第3話 LAIという1つの選択肢
「雲雀ちゃーん♪」
ぶんぶんと手を振って俺をちゃん付けで呼ぶ態度は昔から気に入らなかった。
病院とは似つかわしい明るい金髪と右耳の厳つい銀色のピアスが彼の不真面目さを現しているように見えた。
こんな格好をしているのに威圧感や不良感が出ないのは彼の身長が170以下だからだろう。
中性な顔立ちで誰にでもフレンドリーに接するので看護師からの人気もあるが、誰に対しても心に壁を作っているような感じはする。
「ちょうど良かったー!実は今さ、外来の患者さんで次回からLAI考えてる人が居てねぇ、説明は俺からもするんだけど薬渡す時にも説明してもらっていーい?」
「かしこまりました。あと、いつも言っていますが病院内でちゃん付けはやめていただきたいです。」
「えー、じゃあ何?この金髪もやめろって?やだなー、これは自毛だよ?」
子どものようなあどけなさを見せながら嘘をつくのがこいつの生き方なんだろう。
「塚原先生、いい加減にした方がいいですよ。精神科に良くないイメージが付いてしまいますので。」
雲雀は苦笑して電子カルテを開いた。
「あははははっ、厳しいな?そうそう、この患者さんね?よろしく!」
塚原先生は雲雀の肩をぽんぽんと叩いた。
「…男性が嫌いな患者さんみたいですね、ちょうど良い機会かもしれません。」
雲雀はくすっと笑った。
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薬剤部では慌ただしく調剤が行われていた。
「あーもう、こんな忙しいというのに未来が体調不良で休みとか…」
遠寺先輩はため息をついた。
そう、今日は朝に柏原先輩から体調不良の連絡を受けたのだ。
「先輩、このペースなら11時頃に一段落しそうじゃないですか?」
私、佐藤は笑顔を見せた。
「うん、ちょっと終わり見えてきたし乗り切れそうな気がしてきた!」
遠寺先輩は嬉しそうに言った。
ガラッと扉を開けて雲雀副局長が入ってきた。
「そうだな…佐藤ちょっと来て。」
「…はい?」
私は何かミスでもやらかしたのか一生懸命考えた。
「確か、まだ服薬指導って一般科だけだったよな?」
「あ、はい…内科と外科をさらっとだけ…」
「じゃあ丁度良いな。今日、外来で精神科の患者に次回のLAIの説明をしてもらいたい。」
雲雀副局長はさらりと凄いことを言ったように聞こえた。
「…え?えぇ?!」
向こうで遠寺先輩が副局長やりやがったwという顔をしているのが見えた。
「わ、私、そもそもLAIがどういうものかまだよくわかって…」
「これから説明してやるから覚えな?大丈夫、簡単だから。」
雲雀副局長はそれはそれはとても嬉しそうにパンフレットを持ってきた。
監査台で同僚の新井がご愁傷様です、と口パクで言ったのが見えた。
昼休みにしばいておこう。
雲雀副局長に促され、椅子に座らされた。
「まず、このパンフレットは渡していいよ。精神科外来に置いてあるんだけれど、患者向けのパンフレットだ。」
そこにはまずLAIとは何か、から書かれていた。
「精神科に限らず薬ってのは飲まないと効果が出ない。そりゃあ飲まなくても効果がある貼り薬やら注射やらあるが一番手軽なのが内服だからな…でも精神科の患者さんってのは薬を飲みたくない人が一定数居る。何でだと思う?」
「飲むと太る薬とかあるからですか?」
「確かにそういう副作用がある薬もあるっちゃある。まぁ実際体重が増えるかどうかは個人差があるから断言できないんだが…精神科以外の患者さんでも薬を飲みたくない人が居るだろ?」
雲雀副局長は言いながらLAIの資料を用意した。
「薬を飲むという行為が自分を病気だと自認するきっかけになってしまうこともあってな。今まで何ともないと思っていたのにあなたは病気ですと説明されたら誰だってショックだろ?そういう人も居ることを俺達は忘れたらいけない。」
「…はい。」
「精神科の薬なんて特に良いイメージないだろ?だから余計に飲みたくないんだろうな。特に他人に見られた時にそれ何の薬?なんて聞かれても説明しにくい、言い訳しにくいってなるんだろうね…でも飲んでもらわないと症状が悪化して体調を崩すからね…患者さん自身の為にもできる限り飲んでもらわないといけない。」
「症状の再発を繰り返したらだんだん寛解の閾値が下がるんでしたっけ?」
私はない頭を一生懸命働かせた。
最初に症状が現れた時、早めに治療を始めて薬を開始したら症状が治るのも早い。
薬を飲むのをやめたりして再発してしまうと前回より症状が治まるのが遅くなってしまうことの方が多いのだ。
「イメージとしたら間違ってないけど。そこで登場するのがLAIだ。」
LAIとは持続性の効果がある注射のことだ。
2週間に1回や4週間に1回の間隔で注射を打つだけで薬を服用している状態を保てるのだ。
「メリットは飲み忘れを気にしなくて済む、服用する薬がなくなることもあるのでそうしたら他人の目を気にしなくて済むってことだな。デメリットは注射だから痛みを伴うこと、定期的に病院に来てもらうことになること、内服よりお金が高くなること、もし副作用が出てしまった場合はその状態が続いてしまうかもしれないことだ。まぁ副作用に関してはLAI開始前にまずは注射と同じ成分の内服を飲んで様子を見てる筈だから。内服で副作用が出ていないならLAIでも出にくいと考えていい。」
聞けば聞く程医学の進歩を感じた。
飲むのを度々忘れる患者さん、飲むことを躊躇う患者さんにはとても素敵な選択肢だろう。
患者さんの家族が飲み忘れないようにと気にかけて何度も患者に飲んだか確認して喧嘩になるということもなくなるので家族にとってもメリットは大きいかもしれない。
「何か、凄いですよね…医療の進歩って…」
「抗精神病薬の貼り薬も発売されたもんねぇー?雲雀ちゃん??」
音も立てずに薬剤部に入ってきた金髪の男性は名札に塚原と書かれていた。
「外来終わったんですか?今は例の患者さんへの説明練習中で遊んであげられないんです。」
雲雀副局長は呆れた顔をした。
どういう会話だ。
「お、じゃあ君が説明してくれんのー?ありがとね!」
塚原先生はにこっと笑ってくれた。
無邪気で親しみやすさがある先生だと思った。
「その患者さんね、薬飲むの嫌なんだってさ。だから月1回の注射があるけどやってみる?って言ったら試してみるってさ。次回の外来が初めての注射で打ってからは少しの間内服が必要だって説明してあるけどもう1回言ってあげてね?」
「え、注射打ってからしばらくは飲むんですか?」
私はパンフレットをパラパラめくった。
「あぁ、注射が効き始めるのに時間がかかるんだ。だから初めての注射を打った時はしばらく薬を飲んでもらうんだ。」
「なるほど…」
私はパンフレットを一通り確認した。
「カレン、出番だよー。」
遠寺先輩が呼びにきてくれた。
どうやら例の患者さんの薬が完成したようだ。
「はい、窓口行ってきます!」
私は薬を確認して窓口に向かった。
「…若いねぇ?どう成長するか楽しみ。」
塚原先生は小さく笑った。
「恋人居ないからって手出ししないでくださいね?」
雲雀副局長は塚原先生の頭をぽんっと小突いて調剤室を出た。
「んなのやるわけねぇよ、ばーか。」
塚原先生はPHSを掴んだ。
「勤務時間中に狙うとかやべぇだろ。」
画面を確認して耳に当てた。
「塚原です。あー、まじ?様子見に行くわ。」
塚原先生は走って行った。
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私は服薬指導の記録を仕上げた。
塚原先生の説明がわかりやすかったのか患者さんはとても理解してくれていた。
ただ、やはり注射の痛みには不安を感じていた。
痛みを零にすることはできないが痛みを感じない患者さんも居るぐらいなので強い痛みではないと説明したら和らいだようだった。
当日どうなるかはわからないが、他人の前で服用することがなくなることと飲み忘れがなくなることが患者さんにとってとても嬉しいことのようだった。
「…塚原先生、見た目はちゃらいけれど良い人だったな…」
「うん、見た目によらないよね。」
遠寺先輩が隣に座ってきた。
「あの人、噂では恋愛できない体質らしいけれどね。」
「え?」
「詳しいことは知らないけど噂でそう言われてるよ。狙う?」
「私は職場内恋愛をやるのには向いていないのでお断りします。」
私はにっこり笑って見せた。
「あはははは、カレンちゃんらしいわ。」
遠寺先輩は爆笑した。




