壱
終電後の人が居ない新宿駅のホームで男女20人が刀を持って立っていた。
今から5年前、この駅のホームで毒ガスによる大量殺人があった。
――――やっとこの日が来た。
鉄道車両整備士の男は1年かけて準備した計画を実行する。
朝の通勤ラッシュで人が群がる平日の朝7時51分。中野駅構内に新宿・東京方面の快速電車が入ってきた。
男はその電車に乗り込まず、人がどんどん車両へ入っていくのを眺めていた。そして扉が閉まり、定刻の7時52分に電車は出発した。
新宿へ向かう電車を見届け、ポケットの中に忍ばせたリモコンのボタンを押した。男は何もなかったように逆方向の八王子・大月方面の各駅停車の電車に乗り込み、次の駅である高円寺駅で下車した。
男が下車した高円寺駅の改札口に向かっていると、ホームに居る駅員が何やら騒々しい。
――――前の電車が新宿駅に着いたとき、殆どの乗客が死んでいたらしいぞ。
それは新宿方面の電車が中野駅を出て5分後の出来事だった。
男の名前は神谷龍二。専門学校卒業後、鉄道車両整備士の仕事に就いて4年目の24歳。電車が大好きでこの仕事に就いた。しかし、神谷は幼き頃から少し曲者であった。
1つのことに対して執念が強く、自分の理想を捻じ曲げるような出来事が起こると破壊してしまう癖があった。そんな神谷が大好きな電車の仕事に就いて3年目の頃、心境の変化があった。
車両整備士は事故の無いよう安全に、車両不備が出ないように、運行ダイヤの乱れが出ないようにと影ながら支える仕事だ。しかし実際はどうだろうか。
駆け込み乗車でダイヤは徐々に乱れ、乗れなかった乗客は車両を殴って八つ当たりをする。踏み切りを無理に渡って人身事故をおこしたり、ホームから線路に下りて電車の運行を妨げたり。仕舞いには電車の命でもある電線にいたずらをする輩まで出てくる世の中になっていた。
整備士が必死に安全運行出来るように整備しているにもかかわらず、乗客はそれを当たり前のように思っている。神谷はいつか必ず乗客に復習してやると誓った。
ある程度仕事が出来るようになると、どの路線にどの車両を走らせるかを決める特権を与えられる事がある。
神谷にはまだ特権はないが、同じ車両を整備していた仲の良い先輩にその特権が使える番が来た。先輩がどの路線に車両を走らせようか迷っていた為、さりげなく中央線で走らせたいと頼んでいた。後日、整備していた車両が中央線の朝の通勤ラッシュ時に走ることが決まった。
神谷はこの時をずっと待っていた。夏の通勤ラッシュ時に電車の中は冷房がかかる。整備していた電車が中央線を走る当日、車両の空調の吹き出し口に誰にも気付かれないように塩素ガスをセットし、神谷は他の整備士と共に車両を見送った。そしてあの朝が来た。
今回の神谷による大量殺人計画で通勤・通学中だった約3,000人の乗客が死亡し、到着した新宿駅構内で車内から漏れ出した塩素ガスによって体調不良を訴えた人が500人ほど出た。
警察はテロではないかと捜査を始めたが、日本の警察も優秀である。次の日、神谷は警察に捕まった。
神谷が1年もかけて考えた計画を警察は全て調べ上げていた。特に否認も上告もすることなく、神谷の死刑が確定した。
そして逮捕から4年、神谷の死刑が執行された。その時既に28歳。半年の裁判期間と、3年半の獄中生活を送った神谷は若くして人生の幕を閉じた。
目が覚めると神谷は大広間のような場所に立っていた。壁も見えないほどの大広間に満員電車のように人が集まっている。
人混みを掻き分けて進むと、遠くに大きな人らしきものが見えた。その時はまだ仏像か何かだと思っていた。
しかし、どんどん近づくに連れて神谷の予想は大きく外れていることが証明された。大きな仏像はしっかり意思を持って動いている。しかも、その周りにいる人々は全員土下座をしていた。
「でけぇなぁ……。この世にこんな大きな人が存在するなんて」
「おい! お前、どこから入ってきた! 閻魔様の御前だぞ! 順番に並べ」
全員土下座している空間に神谷がズカズカと入ってきて、閻魔大王をマジマジと見上げて関心していた。鬼ですと言わんばかりの1本角を生やした鬼が慌てて神谷をその場から追い出そうとした。
「閻魔様ってあの閻魔大王? ああそうか。俺、死刑が執行されて死んだのか。そりゃ地獄行きだよなー」
「おい、聞いているのか? 順番に並べと言っているんだ」
「ああ聞いてるよ。でもこんな人混みじゃどこが列かわかんねえよ」
閻魔大王の周りを囲むようにギッチリ詰まって座る人々を見渡せば、どこが先頭でどこが最後尾なのかを見分けるのは不可能な光景である。更に、閻魔大王の前で土下座をしているということは、これから向かう地獄行きの判決を待っているということ。神谷はこの大量にいる人々の判決を待つほど出来た人間ではなかった。




