第9話「愚者たちの森への帰還」
城塞都市の裏路地に建つ、隙間風が吹き込む安宿の薄暗い一室。
壁の板は腐りかけ、ベッドの藁布団は湿気を含んでカビの匂いを放っていた。
レオンは窓枠に寄りかかり、苛立ちに満ちた視線で濁った空を見上げていた。
手元の革袋には、硬貨が数枚残っているだけだ。
装備の修繕費や滞在費で、彼らの資金は完全に底を突いていた。
魔物討伐の依頼を受けようにも、武器は鈍り、魔法は威力を失い、満足に戦える状態ではない。
焦燥感だけが、狭い部屋の中に重く立ち込めていた。
「おい、これを見ろ。ソウタが荷物の中に置いていったガラクタだ」
戦士のガルドが、部屋の隅に転がっていた木箱の中から、一本の古い短剣を取り出した。
それはソウタがパーティーに加入した当初、暇つぶしにその辺の鉄くずから打ち出したものだった。
装飾は一切なく、柄には粗末な布が巻かれているだけの、どう見ても安物の品だ。
「そんなゴミがどうした。捨てておけ」
レオンは冷たく言い放つが、ガルドは食い下がる。
「いや、道具屋の親父にでも押し付ければ、小銭くらいにはなるかもしれないだろう。明日のパン代くらいにはな」
背に腹は代えられない。
レオンは舌打ちをし、その短剣を引ったくるように奪うと、街の薄暗い路地にある怪しげな古道具屋へと足を運んだ。
埃まみれの店内で、分厚い眼鏡をかけた老人の店主に短剣を乱暴に差し出す。
「これ、いくらになる」
店主は迷惑そうに短剣を手に取ったが、その直後、目の色が変わった。
ルーペを取り出し、刃の表面に顔を近づけて食い入るように見つめる。
老人の手が微かに震え始め、額から脂汗が滲み出していた。
「な、なんだこれは。刃の表面に、肉眼では見えないほどの緻密な魔力回路が刻み込まれている。それに、この鉄の純度……王宮の宝物庫にある名剣すら凌駕している。いったいどこでこれを手に入れた」
店主の驚愕の声に、レオンは怪訝な顔をした。
ただの雑用係が作ったゴミだ。
老人は目がどうかしているのだろうと、レオンは鼻で笑った。
「どこでもいいだろう。いくらで買うんだ」
老人は震える手でカウンターの奥から小さな金貨の袋を取り出し、レオンの前に置いた。
「これでどうだ。今の私の全財産だ。これを王都の貴族に献上すれば、一生遊んで暮らせるかもしれん」
袋の中には、レオンたちがこれまで見たこともない額の金貨が詰まっていた。
レオンは短剣がそれほどの価値を持つとは信じていなかったが、金が手に入るならそれでいいと金貨の袋を奪い取るようにして店を出た。
◆ ◆ ◆
思わぬ大金を手に入れたレオンたちは、すぐに上等な宿に移り、高級な酒と食事を浴びるように楽しんだ。
新しい防具を買い漁り、見栄えの良い装飾品で身を固める。
しかし、金で買えるのは表面的な虚飾だけだった。
彼らの身体に染み付いた疲労と、連携の乱れは、どれほど高価な装備を身につけても覆い隠すことはできなかった。
数日後、彼らは再び資金を使い果たし、路頭に迷うことになった。
酒場の片隅で、レオンは空になったジョッキをテーブルに叩きつけた。
「クソッ、あの短剣の金がもう尽きたのか」
ガルドも頭を抱え、重苦しい空気が漂う。
「なあ、レオン。あの短剣を作ったのはソウタだろ。あいつを連れ戻せば、またあんな金目の物を作らせることができるんじゃないか」
魔法使いの少女が、恐る恐る提案した。
レオンは顔を上げ、目を細めた。
ソウタの技術が異常であることには薄々感づき始めていた。
だが、彼を自分たちと同等かそれ以上の存在だと認めることは、勇者の高い自尊心がどうしても許さなかった。
ソウタはあくまで、自分たちに都合よく使い潰されるべき道具でなければならない。
「……あいつは死の森に向かった。生きていればの話だが、あいつの持っている荷物を回収する価値はあるかもしれないな」
レオンは自分を納得させるような口実を作り、立ち上がった。
ソウタを助けるためではない。
彼を再び自分たちの足元にひざまずかせ、その技術を搾取するためだ。
◆ ◆ ◆
翌朝、勇者パーティーは重い足取りで死の森へと向かった。
森の入り口に立った瞬間、彼らは大気の異質さに肌を粟立たせた。
日光を遮る巨大な樹木群が、彼らを拒絶するように立ち塞がっている。
腐った土の匂いと、奥深くから響く獣の遠吠えが、彼らの心臓を冷たい手で掴み上げた。
一歩足を踏み入れた途端、周囲の温度が急激に下がり、視界が薄暗い影に覆われる。
肌を刺すような冷気と、肺にまとわりつく淀んだ瘴気。
これまでの旅とは次元の違う、本物の死の気配がそこにはあった。
ソウタがいかに異常な環境で平然と生活しているかを知る由もない彼らは、泥に足をとられながら底なしの絶望へと歩みを進めていく。




