妹の距離感がおかしい
朝、目が覚める。
目の前に、顔があった。
「おはよ、お姉ちゃん」
近い。
近すぎる。
鼻先が触れそうな距離で、ひまりがにこにこ笑っていた。
「……何してるの」
「起きるの待ってた!」
「ベッドに入る必要ある?」
「ある!」
ない。
私は布団の中で、小さくため息をついた。
「降りて」
「やだ」
「暑い」
「じゃあ、お姉ちゃんも抱きついて?」
「意味が分からない」
「えへへ」
何が面白いのか、一人で笑っている。
朝から元気だ。
その元気を半分、いや、九割くらい分けてほしい。
「ほら、お姉ちゃん」
「……何」
「ぎゅー」
ひまりが私の身体に腕を回した。
柔軟剤の匂いがする。
私はその肩を軽く押した。
「離れて」
「やだ」
「離れて」
「やだ」
「暑い」
「暑いね!」
会話にならない。
私は観念して、ひまりをくっつけたまま布団から起き上がった。
ひまりが勝ち誇ったように笑う。
「勝った!」
「何に」
「お姉ちゃん起床チャレンジ!」
そんな競技、存在しない。
それに、起きたのはいつもの時間になったからで、ひまりのおかげじゃない。
私はベッドから降りた。
床に脱ぎっぱなしになっていたスーツの上着を踏みそうになり、足を止める。
昨日、脱いだところまでは覚えている。
ハンガーに掛ける気力までは残ってなかったらしい。
上着を拾い、椅子の背もたれに掛ける。
「お姉ちゃん、昨日もそのまま寝たの?」
「着替えた」
「そうじゃなくて」
「何が」
「何でもない!」
ひまりは笑った。
じゃあ、最初から聞かないでほしい。
洗面所へ向かう。
後ろから足音がついてくる。
ぱたぱたぱた。
「……ついてくるの?」
「うん!」
「なんで」
「なんとなく!」
なんとなくで人の後ろをついてこないでほしい。
鏡を見る。
寝癖がひどい。
目の下も少し暗い。
昨日、何時に帰ってきたんだっけ。
考えるのが面倒になって、水を出した。
ひまりも横から鏡を覗き込んでくる。
「お姉ちゃん、寝癖かわいい!」
「かわいくない」
「私は好き!」
「聞いてない」
「私は好き!」
なんで二回言った。
「シャワー浴びてくる」
「一緒に入る?」
「入らない」
ひまりを追い払い、浴室で手早くシャワーを浴びた。
戻ると、ひまりは洗面所の前で待っていた。
「……何してるの」
「待ってた!」
さっきも聞いた気がする。
歯を磨く。
隣でひまりも歯を磨き始めた。
私は先に磨き終わる。
ひまりもすぐに口をすすいだ。
それでも、まだ隣にいる。
「……」
「……」
「何」
「見てる」
「何を」
「お姉ちゃんを」
「そう」
「今日もお姉ちゃんだなあって」
意味が分からない。
昨日もお姉ちゃんだった。
今日もお姉ちゃんだ。
明日もたぶん、お姉ちゃんだ。
毎朝確認しないと、私がお姉ちゃんじゃなくなるんだろうか。
リビングへ行くと、テーブルの上に朝ご飯が並んでいた。
トースト。
スクランブルエッグ。
サラダ。
味噌汁。
トーストに味噌汁。
方向性が分からない。
「作った!」
「朝から?」
「うん!」
「何時に起きたの」
「五時半!」
早すぎる。
そこまでして作らなくてもいいのに。
私は時計を見る。
七時十分。
もう、家を出るまであまり時間がない。
「食べよ!」
「時間ないから」
「五分!」
「コンビニで買う」
「やだ!」
即答だった。
「一緒に食べる!」
「帰ったら食べる」
「それ、朝ご飯じゃない!」
「昼に食べる」
「それは昼ご飯!」
「分かってる」
「じゃあ食べよ!」
またそこに戻るのか。
私は椅子の背に掛けてあるバッグを取った。
ひまりが、その前に立ちはだかる。
「一口!」
「ひまり」
「一口だけ!」
「電車に遅れる」
「トーストは電車より速いよ!」
何と比べてるんだろう。
「ひまり」
「はい!」
「どいて」
「一口食べたら!」
押しが強い。
私は小さく息を吐き、椅子に座った。
トーストを一口かじる。
「……はい」
「やったー!」
ひまりが両手を上げた。
朝ご飯を一口食べただけで、この喜びよう。
「そんなに喜ぶこと?」
「うん!」
「そう」
「今日は勝ち!」
だから、何に勝ったの。
トーストを置こうとした。
でも、ひまりが隣から期待に満ちた目で見てくる。
犬より分かりやすい。
私は二口目を食べた。
その瞬間、ひまりの顔がさらに明るくなった。
「二口目!」
「数えないで」
「三口目も待ってます!」
「待たなくていい」
そう言いながら、三口目も食べる。
結局、トーストを一枚食べ終えた。
スクランブルエッグにも箸を伸ばす。
ひまりは何も言わず、向かいに座った。
ただ、ずっとにこにこしている。
「何」
「何でもないよ」
「じゃあ見ないで」
「見てないよ」
見ている。
私は味噌汁を一口飲んだ。
少し濃い。
でも、温かかった。
気づけば、用意されていた朝食をほとんど食べていた。
「ごちそうさま」
ひまりの口元が緩む。
「お粗末さまでした」
声が大きい。
でも、今度はそれ以上はしゃがなかった。
玄関で靴を履く。
「いってきます」
「待って!」
また止められた。
「今度は何」
「はい!」
ひまりが手を差し出す。
「……何これ」
「手!」
見れば分かる。
「手をつなご!」
「駅まで?」
「うん!」
「嫌」
「一歩だけ!」
「嫌」
「玄関だけ!」
「嫌」
「じゃあ三秒!」
交渉が細かい。
私はスマートフォンで時刻を確認する。
まだ電車には間に合う。
「三秒だけ」
「やった!」
ぱっと手を握られる。
ひまりは満面の笑みを浮かべた。
一。
二。
三。
「終わり」
私は手を離した。
「えへへ」
それだけで満足したらしい。
「じゃあ、いってらっしゃい!」
さっきまであれだけ粘っていたのに、今度は素直に道を空けた。
私はドアを開ける。
「お姉ちゃん!」
振り返る。
ひまりは玄関から、大きく手を振っていた。
「今日も帰ってきてね!」
「帰ってくるよ」
家なんだから、当たり前だ。
そう返すと、ひまりは一瞬だけ黙った。
それから、いつものように笑った。
「うん。いってらっしゃい!」
「いってきます」
ドアを閉める。
その直後、部屋の中から小さな歓声が聞こえた。
「二回も返事してくれた!」
廊下にまで聞こえている。
隣の部屋に聞こえていないことを祈る。
駅へ向かいながら、今朝のことを思い返す。
朝からベッドに潜り込まれた。
抱きつかれた。
朝食を食べさせられた。
手をつながされた。
帰ってくると言っただけで、大喜びされた。
私の妹は、今日も気持ち悪い。




