九話.星樹の中層
「木のなかに、畑もあるんだ!」
「おねえちゃん、すごく広いよ!」
星樹アルヴの一部屋。
広大な部屋に、黄金色の穀倉地が広がっている。
藁を踏む音を立て、立ち入る桜花たち。
「ここ、すごいね」
「だねぇ。麦、かな?…少しもらっていこう。朝に食べた分で、もうご飯なくなっちゃったし」
「え! おねえちゃん、それ初耳だよぅ」
紅葉が器用にジト目を作って、ポーチを撫でる桜花を見つめる。
「えへへ」とはにかむ桜花。
「あれ、そうだっけ。そ、そんなことも、あるよねっ」
「もうっ」
拗ねるように首を横に振る紅葉を横目に、腰から風葉羽を抜いた。
「少し、下がっててね」
低く構え、そして一閃。
麦の穂は、その軸ごと薙ぎ払うように刈り取られる。
「すごく、よく切れる。でも、なんだろう…」
振り切った刀身を手元に戻し、上から下まで、観察する桜花。
紅葉はパクパクと、口を開閉していた。
「お、おねえちゃん。その剣、初めて使うのが稲刈りに…よかったの?」
「んに。剣は、斬るものだよ?」
「むぅ。そっかぁ」
満足げな桜花が、半透明の刀身をそっと撫でた。
それから数度、カゼハバネを振り、穂積を刈り取っていく。
「よーし! このくらいだね!」
「お疲れさま!」
腰に刀身を戻した桜花と、地面に倒れた穂積。
穂を掴んで拾い、ポーチへ収納していく。
「わ、ウサワタだ」
目の前に転がってきた数匹のウサワタを、じっと見る桜花。
そのうちの一匹を捕まえて、目の前に抱える。
手で触る感触は、モチモチとしていた。
ウサギのような耳が生えている、丸い綿毛の魔性。
「ねえ、くーちゃん。……ウサワタ、食べようか」
「…いいの? かわいいから食べにくいって、言ってたけれど」
ウサワタを見つめる桜花を、窺う紅葉。
桜花は、ウサワタから目を逸らさないまま。
「うん。ご飯は、大事だよ」
身じろぎすることもないウサワタを、恐る恐る口に運ぶ。
生唾を、飲み込んだ。
目を閉じ、齧りつく。
かじった部位からは、外皮と変わらない白い綿毛のような中身。
「――おいしい。ふわふわしてるのに、口の中で溶けて、雲を食べているみたい。パンみたいな味がする」
「そ、そうなの? じゃあ、くれはも」
紅葉は足元に転がっていたウサワタに、勢いよくかぶりついた。
「おいしい! ふわふわで、溶ける、おいしい」
そのまま、二口目をかぶりつく紅葉。
紅葉の様子を見た桜花も、二口目、三口目と、かじる。
二人は、あっという間に食べ終わった。
『クリア』の魔法で、顔や手を綺麗にする。
「これからは、困ったらウサワタ、だね」
「うん! お腹が空いたとき、見つけたいね!」
お腹をさする桜花と、その足元に紅葉。
星樹の中は、温かい。
桜花は、大きなあくび。
「――ふわあ。…それじゃあ、少しお昼寝しようか」
「うん。先に寝る?」
「くーちゃんが先で大丈夫だよ。起きてる」
ウサワタが跳ね、黄金の穂が揺れるなか、桜花と紅葉は穏やかに眠る。
△▼△▼△▼△▼△
「くーちゃん、どっちに進もうか」
「うーん…分かれ道が多いね」
桜花たちの前には、左右と真ん中に続く三本の通路。
それぞれの違いは、明るさが少し変わるくらい。
「うーん、困ったね」
そう言いながら、ポーチの中から取り出したのは一本の棒。
「じゃーん!」
棒を掲げて、桜花は自慢げな表情だ。
「…おねえちゃん、それで決めるの?」
「うん。まかせて!」
地面に立てた棒から手を離すと、棒は自然と倒れていく。
木のぶつかる音がして、倒れたのは右の道。
「よーし! こっちだよ!」
「うん…いいのかなぁ」
右の道を選んだてくてくと進む桜花に、紅葉も続いた。
変わらぬ樹の床の感触を踏みしめ、進む桜花たち。
少し、湿ったような風を感じた。
「水の音?――滝だ!」
道の先には、轟々と水が落ちてくる、滝があった。
通路の淵に膝をつき、身を乗り出す桜花。
覗き込むと、滝壺が遥か下にある。
「おねえちゃん、落ちない…? でも、木ってよりも、山みたいだね」
「山…アルヴ、すごく大きいもんね。――わぁ!」
覗いていた桜花は、何かに気づいて声を上げた。
紅葉の尻尾がピンと立つ。
「あそこ、水が溜まっているところに、玉みたいなのが浮いてる!」
「んー。ほんとだ、果物、みたいな」
「おいしいのかな。取りには…行けないかなぁ」
揃って滝壺を覗き込む、桜花と紅葉。
水の落ちる音が、耳を打つ。
空気に溶け込むように、獣の臭いがした。
――グルル。
「魔性っ!?」
「えっ」
跳び起きて、背後を振り返る桜花。
茶色い毛皮のオオカミが忍び寄ってきていた。
足音は、滝の音にかけ消される。
「くーちゃん、魔法の準備をお願い」
「うん」
腰からカゼハバネを抜く。
緑色の薄い刀身を、オオカミに向けた。
「魔性ず…か!」
ポーチに手を伸ばそうとした桜花に、オオカミが跳ねるように跳びかかってきた。
黄色い牙が、桜花に向かう。
即座に、カゼハバネを横薙ぎに振る。
刃が当たる寸前で静止し、オオカミは距離を取った。
「魔性図鑑、このまま読むのは難しそうだね…それならっ」
今度は、桜花からオオカミに仕掛けた。
柔らかな踏み込みで、オオカミの前に立つ桜花。
横薙ぎは、バックステップで躱される。
「くーちゃん、今だよっ」
『ふぁいや!』
桜花の合図に合わせて、紅葉が火の玉を放った。
これまでよりも大きくなった、紅い炎がオオカミを襲うが、これも横に跳んで避けられる。
オオカミに、緑の薄刃が迫った。
「てやっ!」
火の玉に隠れて走り出していた桜花が、オオカミの着地に合わせて剣閃を繰り出す。
避けることなく、当たる。
樹の通路に、硬い音が響いた。
カゼハバネは、その毛皮に弾かれた。
「む…。かたい? 違った、かも」
「ガルオオッ」
「きゃっ」
「おねえちゃん!」
今度はオオカミが、大きな顎を開いて飛びかかってくる。
桜花は倒れるように身体を傾けて、転がり躱した。
身体を起こしもう一度、カゼハバネを振る。
硬質な音が、響いた。
「やっぱり、違うみたい…! こうっ!」
カゼハバネを振るが、弾かれる。
オオカミが再び噛みついてくるが、それも躱す桜花。
「違う…たぶん、包丁で切るときみたいに…」
カゼハバネを振り、オオカミに弾かれ、躱し、また振る。
合間に時折、紅葉から炎が飛ぶ。
繰り返すうちに、剣閃の音が変わっていた。
『ふぁいや!』
紅葉の炎を避けたオオカミに、桜花が迫る。
そして、風を切るような高い音。
「ギャウンッ」
桜花の剣閃が、オオカミの前足を薄く斬った。
赤い雫が跳ねる。
「通…った!」
睨み合う、桜花とオオカミ。
低いうなり声を前にして、桜花は姿勢を低くした。
「ガルルル…」
徐々に後ろへ下がっていくオオカミ。
桜花が動かずにいると、後ろを振り向き駆けて行った。
ゆっくりと、カゼハバネを腰に戻す。
「ふぅ…。あぶなかったぁ…」
「おねえちゃん、大丈夫?」
ぺたりと床に座り込んだ桜花に、紅葉が尋ねた。
一度、紅葉の頬を撫でる。
「大丈夫だよ。でも」
桜花は、顔の前に自分の手をかざした。
指先が小さく震えている。
「…あのまま戦ってたら、勝っても大怪我してたかも。……諦めてくれて、よかった」
「強かったね。あのオオカミ」
「うん。魔性図鑑も使えなかった。――そこの毛で、分からないかな?」
ポーチから、魔性図鑑を取り出した桜花。
桜花によって切り取られた、オオカミの体毛を手に取って、ページを開く。
「わわ!」
「きゃっ」
図鑑の装丁がほんのりと桜色に光り、ページが勝手にめくれ始めた。
パラパラと、ページが移り変わる。
「すごい。面白い!」
そして、一つのページで図鑑の動きが止まった。
そこには、先ほど戦ったオオカミの絵が描いてある。
「えっと、あのオオカミは、森林ウルフだって。体毛が固くて、力も強いみたい。お腹の毛が薄いんだって」
「そこまで分かるんだ!……ごめんね。くれはが図鑑を開けたらよかったのに」
紅葉の頭と尻尾がうなだれた。
両手図鑑を閉じて、桜花は紅葉を抱き上げる。
「いいんだよ。魔性も、待ってくれるわけじゃないもんね。これから方法も考えよう」
「…うん」
「それより、見て!」
桜花が頭上を差し示す。
抱え上げた紅葉が顔を上げると、そこには大きな果物が実っていた。
白く丸い果実が、天井から吊り下がっている。
「わ!」
「滝の下にあった実が、ここに生ってるみたいだよ!」
「あれなら、つむじ風で取れるかも」
小さく舌なめずりをする桜花に、尻尾を振る紅葉。
「今夜はあのメロンみたいなのだね! 二個だと重たいから、一個だけもらっていこう」
△▼△▼△▼△▼△
「すっごく――おいしい!」
「あまいよ! おねえちゃん!」
パチパチと燃える炎を前にして、桜花と紅葉が座る。傍に咲くのは、青火草。
メロンに似た果実を頬張り、満面の笑みだ。
果肉をかじる度に、白い果汁があふれ出してくる。
切り分けた果実は、いつの間にかなくなっていた。
「おいしかったね! 『毒調べ』があってよかった」
「うん!……麦は、食べてみる?」
紅葉の視線を追うと、そこには木板の上に散らばった白い粉。
もみ殻がまばらに混ざっていて、粒の大きさも不均一だ。
「えへへ。頑張ってはみたん、だけどね…」
「むずかしいんだね…。小麦粉にするのって」
粉を何度かつついた後に、桜花は空中に魔法陣を描く。
整った円形が構築された。
『毒調べ』
桜花の手のひらから、その手に収まる大きさの火の玉が現れた。
桜色の火の玉、毒調べで粉を包む。
火の玉の様子は変わらず、白い粉を燃やすこともしなかった。
「うーん。色も変わらないし揺れてもないから、毒はなさそうだね」
「うん。大きさが変わったりもしてないよ!」
毒調べの火を確認した桜花たち。
「それじゃあ、パンを作ってみよっか」
桜花たちは、『飲み水』の魔法で水を加えて、生地を作っていく。
小さな部屋に、小麦の焼ける香りが漂う。
「パンの匂いだ!」
「…匂いは、おいしそうだね」
棒に刺した平らな生地を、炎で焼いている。
こんがりとした焼け目が付いていた。
「でも、膨らまないね…」
「くれはの火が熱すぎたのかな」
「うーん。くーちゃんの火はたぶんバッチリだったよ! 食べてみよ?」
棒に刺さった焼きたてのパンを、手に取った桜花。
そのまま、二人の口に運んだ。
ガリ――と、硬いものを噛んだ音がした。
「かたい!…あ、でも小麦みたいな味はするかも?」
「ちょっと、にがいね」
ガリガリとかじるが、少しずつしかパンは削れない。
「噛むのも大変だ。…でも、そんなこともあるよね!」
「おねえちゃん…ふふっ」
「くーちゃん、笑ったなー。…あはは!」
思わず、笑い始めた桜花と紅葉。
星樹の部屋の中では、二人分の笑い声がこだましていた。
辺りはすっかり暗くなり、樹の床では紅葉が眠る。
身体を丸めて、心地よさげだ。
「もうちょっと、こうっ。…違う、てやっ」
少し離れた場所で、カゼハバネを振る桜花。
剣を振っては、首を傾げる。
「森林ウルフのときみたいに、うーん。――こうだっ。えへへ、滑らせる感じだねっ」
風を切るような高い音が鳴って、楽しげな桜花。
何度か振って満足げな表情になった。
カゼハバネを鞘に戻して、紅葉の側まで歩み寄る。
鞘を壁に立てかけて、紅葉をそっと抱きあげた。
そっと、抱きしめる。
「くーちゃんがいてくれて、よかった」
そのまま、床に横になって目を閉じた桜花は、すぐに眠りに落ちた。
樹の壁が、小さな寝息を受け止める。




