75話:選別
朝の空気は冷えていた。
新しく拡張された第三区画では、夜通し動いていたゴーレムたちが、まだ土木作業を続けている。巨大な石材を運搬し、地盤を均し、水路を接続する。
既に“村”という規模ではなかった。
農地。
紡織工房。
治療院。
倉庫街。
共同浴場。
教育区画。
人が生きるための循環が、巨大な都市のように広がり始めている。
そして。
東門には、今日も長い列ができていた。
難民。
移住希望者。
商人。
職人。
逃亡奴隷。
没落貴族。
追放された魔族。
森を追われたエルフ。
噂は、想像以上の速度で広がっていた。
「奇跡の村」
「平民が魔法を学ぶ村」
「病で死なない場所」
「食料が余る土地」
「種族差別のない場所」
人は、生きられる場所へ集まる。
それは当然だった。
門前では、新しい受付担当が列を見ていた。
エバ。
二十代後半ほどの女だった。
黒髪を後ろで束ね、簡素な服を着ている。
外見だけなら地味だ。
だが、その目だけが異様に鋭い。
「次」
淡々と声を出す。
前へ出た男は、痩せた商人風だった。
「名前」
「ラ、ラドンです」
「前職」
「行商人で……」
エバは無言で男を見る。
沈黙。
数秒。
それだけで、男の額に汗が滲んだ。
「嘘ね」
場の空気が止まる。
男が顔を強張らせる。
「な、何を……」
「行商人じゃない。流しの仲介屋。盗品も扱ってる」
男の顔色が変わった。
周囲の難民たちがざわつく。
「ち、違……!」
「さらに言えば、前の街で食料横流ししてる。孤児院向け支援物資も抜いた」
男が一歩下がる。
「な、なんで分かる……!」
エバは表情を変えない。
「目」
静かな声だった。
「人を見る仕事を長くしてたから」
彼女は元々、裏社会の情報整理役だった。
人間の癖。
視線。
沈黙。
反応。
嘘を見抜く。
それが彼女の才能だった。
グロマールは、その能力を見抜いていた。
戦闘能力ではない。
だが、この急拡大する環境では必要不可欠な力。
“選別”。
誰でも受け入れれば、内部から腐る。
だから見る。
敵か味方かではない。
循環を壊す人間かどうかを。
エバは淡々と告げる。
「働く気があるなら受け入れる」
男が目を見開く。
「……は?」
「ここは過去だけで切らない」
周囲が静まる。
「でも次に盗めば追放。子供から奪った時点で終わり」
男は震えていた。
怒鳴られない。
殴られない。
代わりに、“見透かされている”。
それが何より怖かった。
「次」
エバは流れを止めない。
前に出たのは若い獣人の女だった。
子供を抱えている。
「名前」
「ルナ……です」
「夫は」
「病で……」
声が震える。
エバは一瞬だけ視線を柔らかくした。
「縫製経験ある?」
「少しだけ……」
「紡織区画へ。子供は保育班に連れていって」
ルナが涙を浮かべる。
「……いいんですか」
「働く場所がある人間は強い」
エバは帳簿へ記入する。
「ここは、それを作る場所だから」
後方では、紡織工房が拡張されていた。
獣人の器用な手。
エルフの繊細な感覚。
ドワーフの機械技術。
それぞれが組み合わさり、生産効率が異常な速度で上がっている。
紡績機が回る。
糸が流れる。
布が積み上がる。
以前なら高級品だった布が、今では村人全体へ供給され始めていた。
食料充足率150%。
さらに衣類供給まで安定し始めている。
“生きる”が整い始めていた。
そこへマイクがやってくる。
「また増えてるぞ」
「見れば分かる」
エバは淡々と返す。
マイクは列を見て頭を掻いた。
「もう国だろこれ」
「まだ脆い」
エバは即答した。
「人が増える時が一番危険」
「……悪人混ざるからか?」
「それだけじゃない」
エバは列を見る。
疲弊。
恐怖。
嫉妬。
依存。
人は環境で変わる。
良くも悪くも。
だから最初が重要だった。
そこへセレスが資料を持って現れる。
「昨日の犯罪件数」
エバが受け取る。
窃盗未遂三件。
食料配給揉め二件。
暴力一件。
以前の街なら普通以下。
この人口増加では異常に少ない。
「減ってるわね」
「教育班が効いてる」
セレスが肩を竦める。
「ピーターが頑張ってるから」
その頃、教育区画。
ピーターは黒板代わりの石板へ文字を書いていた。
子供たちだけではない。
大人も混ざっている。
エルフ。
獣人。
魔族。
全員が座っていた。
「魔力循環は、力を出すためじゃありません」
ピーターの声は優しい。
「身体を安定させるためです」
彼は手を開く。
淡い光。
そこから小さな水球が浮かぶ。
「魔力は怖くありません。流れです」
最初は震えていた難民たちも、今は真剣に見ている。
学びたい。
その感情があった。
今まで誰も教えてくれなかったから。
一人の魔族の少女が恐る恐る手を上げる。
「……わたしでもできますか」
ピーターは笑った。
「できます」
その言葉に迷いがない。
彼自身、弱かった。
才能がないと思っていた。
だから断言できる。
環境があれば、人は変われる。
少女は目を閉じる。
呼吸。
循環。
魔力感知。
次の瞬間。
小さな闇球が浮かんだ。
周囲がどよめく。
少女は泣きそうな顔になる。
「で、できた……」
ピーターは嬉しそうに頷いた。
「はい」
その光景を遠くから見ていたミレナが、小さく息を吐く。
「……変わったわね」
隣のグロマールへ呟く。
「誰が」
「みんな」
ミレナは教育区画を見る。
以前なら、種族同士で争っていた。
今は違う。
教え合っている。
支え合っている。
それは理想論ではない。
生きる余裕があるからだ。
農業革命。
医療。
物流。
教育。
基盤がある。
だから人は他人を受け入れられる。
グロマールは静かに言う。
「環境が変われば、人は変わる」
ミレナは横顔を見る。
最初、この男を怖いと思った。
合理的すぎると思った。
冷たいと思った。
今は違う。
この男は、感情で救わない。
仕組みで救う。
だから壊れない。
その時。
門前で怒鳴り声が上がった。
「ふざけるな!」
一人の男が叫んでいた。
粗暴な顔。
武装。
傭兵崩れだ。
「なんで俺が断られる!」
エバは冷静だった。
「理由は説明した」
「俺は戦えるぞ!」
「だからよ」
周囲が静まる。
男が目を剥いた。
エバは真っ直ぐ言う。
「あなた、“守るため”じゃなく“支配するため”に力を使うタイプ」
男の顔が歪む。
図星だった。
「ここは、そういう人間を入れない」
「綺麗事言ってんじゃねぇ!」
男が腰の剣へ手を伸ばす。
瞬間。
風圧。
マイクだった。
風属性強化。
一瞬で間合いを潰し、男を地面へ押し倒す。
「やめとけ」
低い声。
「この村、弱ぇ奴いねぇから」
男は息を呑む。
周囲の村人たちも静かに見ていた。
恐怖がない。
自分たちで守れる。
その自信がある。
エバは冷たく告げる。
「追放」
男は連行される。
難民たちは、その様子を黙って見ていた。
優しいだけではない。
受け入れるだけでもない。
選んでいる。
だから壊れない。
それを理解し始めていた。
夕方。
村では、新しい農地が完成していた。
広大な畑。
水路。
土壌改良。
風流調整。
全て魔法で最適化されている。
ドワーフたちが目を見張る。
「土が死んでねぇ……」
エルフたちは水の流れを見て驚いていた。
「森より循環してる……」
あり得ない光景だった。
農業とは、本来もっと過酷なものだ。
天候に怯え。
病害に苦しみ。
飢えと隣り合わせ。
この村では違う。
教育された農業。
魔法運用。
循環管理。
知識によって安定している。
グロマールは畑を見渡す。
人が増える。
生産が増える。
循環が強くなる。
その時。
セレスが新しい報告書を持ってきた。
「周辺三都市で暴動」
「理由は」
「食料不足と難民流出」
ミレナが顔を曇らせる。
「……始まったわね」
グロマールは静かに空を見る。
宗教国家。
貴族国家。
どちらも気づき始めている。
民が、“選び始めた”ことを。
救済を。
環境を。
生き方を。
もう止まらない。
奇跡の村という噂は、既に国境を越えて広がっていた。




