えてる個人の問題だ」
「そういうものなのかな」
「まあな。助けてほしいと言われれば助けるが、そうでないのに手を出すのは余計なことだろう」
「そう、なのかな」
熱心に魔法炉の、たぶん、あの“陣”を写し取っているレナーを見る。たしかに、勝手に判断して手を出すのはよくないだろうけど、彼は、その時になったらちゃんと助けてくれと言えるんだろうか。
「あいつが、どうも危なっかしいと思うのは、俺もわかる」
どうしてもレナーに目が行く俺に、エドリムは苦笑した。
「だが、あいつもあれで相当長生きだというしな。しかも、魔族の中でも結構な歳だって話だ。うかつに手を出すのは、失礼だろう」
「魔族でも長生きって……?」
「さあ。魔族の寿命はよくわからんからな。長いのは確かだが」
長く生きていれば、自分でなんでもどうにかできるようになると言うのだろうか。少し考えて、何か違うような気もした。
「少し、発想を変えてみようと思うのですよ」
「はあ」
その日の夜、俺の剣の魔法や魔法炉の“陣”と、シェンが残していった支配解除の“陣”をざっと調べて、比べてみたのだという話をしながら、レナーが言った。
「わたしたちにとって、魔法は……込められた魔法を使うタイプの魔道具も含めてですが、使うにあたって一定以上の魔力を持っていることが大前提の力なのです。魔力を多く持つことを指して“素養”と呼ぶこともあるくらい、どんな魔法も魔道具も、魔力のないものに使うことはできません」
神妙な顔で聞いている俺とエドリムのようすをみて、レナーは満足げに頷く。
「けれど、あの方の残した魔道具はどうやら違うのです。魔力があることを前提としていない」
「どういうこと?」
「イーラ、あなたはあの魔法炉でその剣に魔法を与えると説明しましたね?」
俺はこくりと頷く。シェンは俺にもできると言ったし、実際にやってみたらできた。
「わたしたちの常識では、魔法の使えないものに魔力付与を行うことは、不可能なのですよ」
「そうなの?」
「はい。魔法の素養を持ち、魔法使いとして強化や付与の魔法を学んだものだけが、魔道具と呼ばれるさまざまな物品や魔力を付与された武具の作成を行えます」
「たしかに、普通、魔道具は魔法使いじゃなきゃ作れないな」
レナーの言葉に、エドリムも頷く。
「ところが、あの魔法炉を使えば魔法を学んでいないイーラにも、その剣に魔法を付与することが可能です。どんな武具でもというわけにはいかないようですが、たとえそうでも、これは画期的なことですよ」
ぽかんとする俺に、レナーはにっこり笑う。
「あの方が残した、支配解除の“陣”。あれも、あの“陣”を描くことは誰でも可能です。肝心なのは描かれている図形と文字で、それが正確に、消えないもので描かれていれば問題ありません。発動には若干の魔力が必要ですが、素養がないと言われる人間にも可能な程度の量ですね」
そこまで言ってから、レナーは肩を竦めた。
「まあ、はっきりとわかったのはこれくらいです。けれど、これらの魔道具がどんな思想のもとに作られたかというのはいくつか想像できるので、明日はその観点で調べてみますよ」
そう言ってまた笑うレナーの顔は、初めて、ちゃんと笑ってるように見えた。
「……レナー、楽しそうだね」
「はい? ……ええ、そうですね。まだまだわたしの知らないことは多いのだと思い知りましたから。これで……そうですね、200年は飽きないのではないでしょうか」
「飽きないって、魔法に?」
レナーはちょっと宙を睨むようにして考える。
「──いろいろです」
そうして少しだけ間を置いて答えた時の笑みは、いつものような、笑ってるのに笑ってないものに戻ってしまっていた。
翌日から、午前中はレナーが文字と魔法の講義をして、午後からはエドリムと剣を合わせて、という毎日になった。数日もすると、なぜか、いつの間にか、エドリムが朝のうちに狩りをして、獲れた獲物を売って必要なものを買うという流れもできていた。
「この森は獲物が豊富だな」
そう感心するエドリムから今度は狩りの仕方を教えてやろうと言われて、俺は曖昧に頷いた。
ふたりは完全に俺の生活に入ってしまっていた。
数ヶ月もするとずっと前からこの3人で暮らしてたような錯覚さえ覚えるくらいだった。
シェンとふたりだった時は、なんというか、かなり淡々と静かに毎日が過ぎていくように感じていたけれど、3人という人数のおかげか、今はかなり賑やかだ。親父がいたころはもっと静かだったし、母さんが元気だったころももう少し落ち着いてたと思う。
レナーはもちろん、最初は寡黙な印象だったエドリムも、単に人見知りしていただけだったのか、実はかなり喋るほうだったことに驚いた。俺も釣られて、2人に負けないくらいいろいろな話をした。親父や母さんがいた頃のようすにひとりだった時のこと、シェンとの暮らしぶりがどうだったのかとか、その時話していて思いついた、いろいろなことを。
毎日、レナーは“陣”を調べてわかったことやわからなかったことを、時々独り言のようになりながら話した。誰かに話すことで考えてることが整理されたり、新しい考えが浮かんだりするのだという。
たまに俺やエドリムにも、これこれについてどう思うかなんて聞いたりもした……そんなの、魔法使いでもないのに聞かれたってわからないとしか、俺もエドリムも答えようがなかったけど。そうすると、レナーは、どうにか俺たちにも理解させようと、いろいろと言葉を変えて説明をした。
レナーは、自分の知らない魔法を調べることも、俺たちにその調べたことを話すのも、楽しくて仕方ないようだった。
エドリムは獲物を町へ売りに行って見聞きしたことを話した。彼はかなり足が速いようで、ここから町まで、俺の足では往復で半日はかかってしまうのに、エドリムだけならその半分もかからないのだと言った。
レナーはあまり町のことには関心がないようで、エドリムのそんな話は聞き流しているように見えた。生返事を返すレナーに、エドリムと俺は顔を見合わせてしかたないなと肩を竦めるばかりだった。
俺とエドリムの間では、レナーはきっと筋金入りの魔法馬鹿なんだろうってことになっていた。
そうして、また数ヶ月が過ぎて次の夏も本番を迎える頃、レナーが、少し“陣”の構造が見えてきたかもしれません、と言いだした。
「ここしばらくずっと、“陣”を構成している要素を少しだけ変更して、どう変わるかという実験をしているのですが……」
「それ、大丈夫なのか?」
「一応、魔力遮断の結界を作るようにしてますし、十分注意もしていますよ。
それで、かなり前には各要素のひとつひとつが魔法文字のような役割をしていることはわかっていたのですが、何がどのような役割なのかまではなかなかはっきりとしなかったのです」
「へえ……」
「なので、今あるサンプル……魔法炉に使われているものと支配解除のものを比べて、共通しているもの、そうでないものをひとつずつ抜き出して検証と実験をしてみました」
そこで、レナーは少しもったいつけるように「それでどうにか、いくつかの要素がどういうものなのかを特定できそうなのですよ」と言って、うれしそうに笑った。
「特定できたら、新しい魔法が作れるようになる?」
「そうですね、今わたしたちが知っている魔法に組み入れることや、知られた魔法文字を使って新たな“陣”を作ることができるようになるかもしれません」
とても楽しみです、と、レナーはまた笑った。




