311話:ミレナ
共和国中央医療院。
朝。
治療院前には、
今日も長い列ができていた。
ただし。
昔のような、
絶望の列ではない。
重病人。
飢餓。
感染。
死を待つ人間。
そういう列ではなくなっていた。
共和国では今。
病の早期発見。
衛生教育。
上下水道。
栄養改善。
治癒網。
全部が循環している。
だから重症化する前に治療が届く。
共和国医療は、
“死にかけを救う”から、
“死なせない”へ変わり始めていた。
その中央医療院。
奥。
診察室。
ミレナが椅子に座っていた。
腕を組み、
落ち着かない様子で足を揺らしている。
向かいにはピーター。
共和国最高峰治癒師。
そして、
共和国医療教育の中心人物。
ピーターが診断魔法を展開する。
光属性。
生命反応確認。
魔力循環確認。
体内状態解析。
共和国では、
妊娠診断精度すら、
旧王国時代とは比較にならない。
光魔法。
水魔法。
魔力循環理論。
全部教育化されたからだ。
静かな診察室。
ピーターの表情が止まる。
数秒。
さらに確認。
ミレナが眉を寄せる。
「……なんだよ」
「病気か?」
ピーターが顔を上げる。
「違う」
短く答える。
そして。
「懐妊しています」
静寂。
ミレナが停止した。
「……は?」
ピーターは冷静に続ける。
「母子共に健康」
「魔力循環も安定」
「異常なし」
「かなり状態は良い」
ミレナの思考が完全停止する。
共和国防衛創設期。
最前線。
難民保護。
魔物迎撃。
物流防衛。
全部経験してきた。
でも。
今。
完全に処理落ちしていた。
「……子供?」
「私が?」
ピーターが頷く。
「そうです」
ミレナが額を押さえる。
「いや待て」
「待て待て待て」
「意味が分からん」
ピーターは慣れていた。
共和国では今。
出生数が増えている。
理由は単純。
食える。
死なない。
教育ある。
治療ある。
住居ある。
未来がある。
だから人は、
家族を持てる。
それだけの話だった。
でも。
ミレナは違う。
元々。
“守る側”の人間だった。
誰かに守られる前提で、
人生を考えたことがない。
だから。
母になる。
その発想自体が、
人生設計に存在していなかった。
ミレナが低く呟く。
「……私、
母親とか向いてないだろ」
ピーターは即答した。
「そんなことないです」
「共和国で、
一番子供に好かれてる側ですよ」
ミレナが顔をしかめる。
「それとこれとは違う」
でも。
少しだけ。
声が震えていた。
診察終了後。
情報は一瞬で広がった。
共和国中央都市。
速報。
「ミレナ懐妊」
数秒後。
共和国全体が騒ぎ始める。
工業区。
「うおおおお!?」
「本当か!?」
農業区。
「ミレナ様が!?」
「めでてぇ!!」
物流区。
「祝い便組め!」
「今日だけ増便だ!」
共和国は今。
“新しい命”
を祝える国家になっていた。
旧時代では、
子供は不安だった。
飢餓。
病。
冬。
死亡率。
未来が無かった。
でも共和国は違う。
農業革命。
物流革命。
教育革命。
治療革命。
全部積み重ねた。
だから今。
子供は、
国家の未来として歓迎される。
中央市場。
おばちゃん達が騒いでいる。
「絶対元気な子になるよ!」
「ミレナ様、
昔から体力だけは化け物だし!」
「防衛隊長泣いてるらしいよ!」
「マイクか?」
「泣くわよあれは!」
共和国中。
祭り状態だった。
その頃。
共和国中央行政区。
グロマールは、
普通に書類を見ていた。
農業生産。
北方備蓄。
教育配置。
工業増設。
視線が高速で流れる。
そこへ。
セレスが入ってくる。
「聞いた?」
グロマール。
「聞いた」
短い。
セレスが苦笑する。
「反応薄」
「もっと驚きなさいよ」
グロマールは書類から目を離さない。
「想定内だ」
「共和国全体で出生率が上がってる」
「環境が安定した結果だ」
セレスが肩を竦める。
「ほんと、
そういうところよね」
でも。
セレスは知っている。
グロマールは、
感情を表へ出さないだけだ。
むしろ。
こういう時ほど、
裏で動く。
実際。
既に医療院拡張案。
育児支援案。
住宅増築案。
教育予算増額。
全部承認済みだった。
共和国は。
“子供が増える”
を前提に、
既に動いている。
感情論ではなく。
構造として。
夕方。
中央住宅区。
ミレナが歩いていた。
珍しく静か。
共和国の街は、
今日も賑やかだ。
子供達。
工員。
教師。
物流馬車。
全部動いている。
共和国は止まらない。
ミレナは、
その中心近くで生きてきた。
でも今。
初めて。
自分が“守る側”になる現実を意識していた。
怖かった。
魔物より。
戦争より。
ずっと未知だった。
住宅前。
グロマールがいた。
いつもの通り。
特に慌てていない。
ミレナが睨む。
「……なんか言え」
グロマール。
「健康状態は問題ない」
「ピーターの診断も確認済み」
ミレナが顔をしかめる。
「そういう話じゃねぇ」
グロマールは少しだけ考える。
そして。
「住宅区拡張案は通した」
「中央医療院の人員も増やす」
「孤児院側とも連携する」
「教育区の保育施設も増設予定だ」
ミレナが止まる。
それは。
全部。
“子供が生まれる前提”
の話だった。
グロマールは、
感情を大きく語らない。
でも。
必要な環境は、
先に整える。
それがこの男だった。
ミレナが小さく笑う。
「……ほんと、
変な男」
グロマール。
「今更だ」
短い返答。
でも。
ミレナは少し安心した。
共和国は今。
強い国家になった。
飢えない。
崩れない。
教育もある。
物流もある。
でも。
それだけでは文明にならない。
人が。
未来を残そうと思えるか。
家族を持ちたいと思えるか。
そこまで到達して、
初めて国家は成熟する。
共和国中央都市。
夜。
窓から灯りが漏れる。
食卓。
笑い声。
子供。
夫婦。
共和国各地で、
そんな光景が増えていた。
かつて。
誰も未来を信じられなかった国。
でも今。
人々は、
明日を前提に生き始めている。
それこそが。
グロマール共和国最大の変化だった。




