十一話.上層の境目
部屋の中に吹く風が、桜花の制服をはためかせる。
青火草が、樹の床に咲いていた。
制服の布を握る、桜花。
左手の甲には、切り傷のかさぶたができている。
「むむ。服、ちょっとほつれてる」
桜花の左手を見ていた紅葉は、制服に目を移した。
「…3C魔法じゃ、全部はなおらないみたいだね」
「これ一着しかないんだよね…」
尻すぼみに呟いた桜花。
布から手を離して、ツインテールを両手で持ち上げた。
「くーちゃん、今日はどうかな」
「えっとね。…少し低いけど、今日は両方同じくらい、だよ!」
「ありがとう。だいぶ、コツがつかめてきたかも」
桜花は髪に指を滑らせて、ツインテールの毛先を見比べる。
「大体いいね! 今日も、行こっか!」
「うん!」
星樹の道を踏み出す桜花に、紅葉が隣を歩く。
△▼△▼△▼△▼△
風の音が鳴る、樹の通路。
桜花のツインテールや制服の裾が、揺れ続ける。
「昨日の二人での魔法、すごかったね」
「うん。合体してた!」
「合体魔法、だ!…火のうずまき、とかどうかな?」
おとがいに指を当てて、上着の中の紅葉に視線を落とす桜花。
紅葉が見上げる。
「それ、そのままなんじゃ…」
「えへへ。伝わりやすいでしょー」
「たしかに!」
笑い合い、吹き乱れる風の道を、ゆっくりと進む桜花たち。
黄色いウサワタが、風に流され足元を転がる。
「――黄色のウサワタだ! 色で味が変わるの、すごいよね」
「ちょっと酸っぱくて甘かった!…また食べる?」
「うーん。…いまはお腹いっぱいだから、あとでね!」
いくつかの分かり道を通り、狭い道も抜けていく。
いつの間にか道幅は広くなって、そして、大きな部屋に出た。
「わぁ」
「広いね」
半球状に広がる空間の、樹の壁にはいくつもの穴が空いている。
緑の鳥が、風に乗って飛んでいた。
「くーちゃん。気をつけて」
「うん」
胸元の紅葉を、桜花がそっと撫でる。
桜花たちの頭上で旋回する鳥。尾羽が、かなり長い。
「キャーン」
鳥は一度、高い声で鳴いた。
ポーチから取り出した魔性図鑑を開く桜花。
「むむ。|風産み鷲《かぜうみわし》って言って、風を起こす鳥なんだって。群体に出会った場合は逃げるが吉。みたいだよ。……鳴き声で仲間を、呼ぶみたい」
「お、おねえちゃん。あれ…」
図鑑に目を落としていた桜花が、反射的に上空を見ると風産み鷲の、群れ。
いくつもの穴から、風産み鷲が飛び出してきていた。
桜花の瞳が、大きく開く。
「くーちゃん、走るよ!」
「うん!」
駆けだした桜花たちに、急降下する一羽のワシが飛びかかる。
かぎ爪が桜花たちに剥く。
「ひゃぁっ!」
「きゃっ」
桜花が、胸の紅葉を抱きしめ横に跳んだ。
そのまま走り続け、肩越しに後ろを覗き見る。
ワシは鳴き声と共に、翼の両端に魔法陣を展開させていた。
「これ…まずいかも」
「おねえちゃん、どうしたの!?」
緑色の魔法陣が、輝く。
部屋に吹く風向きが、変わった。
「風の魔法だ…くーちゃん、しがみついて!」
桜花に応え、紅葉はその前足で桜花にしがみついた。
風が、吹く。
横殴りの突風が、桜花の身体を吹き飛ばした。
口を閉じて身を丸め、突風に身をゆだねる桜花。
「――っ!」
丸くなったまま、地面を転がる。
瞬時に起き上がる。
制服は土まみれだ。
何羽ものワシが、桜花にかぎ爪を向けて飛びかかってくる。
地面を蹴って、避ける桜花。
再び、ワシが鳴いている。展開される緑色の魔法陣。
「くーちゃん、ふぁいやの準備をお願い」
「う、うん!――クォンクオォン」
紅葉の詠唱を聞きながら、桜花は駆けだした。
背後から迫るワシを見て、横に跳ねる。胸元には、展開される紅い魔法陣。
緑色の魔法陣が、輝く。
「口を閉じて!」
桜花はしゃがみ込み、身体を丸めた。
歯を噛んだ桜花と紅葉が、横殴りの風に吹き飛ばされる。
琥珀色の瞳は、開いたまま。
地に着き、地面を転がる桜花に向かってくるワシたち。
「くーちゃん、あの鳥! 鳴くのが、早かった!」
『ふぁいや!』
桜花の指先に従い、紅い魔法陣から、火の玉が飛び出した。
火の玉は迫るワシの間を縫い、狙った一羽へ向かった。
桜花は跳んで、迫るワシを避ける。
「ギャンッ」
そのまま、走り始める桜花。
火の玉がワシの翼をかすめるのを、視界に収める。
他のワシが、荒ぶる雄たけびを上げるが、緑色の魔法陣は、発動していなかった。
「キャーン!」
火の玉がかすめたワシが大きく鳴くと、落ち着きを取り戻して、緑色の魔法陣が展開される。
走り続けた桜花たちは、一つの巣穴の手前。
ワシがかぎ爪を剥いて迫るが、寸前で躱し、巣穴へ飛び込んだ。
巣穴の中には、動物の骨が散らばっている。
巣穴の外では、激しくなったワシの群れの鳴き声。
息切れしながら桜花は、紅葉を撫でて、巣の外に目を向ける。
「ふぅ…。さて…どうしよっか」
桜花たちの隠れる巣穴の外で、飛び続ける風産み鷲の群れ。
何羽かが、近くで旋回している。
巣穴の中から、桜花の声が響いた。
「くーちゃん、いくよ! 全力で、『火のうずまき』!」
声と共に、巣穴の前に風が渦巻き、そして、桜色の炎が乗る。
周囲に、熱が広がる。
炎の竜巻が、巻き上がった。
炎の渦に一羽かが飲み込まれ、距離を取るワシの群れ。
高い鳴き声が上がる。
竜巻の勢いが弱くなってくると、再び、近づいてくるワシの群れ。
渦の右端から声が響く。
「くーちゃん、いくよ! 全力で、『火のうずまき』」
「キャーン」
桜花の声を聞いたワシたちは、再度、収まりつつある渦から離れる。
しかし、炎の竜巻は発生しなかった。
桜花たちは、足音を小さく、渦の左端から逃げ出していた。
渦の反対側からは、桜花の声が響く。
「くーちゃん、いくよ! 全力で、『火のうずまき』」
炎の竜巻が、収まった。
声の発生源から距離を取りつつも、囲んでいたワシたちが目にしたものは、コダマソウ。
その吹き口には、小さな桜色の魔法陣が光る。
一瞬の間、硬直する鷲たち。
駆ける桜花に気づいたワシが、鳴き声を挙げた。
コダマソウを囲んでいたワシたちは、桜花の姿を見つけ、追い始める。
桜花の肩越しに、紅い魔法陣が輝いた。
『ふぁいや』
ワシの群れが飛んでくる火の玉を避ける間に、桜花たちは部屋の奥に近づく。
かぎ爪を剥きだした一羽が飛来するも、前に跳ねて転がり、通路にたどり着いた。
桜花は紅葉を抱えたまま起き上がり、通路へ駆けていった。
「ギャーン」
背後では、風産み鷲の鳴き声が聞こえる。
桜花は足を緩めることなく、走り続けた。
「ここまで来たら、大丈夫。…かな」
「…たぶん。怖かったぁ…」
通路の端から続く、小さな空間で、足を投げ出す桜花。膝の上には、紅葉が座る。
汗だくで、息はまだ整っていない。
傍らに咲く青火草を、ちらりと見る。
「――うん。今日は、ここまで!……ゆっくり休もう」
「そだね。へとへとだよぅ」
そよ風が、桜花たちを撫でていた。
△▼△▼△▼△▼△
星樹の通路に二人分の影。
桜花が、桜色のツインテールを揺らす。
「おねえちゃん、今日はきれいに髪を結べたね。かわいい!」
「えへへ、ありがとう。くーちゃんも、かわいいよ」
にっこりと、笑顔を向け合う桜花と紅葉。
紅葉が呟いた。
「でも、風、弱くなってきたね」
「うん。だいぶ、進んだからかな――あれ。ちょうちょだ」
「ほんとだ。…きれい」
目の前で、ひらりひらりと飛ぶ青白い蝶。
青白い鱗粉が散っている。
桜花はいそいそと、ポーチから魔性図鑑を取り出した。
図鑑を開くと桜色に光り、パラパラとページがめくれる。
止まったページを読む桜花。
「なんて書いてあるの?」
「えっとね。魅惑蝶って言って、青と白のりん粉は――くーちゃん、息を止めて」
桜花に言われた通り、即座に息を止めた紅葉。
魔性図鑑を地面に落として、桜花が桜色の魔法陣を描く。
『クリーン』
桜花たちの周りに、魔法光の球が広がった。
鱗粉が、球の外に押し出される。
「んに。くーちゃん、もう大丈夫だよ」
「ぷはっ。…どうしたの?」
「うん。青と白のりん粉は吸うと眠くなって、理想の夢を見れるみたい。…それで、夢から抜け出せないと、骨になるんだって」
桜花の説明を聞いた紅葉の、総身の毛が逆立つ。
「それ、すごくこわい」
「…うん。気をつけて、このまま進もう」
ひらひらと飛ぶ蝶を視界に収めながら、クリーンの魔法の中で慎重に進む桜花たち。
進むにつれて、蝶を見ることが多くなる。
そして、青白く光る部屋にたどり着いた。
「わぁ…綺麗。――危ないのに…すごく綺麗」
「す…ごい」
部屋には、何百と飛ぶ無数の蝶がいた。
青白い光から、同じ色の鱗粉が散る。
「クリーンの中から出ないようにね、くーちゃん」
「うん。気をつける」
部屋へ足を踏み入れて、恐る恐る進む桜花たち。
ふと、地面には抜け殻となった繭があった。
「くーちゃん、少し待って」
「…? うん」
繭の前で、魔法陣を描く桜花。
『クリア』
桜花の声と共にいくつもの泡が、繭を包んだ。
「魔性図鑑に書いてたんだけど、繭は最高の絹になるんだって。いくつかもらっていこう」
「最高の絹…。すべすべなのかな」
「そうかも? 楽しみだね」
ポーチの中に魅惑蝶の繭をしまいながら、青白い部屋の奥を目指す桜花と紅葉。
静かに飛ぶ魅惑蝶が見えなくなるまで、クリーンを維持したまま歩き続けた。
△▼△▼△▼△▼△
「くーちゃん、今日はどうかな」
「今日もばっちりだよ!」
「えへへ。ありがとう」
持ち上げていた、桜色のツインテールを見比べる桜花。
立ち上がって、胸元を小さく握り、スニーカーのつま先で樹の床を二度叩く。
「よし、いこっか」
「うん!」
樹の道に、桜花と紅葉の足音が小さく響く。
「ねえ、くーちゃん」
「おねえちゃん、なぁに?」
歩きながらも紅葉が振り向いて、尻尾を揺らす。
「ネムが中層って言ってたけど、どこまでが中層なんだろ」
「んー。どうなのかな。…中層の境目って、目印があったらいいんだけど」
「んに。そだね――」
隣の紅葉の尻尾をぼんやりと眺めながら、桜花は口を開いて、また閉じる。
正面の、何もない樹の通路に目を向けた。
「さっきから、空気が…ううん。マナが、澄んでる? ここってもう、超えたところなんじゃ」
「え…。じゃあ、上層に来たってこと?」
「ふむむ。分かんない、ね。でも、気をつけよう」
壁に手をかけて、少し急な段差を登る桜花たち。
登りきると、開けた空間が見えた。
「わ。…部屋だ。何があるかな」
紅葉は歩幅分、桜花の傍に寄る。
そのまま進んで、樹の壁の部屋に出た。
部屋の中心には、桜花と同じくらいの背丈の少女がいた。
オレンジのロングヘアーをした、騎士服を着た少女だ。
青い瞳が、桜花たちを見据える。
「…ひと?」
桜花と紅葉が同時にこぼした呟きに反応もなく、勝ち気な瞳を逸らさない少女。
ニヤリと、笑って口を開いた。
「アンタたち、何の用? ここ、星樹の上層なんだけど」
「えっと、この上に登ってみたくて」
桜花が一歩、紅葉の前に出て答える。
足音もなく、少女も桜花に向かって一歩近づいた。
「ふーん。アタシは、エルナ騎士団第三席。クリスよ」
「クリスって、言うんだね。私――」
「エルナ騎士団のこと、知らなそう? ふーん。異端者かな」
桜花の言葉を待たず、次の言葉を発した少女、クリス。桜花を一瞥する。
「えっと、私は」と続けた桜花を待つことなく、クリスが呟いた。
「旅人、のようね」
次の瞬間、クリスの姿が目の前から消えた。
桜花の背筋に、寒気が走る。
反射的に、腰からカゼハバネを抜いた。
風を斬る、鋭い音。
オレンジの髪が靡く。
「――ぐっ」
「おねえちゃん!」
横から現れたクリスの斬撃で、桜花が跳ね飛ばされた。紅葉の悲鳴が上がる。
桜花の身体が、地面を跳ねる。
「受けるんだ」
地面を転がりながらも体勢を整え、膝立ちになった桜花の片手には、緑色の刀身のカゼハバネ。
紅葉の側には、騎士剣を握るクリスが立つ。
「くーちゃん、こっちに来て!」
「うん!」
桜花に向かって走る紅葉。
桜花は、カゼハバネの背を身体に当てクリスに向かって駆けだす。
クリスは、桜花を見ている。
「やっ!」
カゼハバネを振り、滑らすような斬撃。
高い音と共に、弾かれた。
「っ!」
騎士剣の振り下ろしを、咄嗟に受けた桜花は再び吹き飛ばされる。
「おねえちゃん!」
転がる桜花に、紅葉が駆け寄る。
クリスの青い瞳が静かに、倒れた桜花を見ていた。
足を震わせながらも、桜花は立ちあがった。
琥珀色の瞳が、クリスを見つめ返す。
「…あなた、体にマナを流してるんだね。…こう、かな?」
一度、小さく息を吐いた桜花の身体に、桜色が光った。
桜色のマナが、桜花の全身を巡る。
わずかに、クリスの目が見開かれた。
「くーちゃん、ふぁいやの準備をお願い」
「うん!」
紅葉の鳴き声による詠唱を背後に、桜花が地面を蹴った。
カゼハバネを握り、桜花は風を起こしクリスに迫る。
桜色のツインテールが、舞う。
「アンタ、人と闘ったことないでしょ」
カゼハバネを振った桜花の前から、クリスの姿が消えていた。
「…え」
左を振り向くと、クリスの姿。
クリスの手のひらに鈍色の魔法陣が展開された。
「おねえちゃ…」
『魔弾』
桜花の脇に直撃する、いくつもの魔法の弾。
声を上げることもなく、桜花は撃たれ飛ばされた。
手から離れたカゼハバネが転がり、桜花の身体が力なく地面を跳ねる。
カゼハバネが、地面に落ちた。
「…おねえちゃん?」
桜花は、起き上がらない。




