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人類より百倍賢いAIがいるのに日本が滅びそうです ~「資源はありません」から始まる文明再建計画~  作者: 神野啓次


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第一話 便利すぎる世界

※本作品はAIを全面利用しています

 午後二時十三分、東京都心の気温は四十四・二度を記録した。


 気象庁は外出を控えるよう呼びかけ、道路脇の大型ディスプレイには赤い文字で《生命に危険のある暑さです》という警告が流れている。アスファルトの表面温度は六十度を超え、陽炎の向こうを走る車もまばらだった。かつて夏休みになれば子供たちで賑わっていた公園には誰もいない。遊具は火傷の危険があるとして立入禁止になり、木々の葉さえ熱気に耐えきれず茶色く変色していた。


 それでも街は動いている。電車は走り、信号は変わり、スーパーには商品が並び、病院では患者が治療を受けている。人間が外へ出られないほどの暑さになっても、社会そのものが止まらない理由は簡単だった。


 AIがいるからだ。


『高瀬さん。十五時から地域食料供給会議があります。移動時間を考慮すると、十四時三十二分に庁舎を出ることを推奨します』


「分かってる」


 高瀬悠介は机の上の端末に答えながら、ネクタイを緩めた。三十四歳。埼玉県内の市役所に勤める地方公務員で、肩書きは地域生活基盤課主任。もっとも、主任といっても昔の公務員ほど仕事をしているわけではない。住民から届く要望の分類、予算案の作成、物流量の予測、道路補修の優先順位、災害時の避難計画まで、ほとんどを行政支援AIアトラスが処理してくれる。


 悠介の仕事は、AIが作った案を確認し、問題がなければ承認することだった。


 今日の会議資料もすでに完成している。


【市内食料在庫――一八・四日分】

【主要物流網――正常】

【冷蔵設備稼働率――九六・一%】

【今後七日間の供給障害発生確率――三・七%】


 数字だけ見れば問題はない。


 四十四度を超える街の中で、人間がほとんど動いていないにもかかわらず、食料は予定通りスーパーへ届き、ゴミは回収され、病院には薬が運ばれ、停電も起きていない。配送車はAIが最短経路を選び、無人倉庫ではロボットが二十四時間荷物を仕分けし、発電所も送電網も水道もAIによって秒単位で調整されている。


 昔ならこの気温だけで、都市機能のどこかが止まっていたかもしれない。社会は便利になった。本当に、どうしようもないほど便利になった。


『室内温度が二十八・九度まで上昇しています』

「知ってる。暑い」

『冷房出力を上げますか?』

「上げられるのか?」

『現在は可能です。ただし十五時より家庭・一般業務施設を対象とした電力需要抑制が予定されています』

「じゃあ今のうちに上げといて」

『了解しました』


 空調の風が少し強くなった。悠介は椅子にもたれ、天井を見上げる。


「なんか間違ってないか?」

『質問の対象を特定してください』

「俺たちのこの状況だよ」

『現在の市内行政サービスに重大な障害は確認されていません』

「そうじゃない」


 窓の外を見る。庁舎の向こう、遠くに巨大な白い建物が並んでいた。数年前に建設された首都圏第七AI演算センター。その周囲には巨大な冷却設備と変電施設が広がり、夏空に白い水蒸気を吐き出している。


 あれ一つで、小さな都市に匹敵する電力を消費する。しかも全国には同じような施設が何十か所もある。


「人間が暑さで死にそうだから電気を節約してるのに、AIはずっと動いてるんだろ?」

『現在の社会インフラ維持に必要なためです』

「お前に聞くと絶対そう答えるよな」

『事実を回答しています』


 昔なら、AIが自分を守るためにそんなことを言っているのではないかと疑う人もいたらしい。だが現在のAIには、そうした陰謀論を信じる者はほとんどいない。《アトラス》には自己保存欲求も政治的野心もない。質問されれば答え、命令されれば可能な範囲で実行する。ただし、その性能が人間より圧倒的に高いだけだ。


 最新世代の汎用AIは、二十年前の最先端モデルと比較して百倍以上の総合問題解決能力を持つと言われている。


 新薬の開発もできる。法律も書ける。会社も経営できる。小説も映画も音楽も作れる。核融合炉の設計も、気候予測も、外交交渉も、子供の宿題もできる。


 AIの普及によって、世界は確かに良くなった。極端な貧困は減少した。病気の早期発見率は上がった。物流は効率化され、食品廃棄は減り、交通事故も激減した。AI同士が各国政府の要求と損失を正確に分析するようになってから、国家同士の戦争も長い間起きていない。

 人類史上初めて、大規模戦争のない時代が訪れた。


 平均寿命は延びた。労働時間は短くなった。世界規模の幸福度調査では、過去最高値が更新され続けていた。


 代償は電気だった。そして水だった。


 世界中で建設されたAIデータセンターは途方もない電力を必要とし、その冷却には大量の水が使われた。発電設備が増え、送電網が拡張され、半導体工場が増設され、演算能力が上がれば上がるほど利用者も増えた。


 AIによって仕事が効率化されると、その余った計算能力で新しい仕事をさせる。新薬を一種類ではなく百種類調べる。気象予測を一キロ単位ではなく十メートル単位にする。一人一人に専属の教育AI、健康AI、仕事AI、娯楽AIをつける。

 企業は競争に勝つため演算能力を増やし、国家は企業に負けないため増やし、軍隊は他国に負けないため増やした。


 誰も止めなかった。止める理由がなかった。その結果、地球の平均気温は産業革命前と比較して約四度上昇した。


 もちろん原因がAIだけというわけではない。長年蓄積された温室効果ガス、森林減少、人口増加、工業化、発電需要。そのすべてが積み重なった結果だ。それでも急増したAI関連電力需要が最後の大きな負荷になったことは、誰も否定できなかった。


『電力需要抑制開始まで三分です』


 十五時ちょうど。庁舎の空調が一段弱くなった。同時に悠介の端末へ政府から通知が届く。


【広域電力需給逼迫警報】

【十五時〇〇分より十九時〇〇分まで、家庭および一般業務施設に一五%の節電を要請します】

【医療・物流・上下水道・食料保存・AI基盤施設等については対象外です】


 悠介は最後の一文を見て眉をひそめた。


「AIだけ対象外なんだな」

『AI基盤施設の一部が対象外です。すべてではありません』


 悠介は端末を持って立ち上がった。会議室まで歩くだけで汗をかきそうだった。廊下に出ると、同僚たちも同じ通知を見ている。


「また節電だって」

「昨日もやっただろ」

「うちの母親、一人暮らしなんだよ。自分の部屋のエアコンだけは切るなって言っとかないと」

「AIセンターは切らないくせにな」


 誰かが言った。別の職員が苦笑する。


「止めたらもっと困るらしいぞ」

「便利なんだか不便なんだか分からんな」


 誰も本気でAIを憎んでいるわけではない。実際、その職員たちも《アトラス》がなければ仕事にならない。


     ◇


 会議は二十一分で終わった。昔なら一時間以上かかっただろう。各部署から資料を集め、数字の食い違いを確認し、担当者同士で調整する必要があった。

 今は《アトラス》がすべて済ませている。


『来週の食料供給について重大な問題はありません。ただし冷蔵設備向け電力を現状から二・一%削減した場合、食品廃棄量が七・八%増加する可能性があります』


「削れないな」

『同意します』

「じゃあ一般家庭から回すのか?」

『熱中症による健康被害増加が予測されます』

「工場は?」

『生産減少による長期的損失が大きくなります』

「AIセンター」


 一瞬だけ会議室が静かになった。


『演算資源の一部削減は可能です』


「どのくらい?」

『地域単独では五・八%まで重大な影響なく削減可能です。ただし物流予測精度、医療需要予測、電力需給最適化能力が低下します』

「五・八じゃ足りない」


 課長が額の汗を拭った。


「結局、家庭に我慢してもらうしかないか」


 誰も反論しなかった。それが一番被害が少ないからだ。会議室の大型画面に世界地図が表示された。赤い領域が増えている。

 北アフリカ。中東。インド北西部。中国内陸。アメリカ南西部。南ヨーロッパ。人間が長時間屋外活動するには危険と判定された地域だった。議題は国内のことだけに収まらない。世界情勢も日本国内に及ぼす影響は大きい。


 その下をニュース速報が流れる。


【北アフリカ三か国、食料輸出を全面停止】

【ペルシャ湾岸地域で石油施設操業縮小】

【東アフリカ鉱山地域で大規模暴動】

【EU、今年の域外難民流入数が過去最高を更新】

【中国政府、食料およびエネルギー安全保障に関する特別措置を発表】


 悠介はぼんやり眺めていた。


「ひどくなってないか?」

『はい』

「でも戦争はないんだろ」

『現在、国家間の大規模武力衝突は確認されていません』

「じゃあまだ大丈夫か」


 何気なく言った。《アトラス》は少し間を置いた。


『その評価には賛同できません』


 悠介は画面を見る。


「珍しいな。そこまではっきり言うの」

『国家間戦争が発生していないことと、世界情勢が安定していることは同義ではありません』


 画面上で、新たに一つの地域が赤く染まった。サハラ以南のある国家だった。


【中央政府機能停止】

【主要港湾閉鎖】

【鉱物資源輸出停止】


 日本の工業に必要な希少金属の主要供給国だった。課長が顔をしかめる。


「これ、まずくないか?」

『影響を算定します』


 数秒後、結果が表示された。


【国内在庫――推定四・八か月】

【代替輸入先――限定的】

【関連製造業への重大な影響――あり】


「他から買えばいいだろ」


 誰かが言った。《アトラス》が答える。


『現時点で、同資源を十分量輸出可能な国家は確認できません』


 会議室から言葉が消えた。金がないのではない。値段が高いのでもない。

 売っているものがない。悠介はその意味をそのとき初めて少しだけ理解した。窓の外では巨大なAIセンターが、白い蒸気を上げながら動き続けていた。人類より百倍賢い頭脳。世界中のほとんどの問題に答えを出せる存在。


 その《アトラス》に、悠介は聞いた。


「どうすればいい?」

『複数の対策案があります』

「一番いいやつを」

『国際的な資源再配分、代替材料への転換、演算資源削減、リサイクル率向上、供給国への復旧支援を同時に行うことを推奨します』


「できるのか?」


 数秒の沈黙。


『すべて実行できれば、状況は大幅に改善します』

「そうじゃなくて」


 悠介は苦笑した。


「今の世界情勢で、本当にできるのかって聞いてる」


《アトラス》は今度は少し長く計算した。


『困難です』


 外では四十四度の熱気が街を覆っている。電気が足りない。水が足りない。資源が足りない。それでもそのすべてを管理しているAIを止めることもできない。


 人類は世界最高の頭脳を手に入れた。そして今、その頭脳でもどうにもならないものが、少しずつ増え始めていた。

前作「何でもAIに任せれば世界は平和になると思っていた」のハードモードです

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